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逆鱗のアークトゥルス(3/8)

 通路では安眠を妨害された乗客たちがこぞって車掌に詰め寄っていた。

 不慣れな運転手が、照明に反射した黒狼(こくろう)の赤い眼に驚いて列車を急停止させてしまった。

 憤る老紳士に車掌がそう、ていねいに説明している。

 間もなく再発車すると告げられた乗客たちは、不満を募らせつつも各々のコンパートメントに帰っていく。騒動をどうにか収束させられた車掌は気苦労が混じる大きな溜息をついた。ゼンが通路に残っているのに気づくと慌てて持ち場に戻っていった。

 第二の振動が起こったのはそのときであった。

 先ほどの急停車とは異なる類の前後の揺れ。

 何かが列車の正面に衝突したのだ。

 列車同士の衝突にしては軽い。

 ゼンの思考を妨げる三度目の衝撃。

 立て続けに銃声。


「ゼン、カタナ持ってこい!」


 血相を変えたディアが狭い通路を駆け抜けてきて、転倒した車掌の背中を飛び越えた。

 針のようなちくりとする気配が肌の表面を刺激する。

 窓の外に無数の赤い眼が虎視眈々と光っていた。



 外では既に三人の車掌がライフルで黒狼の群れを牽制していた。

 目視でざっと数えて十三匹。

 問題は数ではない。

 進路上の線路に立ちはだかる群れのリーダーとおぼしき黒狼は、象か竜かと見紛う異様な体躯をしていた。列車の照明を浴びるその巨大黒狼は、黒い体毛の気色悪いつやを明らかにしており、理性なき赤い眼を貪欲にぎらつかせている。口からは粘り気の強い唾液が垂れており、あごの辺りの体毛を湿らせている。

 巨大黒狼は牙をむいて頭を水平にし、突撃の姿勢を取っている。

 衝突をくらって横転してしまったら最後。文明から遠ざかった平野のど真ん中に乗客たちは放り出される。最悪、後続の列車との追突もありえる。

 じりじりと狭まる包囲。


「脂まみれの体毛ではカタナの切れ味が発揮できません。露払いは僕が引き受けます。大きいヤツの相手は師匠にお任せします」

「任せろ。こんなところで足止め食らって、アークトゥルスのところへ間に合わなくなるなんてゴメンだからな」


 巨大黒狼の遠吠えを合図に、手下の黒狼たちが攻めてきた。

 車掌たちがライフルの引き金を引く。

 鳴り響く渇いた発砲音。

 黒狼たちの勢いは止まらない。

 仕留め損ねた車掌たちは大慌てで先頭車両に逃げ込んでいく。

 逃げ遅れた車掌に覆いかぶさってきた黒狼をゼンが蹴飛ばす。横腹から内臓に打撃を加えられたその黒狼は、地面に倒れて泡を吹いた。

 漆黒の太刀『善』を鞘から抜く動作で、飛びかかってきたもう一匹を迎撃する。硬い柄の先端で眉間を殴打された黒狼は、仰向けになって痙攣を起こした。

 食堂車のドアに爪を立てていた黒狼の背中を斬る。

 振り向きざま、後ろからきた黒狼も薙ぎ払う。

 一騎当千の大立ち回り。

 暗闇に溶ける不可視の太刀を振るうたび、ポニーテールが波打って躍るたび、貪欲なる狩猟者たちは次第に数を減らしていく。のこのこと降りてきた愚かなエサを食らい尽くそうと盛んであった黒狼たちは、予想だにしない劣勢に統制を乱していた。

 ゼンは害獣の悪臭に耐えつつディアの状況を窺う。

 巨大黒狼は標的を列車から彼女に移し、線路から外れた場所で戦っていた。

 堅い爪の生えた前足による横払いを、ディアは持ち前の身のこなしでいなしている。そうしながら「こっちだ!」とわざと目立つ挙動を取って、巨大黒狼の注意を先頭車両からそらしていた。

