それぞれの取り分(1/4)
「翼もないのにどうやって空を飛ぶんだ?」
だだっ広い平地に鎮座する流線型の乗り物。
それに対する率直な疑問をディアはゼンに投げかけた。
青空にまぶしく映える白い姿に、ゼンは目を細める。
「あの白い袋に空気より軽い気体を詰めて飛行するそうですよ。後部には推進装置がついていますし、尾翼で舵もとれます。飛行船は、鳥や竜とは飛ぶ原理が根本から異なるのです」
わかったのかわかっていないのか、ゼンの解説にディアは「なるほどな」としきりに、大げさに感心していた。船体の大部分を占める流線型の袋は気体を詰める袋に過ぎず中身はからっぽで、下部に設置されているちっぽけな箱が人員を乗せる『かご』なのだと知るとなおさら感心していた。
二人が市長邸三階の窓からその姿を眺めている間、整備員らしき人たちがひっきりなしに『かご』と倉庫を往復している。少し離れた位置でカメラを構えて飛行船を撮っている人は、腕章からして新聞社の人間であるのがわかる。
「人間が空を飛べる日が来るなんてすごいな。わたしが生まれた頃は自動車どころか鉄道すら貴族の特権だったんだぞ」
「飛行船の実用化が確立すれば、ヒトは道路やレールに沿って走る必要がなくなるんです。空を自由に飛びまわれる、運輸の革新が間もなく到来するのでしょう」
「ああ。飛べさえすればな」
冷や水を浴びせるように二人の会話に割り込んできた者がいた。
筋肉隆々な肉体の上にスーツを着込んだその中年男性はこう断言する。
「ヒトは空を飛べない。竜が空を独占している限り」
ワイン色のなめらかなスーツや金ぴかの腕時計が、彼が上流階級の人間であるのを証明している……とはいえ、大男と呼べるごつい体つきや悪鬼めいた顔つきは無法の荒くれ者を髣髴とさせる。初対面の相手に市長だと明かしたところで、果たしてどれほどの者が信じるであろうか。ディアも彼と初めて顔を合わせたとき、思わずバネ式大剣『サナトス』の突出スイッチに指を伸ばしかけてしまった。
市長は窓越しに飛行船を指差す。
「あのタマゴ型の袋に積まれてる気体は燃焼性が非常に高い。ちょっとイタズラされただけで大惨事だ。竜なんて凶暴な連中が近くに住んでいる限り、誰も怖がって飛行船に乗りたがらない」
「空中で爆発したら一巻の終わりですか。竜の存在以前に、飛行船自体に致命的な欠陥を抱えているわけですね」
「そんなもん、列車だって脱線して横転すりゃ死屍累々だろうが」
飛行船のオーナーでもある市長は意地っぽくそう反論した。
「ご丁寧に、付近の山岳に住む竜から直々に警告されたぜ『即刻改めよ。竜の領分を侵す、分際をわきまえぬ人間よ』ってな。チビななりで偉そうな態度取りやがって。虫唾が走るぜ」
「わたしとゼンはその竜を狩ればいいんだっけか」
「話が早くて助かるぜ、半竜のお嬢ちゃん。おっと、実際は俺より年上だっけか」
「先々代皇帝陛下戴冠の布告を直に見たことがあるぞ」
「そりゃあすげえ。人間の知能と背格好に竜の身体能力と不老不死に等しき寿命。二種族のイイトコ取りだな、半竜ってやつは」
「別に運動神経よかったり年をとらなかったりして得したおぼえはないけどな。背中の翼がじゃまになになることならしょっちゅうあるが」
「お嬢ちゃん自身はそうかもしれん。だが、その性質を無意味に妬む連中が多いことは自覚しときな。1000年の寿命を全うしたいならな」
意味深な言葉を不意にぶつけられたディアは、眉をひそめて市長への不信感をあらわにする。それを面白がった市長が「よかったな、半分人間の血が流れていて。そうじゃなきゃ、狩られる側だった」と悪党にお似合いな下卑た笑みを浮かべる。震え上がったディアはゼンの背中に隠れてしまった。
「お、おっさん。実際はマフィアのボスなんじゃないだろうな」
「おまっ……この顔も、体格も、生まれつきだっ!」
市長が怒鳴ると反響で窓ガラスが震えた。どうやら彼のコンプレックスに触れてしまったらしい。
市長邸の窓の外に広がる試験飛行場。
その奥の風景は緑に萌える群峰。
山岳はヒトと袂を分かった者どもの棲家である。
個としての力が強大すぎるのを自覚しているのか、多くの竜は人間文明との交流を拒み、隠遁的生活を送っている。過去のように地上の覇権を賭けて争うこともなければ、手を取り合う真似もしない。ただただ静かに頂上から大地を見下ろしている。
そうでない者も少なからずいる。
そういった人間に危害を加える輩を退治するのが竜狩りの役目である。
「とはいえ市長」
ゼンはポニーテールの付け根に手をやり、緩みかけたリボンを締めなおす。
「あの山に住む竜を倒したところで、他の山岳に住む竜が飛行を妨害するのでは」
