理由と結果(3/3)
あくる晩、ゼンは太刀を携えて貧困層居住区の狭い路地をうろついていた。
「なぁなぁゼン。いい加減帰るぞ」
彼の服の袖を掴んで怯えた様子で歩を進めるディアは、もう幾度も「帰らないか」と訴えている。ゼンはそんな彼女を無視して闇夜をさまよっていた。
「警部から言われてただろ。夜中に歩くのはよせって」
「ええ。ですから師匠、早く部屋に帰ってください」
「こんな真っ暗な夜道で、しかも猟奇殺人犯がうろついてるかもしれないんだぞ。それを一人で帰れって言うのか薄情者め」
「師匠が勝手に僕の後をついてきたのでしょう」
住み慣れた場所も、闇夜に包まれればその雰囲気は様変わりする。朽廃した建物に住民が好き勝手な増改築を繰り返しているせいで、路地は禍々しさ渦巻く迷宮と化している。そのうえ首の回らなくなった債務者や被差別者である移民、前科者などの持たざる者たちの掃き溜めという性質上、治安も悪い。たとえ住民であろうと夜中にうろつくなど自殺行為に等しい。
「お前、殺人犯を見つけるつもりなのか。まさか『正当防衛なら合法的に人を斬れる』って考えてうろついてるんじゃないだろうな」
「なるほど。そういう口実もありましたか」
藪蛇をつついてしまったディアは「今言ったの忘れろー!」とゼンの背中をぽかぽか叩きだした。
その最中、彼女は突然「ひっ!?」と息の詰まったような声を上げてゼンに抱きついてきた。両腕両脚でしっかりとしがみついて地面から足を離し、全体重が彼にかかった。
ネズミの死骸を踏みつけてしまったらしい。
まとわりつくディアをゼンはひっぺがす。
二人は死骸を避けて道の隅っこを通った。
「汚いよな、ここ。表通りは清掃業者が毎日掃除してるのに」
「不法滞在者や未納税者が大半を占めるここに、そんな手間をかける道理なんてないですから。ここの連中も連中で市や警察の介入を嫌っています」
「好き好んでそうなったヤツなんて一人もいないんだぞ」
ディアの足が不意に止まり、ゼンの袖がぴんと張る。
足を止められたゼンが文句を言おうとして、その口は閉ざされた。
探し回っていた獲物が目の前に現れたからだ。
目を凝らす。
猫背で痩せた男だ。
骨ばった輪郭、濁った双眸に目元の深いクマ、半開きの口が男の病的さを際立たせている。人相書どおりの顔つきで、しかも右手にはナイフ。
先に口をついたのは男の方からであった。
「こんな夜更けに子供を連れまわしてどうする気だ」
目の焦点が合っていないせいで、うわごとのように聞こえる。
「彼女は半竜だ」
的外れなゼンの答えに男は首を傾げ、ナイフの切っ先を彼に向ける。
「人さらいめ。その子を置いてこっちに来い」
「通り魔が人さらいを成敗とは世も末だ」
「お前たち犯罪者と同類扱いされては困る。俺が今まで始末してきた奴らは麻薬中毒者だ。汚い仕事をする見返りにマフィアから麻薬を受け取っていた。挙句に奴らは注射器を使いまわして病気を伝染させようとしている。奴らは悪党なんだ。強引なやり方であろうと早急に阻止しなくてはいけないんだ」
「被害者には年端もいかない子供もいたと聞く」
「食いっぱぐれた子供もいつか犯罪に手を染める。そうなる前に誰かがどうにかしないといけない。あいつだって将来そうなる。そうに決まってるんだ」
男が仕掛けてきた。
ナイフを水平に構えて突っ込んでくるだけの、素人丸出しの浅はかな攻撃をゼンがいなすのは容易かった。半歩軸をずらして男の突撃をかわし、すれ違いざまに背中を軽く押す。前のめりに突っ込んできた男は姿勢を崩されて転倒した。
他愛も無い。
突っ伏した男はよろめきながら起き上がる。膝が震えており、息遣いも尋常ではない。狂気にとりつかれている。暗い足元をしきりに見回し、落としてしまったナイフをさがすも、あきらめて木箱の周りに散らばっていたガラス片を手に取った。
ガラス片を硬く握る手から血がしたたっている。
「ここに住む連中は殺されても何ら文句を言える立場じゃないし、泣いて哀しんでくれる身内だっていないんだ。オモテに住む裕福な奴らもこいつらを疎んでいる。持て余したゴミ扱い。そうだ、こいつらはゴミなんだ。役立たずのゴミゴミゴミ……」
前屈みになりながらぶつくさつぶやく男は亡霊めいた不気味さを漂わせている。
ディアは震え上がる。
「やっ、やばいぞコイツ。支離滅裂ってやつだ」
「黙れ小娘。ゴミを処分して何が悪い」
ゼンが柄に手をやりながら前に出る。
「それがお前の、殺しの理由か」
くだらない。
そう吐き捨て、いよいよ抜刀する。
月夜を冷たく反射させる漆黒の白刃。
緩く反った抜き身の真剣は、目が冴えるほど黒い光沢で闇夜に存在を浮かび上がらせていた。影が実体を得たのかと疑うほど黒光りする刃は、月が群雲に隠されればその姿を完全に闇に溶け込ませ、不可視の武器と化すだろう。
