2-3 授業妨害
「ん、それじゃあ授業始めるぞ〜」
時間ギリギリで席に着き、
ランドセルを床に置こうとしたとき、
前の入り口からそんな声が聞こえた。
俺は教室入ってくる先生の目を見る
自信が持てなかった。
昨日、家に帰るのが遅くなったことで
迷惑をかけてしまったこともあったし、
何より先生の心の亡霊と闘ったという記憶が
どうしても頭から離れない。
学校まで全速疾走している間にも、
そのことをずっと考えていた。
そのうち、林も化け物もドラゴンも、
その全てが俺だけが見ている
幻覚だったのではなかったのか、
とも感じるようになった。
もし幻覚なら、すぐ病院に行かないと
いろいろとやばいかもしれないけど。
昨日の記憶を確認するかのように
窓の外を覗いた。
すると、やはり運動場の砂漠の奥に
横たわっていた緑が、
ぽっかりと無くなっていた。
何回目をこすっても
その風景はちっとも変わらない。
昨日あの荒野の
どこで転んでいたのだろうか、
と考えようとしたが、
アホらしくてやめた。
「せ、センセイ! どうしたんっすか!?」
「何かあったんですか? センセイ!」
急に教室が騒がしくなったため、
俺は目線を教壇に戻した。
すると、昨日とは別人のようになった先生が
頭のてっぺんを照れ臭そうに掻いていた。
「ん、この頭のことかい?
まぁ、邪魔かな〜って思って、
全部剃っちゃった、ん」
自分の目を疑った。
昨日まで先生の頭の上にあった
後退していた髪がすべて無くなっていたのだ。
伐採し尽くされた荒野のごときその頭には、
太陽の光が神々しく照りつけていた。
確かに元から髪の毛は少なかったけど、
全部無くなってしまうと、
雰囲気がかなり変わる。
サングラスをかけると、
まるで昭和の歌手っぽくなりそうだな。
「はて〜しない〜、大空と〜♪」と
歌っている先生を想像すると、
笑ってしまいそうだった。
「ん、ちょっとね、
昨日、ある生徒に教えられたんだ。
いつまでも過去の栄光に
振り回されてはいけないんだ、って。
だから剃ったんだよ」
俺は先生から目を逸らした。
「ある生徒」が自分のことを
指していることはすぐに分かった。
でも俺は先生の雑音っていう
化け物を倒しただけで、
特に何かをしたわけでは無い。
それに実際に倒したのはルークで、
俺がしたことと言えば、
林の中をひたすら走っていただけだった。
それだけに自分にかけられたその言葉を、
真正面から受け止めることができなかった。
「氷上、おい氷上」
後ろから声がした。武藤の声だ。
「気づいてる? 伐採されてるぞ」
武藤のほうから話かけてくるのは、
珍しかった。
それに、抑えてはいたが
興奮しているような声だった。
まぁ、先生が急にスキンヘッドになって
驚かない人のほうがおかしいか。
「そんなの見りゃ分かるじゃん。
あんなスキンヘッドなのに」
俺は、いつもの武藤が俺にするような、
味気ない返事をした。
「違うよ。窓の外の林だよ。
ほら、昨日、僕に質問してたじゃないか。
白いのが見えたって」
その言葉を聞き、後ろを向いた。
武藤の青い目は、
窓の外の消えた荒野を捉えていた。
「あぁ、そっちか。そういや本当だ、
無くなってるな」
あえてしらばっくれた。
昨日の出来事を
わざわざ武藤に話すのもダルかったし、
なんだか隠しておいたほうが
いいように感じたからだ。
「先生が伐採したのかな?
だって、髪の毛が無くなったのと、
あまりにもタイミングがかぶってるだろ?」
武藤の予想を、俺は否定できなかった。
あの林は俺とルークが消したんだ、
とも言えたし、
先生が何か吹っ切れたから消えた、
とも言えた。
どっちにしろ、
林が消えた時には気を失っていた俺には、
正確な答えなんて分からなかった。
「うーん、そうなんかなー?」
俺はまたはぐらかした。
「君にしてはあんまり驚かないんだな。
いつもなら
「うわぁ、林が消えとるぅ、やべぇぇぇ」
とか言って
すぐにでも叫びそうなものなのに」
「えっ? 俺がそんなこと言う人に思える?」
「思えまくるよ。今だって服を逆に着てるし。
君のランドセルの中身もなんだよそれ。
ゴミ箱か何かを間違って持ってきたのか?」
そう言われて、無意識に開けていた
ランドセルの中に目を向けると、
本来、教科書が入るべきスペースに
白や灰色のプリントが詰まっていることに気
づいた。
なんだこれ。確かルークが
時間割してくれてたはずなのに、
嘘ついたのか。
手で掴み上げてみると、
今朝、自分の部屋で見たばかりの
テストたちがこちらを眺めていた。
同時に掴みそこねて、
ランドセルから漏れたテストたちが、
次々とかすれた床板を彩っていく。
「あの野郎、やりやがったなっ!」
俺は、クスクス笑う
周りの声に構わず、叫んだ。
そういや、ルークのやつ、
今どこで何してんだろう?
