それぞれの取り分(2/4)
耳をつんざく銃声が轟くも、銃口を向けられていた飛竜ミルファークは「それで?」と涼しげにたたずんでいた。市長の拳銃から発射された弾丸はむなしくも標的を逸れ、虚空の何処かへと消えてしまっていたのであった。
「報酬はたんまりくれてやる。ミルファークを始末しろ!」
怒号に押されたポニーテールの剣士と異形のバイオリンケースを抱えた少女が自らの前に現れると、合点がいった竜は「ああ、キミたちが噂の」とうなずいた。
「カタナを振るう時代錯誤な人間の剣士に、共食いの半竜だね。数え切れないほどの同胞を殺してきた」
共食い、と言われたディアは後ろめたさにたじろぐ。
ゼンに「師匠」と肩に触れられ、どうにか彼女は気を持ち直した。
「わたしたちは悪い竜を倒してるんだ。一角竜ゾスカみたいな、人を傷つけるような」
「へえ。そうでない、やさしい竜は殺してないんだ?」
狼狽するディアに竜は続けざま「人間基準の善悪観ってやつだね」と軽口をたたいて動揺を誘う。親しい女の子をからかう男の子みたいな、子供っぽい口調であった。
両腕で抱える異形のバイオリンケースのスイッチをディアは押す。スプリングが作動し、内部に隠されていた巨大な刃が重厚な金属音を伴って側面より突出する。身の丈ほどある大剣『サナトス』がその禍々しい全容を現すと、余裕ぶっていたミルファークもさすがに水晶の目を剥いた。
漆黒の太刀『善』を抜刀し、ゼンは告げる。
「飛竜ミルファーク。その首、貰い受ける」
長いポニーテールをたなびかせながらミルファークに急接近し、すねを狙って太刀を払う。ミルファークは身軽に跳ねて攻撃を回避した。
巨岩を踏み台にしてディアが大きく飛びあがる。人間離れした跳躍でミルファークの真上まで達し、掲げた大剣を質量に任せて振り下ろして垂直降下した。
ミルファークはほんの少しだけ横にずれる。
軸をずらされて空振った一刀両断の斬撃は、すさまじい威力で地面を粉砕した。
立ち込める粉塵に紛れてゼンが二度目の接近戦を試みる。
ミルファークは持ち前の身軽さで蝶のように舞い、軽々といなした。
回避行動はとれど竜は攻勢に転ずる様子はない。敵意というよりも興味本位か、あるいは人懐っこさに近い奇妙な気配を竜から感じ取れる。ゼンは呼吸を整えつつ、間合いの内で相手の出方を慎重に見極める。
「ミルファークめ、釘付けにされてやがる。頃合だな」
市長が手を振って部下に合図する。
飛行場の倉庫から車輪を鳴らしながら次々と現れるのは、帝国軍から横流しされた旧式の野戦砲。その数8門。長時間の滞空が可能なミルファークを撃ち落すために用意した市長の切り札である。
ずらりと並ぶ大砲に次々と砲弾が装填されていくのを目の当たりにしたミルファークは、さすが分が悪いと判断したらしく、広げた翼を羽ばたかせて飛翔する。枝のように細い竜の身体は空気抵抗によってふわりと舞い上がり、瞬時にして天空へと至って野戦砲の有効射程から逃れた。
青空に羽ばたく竜の姿。
太陽のまぶしさに、空を仰いでいたゼンは手を目元にかざす。
「着地したところにぶちかませ」
市長が砲兵に指示する。
「そのまま山に逃げるのでは?」
「それはそれで結構な時間稼ぎだ。支度ができ次第、俺の私兵が大砲と共に山狩りする。お前たちはその露払いをしてもらうからな」
物騒なものが待ち構える地上に降りるはずもなく、ミルファークは空中で旋回して巣へと逃げ帰っていった。
「ゼン、ディア。待ってるからね」
そう言い残して。
ミルファークの着地点をカメラに収めさせた市長は、意気揚々と部下の私兵に指示を出していた。
ゼンとディアは竜狩りに備え、その日は市長邸の客室で一泊した。
あくる日もよい竜狩り日和であった。
「休憩にするぞ、ゼン」
山岳の中腹に着いたあたりでついにディアが音を上げた。
「師匠。種族的に僕より圧倒的に体力が優れているはずでは」
「飽きたんだ。ずーっと山を歩いてばかりで滅入ってきた。世間では登山家なんてのがいるらしいが、わたしにはさっぱり理解できん。とにかく休憩だ、休憩」
異形のバイオリンケースとリックサックを放り投げ、座り心地のよさそうな平たい岩を見つけて寝転がる。後頭部にまわした手を枕代わりにして仰向けになると、早くもまぶたが半分落ちた。ゼンも彼女の寝転がる岩に背を預けるかたちで腰を下ろした。
山肌をさわやかに染める草の緑を分けて、先人たちの残した道のりが緩やかにうねりながら彼方へと引かれている。空は相変わらず抜けるように青く、窪みに広がる澄み渡った湖も空の青と陽光を映してまぶしい。ふもとの都市はミニチュア模型のように小さい。
涼しい風が汗ばんだ肌を冷ます。
リュックサックから出したサンドイッチをかじっていると、頭上からディアの頭がぬっと現れて「ずるいぞ。わたしにもよこせ」と手元のランチボックスをふんだくっていった。空腹を満たしたゼンは水筒のぬるい紅茶で喉を潤した。
「なんかいつもよりサンドイッチがおいしいぞ。しなびたレタスに小指ぽっちのベーコンしか入ってない、いつものサンドイッチなのに」
