1-5 大きな希望
『ギシャアアァァァ!?!?』
突然の光に、霧に隠れた怪物は、
木々を削るように呻きながら、
枝の拘束を解き放った。
押し出すように投げ飛ばされた俺は、
下に落ちていた瓶に尻をぶつけ、
身が出そうになるほどの激痛が走ったが、
なんとか助かった。
尻をさすり、靴を失った足を
引きずりながら、
小さな竜の声がした方へ駆け寄る。
「おい、チビ! 大丈夫か!」
「お前の決断が、5秒遅けりゃ
死んでたところだな。あとチビって言うな」
彼の体には痛々しい赤い線が
何本も描かれていた。
目が大きく見開いた竜の表情からは
痛みは読み取れそうになかったが、
俺よりも怪我が深いことは
簡単に想像できた。
深緑の化け物に目を移した。
おそらく目であろう黒ずんだくぼみを
必死に押さえていた。
先ほどの光に目がやられたのだろう。
「なんだこれ?」
先ほどまで、
敵に締め付けられていた左手の甲に、
何やら筆で描かれたかのような、
黒い紋章が描かれているのが目にとまった。
縦長の六角形であるそれは、
手でこすっても消えることはなかった。
「ああそれか。俺と契約した、ってことだ。
同じ模様が俺にもあるだろ」
目の前で背伸びをする竜は、
知ってて当然であるかのように
スラスラと言い切った。
言われてみれば、
はじめに顔を観察したときには無かった、
眉間を縦断するように
宝石のような模様が生じていた。
『グゥオォォォ!!!』
光に目を眩ませていた化け物が、
視力を取り戻しているようだ。
先ほどとは違い、
振り回す忌まわしい茶色の鞭は、
異様なほど殺気立っている。
「やべぇ、完全にキレさせちゃったよ。
どうすんだよ」
愚かにも、
俺はまた生意気な子竜に質問してしまった。
「倒すしかねぇに決まってんだろ」
「まぁ、やっぱ、そうだよな」
聞いた俺がバカだった。
それしか返答がないことなんて
分かってたのに。
「でもさ、どうやって倒すんだ?
俺の左手フラッシュも
何度も出せるか分かんねぇぞ」
先ほどの光を
どう表現すべきか迷った末、そう言った。
「フラッシュ、ってお前。
せめてシャイニングとかにしろよ。
センスねぇのか」
君の基準は分からないけど、
シャイニングでも充分ダサいと思うぞ。
「なんか秘策でもあるのか?」
「俺のデコに文様があるだろ?
それをお前の左手の文様と引っ付けろ。
そうすりゃ、あとは俺がなんとかする」
全く信用できなかったが、
やるしかないことは分かっていた。
文句を言っても仕方がない。
もう、いちいち疑問に思うことを諦めていた。
あまりにも理解できない風景を
見過ぎてしまった。
それに疑問なんか持ったって、
こんな状況じゃなんの役にも立たないし。
「いくぞ、チビドラゴン!」
「だからチビじゃねえよ」
斜め下に突き出した俺の左手に、
彼は飛びあがって渾身の頭突きをぶつけた。
そして2つの文様は乱暴ながらに合致した。
再び、目の前が真っ白になった。
「う、うわぁぁぁぁ!!!」
生じたのは、光だけではなかった。
突然吹きすさんだ豪風に、
周りのゴミが一斉に宙を舞い、
草は巨大な板で
押し付けられたかのように倒れ、
木はその枝たちが折れぬよう、
互いに支えあうかのようにひしめきあった。
慌てて何かにしがみつこうとしたが、
あることに気づいた。
俺を中心に風が吹いていたのだ。
舞い上がる土ぼこりに思わず目をつむる。
「ピキッ、ピキピキッ」
聞きなれない音が聞こえだした。
倒れた草が震える音でもない。
枝が互いに触れ合う音でもない。
舞い上がったゴミ達が
こすれ合う音でもない。
なんだ、この音は。
そうだ、氷だ、氷の音だ。
コップに氷をあふれんばかりにいれ、
キンキンに冷えたジュースを
ゆっくりと注いただときの、
あの音にそっくりだ。
ゆっくりと目を開いた。
さっきまで視界を阻んでいた霧は、
もうすっかり晴れていた。
「…これって!」
霧を失った木々たちの表面は、
磨き上げられた鏡のような
ベールで覆われていた。
そっくりだ。
クリスタルを見たときと全く同じだ。
地面も木々も枝も、
風を受けた全てのモノたちが、
一気に凍ってしまったのだ。
『グギィ、グギギィ!』
霧でずっと隠れていた、
忌まわしき化け物の姿が、
ようやくあらわになった。
周りの木々とは違い、
葉が生えていないその枝は、
凍らぬように、軋みながら震えている。
中心にある牙のようにえぐれた幹が、
結晶の中から俺たちを
食わんばかりに見つめていた。
頭の上はトタンのような板が
乱雑に付けられており、
横に生えた枝からは、
ブランコらしきものがぶら下がっていた。
まるで子どもが作った
秘密基地のようだった。
『なぁんだ、思いの外ちっせえじゃねぇか』
後ろから、そんな声が聞こえた。
誰だ。あのチビドラゴンか?
