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理由と結果(2/3)

 ある夜、グスタフ警部が集合住宅(フラット)を訪ねてきたとき、ゼンはこう言った。


「竜狩りは今のところ合法ですよ」

「別にお前たちを逮捕しにきたわけではないんだがな。それと合法ではない。竜や半竜にまつわる法整備が不完全なだけだ」

「ほぼ同義です」


 すげない態度を取られた警部はバツがわるそうに頭を掻く。

 廃墟と見紛う集合住宅の外観とは裏腹に清潔な部屋に感心したらしい。エプロン姿のゼンの肩越しに部屋を覗き見ていたグスタフ警部は「ふむ」と真面目な父親面して頷いてから、更におせっかいなことを2、3質問してきた。


「食事は毎日三食食べているか?」

「食欲旺盛な同居人がいますからね」

「料理はしっかり栄養を考え――」


 台所から漂ってくるコンソメの香りがゼンの答えを代弁し、警部は再び満足げに「うむ」と頷いた。

 誰かを探しているらしい。ネクタイを直す仕草でごまかしたり、誰かに聞こえるよう大げさな咳払いをしたりしながら、視線はなおもお玉片手のゼンの肩越しに部屋の隅々を執拗に観察している。


「服やベッドシーツはちゃんと洗っているか?」

「ええ。遊び盛りな誰かさんのおかげで」

「男女が一つ屋根の下で暮らしている。間違いは犯すなよ」

「冗談はよしてください」

「……なあ、あの子を学校に通わせようとは思わないか?」

「抜き打ちの家庭訪問とは、警部の過保護もいよいよ極まってきたと見ます」

「妻子にも一字一句違わぬセリフを言われたよ」


 自嘲してからグスタフ警部は、上着のポケットから出した紙切れをゼンに渡した。

 四つ折の紙切れを開くと、そこには何者かの似顔絵が描かれていた。

 無精ひげを生やした痩せこけた男。

 人相は悪い。


「知ってのとおりここ近頃、貧民街で無差別殺人が相次いでいる。これはその殺人犯の人相書だ。夜間の外出はくれぐれも控えるように」


 もともと治安の悪い場所で、窃盗程度なら日常茶飯事である、路地裏を抜けた先の貧困層居住区。とはいえここ数日、警察の出入りが過剰なまでに増えている。新聞や住人たちの噂話もグスタフ警部が話した件でもちきりであった。日ごろ物騒なものを腰にぶら下げて往来を歩くゼンは、普段以上に好奇のまなざしを向けられていた。『帯刀するポニーテールの竜狩り』という唯一無二の特徴のおかげで彼の名は近所では知れ渡っているため警察への通報こそ免れていたものの、やはり多少は気味悪がられていた。


「ディアにも必ず伝えるように。むごいことに今朝、滅多刺しにされた幼い子供まで発見された。廃屋で暮らしていた孤児らしい。かわいそうに。気温の低い時期だったのが幸か不幸か……おい、ゼン。聞いているのか。なんだか上の空だぞ」

「……師匠は満腹になれば勝手にまぶたが落ちますよ」

「なら結構。健康な証拠だ」


 来客に気づいたディアが「おっ、グスタフ警部じゃないか」と部屋の奥から顔を出し、とてとてと小走りに近寄ってきた。

 彼女の姿を認めるや警部の口元がわずかにほころぶ。

 背広のポケットをまさぐり、紙に包まれた四角い塊をディアに手渡す。するとディアは「おおっ」と歓喜の声を上げて竜の水晶の瞳を輝かせる。退化した小さな竜の翼を羽ばたかせながらその場でくるくる小躍りし、宝石を見せびらかすかのようにゼンに手のひらを近づけてきた。


「キャラメルだぞ、ゼン」

「夕飯の後に食べてくださいね」

「わかってる。最後のお楽しみというやつだな」

「警部にお礼を忘れないで」

「それもわかってる。ありがとうな、グスタフ警部」

「ちゃんと歯を磨くんだぞ」


 彼女が喜ぶ様子に警部も満足げであった。



 部屋にディアを残し、ゼンは外まで警部を見送る。

 好き勝手に増築されていびつな形状となった、貧困層居住区の集合住宅の数々。夜の暗がりの中では昼間以上に怪物めいた様相をしている。無数の窓からこぼれる淡い灯火が、ガラクタの散らかる汚い路地をかろうじて照らしている。ひとけがなく、しんと静まり返っており、警部の革靴がガラス片を踏み砕いた音すら耳障りに響いた。

 バーやカジノや劇場で夜を忘れた表通りと比較して、みすぼらしい。


「あの子は100歳でありながら、身体も心も幼い少女のまま。本来なら温かい家庭に恵まれ、しかるべ教育を受けて育まれていく年頃で止まっている。気を悪くするなよゼン。家族を養う身としては、あんな子供が途方もない借金を竜との戦いで、生傷を負いながら清算していくのはいたたまれんのだ」