「この景色を眺めながら食べているのですから、当然味も格別になりますよ」
「ゼンと同じ食卓で食べるご飯がおいしく感じるのといっしょか」
「身に余る光栄ですね。まあ、僕らは五感で生きています。味覚、嗅覚、聴覚、視覚、触覚、それらを総合して僕らは『おいしさ』を判断するのでしょう」
「よくわからんがわかった。登山も悪くないなっ」
サンドイッチを平らげたディアは、うつ伏せになって岩に張りつき、ひんやりとした感触を楽しんでいた。
「ところで、さっきからずっと気になってたんだが、アレはなんなんだ?」
道の傍らに滑車のついた鉄塔がそびえ立っている。ふともとから頂上へと、無数に等間隔で並んでいる。途中、強い力で捻じ曲げられたものや倒れてしまっているものもある。
「ロープウェイの成れの果てです」
「ロープウェイ?」
「鉄塔にロープを渡して、吊るしたゴンドラに人を乗せて山頂まで運ぶのです」
「ロープを引っ張ってか!?」
「電動ですよ」
飛行船を飛ばす以前、山を隔てた東西の都市が協力してロープウェイを渡す計画を立てていたとのこと。その計画も飛行船事業と同様、竜に妨害されてしまったのだとゼンは聞き及んでいる。
竜ならばひとっ飛びで越えられても人類にとって山越えは頭を悩ませる深刻な課題であり、有史以来、試行錯誤を繰り返している。
山岳は竜の領分。
捻じ曲がったり倒れたりした鉄塔が誰の手によるものなのか理解して、ディアは複雑な気分に眉根をひそめた。
「自宅の壁に風穴空けられて隣人の通り道にされては師匠も怒るでしょう?」
「問答無用でぶちのめす」
「ええ。僕だって斬り捨て御免です」
起き上がって岩から飛び降りたディアは、錆びついた鉄塔に手を触れる。
「市長のやろうとしてることはやっぱり悪いことなんだ」
「悪人面で性急なのは否めませんが、彼の言っていたとおり、いずれ誰かが強行すると思いますよ。今の人間にはそれを成し遂げるための文明と傲慢さが備わっています。ある意味、戦争なんです。ヒトによる、竜に対する侵略」
敗者に待ち受けるのは無遠慮で理不尽な侵略。
それが戦争。
「なあ、ゼン。竜は人間の繁栄を信じて大地を譲って山に去ったって聞いたことがある。そうだとしたら今、竜は人間に失望してるかもしれない」
「ミルファークに会ったら訊いてみましょうか。一応、話し合いが通じる手合いだと見受けられましたし、どういうわけか『待ってる』と言い残してましたから。もしかすると今回は得物を握らずに済むかもしれません。あの筋肉ヤクザが許すかは別として」
市長の私兵が来る前にミルファークに山の立ち退きを約束できたら、戦いを避けられるかもしれない。命のやりとりに生きがいを見出すゼンとて、話し合いで解決して報酬をもらえるならばそちらを選ぶ。
「ミルファークと戦うことになったらわたし、また罵られるのかな。『共食い』って」
「食べることは生きることの条件です」
「……こうするしか生きていけないんだよな。不器用だよな、わたしたち」
「僕に言わせれば、会社に勤めてあくせく働く人間も、耕作に精を出す人間も、死と隣りあわせで竜を狩る僕らもそう大差ないですね。各々が各々の方法で生きているんです。どんな方法をとろうと、誰かの命をいただいて生きています。生き方の相違で衝突して、結果として相手の権利や命を奪うのも、そのひとつに入るのではないでしょうか」
「それがゼンの言う『戦争』なのか?」
「まあ、そんなところです」
休憩を終えて再び山を登る二人。
バネ式大剣『サナトス』を、ディアはいつもより重たそうに抱えて山道を歩いていた。元来無口なゼンに加え、相棒の彼女までもが口数を減らしてしまったものだから、山頂に着くまでこの竜狩りの二人組みはほとんど言葉を交わさなかった。
薄い靴底から伝わる石ころの硬さや耳に届く鳥のさえずり、草木の生臭さ、肌で感じる日差しの熱や風のさわやかさといった自然を道中二人は味わっていた。ディアの足取りが終始重いのが疲労のせいではないことくらいゼンにはわかっていた。
飛竜ミルファークは見晴らしのよい山頂で二人を待っていた。
「待ちくたびれたよ。ノキアの『春の祝祭』随分と読み進めちゃった」
うつ伏せでくつろぐ竜の前に譜面台のようなものがある。
譜面台にはハードカバーの本が立て掛けてあった。
ミルファークは指の爪で器用にページをめくっている。
遠くから覗き込むと、本は人間の言語で書かれてあるのがわかった。しかも全国の書店で販売されている大衆向けの小説であった。
竜が人間の恋愛小説を読んでいる。
あ然とするゼンとディアの前に、岩陰から燕尾服の好青年が何の前触れもなく現れる。執事のような身なりをした人間がこんな場所にいて、しかもミルファークに礼儀正しく話しかけだした。
「マックスさま。ご所望の本を買ってまいりました」
「ああ、おかえりオスカー。そこに置いといてよ」
オスカーと呼ばれた青年は抱えていた本の山を譜面台のそばにどさっと下ろした。