よくばり(1/2)
スーツを着てネクタイをしめるなど、ゼンの人生で初であった。
「なかなか着心地に慣れませんね」
同じ心境らしく、ディアが首肯する。彼女は桃色のドレスから露出する細い肩を先ほどからずっといからせている。こわばった顔面も、帝都銀行の控え室に飾られている皇帝の肖像画を髣髴とさせた。
背中から生える退化した竜の小さな翼が、ぴんと反り返っている。
正面から見れば上流家庭のかわいらしい箱入り娘。しかしさにあらず。竜の血族を証明する水晶の瞳にさえ察しなければ誰も彼女が半竜などと、しかも多くの竜を屠ってきた竜狩りとは思うまい。
「お、おいゼン。ホントに今夜は肉食べ放題なんだろうな。緊張と空腹で目がぐるぐるしてきたぞ。とにかく今日は肉を食べまくるからな。牛肉を狙うぞ。ステーキにローストビーフにビーフシチューに……。10年分は食い貯めてやる」
口をついた瞬間、育ちが露呈した。
ディアは目の前にそびえる建物を仰ぐ。
「それにしてもでっかいな。月にでも届けるつもりか」
帝都一等地の高級ホテル。威風堂々たるゴシック調のオベリスクは夜天の群雲を突かんとする。
肌寒い秋空の下、ポーチの下で待ち人を待ちつづけていると、正門をくぐってきたワインレッドの高級車が二人の前に停まった。ゼンは後部座席のドアを開け、そこに座る正真正銘のお嬢さまに手を差し伸べた。
シルクのグローブ越しに少女の体温が伝わる。
「ありがとー」
温かいシチューのような、とろんと間延びした声でカタリナ・バルシュミーデはお礼をした。
反対側のドアから現れた彼女の祖父は「お友達と仲良くするのじゃぞ」と愛しい孫娘の頭をなでてから、屈強な護衛を連れて先にホテルへと入っていった。
「ゼンくんやさしい」
「その靴だと立つのも難儀だろう」
「やっぱりゼンくんはいい人。本物の王子さまみたい。ディアちゃんもかわいー。私もおめかししてきたんだよ。ドレス、似合ってるよね」
「否定はしない」
「動きづらいぞ。これじゃ肉を食べるのに不便だ」
今宵のカタリナは牧歌的な草原を思わす薄緑のドレスを身にまとっていた。ゼンが王子さまだとすれば、金色の髪をまとめ上げて化粧を施した彼女は花畑の国のお姫さまであった。
「あれっ、今日はカタナ持ってないんだ」
「使用人に没収された。袖の暗器までは見咎められなかったがな」
「バレなかっただけだねそれ。ところでゼンくん。『カタナ』と『カタリナ』って語呂がなんとなく似てない?」
「駄洒落か」
「ゼンくんカタナは好き?」
「好きだ」
「カタリナは?」
「師匠。気がそぞろだからといって足踏みしていたらドレスがずり落ちますよ」
「そのロコツな無視は照れ隠しと受け取るね」
そっぽを向くゼンの前に回りこんだカタリナが上目遣いを送ってくる。
「実は今夜のパーティー、ゼンくんにエスコートしてもらいたくて。なんちゃってなんちゃって」
「……招待してくれて衣装まで貸してくれたのには感謝する」
苦笑したカタリナはそれ以上エスコートをねだろうとはしなかった。おりよくどこかの金持ちの令息が颯爽と現れてナイト役を志願してきたので、お姫さまは手の甲に口づけする社交辞令を許したのであった。
「いくぞゼン! 片っ端から食っていくぞ」
ドアマンが恭しく頭を垂れてドアを開けた瞬間、竜狩りの二人組みは今夜のディナーを制覇すべく、足音をうるさく鳴らしてパーティーへと臨んだ。
見晴らしのよい最上階のホールで立食パーティーは催された。
シャンデリアのまばゆい明かりの下、壇上の美女がピアノのソロをしとやかに演奏する。テーブルに並ぶ料理は口に運ばずとも目で楽しめる豪華絢爛の彩り。着飾った老若男女の気品ある談笑で広い空間は盛り上がっていた。
パーティーの主催は大手重機会社。帝国軍の機甲師団が再編成されるにあたって戦闘車両も刷新すべきだとの意見が上がり、その際に実施された動力機関設計開発コンペティションにこの会社は勝利したのである。これはその祝賀会であった。
「おい、ゼン。こっちだ。シェフが切り分けたばかりのあつあつステーキだぞ」
「師匠。こちらの白身魚のムニエルもバターの香りが芳ばしくて絶品ですよ」
「おおっ、ヨーグルトにハチミツを垂らすのか!」
「オードブルを差し置いてメインディッシュとデザートを交互に食べる……。今宵のみ許される食への冒涜ですね」
「次はパイ包み焼きだ!」
そんな世界とは無縁であるゼンとディアにとって、パーティーの理由よりもビュッフェのメニューの方がはるかに心悩ます関心事であった。陸軍関係者や帝都銀行、関連企業の重役、令息令嬢が入り混じるきらびやかな社交界の隙間を、竜狩りの二人は縦横無尽に駆け巡って無心に肉を食らった。その身のこなし、四肢の躍動は、竜との戦闘よりも俊敏で、ゼンに近づこうとする婦人たちを翻弄した。
