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竜は言った(2/2)

 帝都銀行で預金通帳を確かめると、契約していた竜狩りの報酬が1/10も振り込まれていなかった。

 やはりな。

 こんな展開になるのを予想していたゼンをよそに、諦めの悪いディアは「ひぃふぅみぃ」と数字の桁を指で何度も数えなおしていた。入金された額が見間違いではないことをようやく受け入れてからディアは、憤怒の形相で窓口に乗り込んだのであった。


「約束したお金がぜんぜん入金されてないじゃないか。フロレンツを出せ!」

「お客さま、カウンターに上がられては困ります」

「いいからフロレンツを呼んでこいってば! 嫌味な七三分けのメガネ野郎だって言えばわかるだろ。わたしはお客さまなんだぞ!」


 物騒なバイオリンケースを振り回して窓口の受付嬢を困らせている。

 ディアがカウンターで仁王立ちしてわめき散らすのを、他の利用客は奇異の目で見ている。シルクハットの老人は「近頃の若いもんは」と白髪混じりのヒゲをなでながら毒づき、待合席で新聞を読む紳士も「親の顔が見たいものだ」と渋面を浮かべている。かたわらの婦人が心底迷惑そうに娘を抱き寄せていた。

 ゼンは待合席の隅っこで狸寝入りし、他人のフリを決め込んでいた。


「やかましいと思って来てみれば、案の定あなたですか」


 長い間わめいていると、受付の奥から嫌味な七三分けのメガネ野郎が現れた。


「出たなフロレンツ」

「化け物か何かですか私は」

「金の亡者だろ」

「……それよりもディアさん、店内で迷惑行為は控えてください。営業妨害ですよ」

「偉そうな口はちゃんと報酬を振り込んでから利け。ゼンも怒ってるぞ。ゼンが怒ると怖いぞ。血の雨が降るんだからな……ってゼン、部屋の隅っこで他人のフリするな! わたしに助太刀しろ!」

「申し上げますと」


 フロレンツは咳払いしつつ背広を正す。


「あなたの口座に振り込まれた報酬は正当な額です。振込みに手違いがあったわけでも、私がネコババしたわけでも断じてありません。非はあなたにあるのです」

「わたしに落ち度だって?」

「当然でしょう」


 ぬっと顔面を近づけられてたじろぐディア。


「サナトスとかいう名前でしたっけ。あんな野蛮な大剣で頭をぶち抜いたら博覧会に飾れないでしょうに。首なし竜では台無しなんですよ台無し。そもそもあの竜、(メス)じゃないですか。つがいの(オス)を狩ってくださいと私は申し上げたはずですが」


 フロレンツはまくし立てる。

 形勢は完全に彼に傾いていた。


「他の竜狩りが牡の方を狩ってくださったので、博覧会の展示には間に合う手はずとなりました。まったく、私の顔に泥を塗らないでいただきたいですね。多少なりとも報酬が振り込まれているのですから感謝こそすれ、文句を垂れるのはお門違いも甚だしい。そこで他人のフリを決め込んでるゼンさん、あなたも彼女の手綱をちゃんと取ってくださいね」

「……さい」

「はい?」

「うるさいうるさいうるさーいっ!」


 悪態をつかれた返礼とばかりにディアはフロレンツの背中に飛びつき、首に腕を回して締め付けた。半竜の腕力で締め付けられては大人の男であろうと脱出は不可能。呼吸を止められて顔面蒼白となったフロレンツは屠殺されるニワトリのようなおぞましいうめき声を上げていたが、やがて白目を剥いて失神した。



 帝都の大通りは今日も賑わっている。

 老若男女でごった返す石畳の上を馬車と自動車が行き交っている。路地を挟んで連なる店舗と集合住宅の背は高く、空が狭い。景色の最奥にそびえる城塞のごとき王城が、いかめしく城下町を見下ろしている。

 立派な軍服をまとった衛兵が銃剣を肩にかけ、背筋正しく巡回している。

 やがて日が暮れる。

 そうなれば街路のガス灯が点り、騒々しかった通りを落ち着いた夜の雰囲気に変える。


「あの竜、夫がいたんだな」


 ディアのつぶやきは雑踏の騒音にかき消される。


「向こうのレストランで昼食にしましょうか、師匠」

「お金、ぜんぜんもらえなかったぞ」

「お給金の入った日くらい贅沢しましょう。僕たちが生きるために旅したのを噛みしめるために」


 うなだれるディアの手を引いて、ゼンはレストランに足を運んだ。普段なら決して足を踏み入れはしない、蓄音機の弦楽が洒落た中流層向けの店であった。

 ひき肉のたっぷり入ったボロネーゼは二人の胃袋を満たし、束の間の幸福感をもたらした。ぶどう酒もどこから仕入れたのかもわからない安物とは違い、香りも舌触りも格別であった。

