2-4 雑音(ノイズ)
「……で、どっから説明したらいい?」
「全部だよ、全部。君が知ってることの」
夕日が、放課後の教室に
わびしく並ぶ机の影を、
床に何本も刻んでいた。
俺と武藤の影は机を2つ分空けて、
平行に並んでいる。
しずかや、他のクラスメートは、
教室掃除を終えてもう下校してしまっていた。
「全部って言ってもなぁ、
俺もこいつに会ったの、昨日のことなんだよ」
「それでも、何か分かってるんじゃないのか?
外の消えた林のこととか、
僕の目の前で寝そべってる、
このドラゴンのこととか、
何でもいいんだよ」
普段、あまり何事にも興味を示さない武藤が、
今日はこれでもかというくらい
質問をぶつけてくる。
でも、それも仕方ないことだった。
俺と武藤を挟む、
机の上で寝そべっているこいつは、
あろうことか、
みんなが授業を受けている
最中に乱入してきたのだから。
1時間目の終わり際に武藤に叩き起こされ、
窓の外にルークの姿を見たときは、
本当に心臓が止まるかと思った。
そのときはまだ、俺や武藤にしか、
ルークや幻の林が見えてないという
情報を知らなかったため、
もうあの瞬間はどうやってごまかせばいいか、
頭の中がこんがらがってしまっていた。
授業後の休み時間、
クラスメートのみんなから
「見える、って何の話?」とか
「どうしたんだ? 今日のいちろー、
ちょっと変だぞ」とか、
いろいろと聞かれたけど、
今思い返しても、
どんな風に返答したかよく思い出せない。
ただ、しずかの追求が
ものすごく激しかったことだけは、
はっきりと思い出せた。
俺が苦し紛れに
「え、別に何も見てね〜よ。なぁ、武藤?」
って言ったとき、
武藤の野郎が、
俺から目を逸らしやがったために、
彼女の追求は、2時間目が終わったあとの
業間休みまで続いた。
「あんた、ウチに隠し事するとは、
ええ度胸しとるやないか!」とか
「そうやってトム君と仲良ぉに
ヒミツ共有して、
そんなにウチのことおちょくって
おもろいんけ!」とか、
だいぶ言ってることが
むちゃくちゃになっているところで、
やっと武藤が口を開いたため、
俺は一命をとりとめた。
「いや、違うよ、天風さん。氷上の横に、
ものすごく大きな蜂が見えたんだ。
それが彼の頭に止まりそうだったから、
僕は叫んだんだよ。
でも、氷上は寝とぼけてたから、
僕の忠告を変な方向に受けとったんだ。
蜂が出たって言ったのに、
まるでおばけが出たかのようにね。
だからあんな風に
訳のわからないことを言ったんだ。
それに知ってるだろ? 彼はバカなんだ。
だからそんなに深く考えないでやってくれ」
武藤が一気にまくし立てて言ったその言葉は、
俺のことをひたすらにバカにした
とんでもない嘘だったけれど、
しずかはそれを、
面白いほどすぐ信じた。
なんだよ、お前もバカじゃねぇか。
俺がそんな、蜂をおばけと間違う
しょうもないミスする訳ないだろ。
俺はそう反論しようとしたが、
自分の服が前後ろ反対であることを思い出し、
ブーメランになりそうだったのでやめた。
「あぁ〜、なるほどな〜。
せやったらそうやって
言うてくれたらよかったのに〜」
しずかは、これ以上は
何も言ってこなかった。
彼女が手に持っていたハリセンも、
振るわれることなくカバンにしまわれた。
他のクラスメートも、武藤の言葉を聞き、
盛大に笑ったあとは、
みんな1時間目のことなんか、
さっぱりと忘れてくれた。
元はと言えば、
遅刻のことで頭がいっぱいで、
家にルークを放置してきたせいで
起きた事件だったのだが、
俺と武藤にしかルークの姿が見えなかった
おかげで、思いの外穏便に終わった。
ただ、今から武藤に、
昨日起きた出来事の一部始終を
説明しないといけないんだけど。
「えーと、お前の名前は武藤? だっけな」
ルークは机に寝そべりながら、
小型犬のような身体には似合わない
鋭利な爪で、鼻頭を掻いていた。
「あ、トムです。トム=レイズバーンです」
武藤の声が妙にかしこまっていたため、
寝そべる竜とのギャップに
吹き出しそうだった。
それにしても武藤の本名を久々に聞いた。
武藤って呼ぶのに慣れすぎて、
「武藤トム」とかいう、
キラキラネームかと思っていた。
「ふーん。おいらの名前はルーク。
ここに突っ立ってるアホずらのガキが
つけてくれた名前だ」
「誰がアホずらや!」
俺はとっさに突っ込んだ。
このドラゴンには昨日
散々バカにされ続けていたが、
久々に言われると、
やっぱり少し腹が立った。
あとガキって言うなよ。
お前のほうが俺よりチビじゃねぇか。
「その、武藤っていうのは、
そのアホずらの彼が、
僕に付けたあだ名なんです。
あんまり気に入ってないので