 巨大黒狼が前足で引っかっこうとしてくるのを回避する。立っていた場所の地面が爪によって無残にえぐれる。ディアは身軽さを生かして地面を転がり、敵の側面を常に取っていた。

 じれったくなった巨大黒狼が身を屈めて『溜め』の動作をとる。

 守備に専念していたディアはここにきて初めて立ち止まり、異形のバイオリンケースを斜めに構えて迎え撃つ体勢に入った。

 充分に力を溜めた巨大黒狼が地面を蹴って飛び、爪と牙をむき出しにして強襲する。ディアは敵を限界まで引きつけ、一撃必殺の間合いに捉えた瞬間、バイオリンケースのスイッチを押した。

 突出する鋼の刃。

 くぐもった重い音と共に跳ね返る巨大黒狼。

 バネ式大剣『サナトス』は禍々しき正体を現すと同時に、巨大黒狼の喉を下から上へと貫いた。大物を仕留めた反動で、ディアのかかとが土にめり込んだ。

 真下から突き上げる衝撃により巨大黒狼の身体は中空で跳ね上がってから墜落し、ちぎれた頭部は弧を描いて闇夜に姿をくらました。

 緊張が解けて膝をつくディア。

 油断した彼女もとへ、生き残っていた手下の黒狼が猛然と迫りくる。ゼンが彼女の名を叫ぶも、戦いを片付けたと勘違いしている彼女はぼやけた顔をして彼のほうを振り向くだけであった。

 閃光が闇を払拭したのはそのときであった。

 足を止めて急反転した黒狼。

 敵意を向けるその先には、客車の前でカメラを構えたノーラ。

 再度ストロボを焚き、フラッシュを浴びせる。

 彼女の目論見どおり、黒狼はノーラへと標的を変更した。

 隣で待ち構えていた車掌たちがライフルの引き金を揃って引く。

 連続して爆ぜる銃声。

 闇夜を滑るように駆けていた黒狼が短い悲鳴を上げ、足をもつれさせて地面をのたうち回った。


「ジャーナリストのタマゴたる者、これくらいなんのそのですよ。いや、ぶっちゃけすっごいビビりましたけど」


 リーダーを欠いた群れが瓦解するのは早かった。



 寝台列車は定刻からやや遅れて目的地に到着した。

 延々と平たい農地やうっそうと茂る森林を抜けた末に広がっていた海原は、その雄大なる青をゼンとディアの眼に焼きつけてとりこにした。駅に降りてすぐディアは、風に運ばれた真砂が散らばるプラットホームを駆け、砂浜を目指していった。

 硬い道路からやわらかい砂浜に降りて散歩していたゼンに水しぶきがかかる。


「あははっ。冷たくてきもちいいぞ」


 波打ち際でディアが裸足で海を蹴っていた。

 これから立ち向かわねばならない過酷などすっかり忘れ、冷たくてくすぐったい細波の心地よさに無邪気にはしゃいでいた。



 待ち合わせ場所のカフェに赴いたのはその後であった。

 空調の利いた天井の高いラウンジ。その片隅の席で小太りの軍人アウグスト大佐がコーヒーを飲んでいた。カメラを用意して準備万端のノーラも同席していた。大佐とディアが握手する瞬間を彼女はカメラに収めた。


