綾瀬 -漆-
あの夢が正しいなら、亜津子の葬儀の不思議も解ける。
記憶を捻り出すようにして夢を思い出す。
不可解なのはあの夢が自分が犯人の視点であった事。
だが、誰の視点であるかそれは問題ではない。
亜津子は目の前で引き裂かれ、そして彼女も両親も同じように…
啓祐は首を振った。あの夢の恐怖に支配されてはいけない。心のどこかで鳴る危険信号がそう言っていた。
今は、どうすべきか。
情報が欲しい。
啓祐は机の上に置いてあるパソコンへと向かうとインターネットを開いてニュースやゴシップ、ありとあらゆるあの事件に関する情報を探した。
(中嶋といったか…?)
あの事件について調べていた一癖も二癖もありそうな中年の警官。
いや、身なりを考えればあれは刑事だろう。
とにかくあの刑事にあって情報引き出せないだろうかと考えた。
其の時、集めていた情報の中に一瞬目を止めたものがあった。
『あの事件は、酷いものらしい。遺体はバラバラにされてところどころ無くなっていて、まるで動物か何かに食われたあとみたいだったらしい。』
そんな一文を見つけた啓祐はその全文を見た。
嘘か真か、其の事よりも、それは夢で見た光景に重なる。
おそらく事実により近いものだろう。何故かそんな確信があった。
そうでなければ啓祐の辿り着いたあの葬儀の謎が水泡に帰す。
とにかくこの話を中嶋にぶつけてみるしかない。
真偽はそれでわかるかもしれない。
啓祐は天見署へと来ていた。
運良く中嶋と一緒にいた刑事、斎藤を捕まえる事が出来た。
「君は…何か用かい?」
突然の訪問者に斎藤は少し驚いている様子だった。
斎藤の話によれば今日は中嶋は非番だという。
そこで斎藤に頼み込んで中嶋のところへ連れて行ってもらうことになった。
「非番の日は、中嶋さんはいつもの場所かな…」
車を運転しながら斎藤が呟く。
二人を乗せた自動車はやがて繁華街を抜けて閑散とした通りへ出た。
「この辺は少し物騒なんだ、気をつけなよ?」
そう言うと斎藤は少し笑って車をとめた。
そこは古びたビルの前だった。
斎藤は車を置いてくるからここで待っているようにと言って啓祐を降ろすと、車を走らせた。
その車が見えなくなると、啓祐は古びたビルを見上げた。
ここに住んでいるのだろうか?
いや、さっきの斎藤の言い様だとここに来ているだけのようだ。
改めて見上げると、いかにも古くて、大きな自信でも起これば真っ先に崩れてしまいそうだった。
ぽかんと口を開けてビルを見ていると、斎藤が走ってやってきた。
「じゃあ、行こうか。」
そういって何の躊躇いもなくビルへと入っていった。
慌てて啓祐も後に続く。
エレベーターがあったのだが、動いてないらしく斎藤は狭い階段をずんずん上っていった。
何階分あがったのかはわからなかったが結構登って二人はフロアへと入っていった。
「中嶋さん。」
そこは何かの会社のようだった。
柄の悪そうな男が数人、おばさんが二人、若い女性が二人、人のよさそうな青年が二人ほど、そして同じく人のよさそうな中年の男性が一人その狭いフロアで犇くあうように仕事をしていた。
人のよさそうな中年男性と向かい合って中嶋がなにかしている。
斎藤の声に振り向いた。
「なんだ?斎藤か。」
斎藤が来た事に他の皆も気づくと、柄の悪そうな男たちまで笑みを浮かべて迎えた。
斎藤もいやな顔一つせずに少し笑って挨拶をしている。
啓祐はと言うと、こういう所に慣れていない所為も手伝って思い切り警戒してしまっていた。
「おお、これはご無沙汰だね…えーと…そうだ峰塚君。」
中嶋が笑う。