やめてほしいって言ってるんですが」
武藤はルークに言いながら、
さりげなく俺のことをチラ見してきた。
なんだよ、そのアイコンタクト。
「あぁ! もう本題入ろうぜ。
俺もこいつに聞いてないことが
たくさんあるんだよ。
それに昨日、帰るの遅くなったしさ、
日が顔出してるうちに帰りてぇんだよ」
「まぁ、そうだな。
僕もあんまり学校に残ってると、
パパに何か言われそうだし」
珍しく武藤と利害が一致したところで、
ルークはようやく机の上から動いた。
ジャンプして床に爪がぶつかり、
コツンという軽い音が教室内に響いた。
「ん〜。そんじゃあとりあえず、
素質と雑音について話そっかな」
俺と武藤が作り出した
長い影の間に挟まれて立っていたルークは、
2人が同時に見える教室の端まで
ゆっくりと歩き、こちらに振り向いた。
そのときになって初めて気づいたんだけど、
ルークの影が、床に描かれていなかった。
目の前に確かに立っているのに、
まるでプロジェクターか何かで映し出されてる
ホログラムじゃないかと勘違いするほど、
彼の姿には重みが感じられなかった。
「よし、まず、素質ってのはな……」
ルークはゆっくりと話し始めた。
「えっとさ、結局、センス?
ってなんなの?
俺たちはチョー特別な、
選ばれし子どもたちです!
とかそんなんじゃないってこと?」
素質に関する説明を受けたあと、
僕の横で机の角に寄りかかっている氷上は、
退屈さと不満を混ぜるかのように
足をプラプラさせていた。
「違うって、おいら何回も言っただろ」
「えー、つまんないの〜」
氷上はそう言っていたが、
僕にはつまらない問題だとは
到底思えなかった。
このドラゴンが言うには、
素質がある人間というのは、
心に何かしらの闇を抱えている人間だそうだ。
そして、その闇が形になって
現れたものが雑音なんだそうだ。
そんな風に聞くと、
何一つ喜ばしいことではなかった。
しかもそれは、
僕の中にも闇があるということを指していた。
それを真っ向から否定したかったが、
心の奥底で肯定しようとする
何かがうごめいて、口をふさいでしまった。
「何スネてんだよ、ガキかよ」
「うっせぇな!
人の心ん中に闇があるとか言われて
いい気がする奴なんているわけねぇだろ!」
今回ばかりは氷上と同じ思いだった。
初対面の、しかもこんな胡散臭い生き物に、
心が病んでるなんて言われる筋合いなんて、
これっぽっちもなかった。
それに、僕はまだ目の前の
現実を受け入れていなかった。
誰かが作ったロボットが、
遠隔操作でしゃべってるんだな、
ぐらいにしか思えなかった。
まぁ、それだと、
僕と氷上にしか見えないってことは
説明つかないけど。
「氷上の言う通りだ。なんだよ「闇」って。
そんなこと急に言われても、
どうすればいいんだよ。
それに僕たちは闇なんてモノ、
抱えていないよ」
僕は自然と、
ルークに敬語を使わなくなっていた。
初対面で、こんなにも早く
タメ口を使ったのは今回が初めてな気がした。
「じゃあ、自分の心に問えばいい。
本っ当に悩みが一つも無いのか。
誰にも言えてない思いが一つも無いのか、
聞いてみればいいじゃないか」
子竜が言い放ったその言葉に、
僕も氷上も口を開くことができなかった。
確かにまだ言ってない悩みなら、
いくらでもある。
パパにも、ママにも、
そして横で黙り込んでる氷上にも、
言いたいことはたくさんあった。
だけど、それらを「闇」と表現されるのは、
違う気がした。
「……ならさ、ルーク。
お前はさ、俺の雑音なのか?
俺の……心の中の闇なのか?」
氷上がいつにない真剣な表情で言った。
その顔は、いつも笑っている彼と
同じ人だとは思えないほど引きつっていた。
「……ん〜と、
正確に言うと……雑音ではないかな?」
ルークは、言葉を選ぶようにして
氷上に告げた。
「おいらたちには
大きく分けて2種類いるんだよ。
まず、昨日戦った
あの木の化け物みたいな奴が雑音だ。
これは、まぁ、言っちゃえば、
人間が作り出してしまった幻みたいなもんだ。
そして、もう一つ。
人間の意思と関係なく生まれた、
精霊っていう奴らがいるんだ」
「えぇっと、つまり、お前はその、
エメレン? なんたらだって言うこと?」
「まぁ、そういうことにしといてくれ。
少なくともお前みたいなガキから生まれた
雑音と一緒にされたら困る」
氷上は足の動きを止め、
考えるような素振りをした。
が、数秒後には諦めたように笑った。
「あー、よくわかんねーや!」
「あの、一つ質問してもいいかな?」
僕は氷上とルークの話に割って入った。
「あのさ、僕たちが精霊や雑音が見えるのは、
心に闇があるから、って言ったよね?
