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逆鱗のアークトゥルス(2/8)

 車掌に案内されたコンパートメントに荷物を置いたゼンとディアは、食堂車で夕食にありついていた。

 前菜とスープをあっという間に胃袋に入れてしまった二人は、メインディッシュが運ばれてくるまでの時間をだいぶ持て余していた。

 カーペットの踏み心地も、車窓に流れる景色にもとうに飽きていた。

 帝都を離れ、ひなびた農村を横切りつつ広大な農地を縦断し、人里からもいよいよ遠退いて……木々が生い茂る山間を寝台列車は走っている。

 車掌によると、夜が明けるまで当分スギとシラカバに付き合うハメになるとのこと。炭鉱労働者と乗り合わせるオンボロ列車が関の山であった二人であろうと、林ばかりの風景が続けばさすがに飽食気味であった。

 頬杖をつくディアは車窓を眺めながら、カーテンの凹凸に指を這わせて遊んでいる。


「怒涛の一日だったな。フロレンツの胡散臭い依頼でお城に行ったら竜の群れにいきなり襲われて、しかもアークトゥルスとかいう竜の王が帝国に宣戦布告するだなんて」


 全身の鱗が逆さまの竜、アークトゥルス。生きている中で最古の竜であるアークトゥルスは長老的立場として竜たちの尊敬と信頼を集めている。アークトゥルスはまさしく竜たちの主君であった。

 人間社会における竜と半竜の待遇改善を訴えたのを足蹴にされたアークトゥルスは、自ら竜王国を樹立して帝国からの独立を宣言した。全面戦争に突入する前に帝国はアークトゥルス討伐をゼンとディアに依頼したのであった。

 依頼――正確には猶予であった。

 帝国軍の機甲師団が竜王国を蹂躙する前に、この件を解決させるための。


 アークトゥルスを殺さないでくれ。

 わたしが、わたしたちがアークトゥルスを説得するから!


 竜狩りにあるまじき少女の願いは皇帝に聞き届けられたのだ。


「フロレンツって帝国政府にも顔が利くんだな。今回ばかりは見直したぞ。列車も一等寝台を用意してくれたし。あいつに礼をしなくちゃな」

「出世争いから蹴落とされて進退窮まった独身中年の、決死の営業の賜物でしょうかね」

「エリートはエリートなりの苦労があるんだな」


 真剣な面持ちに戻ったディアは、窓枠に置いた拳を堅く握る。


「わたしたちは話し合うためにアークトゥルスのところへ行く。戦争なんてしちゃだめだ。争って奪ったものはいつか取り返される。正義とか悪とか、そんなのには関係ない」

「生きることは戦いです。開拓から発展を経て戦争に至る連鎖は有史以前よりの掟。未来永劫廻りつづける摂理の円環なのです」

「お、オマエぜったいわざと難しい言葉使ってるだろ……」


 シラカバの林が途切れ、明滅を繰り返していた夕焼けの色が食堂車を染める。


「とにかく、アークトゥルスはこれから生きていく仲間のためにがんばってたんだろ? そんなやさしさをかたちにする最後の手段が戦いだなんて、台無しじゃないか」


 おまちかねのメインディッシュが運ばれてきた。

 ナイフとフォークを手にしたディアは無心にステーキにかぶりついた。ソースの飛沫がそこら中に飛び散る豪快な食べっぷりは、他の席で優雅にディアナーを楽しむ紳士淑女の目を嫌でも引いた。とうに慣れっこであったゼンだけ、赤ワインを肉と共に堪能していた。

 夕陽の透ける高貴な紫。

 鼻先に近づければ果実の上品な香り。

 そして舌に染み込む奥深さと絶妙な渋味。

 河川に隣接した小高い丘陵のぶどう畑がゼンの頭によぎる。存分に陽光を浴びて育てられ、熟練の手により醸造された高級ワインは、コイン一枚ぽっちで飲めるそこらの安酒とはワケが違った。

 がっつく師を尻目に、ポニーテールの子分はひと口ひと口ディナーを味わっていた。

 そんな優雅なひとときは、おてんばな娘の挨拶によってぶち壊された。


「お食事中どうもっ。取材いいですか? いいですよねっ」


 ゼンの目の前に少女の顔がぬっと現れる。

 カメラを首にぶら下げる彼女は、アークトゥルスとの戦いに紛れ込んできた学生服の少女であった。


「パブリックスクールの生徒が何の用だ」

「おっとっと。遅ればせながら、わたくし東グレイス校2年生のノーラ・カーレンベルクと申します。ジャーナリズムクラブの特派員として、手練れの竜狩りであるゼンさんの『逆鱗のアークトゥルス』に挑む心境をぜひぜひ取材したいのです」


 ノーラは既に手帳とペンを用意して待ち構えている。気合いの入った鼻息で胸元のリボンが躍った。

 ゼンが目をそらした方へ彼女は先回りし、馴れ馴れしく至近距離まで顔を近づけてくる。図太いのか鈍感なのか、太刀よりも鋭い目で睨まれようとあっけらかんとしている。

 乗客たち非難めいた視線がゼンの背中や肩に刺さる。裕福層が利用するこの寝台列車に太刀を吊るしたポニーテールの青年と半竜の少女が乗っていて、そのうえやたら声の大きい学生まで現れたのだから、悪目立ちするのも当然であった。