「ろくでもない生き方を強いられている子供なら、ここには掃いて捨てるほどいるのですが。いっそ警部が師匠を養子として引き取れば万事解決では?」


 ゼンの皮肉に警部は「そうしたいのは山々だが」と大真面目にかぶりを振る。


「俺は娘一人を育てるのに手一杯だ。俺があの子にできることといえば、菓子をあげるおせっかいくらいだ。ゼン、お前はその若さで身寄りも無いのによくやっている」

「僕が師匠を庇護している、という認識なら、それは改めていただきたいところです。寄り添いあっているんです。僕と師匠は、互いを寄る辺にして。師匠は決して未熟なだけの半竜ではありません。孤独な身で100年も生き抜いてきたのですから」


 心身ともに未発達の段階で成長を終えてしまう半竜。

 その多くは寿命をまっとうせずに生涯を終える。

 おおむね不幸な結末により。


「わかった。前言撤回する。仮にも年上の女性に失礼だった。それにしても相変わらずお前はディアに関してはムキになる」


 グスタフ警部はオイルライターでタバコに火を点す。熱を帯びた小さな灯りがゼンと警部を赤く照らした。


「たとえるなら、お前たちは天秤だな。片方の皿に負担がかかった途端、その均衡を失ってしまう、尊く儚いつながり」

「びっくりするほど似合いませんよ。そんな詩的な言い回し」


 グスタフ警部は目を逸らして赤らんだ頬を掻いていた。がさつなのは自覚していたらしい。

 半開きの窓から食欲をそそるコンソメの香りが漏れている。くずみたいな野菜を丁寧に煮込んだ、ゼン特製のポトフ。話題に上っている半竜の彼女は今頃、よだれを垂らしながら首を長くしてゼンの帰りを待っているのだろう。

 警部の咥えるタバコの先端が息遣いに合わせて赤く明滅する。

 警察車両のドアを開けると、助手席で居眠りしていた若い部下が跳ね起きて笑ってごまかした。肩をすくめた警部は車内の灰皿にタバコを押し付けた。


「それにしてもまったく、見境なく人をナイフで刺し殺すだなんて尋常ではない。大事にしているものや守るものなどを持たないならず者がそんな愚行に及ぶのだろうな」

「ですが、人を斬った瞬間にほとばしる背徳的快楽は、あの瞬間にのみ味わえる極上の快楽です。故郷から差し向けられた追っ手との戦いで僕も散々味わわされました。病み付きになる者がいるのも納得します」


 警部がいつもの、不良行為に走ろうとする息子に説教をかます親父の面持ちに変わると、ゼンはすかさず弁解を付け足した。


「今の僕には大事にしているものや守るものがあります」

「滅多なことはするんじゃないぞ。お前のカタナは竜を狩るためにあるんだからな。悩み事は必ず俺に相談するんだ。先立つものがないのなら俺だって多少は融通してやれる」

「まるで子供みたいな扱いですね」

「20歳なんて大人の子供だ」


 大人として20年ばかり先輩はそんなふうに後輩をからかった。

 それで無駄話が締めくくられたかと思いきや、若干の間をおいてゼンが「ところで」と尋ねてくる。エンジンを入れてハンドルを握っていたグスタフ警部はドア越しのゼンに向き直った。

 しばし言葉を休めた後、ゼンは続ける。


「殺された子供の名前、テオではありませんか」

「なんだ、知り合いだったのか」

「……以前、靴磨きをせがまれただけです。いつもの場所に近頃いなかったので。それだけです。ただそれだけです」

「本当にそれだけなら、あまり思いつめるなよ。復讐なんてもってのほかだ」


 警察車両が去っていく。

 集合住宅の高い壁に囲まれた狭い裏通りは、けたたましいエンジン音で長い間やかましかった。



 部屋に戻ってポトフの煮込み具合を確かめたとき、ゼンは異変に気づいた。

 ベーコンは初めから入っていないから問題ないとして、なけなしのジャガイモやキャベツまでもがあからさまに少なくなっている。鍋にはもはや一人分にまで減ってしまったコンソメスープがかろうじて残っているのみ。

 普段の調子なら「おなかぺこぺこだぞ。さっさと用意しろ」と急かしてくるはずのディアが、どうしてか罪悪感に打ちひしがれた苦しげな面持ちをしてうつむいている。断頭台を前にした囚人めいた彼女を見たときに感じた嫌な予感は的中してしまったのだ。


「わ、わたしは味見をしてやったんだ。ちょっと、ほんの一口だけ食べてみたが、まだまだだったぞ。塩加減とかいろいろと。しょっ、精進するんだぞ」


 自責の念に耐えかねたディアはそう開き直った。

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