 数日前の苦い記憶が後を引いているのか、ディアの顔色は依然として曇っている。背中の翼がイスの背にひっかるせいで浅い座り方をしている。竜の血族特有の水晶みたいに透き通った瞳は、伏せがちなまつげに隠れている。

 パスタをフォークで巻きながらゼンは淡々と語る。


「たぶん、あの竜はあえて犠牲になったんです」

「わたしたちに狩られるために」

「あの竜のやさしさを受け入れるべきだと僕は思いますよ」


 うつむき加減のディアは理解していても納得はしていない面持ちである。


「むかし、別の竜を狩ったときに『共食いの半竜が』って言われたのを思い出したんだ。わたしは同胞を喰って生きているんだな。悪い竜を狩っているときはそのへん無頓着だった」


 抱きしめるバイオリンケースには竜を殺すための刃が仕込まれている。

 ゼンも太刀の鞘に指を這わせ、漆の触感を確かめる。


「僕も多くの人間を斬りました。生きるために。師匠と異なるのは、殺した連中の大半がビタ一文の値打ちもつかないごろつきどもだということくらいです」

「わたしたち、似てるんだな」

「似た者同士ですよ。たぶん」

「そっか」


 ディアは心なし元気を取り戻し、控えめにはにかんだ。

 100年という生涯で数多の出会いと別れを繰り返してきた彼女は、打ち解けられる者と出会えるたびにこういう表情をしてきたのだろう。ゼンは知られざる彼女の半生に思いをめぐらせながらパスタを咀嚼した。食欲が湧いてきたらしいディアもパスタが盛られた皿にがっついた。

 口の周りをソースまみれにする頃には、すっかりいつもの無邪気な彼女に戻っていた。


「なあ、今度はどこを旅するんだ? 北か? それとも南か?」

「フロレンツさんが次の竜狩りを斡旋してくれるまで、帝都近郊で黒狼(こくろう)狩りを請けましょう。鉄道の敷設工事が近年盛んになっていますから、害獣駆除の仕事は山ほどあるでしょうし」

「こ、黒狼か……。苦手なんだよな。あの油を塗ったみたいにぬるっとした黒い体毛、ほおずきみたいな真っ赤な眼。ううっ、想像しただけで鳥肌が」

「なら新聞配達にでも勤しみます?」

「そんな悠長なことやってたら10000年かかっても借金返済できないだろっ。っていうか、利息すら払えないぞ」


 そうなってはいよいよパンケーキから小麦粉まで省くハメになるだろう。


「借金のカタに竜狩り黒狼狩り。多重債務者の悲哀ですね。安穏な日々を送れるようになるのは果たしていつになるやら」

「うん。でもな」


 パスタの最後の一口をぺろりと平らげてディアは言う。


「ゼンといっしょならどんな旅だってへっちゃらだぞ」


 あけすけな半竜の少女は嘘偽りとは無縁で、常に本音をさらけ出している。その無防備さはときとして弱点になるものの、ほとんど場合、彼女を助ける力となる。だから彼女は未熟な少女の姿のまま100年生きてこれて、残りの900年もそうやって生きていくに違いない。そうゼンは思った。

 ゼンをはじめとして世界には案外、やさしい人が多い。



 レストランを後にしたとき、二人は思いがけぬものと出くわした。

 石畳を鳴らす騒々しい車輪の音が響いてきたかと思えば、大通りのど真ん中を大型荷馬車が駆け抜けてきた。大型荷馬車の全幅は通りいっぱいを占めており、進行方向にいる通行人や馬車は次々と曲がり角に避けていった。大砲でも運んでいるのか、と人々は騒然としていた。

 荷馬車が向かう方角には帝都博物館。

 四頭もの馬が引くその荷馬車には竜の死体が(はりつけ)にされていた。

 皺の深い老年の、牡の竜であった。



〈『竜は言った』終わり〉

【あとがき】

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