「人間社会への不満を土台に勃興した竜王国。果たしてアークトゥルスは帝国に勝ち目があるのでしょうか」

「失せろ。食事のじゃまだ」

「そんないけずなことおっしゃらないでくださいよ」

「うっとうしい」

「では本日のところは写真撮影だけで結構ですので」

「くどい」


 しつこい新聞記者をようやく追い払ったかと思いきや、たくましくもノーラはディアにも取材を試みていた。


「昨今、半竜の人権問題が取り沙汰されていますが、ディアさんはどのようにお考えで?」

「じ、じんけん……?」

「ほらぁ、半竜ってすっごい寿命が長くて、そのくせ子供のまま成長が止まっちゃうじゃないですか。そういう性質のあなたがたを人間の法律に無理やり当てはめているせいで不都合が生じていたり」


 勢い余ってテーブルに手をつき、花瓶のスズランが揺れる。

 ノーラの燃えさかる情熱を熱がったディアがイスを引いて壁際に逃げる。その悪手はノーラにますます追い詰められる事態を招いた。


「ひとつくらい心当たりありますよねっ。ないと取材の甲斐がないじゃないですか。アークトゥルスだってそういうのの改善を陛下に訴えていたんですよ」

「えっと、そ、そうだな、うーん……。しいて言うなら、翼が生えてるせいで背もたれのあるイスに座るときちょっと不便だ」

「『人間基準の独善的な社会構造に窮屈を覚えている』と。まだありますよね?」


 ゼンは以前、グスタフ警部からの依頼で通貨偽造容疑者の取り調べに立ち会ったことがあった。そのときの警部の姿とノーラの姿が今、不意に重なった。たじろぐディアの様子も容疑者とそっくりそののままであった。


「こ、子供扱いされるのがちょっと気に食わないぞ。この前カタリナの店の店番をしてやったら、カタリナのじいさんに『おじょうちゃんお留守番できてえらいね』ってアメをもらったんだ。逆に腹が立った。アメはおいしかった」

「『低賃金で過酷な労働を強いられており、さながら現代の奴隷制度である』と。教育制度については?」

「わたしが生まれた時代は教会でシスターが勉強を教えてくれてたから……」

「『法の不備により教育の機会を損失した者たちの救済を切に望む』と。あとは――」

「もう勘弁してくれ!」


 車内がふっと暗くなる。

 車窓の景色は塗りつぶされた黒。

 トンネルに入ったのだ。

 不思議な閉塞感が場を支配する。

 キャンドルとオレンジ色の照明が車内をほのかに明るくする。カメラのシャッターに添えていた指を離したノーラは「アークトゥルスと戦うときは私にひと声かけてくださいねっ」を別れのあいさつに食堂車から退散した。

 好奇心をかき集めてできたかのような少女。

 つむじ風はゼンとディアを散々巻き添えにして過ぎ去っていった。

 トンネルを抜けると薄暮が訪れていた。



 自分たちのコンパートメントに戻ったゼンとディアは、満腹感がもたらす眠気に任せるため、照明を消して各々のベッドにもぐった。


「寝台列車ってどきどきするよな」


 二段ベッドの頭上からディアが同意を求めてくる。


「こうやってベッドで眠ってるのに、わたしの身体はレールに沿って大地を走ってる。よく考えると妙だぞ。汽車を走らせるのは石炭じゃなくてわたしたちの好奇心なんじゃないか、ってときどき考えるんだ」

「個性的な感受性です」

「わたしって意外と文才あるかもしれないぞ」

「明日は現地でアウグスト大佐と落ち合う予定です。充分な睡眠を取りましょう」

「今度、小説でも書いてみようかな」

「第二のマーガレット・ノキアでも目指すおつもりで?」

「おだてたって何も出ないぞ。案外、作家に転職したほうが手っ取り早く借金返済できたりしてな。よしっ、この件が片付いたらタイプライターを買うぞ」

「師匠。そろそろ寝かせてください」


 列車に乗っているときの彼女はたいてい、そわそわと落ち着かない。おまけに寝台列車の一等寝台ともなれば余計に目が冴えてしまうらしく、明日に備えたいゼンの熟睡をひたすら妨害していた。

 ディアを黙らせ、ベッドを軋ませる寝返りの音に耐え、やがて大人しい寝息が聞こえ、そこまでして初めて彼に安眠が約束された。

 無慈悲にも、その約束すら突発的異変により破られた。

 鼓膜を引っかく不愉快な金属の摩擦音。

 車内の重力が横方向に働く。

 ゼンはベッドの柵に肩をしたたかに打った。「ぎゃっ」という小さな悲鳴も頭上から聞こえた。

 金切り声が止むと同時に重力も正常に戻る。

 ブレーキをかけた寝台列車は完全に停車した。

 訪れる深夜の静けさ。


「事故が起こったのかもしれないぞ!」


 ベッドから飛び降りたディアがコンパートメントを出ていった。

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