2-5 錯綜する思い
僕は、誰もいない山道を一人で歩いていた。
木々の間から漏れ出す夕日は、
山にそぐわず整備されたアスファルトに、
何本ものラインを描いている。
道端には、光を少しでも受けようと
躍起になって伸びている草たちが、
木陰から顔を出していた。
後ろを振り返ると、田んぼの隙間をぬって
点々と顔を出していた民家が、
ミニチュアみたいに小さく見えた。
長い道のりだった。
山中にある僕の家は、
学校からも周りの家からも
離れた場所にあった。
「この田舎で1番大きな家はどこだ」
と言いながらパパがようやく選んだその家は、
いろいろな意味で「隔離」されていた。
物理的な意味ではもちろんだし、
心理的にもである。
確かに、西洋風の丸太で
組み立てられた外見は、
都会では見られないものだった。
庭だって端がどこか分からないくらい
広々としていた。
でも、ただ広いというだけだった。
長期間手入れがされず、放置されていたそこは
なんというか、人情がこもっていない、
抜け殻のようにさえ感じた。
どれくらい僕は歩いたんだろう。
左右を見ても、
僕から目をそらそうとする黒い木々たちが、
乱雑に列をなすだけだ。
氷上と学校で別れてから
20分ほどしか経っていないのに、
それがまるで昨日の出来事のように感じた。
ーーじゃあ、自分の心に問えばいい。
本っ当に悩みが一つも無いのか、
誰にも言えてない思いが一つも無いのか、
聞いてみればいいじゃないか。
僕の頭のなかで、
その言葉が何度も木霊していた。
心の中に「闇」があることを
意識すればするほど、
自分の中のそれが、
息をするように増えてしまうような気がした。
僕は極力忘れようとした。
氷上のことも、ルークのことも、
ママのことも、パパのことも、
僕を惑わす、すべてのものを
頭の中から排除しようとした。
でも、そんなことできなかった。
忘れようとすればするほど、
自分の意思と反して、
闇が僕の頭の中を闊歩した。
つい半年前まで、僕は学校でも、
家でも何の不自由もなく暮らせていた。
ママもパパも、僕のことを賞賛してくれたし、
学校での人間関係も
何一つ困ることなんてなかった。
それなのに今では、ママもいないし、
家は周りに何もない山の上だし、
人間関係もうまくいっているとは
言えなかった。
散々僕を「賢い」やら「かっこいい」やら
煽てていた子達は、
最初こそは物珍しさで話しかけてくれたが、
1週間ほどすれば、
すぐに話しかけなくなった。
多分、僕が話す日常と、
彼らの日常があまりにも
かけ離れていたからだろう。
そのため、僕の話に意図しない棘が
生えてしまったのだと思う。
そうするうちに、
僕の周りには氷上しかいなくなった。
天風さんも話しかけてはくるが、
所詮氷上の「ついで」で
話しているようにしか感じられなかった。
こんなはずじゃなかった。
どこに引っ越ししても、パパの権力に頼らず、
自分の力だけでやっていける、
って思ってた。
でも無理だった。
僕が得ようとしてた自由は、
ここにはなかったんだ。
東京に帰るべきだ、
帰らなければならないんだ。
そう心の中で何度も何度も呼びかけた。
でも、その声は
すぐに頭の中でバカみたいに笑う
氷上にかき消されてしまうんだ。
僕は、ずっとあいつのことを、
ただのバカだと決めつけようとしてきた。
本当はそうじゃないのに。
自由に生きることのできるあいつに、
悩みを笑い飛ばせるあいつに、
僕はただ、「嫉妬」してたんだ。
僕の奥に眠っていた「何か」が
産声を上げた。
その声は、小さく低い声だったが、
確かに僕の中に響いた。
『……オマエ、ソイツノコトガ、
キライナンダロ?』
僕は心の誘惑に、何も返さないでいた。
確かに、好きか嫌いかと言われれば、
どちらかといえば嫌いだった。
だけど、それを「嫌い」の一言で
まとめられるほど単純な気持ちでも無かった。
『……ナラ、ソンナヤツ、
ワシガブットバシテヤルヨ』
「ダメだ」って、言いたかった、
言わなければならなかった。
だけど、僕の心の中でその言葉は
強く押さえつけられてしまった。
ーーそうだよ、氷上。
お前がいなければ、
僕はこんなに悩むことなんて無かったんだよ。
それに、それに……
僕がこんなにも苦しんでいるのに、
君だけ笑っているなんて、
僕のプライドが許せないんだよ!
『……リョーカイ』
その言葉が聞こえると同時に、
僕の心の中の「闇」が
薄暗い森一面に噴き出した。
「おいガキ! 雑音だ! 雑音が出た!」
「えっ! どこで!?」
ルークから声がかけられたのは、
学校で武藤と別れ、
ようやく家の前に着いた時だった。
「あっちだ!」
ルークはそう言うと、
俺たちが歩いてきた道の先にある山を
指差した。嫌な予感がする。
「あっちって、武藤が帰っていった
方向じゃねぇか!」
嘘だろ? すぐには
武藤の雑音は出ない、
って言ってたじゃないか。
「どうすんだ?」
「どうするもなにも、
助けに行かなきゃあいつ、
雑音に食われちゃうんだろ!」
「でも、また母さんに無言で行くのか?」
そう言われて、一瞬ためらった。
でも「今から雑音っていう化け物と戦う」
なんてこと、
母さんの前では口が裂けても言えないよ。
「……行くよ!
