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善き人(1/3)

 本日は閉店しました。

 営業時間 13:00~19:00



 バルシュミーデ古物商店の扉に、そんな文言の札がかけられていた。

 ゼンは懐から出した懐中時計に目をやる。

 時刻は昼の2時。

 まぶしい日差しがガラスのフタに反射して文字盤を白く隠す。

 軽く嘆息した彼は、札を『営業中』の面にひっくり返してから入店した。



 古物商店の看板娘は案の定、今日もレジスターを枕代わりにして居眠りを決め込んでいた。

 あどけない寝顔。

 心底しあわせそうに微笑みながら寝息を立てている。

 マシュマロみたいなほっぺたが手の甲の上で寝息に合わせ、膨らんだりつぶれたりしている。ふわふわの長いクセっ毛がレジスターの上に散らばっており、窓から差し込む日差しを受けて金色に輝いている。

 天使のまどろみ。

 とでも洒落た題名がつけられそうな光景であった。


「おきろ、カタリナ」

「ふわっ? うーん」


 びくっと身体を震わせてカタリナは目を覚ました。

 口元のよだれを服の袖で拭ってそのまま寝ぼけまなこまで擦り、それから思い切り背筋を伸ばしたついでに右手の拳でゼンのアゴを殴った。会心のアッパーをくらったゼンは舌を噛んだ挙句、のけぞった拍子に背後の陳列棚にぶつかり、落下した木彫りの民芸品を脳天に見舞う悲惨な目に遭った。


「あー、ゼンくん。いらっしゃい」


 何の悪びれもなくカタリナはにこにこしている。

 垂れ目がちなのも、間延びしたしゃべり方なのも、寝起きだからではなくこれが普段の彼女――バルシュミーデ古物商店の看板娘、のんびりねぼすけのカタリナなのである。


「今日も居眠りとはいいご身分だな」


 せめてもの反撃としてゼンは皮肉っぽく言う。


「だってお客さんこないんだもの。学校もお休みだし」

「とはいえまだ営業時間だ。勝手に閉店にするな。あと開店時間もひそかに書き変えてるだろ。白ペンキで塗りつぶしてるの丸わかりだ」


 起き抜けに小言を言われたカタリナは口をすぼめ、文句をつく。


「ねーゼンくん、どうでもいいことに真面目になっても疲れるだけなんだよ」

「僕という客が実際来店しているのだから『どうでもいいこと』ではない」

「ゼンくんはお客さんというよりもお友達だからー」

「調子のいいやつだ。僕はお前の友人になったおぼえなんて――」

「おぼえなんて?」

「……」


 墓穴を掘ってしまったゼンは、足早にレジスターの前から退散した。背後から聞こえた「照れちゃって。かわいいなぁ」という声も無視して。

 陳列棚に挟まれた窮屈な通路を歩きながら店内を物色する。

 大きな水がめや脚立に道を阻まれて引き返すのを繰り返しながら、ためつすがめつ。

 倉庫か何かだと言われても大半の人は信じてしまうであろう、散らかった店内。

 旅人から買い取ったり大手商店の売れ残りを引き取ったりした小物の品々が、陳列棚に無作為デタラメいい加減に並べられており、ただでさえホコリっぽい店内は混沌を極めている。値札の貼られていない商品が多数あり、そもそも値札のついているものも適正価格なのか定かではない。

 珍妙な形をしたツボや置物、錆びた刀剣、虫食いまみれの巻物や魔術師めいた古書、その他胡散臭い品々が多数。

 劣悪な保存状態を差し引いたとしても、値打ちなど皆無のガラクタにした見えない。とはいえ、それらの商品が確かに売れてこのバルシュミーデ古物商店が孫の代まで続いているのだから、その道に通じる人にとっては価値ある品なのだろう。

 ――と納得しかけたとき、旅先から持ち帰って二束三文で買い叩かれた悪魔の彫像が1000倍近くの値段で売られているのを発見したゼンは、それを握り締めてカタリナの前に持っていった。


