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綾瀬 -陸-

 あの不思議な男に出会ってから二ヶ月が過ぎようとしていた。


 今だに藤原家を襲った犯人は捕まっていない。


 だが、其の事は皆の心から忘れ去られようとしていた。


「時間って皮肉だな…」


 誰に言うともなく啓祐は独りごちる。

亜津子がいなくなっただけで、何も変わらない生活。

虚しいとか、寂しいとか、そう思ってもそれとは関係なく無為に時は過ぎていく。

時と共に記憶は薄れて、なら亜津子の事はそこへ置いていくのかというと、それは違う。


 啓祐はもう花も置かれなくなって、教室の隅に追いやられていた元の亜津子の席を見るたびに彼女の事を思い出す。


 あの二人の警官――中嶋と斎藤といったか――も啓祐や美里の周りをうろつく事がなくなって、警察も犯人探しの人員を削ったのかとそう思うと、しかし啓祐は腹が立つのだった。


 勝手なものである。


 あれほど鬱陶しがってた警察を、居なくなればいなくなったで、やれ税金の無駄遣いだの、やれ仕事をしていないだのと非難する。

始めの方こそ、この一風変わった事件にマスコミも飛びついていたが、逮捕の兆しが見えぬから次第に取り上げられなくなっていた。


 警察が捜査人員を減らしても、マスコミが取り上げなくなっても、そして皆が例え事件の事を忘れても、亜津子が死んだ事は事実として残る。

そしてどこにもやり場の無い怒りは徐々に啓祐を蝕んでいき、それは怠惰に変わり、啓祐はやがて全てのことが億劫になり始めていた。


 学校へ行くのでさえ億劫で、しかし両親は腫れ物を触るように扱って何も言おうとしない。


 ある朝美里が迎えに来た。

美里はクラス委員長をやっているからか、あるいはかつて亜津子がそうしてそれにくっついて来ていたからか。

理由などわからなかったが、美里は笑顔で、しかしそれは作り笑いだと啓祐は気づいていたが、そこにいた。


「学校行こうよ?今日休んだらテスト、厳しくなっちゃうよ?」

 

 笑顔を崩さずに美里はいった。


――作り笑い。


 今まで短い人生の中作り笑いなんてものはいやになるほど見てきた。

しかし、この作り笑いはいけない。


 痛いのだ。

 痛々しさが伝わってきて啓祐の心をちくちく刺激して止まない。


 作り笑いの仮面の下では泣いている。

仮面を壊してしまえば、素顔の涙は止まる事が無い。

そう思わせる薄っぺらい作り笑い。


「深海……」

「いこ?」

「やめてくれ、そんな作り笑いなんてお前らしくない…帰れ。」


 突き放すように言って背を向ける。

啓祐は知っていた。美里は作り笑いなどしたことがない。

亜津子もそうだった。

作り笑いだけの啓祐の周り。其の中で亜津子と美里だけは本当の、心から笑う、そういう笑顔を向けてくる人間だった。


 しかし、仕方が無いのかもしれない。


 美里の作り笑いという仮面の奥で哀しみが燻っていて、泣いている。

まるで子供のように泣きじゃくっている。


 しかし、いつまでもそのままでは何も出来ないから、仮面を被って

それを隠す。誰からも悟られないよう仮面を被る。


 そう思えた。


 そう思えたのに、啓祐は振り向く事無く部屋へと戻ろうとした。


 それを引き止めたのは、美里のか細い声。

消え入りそうな声は、そうでありながら啓祐を捉えてその足を止めた。


「…じゃない…啓祐、泣いてないじゃない…!」


 振り返ると、目に一杯の涙を溜めた美里が、それでもこらえようと

歯を食いしばるようにしてたっていた。


「深海…?」

「亜津子、嬉しいと思うよ…啓祐、強いから皆の前で泣かなくて、でも、亜津子の事誰よりも好きで……でもね…でもね!」


 頬を伝った涙が美里の靴にぽたりと落ちた。


「もう…泣いて良いじゃない?亜津子のために…泣いてあげていいと思う…」


 最後の言葉は掠れて聞こえなかったが、啓祐には美里が亜津子のために、

そして啓祐自身のために泣いてくれている、そう感じた。


「深海が…泣いてくれているじゃないか…」


 それが精一杯だった。


 深海の亜津子に、そして啓祐に対する気持ちがやんわりと心に染みて、それは痛みを感じたが、どこか救われる気がした。

堪え切れなくなって目頭にわずかに涙が浮かぶ。

それを悟られぬよう美里に背を向けて目をこすった。


「深海が俺の分まであいつのために泣いてくれるから、俺は泣かなくて済む。」

「そんなの…勝手だよ…」

「俺は…全て終わるまであいつのために泣けない。奴を、見つけるまで…」


 啓祐はふと前に見た夢を思い出した。あれが真実かどうかは、わからない。

だが啓祐には亜津子が自分に見せてくれた真実だと思いたかった。

そして美里が自分の分まで泣いてくれるなら、自分は何をすべきか…


 あの真実を追う、とそう決めた。


 真偽がどうとかではない、啓祐にとって見たあの夢が真実なのだ。


「……わけ、わかんないよ…でも、啓祐がそう決めたんならそれでいいのかもしれない。亜津子もきっとそうだって言ってくれる…」

「…ああ…そうかもしれないな。いや、わからないな…」

「私、行くね…」

「……」


 啓祐は答えない。


「もう作り笑いなんてしないから…亜津子のためにも、作り笑いなんてしない、亜津子みたいに本気の笑顔で迎えに来るから、だから其の時は、学校行こうね?」

「……」


 それにも啓祐は答えなかった。


「じゃあ…」


 美里は出て行った。

啓祐はしばらくそこを動かずに美里のいった言葉を反芻するように思い出しては噛締めていた。

続きはまたも来週土曜日を予定しております。申し訳ありません。

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