「何ですか?其のガキ…いや学生は?」
柄の悪い男たちの一人が斎藤と中嶋、そして啓祐の顔を順繰りと見ながらたずねる。
「中嶋さんに用があるそうです。」
「何かしたんスか?そうは見えないんスけど。」
別の男が斎藤を見て言う。
斎藤は首を振って、いや、と短い言葉で否定した。
「すいませんね、社長。この続きはまた後で。」
そう言って中嶋は立った。
人のよさそうな中年男性はどうやら社長らしい。
柄の悪そうな男たちもどうやら見た目ほど悪い人でもないらしいと啓祐はそう思った。
「ここじゃなんだから、ちょっと出ようか。すぐ屋上だからそこまで行こう」
中嶋がぽんと啓祐の肩を叩いて誘った。
社長がうんうん唸っていたので去り際にちらっと見ると将棋盤の局面を見て
うんうん唸っているようだった。
屋上へ出ると、すぐさま中嶋はしわくちゃになったタバコを取り出して火をつけた。
煙を吐き出して、一息つくと啓祐に話を促した。
「亜津子…藤原家の殺害に関する事なんですが…」
「ああ」
わざとらしく手を打つ中嶋。
啓祐はその態度に一瞬憮然とした表情になったが、気を取り直して話を始めた。
「聞きたい事があるんです。」
「ああ、捜査上のことは教えられないよ、守秘義務って奴だ。」
ふー、と煙を吐き出して笑う。
「じゃあ、答えられる事だけでいいので教えてください。」
中嶋はタバコをくわえたまま頷いた。
「まず…葬儀の事なんです。」
「司法解剖をした形跡も無い、お別れも無い、それは何故か?」
「…えぇ。こう考えたんです。遺体は見せられる状態じゃなかった。あるいは、司法解剖すらできる状態じゃなかったか、そうでなければ遺体の断片しかなかった。」
そこまで言って啓祐は気づく。中嶋の目つきが代わっていた。
「それで?」
それでも相変わらず煙草を吹かして態度を崩さない。
「色々、調べてみました。こんなのはゴシップでしかないかもしれませんけど…獣のような、例えば熊のようなものに襲われた。そんなゴシップがあったんです。僕は、直感ですけどこれが一番しっくり来ると思いました。これなら葬儀の謎も納得できます。」
半ばまくし立てる感じで啓祐は考えた事を中嶋へぶつけた。
あいも変わらず煙草を吹かしている中嶋だったが、その目は目の前の少年を見据えている。
啓祐は確信した。これは事実だ、と。
「捜査上の義務でなぁ、その推理にそうだとも違うともいえん。」
「……そうですか。」
「まぁ、慌てるな。独り言を言うのは年寄りの特権だ。」
其の言葉の意味がイマイチつかめず、啓祐は首を傾げてしまった。
「ありゃ、ひどかったよ。遺体なんて無いに等しくてな。両親の毛髪と手足の指の一部、娘は手首だけが残されていてな、それ以外はどんなに探してもみつからなかった。其の上、部屋は酷く赤く汚れていたなぁ…あれは血が乾いたものだって鑑識が言ってたかな。あんな部屋を見るのは初めてだったよ。人の血がまるで
模様替えでもしたみたいに壁を染めて…」
そこまで喋って煙を吐き出す。
「いやだねぇ、年取ると独り言が多くなって。」
そう言って中嶋は煙草を捨てて足でぐいぐいと踏み潰した。
「ありがとうございました。」
ぐっと拳を握り締めてふるふると啓祐は震えていた。
恐怖か、それとも怒りか、中嶋にはわからなかったが、少年が何かを決意した目に変わったのを見逃さなかった。
「まぁ、こんな物騒な事件は警察に任せて置くこった。俺らはそれで飯を食わせてもらってるんだからな。」
ポンポンと啓祐の肩を叩いて中嶋はまた階段を下りていった。
続きは来週土曜日になります。よろしくお願いします。