母さんにはまた心配かけるかもしんないけど、
武藤の命のほうが何倍も大事だ!」
「武藤が、お前のことを
妬んでいるとしてもか?」
一瞬、何を言ったのか分からなかった。
ネタむ? 何のことだ?
でも、ルークの声は忠告でも脅しでもない、
もっと根元から訴えかけるようだった
「……ネタむってどんな感情か
よく分かんないけどさ、
俺はあいつの「ともだち」なんだ。
助けるに決まってるだろ!」
「ともだち、か」
ルークは軽いため息をつく。
なんだよ、ともだちで悪いかよ。
自分のことをバカにしてくるやつを、
ともだちって思ったらいけないのかよ!
俺はそう言おうとしたが、
急に「ともだち」と言う言葉が、
どこかに旅に出て、
いなくなってしまったかのように感じた。
あれ? 俺って
本当に武藤と「ともだち」なのか?
「……ルーク。お前が何が言いたいのか
分かんねぇけど、俺は逃げねぇぞ!
だからお前もそうやって逃げようとすんな!」
「おいらは逃げる気なんてない。
ただ、お前のことを心配してやってるだけだ。
これは、お前が関与しちゃいけない
問題かもしれないんだから」
「うっせぇ! 俺は行くぞ!」
俺はルークの言うことを
無視して一気に駆け出した。
何がネタみだ。
何が関与しちゃいけない問題だ。
俺は逃げない、って決めたんだ。
俺はバカにばっかりしてくる武藤だけど、それでも、あいつは俺の「ともだち」なんだ。
武藤、待ってろ、俺が助けてやるからな。
無心で走っていた俺の視界に現れた山には、
夕日なんて跳ね返すほど
真っ赤な炎が咲いていた。
遠目でもその規模が分かるほど
一面に火の手を広げたその山は、
ゴウゴウと音を立て、赤い波を打っていた。
近づくにつれ、鼻の奥に、
むせ返すような煙が入り込んでくる。
それが雑音が起こした炎であると
知らなければ、
すぐにでも消防車を呼びに行っただろうな。
「なぁ、ルーク! 本当に、
消防車、呼ばなくていいのか?」
息を切らせながら、
俺は抱いていたルークに言った。
「呼んだって仕方ねぇよ。
水なんていくらかけても、
雑音には何の干渉もできないんだから」
またカンショーとか
難しい言葉が聞こえた。
「ええっと、じゃあ、俺たちが消すしか、
方法はないってことだよな!?」
「違うって」
ルークがため息混じりの声を漏らす。
「お前が消しに行ったら
ややこしくなるってずっと言ってるだろ。
武藤のやつを信じてここで待ってることが、
あいつのためだし、お前のためでもあるんだ」
ルークはまた同じことを言った。
ああ、もう。
いい加減その理由もうんざりだ。
「そんなの言い訳だ!
ルーク、やっぱりお前は、
あの炎が怖いんだろ!?
だから、そうやってグタグタと
言い訳ばっかり言って……」
「話聞けよ、このすっとこどっこいがっ!」
ルークは俺の手を振り払い、
怒号をあびせた。
口元からむき出した牙が、
本気だということを物語っていた。
「おいらはお前に死なれたら困るんだ!
お前、先生の雑音と闘ったときに、
気を失ったの覚えてないのか!?」
「ま、まぁ覚えてるけど」
「じゃあなんでおいらが止めるか分かるだろ?
おいらのあの程度の力さえ
耐えられないお前が、
あの雑音を相手にして、敵うわけないんだよ!
それに……武藤の雑音が生まれた原因は、
誰でもない、お前なんだよっ! 」
「でもっ!」
俺は叫んだ。
その続きの言葉なんて、
ちっとも考えてなかったけど。
「……逃げたくないんだよ。
勝てないからって理由だけで。
それに、武藤がさ、
俺のことをあんまり良く思ってないこととか、
なんとなく知ってたし。
……でも、ここで見捨てるなんてことしたら、
それこそ、武藤が、
俺のことを、恨むと思うんだ」
自分でも何を言っているか分からなかった。
けど、ルークは無言でうなずいていた。
「武藤って、もしかすると、
こっちに転校してきてから、
ずっと一人だったんじゃないかな。
初めはキザな野郎だな、って思ってたけど、
なんか、そうじゃない気がしてきた。
俺、他人の気持ち読むの下手だから、
あんまりよく分かんないんだけど。
つまり、その……」
うまく言葉にできなかった。
自分の言葉なのに、
俺以外の誰かが言ってるような 、
そんな感覚だった。
こんな風に自分の気持ちをさらけ出すことは、
5年前、俺の家から父さんが
出て行ったとき以来だった。
「あぁ、もう言わなくていいよ」
言葉が詰まったところで、ルークが言った。
「それは、おいらに言うべき言葉じゃない」
その意味は、俺にもすぐに分かった。
「……絶対、気ぃ失うなよ。
気を失った時点で、
おいらもお前も武藤も、
みんな終わりなんだからな!」
「……分かってるよ!
お前こそ、土壇場で逃げんじゃねぇぞ!」
俺たちは再び、
燃え盛る山の方に目を向けた。
その豪炎のど真ん中に、
こちらを見下ろす目が見えた。
そこには紅蓮の毛に包まれた、
周りの燃える木々を従えるかのように佇む、
一匹の狼がいた。
俺の背丈を優に超えるそれは、
炎に紛れて輪郭こそ
はっきりとは分からなかったが、
その姿は狼そのものだった。
「……氷上、なんで来たんだ
……なんで来たんだよっ!」
灼熱の狼の横に、一人の少年が立っていた。