「それ買うの?」

「これは僕が売ったものだ。この値段はなんだ。僕は騙されたのか」

「んーん。正真正銘、それただのガラクタ」

「ガラクタでこうもぼったくるつもりか」

「商品っていうのは価値が値段を決めるんじゃないの。値段が価値を決めるの」

「……戯言を。冷やかしにも飽きたから僕は帰るぞ」


 店を出るとカタリナも後についてきた。

 店番はいいのか。

 と言おうとした直後、彼女は『営業中』の札を反転させた。

 両手を後ろ手にまわしたカタリナがいたずらっぽく舌を出す。


「本日は閉店しました」


 そしてゼンの隣に並んだ。

 カタリナはカタリナで、ディアとは違った角度からゼンを翻弄する。



 ハーフティンバーとレンガ造りの住宅街を抜け、目抜き通りへ。

 帝都は今日も活気に満ちている。

 馬車と自動車がひっきりなしに行き交い、その町並みはめまぐるしい。

 互いの領分を心得ている通行人は道路の両端を歩く。

 道に沿ってさまざまな店舗が軒を連ね、買い物客が出入りしている。馬車から降りた貴婦人が宝石店へ、帝都大学の制服を着た学生の三人組が書店へ。スクープを掴んだのか、小さなビルの新聞社からは記者らしき背広の青年が大慌てで飛び出していった。通りすがったパン屋からは食欲をそそる芳ばしい香りが漂ってきて、ガラス越しにその繁盛ぶりが窺える。

 発展の最中にあるこの都市は雑多な活気に溢れかえっている。

 油断するとあっという間に人の流れにさらわれる。

 だからここをうろつくとき、ゼンとディアは手を繋ぐ。

 むろん、彼女のために。


「ディアちゃんとは手を繋ぐ。私とは手を繋がない」

「甘えるな」

「エスコートしてほしいなぁ。帝国紳士はみんなそうするんだよ」


 ウィンクするカタリナにゼンは肩をすくめる。


「そんなデタラメ……。僕をいつまでよそ者扱いするつもりだ」

「ゼンくん、出会ったばかりの頃は田舎から来たおのぼりさんだったよね」

「否定はしない。事実、帝都の規模には度肝を抜かれた。人間の文明がこうも発展していたとはな。僕の故郷はわらぶき屋根の家が立ち並ぶ、ひなびた村だった。日が昇るのに合わせて田畑を耕し、沈めば床に着く。自然と融和して暮らしていた」


 帝都の大地は石畳によって舗装され、伐採され尽くした木々の場所にはガス灯が等間隔に並び、夜になれば闇を払拭する。食料は四季に従わずとも工場で大量生産されている。人間は自然の服従から脱しつつある。その恩恵の放棄を代償に。


「人間がこんなにも発展するなんて、竜には想像できてたのかな」

「かつて、竜は生物の王者として地上に君臨していた。何者よりも大きく、何者よりも強かった。それが今や山岳に蟄居する身。文明を発展させた人間に追いやられたのか、あるいは自ずから身を引いたのか」

「それ、答えになってないよ」

「つまり僕が言いたいのは……。まあ、なんでもいいさ」


 目抜き通りを逸れて都心から遠退けば下流層向けの住宅街や貧民街。更に橋を渡って河川を越えれば煙立ち昇る工業地帯へと至るが、背の高い建築群にその全貌は隠されている。何階建てもののっぽな店舗や集合住宅、堂々と横たわる駅舎――それらよりもはるかに巨大な王城が唯一、ここから仰げる。

 物々しきくろがねの要塞。

 軍国主義の象徴。

 竜より巨大なそれは高みから帝都を監視している。

 竜狩りの旅で帝国中を回っていても、ここより繁栄している都市は未だかつて見たことがないし、きっとどこにもないのだろう。飲み込まれそうになるほどのあまりにも圧倒的な人間社会の光景が、ゼンにそう確信させる。



