理由と結果(1/3)
夕食の買出しで雑踏を歩いていたゼンは、どこからともなく「お兄さん」と呼び止められた。
ぐるりと見回す。
買い物に勤しむ市民と帝都の街並みを楽しむ観光客がそこら中に。午後の大通りはこの時間、最も賑やかになる。足を踏ん張っていなければ人の波に飲み込まれてしまいそう、というのもあながち冗談でもない。
声の主は案外近くにいた。
ブティックの壁を背に、少年が靴の手入れ道具を横に置いて地べたに座っていた。
お世辞にも清潔とは言いがたい身なりは、ショーウィンドウの上等な婦人服との対比のせいでなおさら小汚い印象を与えていた。だからこそ、人懐っこそうな人間味のある表情がマネキンの隣で際立っていた。
「カッコイイじゃん、そのカタナ」
「格好をつけるために持っているわけじゃない」
「お兄さんって演劇の役者さん?」
「僕をコケにしているのか」
止めていた足を動かしたゼンに少年は「冗談だって」と追いすがってくる。
「竜狩りの人でしょ。半竜の女の子いつも連れてる。みんな知ってるって。いまどき剣をぶら下げて街歩いてるのなんて兵隊さんかお兄さんくらいだもの」
「僕の故郷では、男子は常に帯刀するのが慣わしだった。『郷に入っては』とはよく言われるが、郷に従えるほど素直な性格ではないのを自覚している」
少年の興味は依然としてゼンよりも腰の太刀に向けられている。
「鞘から抜いてみてよ」
「いくらなんでも用も無いのに抜刀したら警察に連行される」
「なら竜狩りのお話聞かせてよ。竜ってすっごいでっかくて火を吐くし空も飛ぶし、しかも人間の言葉を話せるやつまでいるじゃん。お兄さんは怖くないの?」
「夕食の支度がある。またの機会にしてくれ」
「聞かせてくれるんだね! 明日もここ通ってよね。約束したんだからね。待ってるよ」
「……僕としたことが迂闊だった」
そして翌日の同じ時間、ゼンは律儀に昨日の少年に会いにいった。右へ左へ流れていく人ごみにポニーテールの彼を見つけた少年は大喜びで駆け寄ってきた。両手を掴んでぴょんぴょん跳ねて、今にも踊りだしそうな喜びようであった。
料理店の前を通りすがったとき、少年の腹が物欲しげに鳴く。
「一度でいいからさ、ハンバーグおなかいっぱい食べてみたいな。ソースにたっぷり浸かって煮込まれた、あったかいの」
「施しを期待しているのならアテが外れたな。僕だってここ長い間、マッチの先より大きな肉なんて食べた記憶が無い」
「僕ら貧乏仲間じゃん」
少年がけらけらとおかしがる。その無邪気な笑顔には服や肌の汚れや臭いを払拭する魅力があった。
「でもさ、竜狩りってお金がたくさんもらえるんじゃないの?」
「竜狩りをあえて生業にするのは、大半が借金で首が回らなくなった奴だ。竜狩りになりたいなんて言ってみろ。両親に泣かれるのは必至だ」
「父さんも母さんも死んじゃったし」
「……そうか」
「お兄さんは強くていいよね。僕も竜を倒せるくらい強かったらハンバーグ好きなだけ食べられるのに」
次の日もゼンは少年に会いにいった。今度は会う約束はしていなかったから、少年は困惑の表情の次に喜びを顔いっぱいに浮かべてゼンを迎えた。
ゼンは半ば強引に少年を連れて大通りを歩く。
向かった場所は昨日、少年が腹を鳴らした料理店の前であった。ゼンの目的に勘付いた少年は怖気づき「い、いいよ」と遠慮がちになる。
「竜狩りの話を聞きたかったんだろう?」
「で、でも」
「これは僕なりの誠意でもある――昨日の浅い言葉を許してくれ」
「もしかして両親の話? べっ、別に怒ってなんかないし」
「僕はあの失言のあと、キミに謝罪を述べられなかった。僕はそんな未熟な自分自身を許せない。謝罪が無用というのなら、僕の自己満足だと受け取ってくれていい」
「お兄さんて案外義理堅いね」
それでも少年は惜しみつつゼンの誘いを断った。今日はこの後、部屋を貸してくれている大家と会う先約があるらしい。その後で、とゼンが食い下がるも、とにかく今日一日は駄目だからと少年は強調した。
窓から窺える店内では帝都の観光客とおぼしき人たちを中心に、皆楽しげに食事をとっている。空腹を嫌でも促す匂いと共に、蓄音機からの陽気なビッグバンドも漏れ聞こえてくる。靴磨きの少年がうらやましそうに覗き込んでいても、まさか入店してくるとは店員も客も思うまい。
ゼンは「ならば仕方ない」と諦めた。
「明日、僕がハンバーグを振舞おう。たっぷり煮込んだ煮込みハンバーグを」
「やったぁ!」
「それとこれは極めて個人的な頼みだが、僕の同居人とも仲良くしてもらいたい」
「いいよ。明日だね。いつもの場所で待ってるから」
「ああ、約束だ。ところでキミの名前は」
「テオだよ」
テオは黒く汚れた鼻頭を擦った。