「それは帝国軍の連中と手を組んでおいおい対策を取る算段だ。報酬ならたんまりくれてやるから、お前ら雇われの竜狩りは深入りせず指示に従ってあの山の竜を狩ればいい。とにもかくにも俺が最初に飛行船を飛ばす、という事実が肝要なんだ」
「富や名声に目が眩んでますね」
「市長である俺の名誉は市の名誉でもある。俺個人の名を上げたいという欲も否定しないが、市民のためにもまっとうに働いているつもりだ」
飛行場が市民に開放されれば、世界初の飛行船に乗りたがる金持ちが殺到し、市の財政に少なからぬ影響をもたらすだろう。単純に運輸の面でも、郡峰を迂回していた時間を大幅に短縮できる。
他の市や軍を出し抜き、真っ先に飛行船を飛ばして恩恵を独り占めしたい。
そのためには目の上のたんこぶをどうにかする必要がある。
竜を狩れるほどの実力を持ち、金さえ積めば後腐れなく雇え、かつ死んでも特に問題のない手合いとなれば竜狩りがうってつけ。ゆえにゼンとディアに白羽の矢が立ったのであった。
市長直々の破格の高報酬で、しかも死体をきれいに残す必要もなく殺しさえすればよい楽な仕事であるから、ゼンとディアも断る理由などなかった。
鏡のように磨きぬかれた廊下は、窓から差し込む西日を跳ね返してまぶしく光っている。濡らしたモップで床を拭いていたメイドは、三人が近づいてくるとすぐさま脇にどいて恭しく頭を下げた。市長は「ごくろうさん」と軽く手を振って彼女とすれ違った。
市長の革靴が硬い音を立て、ゼンとディアの靴のゴム底がキュッキュッと高い音を鳴らす。
ふとディアがつぶやく。
「でも、いいのか?」
「何がだ。お嬢ちゃん」
「わたしたち――っていっても、わたしは半竜だけど――人間は竜から地上を譲り受けたんだろ? そのうえ空まで取り上げようとするなんて。竜が怒るのも当然じゃないのか」
市長は彼女の考えを一蹴するかのようにかぶりを振った。
「俺たち人類は竜との弱肉強食の争いに勝ったんだ。勝者が敗者から権利を受け取る。至極道理なんだよ」
「外見どころか中身まで傲慢な悪党だな、オマエ」
この男が妥協という言葉を知らないのをディアは察した様子であった。
彼女の嫌味を褒め言葉と受け取った市長は不敵ににやつく。
「俺が思いとどまったって、いずれ誰かがやる。幸か不幸か、人間は今や生けるものすべてに打ち勝てる知恵や技術を手に入れちまったんだからな。革新の歩みに今更歯止めなんてかけられるものか」
馬に変わって自動車が道路を走るようになり、無人の荒野にはレールが敷かれて列車が走るようになった。船舶は蒸気機関へと進化し、風の機嫌に左右されることなく海原を進むようになった。あとは空さえ制すれば、世界まるごと人類が掌握することになる。
個体として生物最強の竜がその驕りを黙って見過ごすであろうか。
「竜滅亡のあかつきに人類の飛躍がある」
忌々しげにぼやいた市長の言葉は、新聞でも近頃頻繁に目に留まる。
「まあ、まずは外の――」
使用人がロビーのドアを開けたとき、不自然な陰が地面に落ちた。
空を何かが飛んでいる。
逆光で黒く塗りつぶされているが、巨大な物体であるのは間違いない。
しかもその姿は加速度的に大きくなっていく。
上空より飛来するその物体はついに飛行場のど真ん中に落ちた。
爆音と震動。
眼球が震え、景色が何重にもブレる。
ふらついたゼンたちは各々近くの柱や壁にしがみついてかろうじて身体を支える。吊るされたシャンデリアが激しく揺れ、飾ってあった中世の甲冑や石像がドミノ倒しの要領で次々と倒れていく。館内で働くメイドや使用人たちが悲鳴を上げて慌てふためき、周囲は騒然となっていた。
三半規管を狂わされたディアも目を回して動転しており、ゼンの腕の中でやかましくわめている。
「い、隕石が落ちてきたぞ!?」
「まさか」
「飛行船が墜落したのか!?」
「まだ飛ばしてねぇよ!」
皆の視線が落下点に集まる。
飛行場に降り立ったのは竜であった。
森林の梢に命が宿ったかのような痩身の竜であった。
人間よりふた回りほどの大きさしかないものの竜であるのは間違いなく、飛行船の整備員たちは恐れをなして散り散りに逃げていく。果敢にも新聞社のカメラマンは後じさりしながらひたすらシャッターを切っていた。
「僕って伊達男だろ。カッコよく撮っておくれよ」
そんな冗談を竜が口走ったので、あっけに取られたカメラマンはカメラを落としてしまった。
飛行船のそばには二つに割れた巨岩が転がっている。
規模の大きさからして、先ほどの衝撃は竜が落としたこの岩のものであろう。手元が狂ったのか、あるいは脅しのつもりだったのか、あと少し落下地点がずれていたら飛行船は無残な有様となっていた。
「出やがったな。飛竜ミルファーク」
市長は懐の拳銃を抜いた。