血走った眼球がこぼれ落ちそうなくらい男の目が見開かれる。
ゼンからにじみ出てくる無音の殺意に気圧されてまたたくまに素面に戻り、両手を挙げて無抵抗の意思を示し「ま、待ってくれ」と命乞いをはじめた。
その晩のうちに猟奇殺人犯は逮捕され、帝都をにわかに騒がせていた怪事件は人々が夢の中にいる間に幕を下ろした。朝刊の一面には間に合わなかったものの、ラジオのニュースで住民たちはそれを知って安堵したのであった。
ゼンとディアはグスタフ警部にこってりとしぼられた。
おまけに事情聴取やらなにやらで結局、彼らは警察署でその夜を明かした。長時間の事情聴取から解放された二人は、ゼネラルストアと花屋に立ち寄りつつ重い足取りで帰宅したのであった。巻き添えに遭ったディアは「ゼンのせいでわたしまでとばっちりをくったぞ」と終始頬を膨らませていた。
硬いソファで質の悪い睡眠をとったせいで未だ疲労が抜けきらないのか、ディアは自宅に帰ってからというもの、溶けたナメクジみたいにテーブルに突っ伏してゼンの料理を待ちわびていた。
ようやく運ばれてきた皿を目にして「またパンケーキ……」と期待はずれな溜息をついたのであった。
かちゃかちゃかちゃ……。
皿の上でフォークとナイフがうら寂しい音を奏でる。
「まさかあの殺人犯自身も麻薬中毒者だったなんてな」
「ありがちですよ」
「っていうか、ゼンの気まぐれにはいつも苦労させられるぞ。殺人犯を捕まえようだなんて」
「僕にもいろいろあるのです」
はぐらかしたゼンはクレープの生地かと見紛う哀れなパンケーキをナイフで切り分け、口に運ぶ。小麦粉の粉っぽさがひたすら不毛で、応急処置的に空腹を満たすのにしか役立たなかった。
「ごちゃごちゃとごたくを並べていましたが、とどのつまり、あいつは人を斬りたかっただけなんです。結果を正当化するために理由をこじつけては道理も無理もあったものではありません――警部が何かにつけておせっかいを焼いてくるように」
「グスタフ警部にはいつも世話になってるよな」
「――食い意地の張った師匠がポトフをつまみ食いしたように」
「イヤミか」
「――僕がカタナを捨てないための理由をさがしているように」
「ゼンがカタナを捨てたくないのはどうしてなんだ?」
部屋の壁に立てかけてある太刀にお互い目をやる。
「『善』は父から譲り受けたんです。まったく、肉親への未練などとうに捨てたはずが……。僕もしょせんは『大人の子供』なのでしょう」
「ゼンの家族の話、聞いてみたいぞ。話してくれよっ」
「そこは普通、察して言及しないところでしょう。まあ、師匠らしくていいですけど。その代わり、師匠の昔話も聞かせてください」
「ん? わたしの昔の家族の話とかしたことなかったか?」
「はばかって僕もあえて尋ねはしませんでしたし」
「そっか。ゼンとの生活が楽しいから、わたしも言うのを忘れてたのかもしれないな」
「そんな恥ずかしいセリフ、よくも臆面もなく言えますね」
「言葉っていうのは、気持ちを伝えるのに手っ取り早い道具なんだ。ゼンにはわたしのありのままの気持ち、そのまま伝えたい」
「……そうですか」
「しっかし、ゼンが他人に興味を示すなんて。成長したなっ。師匠としてうれしいぞ」
おちょくるディアを無視してゼンは皿とナイフとフォークを手早くまとめ、台所のシンクにひたした。そうやって彼は自然に彼女に背を向けることに成功したのであった。食器洗いなど急いでやる必要はないのだが、今の彼には間に合わせの『理由』が必要だったのだ。
戸棚に隠していたこぶし大ほどのハンバーグのたねを、ソースを溜めた鍋に浸して火を点ける。温まったソースから芳ばしい香りがしてくると、ベッドで昼寝をしていたディアが目を覚まして小走りで台所に駆けつけてきた。
「ハンバーグ! ごちそう! 今朝買ったひき肉、どこにいったのかと思いきや! 昼食が楽しみだぞ」
「あいにくのところ師匠のハンバーグはお預けです」
「ま、ままままさか、おとといポトフをつまみ食いした罰だとか言うつもりじゃないだろうな!」
「なるほど。そういう理由もありましたか」
「今言ったの忘れろー!」
ディアはゼンの背中をぽかぽか叩いた。
煮込みハンバーグが出来上がり、台所を片付けたゼンは「ちょっと野暮用を済ませてきます」と玄関のドアノブを捻る。
「ランチに花束……。わかったぞ。カタリナとデートだなっ」
「どうして僕が彼女と」
ドアを開ける。
新鮮な空気が駆け抜ける。
部屋に清涼感がもたらされる。
ポニーテールがたなびき、ディアのさらさらな前髪も舞い上がって、ちいさなおでこがさらけ出された。
「ろくでもない生き方を強いられた者への、せめてもの手向けです」
じっくり煮込んだハンバーグを詰めたポットを肩に提げる。
そしてスミレのかわいらしい花束を手に、ゼンは部屋を出た。
〈『理由と結果』終わり〉