でもそれにしては、やけに低い声だ。
それにずいぶん上から
聞こえるような気がする。
前でうめく怪物の身体を覆った鏡に
ゆっくりと目を向け、後ろを確認した。
そこには、鏡に写りきらないほど巨大な、
この林を、ゆうになぎ倒せるほど大きな
白き怪物が佇んでいた。
「今度はなんだよ! 勘弁してくれよ!」
化け物に写った
もう一体の化け物を目の当たりにし、
俺は腰が抜けてしまった。
せっかくこいつを倒せるんじゃないか、
って思ったのに。
一難去ってまた一難、とかいう言葉を、
なんかアニメで聴いたことがあるけど、
まさにそれだよ。
ぶっちゃけありえないよ。
『何が勘弁してくれだ。
お前みたいな屁っ放り腰のガキと契約した、
こっちの方が勘弁してほしいってもんだ』
ガキ? 契約? ってことはお前は!
「チビか! チビなのか!?」
『そーだよ。
今じゃお前の方がチビだけどな』
勢いよく振り返った先には、
壁のようにそびえ立つその姿は、
大きさは違えども、
確かにあのドラゴンだった。
俺の拳をも超える大きさの爪が
地面に食い込み、
足は木と見間違えるほどに太かった。
胸には、白き毛の花が咲き、
視界一面を覆い隠す二対の羽は、
雪を纏った
季節外れの枝垂れ桜のようだった。
そして、剣山のごとき牙を生やした
別人のようになった顔には、
確かにクリスタルの紋様が描かれていた。
『ん、ギぎィ… グギャあァ!!!』
『ようやく目ぇ覚めたのか』
巨竜はゆっくりと頭を下げながら言った。
『全く、おいらに傷つけるとは
いい度胸してんじゃねえかよ』
氷の鎧を脱ぎ去った茶色の化け物は
無数の切っ先を、竜の喉元に向けていた。
『キシゃァぁァ!!!!』
槍は一斉に投げられた。
速い。
全く軌跡が分からない。
「避けろっ! チビ、じゃなくて
えっと、デカいの!」
『避けるまでもねえよ!』
白き巨体から振り抜かれた爪は、
忌まわしき槍たちを無残に引き裂いた。
残骸が凍った地面をカラカラと鳴らす。
『んギィィ! ん、グゥアァ!』
失った腕を弔うかのような
唸り声が聞こえた。
『ん、グゥ… ごォ、オまエ…ラハ…』
何かしゃべったように思えた。
この化け物、しゃべれるのか?
『言いてぇことがあるなら言えよ、
このハゲが!』
白きドラゴンは再び顔を上げ、
見下すように暴言を吐いた。
なんでこいつは挑発ばっかりするんだよ。
確かに、周りの木々より
葉っぱが少ないから、
ハゲっちゃあハゲだけど。
『グゥおォォぉォォァァぁァ!!!!!』
突然、雄叫びが上がり、耳を塞いだ。
凍りついた林を揺らすようなその叫びには、
言い知れない怒気がこもっていた。
ハゲって言われて怒ったのか?
『ワたシはァァ!!!
ん ハげジャネえェェ!!!』
耳を塞いでいたが、
はっきりと聞こえた。
「私はハゲじゃねえ」
もしかして、気にしてるのか?