「鉄道局から電報が届きましたぞ。道中、黒狼の群れを追い払ったそうで。陛下護衛に続いてお手柄ですな」

「あっ、それそれ、不肖ノーラもゼンさんたちの勝利に一役買わせていただきました。いやぁ、とっさの機転に自分ながら惚れ惚れしちゃいましたよ」

「……記者を同行させるならあらかじめ連絡していただきたかったですぞ」


 自己主張の激しいこのお調子者を大佐は心底迷惑がっていた。自分たちが到着するまでの間にどのような目に遭ったのか、ゼンは瞬時に察したのであった。

 掃き出し窓に広がるのは、穏やかな海辺の街並み。

 まぶしい砂浜と透き通る海。古来からの白い木造住宅群。裕福層向けの保養地として名を馳せているだけあって、心を潤す清々しい景観であった。

 ディアは頼んだオレンジジュースに口をつけず、不気味なくらいに黙りこくってアウグスト大佐の話を聞いていた。一言たりとも聞き逃すまいと真剣に耳を傾けていた。


「近頃『悪しき軍国主義の打倒』などと唱える不届き者がはびこっているうえ、竜や半竜の人権がどうのこうのとやかましい輩まで幅を利かせる始末。ゆえにこの時勢、下手に軍を動かすと新聞社の格好の餌食。ディアどのの申し出、こちらとしても渡りに船だったのですぞ」

「ええ。僕も身に覚えがあります」


 手帳にメモを取っていたノーラが苦笑いでごまかす。


「軍が調査したアークトゥルスの情報は今ほど渡した書類のとおり。ゼンどのとディアどのならば、必ずやアークトゥルスを討てるでしょうぞ。軍人という立場上、私情で助太刀できないのを許してくだされ」

「違うぞ。わたしたちはアークトゥルスを説得しにいくんだ」


 ディアがイスを鳴らして席から立つ。

 大佐は何か言おうとした口をつぐみ「失礼。そうでしたな」と訂正した。


「教えてくれ大佐。陛下はどうしてアークトゥルスと取り合わなかったんだ。訴えを拒むにしたって、会ってやることくらいできたろ」

「冗談はよしてくだされ。大国の君主が竜と会談をしたなどと知れれば、世界中の新聞社がこぞって陛下を笑いものにしますぞ。外交――ひいては帝国の威信を揺るがすと言っても過言ではありませぬ」


 アウグスト大佐の述べる理屈にディアはもどかしがっている。


「半竜のディアどのに申し上げるのは大変心苦しいが、意思疎通が可能だろうと、アークトゥルスは竜なのですぞ」


 絶句するディア。

 竜だから。

 その単純な言葉が彼女を困惑させる。

 アウグスト大佐は視線を手元のコーヒーカップに落として黙りこくっている。愕然と立ち尽くす少女に居たたまれなさを覚えているのがありありとわかった。

 ノーラもペンと手帳をしまって縮こまり、二人の顔を交互に覗いていた。

 と思いきや、やおら立ち上がって「はいはいっ」とぴょんぴょん手を上げる。

 また彼女の『機転』とやらなのか、テーブル脇の品書きを皆の前で掲げる。


「小腹がすいたのでケーキでも頼みましょう。このカフェのケーキ、お土産として有名なんですよ。ノーラはチーズケーキを頼もうかと」


 ディアはカフェを飛び出した。

 くしゃっと涙目になったノーラが「ぜ、ゼンしゃん……」と彼に助けを求めてきて、アウグスト大佐も「申し訳ないゼンどの。言葉選びを誤ってしまった」と面目ない様子であった。


「師匠は気持ちの整理が追いついていないだけです。竜なんてこれまでいくらでも狩ってきました。これもそのひとつなのだと、時間が経つにつれて理解してくるでしょう」


 アウグスト大佐より渡された書類をカバンに詰めたゼンは「まったく。師匠はいつも僕を困らせる」と席を立った。当然のようにノーラも後についてこようとしたところ、アウグスト大佐に引き止められて尻をイスに落とした。


「ディアさん、どこ行っちゃったんでしょうね」

「さてな。そのうち見つかるだろう」

「おっ、なんか長年の相棒っぽいセリフ」


 ディアをさがしに店を後にすると、意外にも彼女は戸口に立っていた。

 ゼンを待っていたわけではないらしい。

 行く手を阻まれていたのだ。

 爬虫類のしっぽを生やした黒髪の乙女――半竜エリカによって。


「ディアさん。あなたを迎えにきました」


 エリカはディアに手を差し伸べた。

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