ゼンはさりげなく視線を目じりの方へとずらす。
カタリナがどこぞの御曹司とおしゃべりしている。その男が去ると、また別の男がすかさず登場する。ウェイターに料理を盛りつけてもらいながら観察している間、延々その繰り返し。しかし、美辞麗句を並べ立てる彼らの視線の先は、誰も彼も彼女の背後に立つ祖父。そうでない場合、彼女の豊かな胸元であった。
「カタリナって友達多いんだな」
「そうですね」
「でもあんまり楽しそうじゃないな」
「そうですね」
「加勢するか」
「だめです」
パーティーを取材する新聞記者団が横から現れて重機会社の社長を取り囲み、ゼンとディアの視界は遮られた。
「キミたちがディアさんとゼンさんだね」
鶏胸肉のソテーを堪能しているところに恰幅のよい中年男性が寄ってきた。
ゼンは食器を置いて故郷のしきたりにならって会釈した。中年男性は帝都銀行頭取の肩書きを添えて名乗り、ウィスキーを勧めてきた。
ディアの皿から鶏肉がずり落ちる。
「まっ、まさかこんなところにまで借金取立てにきたのか。さすがフロレンツのボスだ。がめつさが限度越えてるぞ」
「はははっ、手厳しいお嬢さんだ。そうそう、私が次長だった頃はフロレンツくんの直属の上司だったのだよ。キミたちの友人であるバルシュミーデ嬢の祖父とも知己でね」
頭取は会話の主導権を握りつつ自然に悪態を流す。
「あのヨボヨボじいさんが天下の帝都銀行のボスと友達だって?」
「なにを言いなさる。表舞台でこそうらぶれた古物商店を営んでいるがその実、バルシュミーデ会長は裏世界を牛耳る――おおっと、それはさておき」
頭取のあからさまなほのめかしにディアは首を傾げている。
金持ちばかりが集うこの立食パーティーに、どういう縁故でバルシュミーデ家が呼ばれたのか。その疑問にゼンはようやく合点がいった。そして自分たちの狩った竜がどういった経緯を経て売りさばかれるのか思いを巡らせ、それにも結論を得た。
「フロレンツくんの普段の言動はどうかね。半竜だろうと竜狩りだろうと、キミたちはれっきとしたお客さま。彼はプライドが高いのが玉にキズでね。帝都銀行員という立場をかさに着て横柄な態度を取っていないか気がかりなのだよ、ゼンさん」
「そうですね。フロレンツさんには竜狩りの依頼を日ごろから積極的に斡旋していただ――」
「ちょうどよかった! あの超ドケチには文句の100や200は言ったかったところだったんだ」
ゼンを押し退けてディアが割り込んできた。
「聞いてくれよ。フロレンツのヤツ車は貸してくれないし、電報代や汽車の運賃はわたしたち持ちだし、挙句の果てにこの前、人食い女の住む森で迷子になったときなんか『お気の毒でしたね』って他人事だったんだぞ。まだまだあるぞ。カタリナの店に最近やけに訪ねてくるんだが――」
日ごろの鬱憤を今こそ晴らさん。
会話を横取りしたディアは担当行員への文句をこれでもかとまくし立てる。頭取は神妙な面持ちで半竜の少女の恨み言に聞き入り、彼女がひとしきり話して憂さを晴らすと「よくわかった。感謝するよ。フロレンツくんは私が直々に教育しておこう」と真摯に約束を交わしてその場を離れていった。
「僕たちフロレンツさんに一生恨まれるでしょうね」
「ん? 上等だろ。っていうかアイツ、普段からカタリナ見下してるし。ボスの親友の孫娘だっての知ったら腰抜かすぞ。ざまあみろ」
「僕らの竜狩りはあの人あってこそなのですから、多少の手心は加えるべきでは」
「あれでも序の口だったんだぞ」
「あと『お気の毒でしたね』の声真似、本人そっくりでしたよ。笑いをこらえるのに苦労しました」
「だろっ?」
ラムチョップをほおばるディアの表情に罪の意識は皆無であった。
賑やかだった会場がにわかに静まり返る。
主催者である重機会社の社長がマイクを握って壇上に立っている。大胆不敵の表現が似合う、奸謀に長けていそうな、精力に溢れた壮年の男であった。カメラのストロボ、拍手喝采――皆こぞって社長を賛美した。
バルシュミーデ家の体面を考え、ゼンも一応拍手に混ざる。
「乾杯のあいさつでも長々としゃべっていたのに、よくもぺらぺらと自慢が出てくるものです。成功者は皆、目立ちたがり屋になる定めなのでしょうか。あるいはそういった図々しい輩が他者を押し退けて成功をもぎとるのでしょうか」
あくびを噛み殺しながら社長の演説に付き合っていたゼンは、ディアの返事がないことを訝って「師匠?」と振り向く。
ディアは青ざめた顔に大量の脂汗をかき、ゼンの横でうずくまっていた。