 広場の腰掛けで休憩するゼンとカタリナ。

 二人の間には紙袋。

 中には白身魚のフライ。揚げたての芳ばしい香りが立ち昇っている。カタリナに「おやつの時間だねー。小腹が空いたねー」と暗にせがまれたゼンは、渋々露店でそれを買ってやったのであった。

 カタリナはひとつ、またひとつと紙袋に手を突っ込んでサクサクとフライを食べていく。普段はのろまなくせに、こういうときに限って素早くなる。

 衣を噛み砕く音と共に衣のかけらがスカートの上に散っていく。


「で、ゼンくんはさっきから何さがしてるの?」

「答える義理はない――と言いたいところだが、不本意ながらカタリナの助力が必要かもしれん。師匠の誕生日の贈り物をさがしているんだ」

「ゼンくんてばセンスないなぁ。年頃の女の子へのプレゼントなんて、ガラクタまみれなウチにはないに決まってるよ」

「自分で言うのか」

「あっ、それよりも『不本意』っていうのは心外かも」

「反応遅いぞ」


 のんびりやのカタリナの世界は他人よりも半歩遅い。

 だから誰かと話していると段々と『ズレ』が生じてくる。


「ディアちゃんは今年でいくつなの?」

「101歳だ」

「えっ……。あっそっか。あの子、半竜なんだっけ。人間の年齢に換算するとー、私と同い年くらい?」

「ああ。おおよそ15歳といったところだろう」


 カタリナは油で汚れた指をしゃぶりながら「うーん」と思案し「そうだ」と提案する。


「竜を倒すための新しい武器!」

「それはおそらく……喜ばないな」

「それならお洋服とかどう? 見繕ってあげるよ」


 カタリナはフリルがたっぷりあしらわれた、かわいらしい服を好む。浮世離れした『お嬢さま』といった衣装だ。たいていそういった格好で店番をしている。窓からそよぐ風が、レジスターに突っ伏して居眠りする彼女の長い金髪とフリルを泳がせている光景を幾度となく目にしている。むしろそういう光景が常であり、真面目に店番をしているところなど数えるほどしか目撃したことがない。

 カタリナとは対照的に、活動的なディアははき慣れた短パンを愛用している。彼女にカタリナの好む衣装は少々もどかしいかもしれない。


「師匠に服を贈るなら半竜用に『採寸』をする必要がある」

「どういうこと?」

「翼を出すためのスリットを背中に空けるんだ」

「あー。なるほど。翼の位置がどのへんにあるか聞かなくちゃいけないんだね」

「師匠へ誕生日プレゼントを渡す計画は秘密裏に進めている。勘付かれる真似は避けたいところだ」

「なるほどなるほど。どっきりびっくり的な」


 合点がいったカタリナはしきりにうなずいていた。そうしながら茶化すふうににやついていたのでゼンが「何がおかしい」と追及すると、彼女は「おかしくない。なんにもおかしくないよ」とまたにやついた。

 ベンチを立ったカタリナはスカートに散らばった食べかすを払い、空になった紙袋をくしゃくしゃに丸めて付近のくずかごに放り投げる。


「大切な人を喜ばせてあげたいんだよね。ゼンくんっていいひとだよね」

「寝ぼけまなこに僕はそう映るのか」

「それって照れ隠し?」

「見当違い。買いかぶりが過ぎている」


 腰に差した漆黒の太刀『善』の柄にゼンは触れた。

 二人の会話は、大きな衝突音と数多の悲鳴によって中断させられた。

 昼下がりののどかな広場が一転して騒々しくなる。

 交通事故か。

 音のしたほうへ二人が駆けつけると、荷馬車が道路の真ん中で横倒しになっていた。

 片側だけ外れた車輪が付近に転がっており、怪我をした馬が横たわっている。すさまじい速度で走っていたのが車輪の濃い跡でわかり、衝突したとみられるガス灯がぽっきり折れている。

 荷台に積まれていた猛獣の檻が投げ出され、ひしゃげている。

 檻はからっぽ。

 逃げ出したその猛獣――小型の竜が、取り囲む通行人たちを威嚇していた。

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