『いや、ハゲだって。
この時期に葉っぱ無いとか、
だいぶやべぇだろ』
竜の言葉による追撃は
止まることを知らない。
『チガうんだぁぁ!
ん 、こんナはずじャなかったンだぁぁ』
枝たちが、取り乱したように弧を描く。
周りの木々に当たり、
グラスをデコピンしたかのような
軽やかな音が一面に共鳴する。
『下がってろ、クソガキ。
一撃で沈めてやる』
あぁ、ついにガキに
「クソ」がついちゃったよ。
助けてもらってる身だから
文句も言えないけど。
苛立ちを抑えながら上を見ると、
竜は自分の左腕に向かって息を吐いていた。すると腕に生えていた純白の毛も、
枝を切り裂いた鋭利な爪も、
その全てがクリスタルの結晶に覆われた。
「…っぐぅ …はぁ」
突然、胸に締め付けるような
痛みを感じた。
それと同時に耳元で
黒板を引っ掻いたような不協和音が響いた。
頭がかき混ぜられてるかのようだ。
それに左手にあった紋様が
異様に光っている。
なんだこれ、息が止まりそうだ。
『あぁ、ちと力を使いすぎたか』
そう言ったように聞こえた。
力を使いすぎた?
この痛みと音がそれと何の関係があるんだ。
『言ってなかったが、おいらの力の半分は、
契約者であるお前から供給されるんだ』
いや、それ先言えよ。
契約の意味知ってんのかよ。
内容教えずに契約とか、
どんな悪徳会社だよ。
『まぁ、ちょっとの間我慢しろ』
俺は、胸を掴みながら
地面に突っ伏してしまった。
息が途切れ途切れになる。
耳を塞いでも、不協和音は止まずに
俺の頭を殴打する。
「早く、して、くれ……」
俺はなけなしの息で叫んだ。
『おっけー』
嫌味なくらい呑気な返事だ。
こっちの苦しみを考えもしないで。
『ん、ギィい… ワタしは… ん』
横に目をやると、
錯乱した唸り声が聞こえる。
それにしても、
やたらと「ん」という音が頭に残る。
『ん、ヒ…ガみ ク…ん
そコに…いるのカ…』
確かにそう聞こえた。
「ヒガミ」とそう言ったように思えた。
でもなんで、なんで俺の名前知ってんだよ!
もしかして、いや、違う!
そんなはずない!
ーー ん、じゃあ、
暗くなってるから、
気をつけて帰るように。
ん、あと明日からは授業は
なるべく起きておいてね。ん。
頭の中に突然、夕べの言葉が蘇った。
嘘だ。信じたくない。
こいつが、この化け物が、先生なのか!?
「はぁ… や、めろ… やめ、てくれぇ…」
俺はそう叫ぼうとした。
しかし間に合わなかった。
純白のドラゴンは、もうすでに、
地面に大きく食い込んだ足を、
前に踏み出していた。
『透通拳ぉぉぉ!!!』
『ヒギィャァァアァァァァ!!!』
彼の美しき鈍器と化した左腕は、
怒り狂っていた
ハゲた木の化け物に炸裂した。
5mをゆうに超えていたその怪物の巨体は、
軽々とボールのように吹き飛んだ。
周りの静寂した木々の枝をなぎ倒し、
銅鑼を叩きならしたかのような爆音が
一面に木霊した。
その反響が収まるのを待つまでもなく、
唸るような化け物の声は、
もう聞こえなくなっていた。
『ったく、手こずらせやがって』
「せ、せんせ、い…」
俺は胸を押さえ、
地を這いながら木の化け物を
追いかけようとした。
折れた木々の瓦礫しか見えないなか、
見つけれるはずなんてあるわけないのに。
先生、待ってくれよ、
そんなのあんまりだよ。
『どうしたんだよ。
倒したんだぞ。もっと喜べよ』
上から無慈悲な慰めが降りかかる。
彼の声からは何の悪意も感じられす、
それが余計に俺の思いを踏みにじった。
本当は俺だって喜びたいんだよ。
「せ、先生…
せんせぇぇぇぇいっっっ!!!」
俺は力のかぎり叫んだ。
もしかすると、
声なんて出てなかったかもしれない。
それでも俺は叫んだ。
当たり前じゃない事実を受け入れるのが
怖かったから。