じゃあ、僕が生み出した雑音ってやつも、
どこかにいるってことなのかな?」
「あ、それおいらが
今から言おうとしてたことだよ!
さすが武藤だな〜。
どこぞやのバカとはわけが違う」
「誰だよ、バカって!
もしかして俺のことか?」
この場合そうだろうな、
と言いたかったが、
これ以上氷上をいじるのも気が引けた。
ふざけてはいるが、
状況が掴めていないのは、彼も同じだろう。
あと、ルーク。僕は武藤じゃなくてトムだよ、
訂正してくれよ。
「さっき武藤から質問があったけど、
その通り、君が生み出した雑音も
どこかにいるんだ。
そして、おいらはそれが心配だったんだ。
今日だって、もしかしたらこのバカ以外にも
雑音が見えるやつがいるかもしれないから、
確認しようとして学校に乱入したんだよ」
「本当かよ〜。お前、
家に放置されたから
寂しくて来ただけじゃねぇのか?」
氷上がそんなことを言った気がしたが、
僕もルークも無視した。
ただ、ルークが少し目線を下げたため、
寂しかったのも
あながち間違いでもないかもしれない。
「武藤、君と君自身が生み出した雑音が
出会ってしまうと、
非常にまずいことが起こるんだ」
気をとりなおしたルークが言った。
なんだろう、まずいことって。
「君の身体が雑音に
取り込まれてしまうかもしれないんだ。
つまり……言葉はキツくなるけど、
雑音に、食われるかもしれないってことだ」
僕はすぐには言葉を返せなかった。
取り込まれてしまう? 食われる?
なら僕はどうなるんだ?
「やだよ、じゃあ僕はどうなるんだよ!」
「君が君でなくなる」
凄みがある言い方だった。
脅しなどではなく、
事実なんだということがひしひしと伝わった。
僕が僕でなくなる?
冗談じゃない! なんだよそれ。
「じゃあさ!」
部外者と化していた氷上が声を荒げた。
「その、武藤の雑音ってやつを
ぶっ飛ばせばいいんだろ?
先生の雑音を倒した時みたいに」
かなり投げやりでテキトーな答えだったが、
心強かった。
ただ、言ったのが氷上だったため、
その言葉は、薄っぺらくて信ぴょう性のない
詐欺師の言葉のように感じた。
「まぁ、倒すのはどーせ
おいらになるんだけどな」
ルークは軽く鼻を鳴らした。
呆れているというより、
少し誇っているようだ。
「どっちみち、おいらたちが
見えるようになったからって、
急に君の雑音が現れるわけでもないしな」
「その言葉、信じていいか?」
付け加えるように言われたルークの言葉に、
僕はすがるような思いで聞いた。
「信じるも何も、すべて君次第だ」
「君次第」その真意は分からなかったが、
それ以上聞きたいとは思わなかった。
それが何を表してているかも、
薄々分かっていたからだ。
僕次第、それはすなわち、
僕の心の中にある「闇」を
刺激してはいけないということなんだろう。
「すぐにはカンケーないってことだろ。
じゃあいいじゃねえか。
もう帰ろうぜ。お腹空いた」
僕の心境なんて何一つ考えない氷上が、
沈黙を破った。
普段なら不快に感じるような、
ノー天気なその言葉のおかげで、
自分の心の闇について
これ以上考えないで済んだ。
「武藤、下駄箱まで競争しようぜっ!
あとルークも」
「なんでだよ」「わけワカンねぇよ」
氷上の突然の提案に、
僕とルークの声が合わさる。
「よっしゃ、じゃあ位置について〜」
「全く人の話聞かないな、氷上は」
すでにランドセルを背負って、
徒競走のスタートの体制に入っている
氷上の横で、僕はつぶやいた。
全く、いつも君の
バカな行動に振り回されてばっかりだ。
僕なら、そんなこと絶対にできないよ。
君にも、僕と同じように、
心に「闇」があるんだろ?
なのに、なんでそんなに
他人事みたいに笑ってられるんだ。
後ろを振り向くと、
白い子竜も羽ばたきながら、
手足のストレッチをしていた。
なんだよ、君も競争する気満々じゃないか。
「よーいっ!」
氷上の声で、僕は扉の方向に戻った。
その時、廊下で、
誰かが走るような音がした。
誰だろう?
僕たちの話を盗み聞きしていたのだろうか?
しかし、僕の疑問は解決されることは無かった。
「ドンッ!!!」
氷上の叫び声が、
止まっていた放課後の空気の中を
一直線に突き抜けた。