今になって、
ルークを家に放置してきたことを思い出した。
目の前では、氷上があたふたと
散乱したテストをかき集めている。
教壇に立つ先生は、
注意すべきかどうか迷うかのように、
一毛纏わぬ頭を掻いていた。
それにしても、今日の氷上は
一段と変な行動ばかりしている。
普段からしょうもないことばかり
しているが、
今日の窓から運動場を
チラチラ見る動作や、
先生から目をそらす仕草は、どこか変だった。
夏休み前で浮かれてるなら、
もっとリアクションが
大きくなりそうなものなのに、
今日の氷上はどこか冷めていた。
僕は、プリントを拾うのを
手伝おうとしたが、やめた。
もうちょっと困っている素振りを
していれば手を貸したが、
「うわぁぁぁ!!! これも0点、
あれも0点、みんな0点だぁぁ!!!」
とか言いながら、
なぜか楽しそうに拾っていたので、
助けるのがバカみたいだった。
僕は再び窓の外に目を向けた。
昨日、氷上が指差していた緑は、
切り株一つ残さずに消えていた。
不思議だった。
どんなに優秀な人材を雇っても、
一晩のうちにあの規模の林を取り除き、
地面を均ことなんて、
できるはずない。
しかも、その緑は僕が引っ越して来る前から
存在していたはずなのに、
失った今のほうがずっと自然に感じた。
先生の言葉を借りて表現すると
「過去の栄光」であった緑を取り払い、
本来のハゲた荒野が
顔を出したかのようだった。
しかし、そんな表現をしたところで、
林が消えたことも、
先生がスキンヘッドになったことも、
何一つ説明できなかった。
「よっこいしょういち」
プリントを回収した氷上が
椅子に落ち着いた。
相変わらず、足が筋肉痛なのか
どうかは分からないが、
かばうような座り方だった。
「氷上、昨日何してたんだ?
ずいぶん痛そうだけど」
氷上は自慢しようとしたのか、
65点の社会のテストを手に持っていたが、
僕は無視して質問した。
こんなこと口になんて出せないけど、
そのテスト、僕は100点だったぞ。
「えっ、昨日? ……えぇっと、
走ってたかな? あの、俺って
わりとスポーティーマンじゃん?
だから、その、うん。走ってた」
彼はそう言うと、
手に持っていたテストを
机の上で整理し始めた。
「スポーティーマン」という表現が、
父がアメリカ出身の僕にとって
かなり引っかかったが、
そんなことは問題じゃなかった。
彼は何か隠している。
「走る? 昨日先生に怒られてから、
そんな筋肉痛になるまで走ったのか?」
僕はさらに追求した。
自分が全く状況が掴めていないというのに、
氷上が何か知っているというのは
自分のプライドが許さなかった。
「まぁ、そんなのいいじゃんいいじゃん。
ほら、もう授業中だし。
俺も教科書読まないとな〜」
氷上は片付けたばかりの
ランドセルをわざとらしく開ける。
「君、教科書忘れてるじゃないか」
「あ、バレちゃった?」
「ごまかさないでくれよ。
君は消えた林のこととか、
先生の髪のこととか、
何か知ってるんじゃないのか?」
「ん、氷上君とトム君。
そろそろ授業始めますよ、ん」
僕の追求は、先生の声に遮られた。
僕は先生に頭を下げ、
仕方なく教科書に目を落とした。
氷上、君は一体何を見たんだ。
昨日の放課後に何があったんだ。
あと1日でこの学校を去るはずなのに、
頭の中では、見捨てらない疑問が
次々と湧いてくる。
なんなんだよ全く。
君が、もし僕の通っていた
私立小学にいたような、
何の特徴もない男だったなら、
僕は何も迷うことなんてなかったのに、
心置き無く東京に帰れたのに。
黒板の前に立つスキンヘッド、
窓の外で突然消えた林、
目の前に座るパーカーを逆に着て、
学校にテストを持ってくるようなバカ。
そのすべてが、
授業を受けている僕の中で
ドカドカと暴れ回った。
授業の内容なんて
何一つ頭に入ってこなかった。
廊下側から順番で回ってくる
本読みを無難にこなすと、
無心で黒板を眺めることしかできなかった。
頭の中のさまざまな謎は、
授業が終わるギリギリまで
どんちゃん騒ぎを続けていた。
そんな中、目の前の氷上は
自分は部外者であるかのように、
気持ち良さそうな、いびきをかいていた。
ようやく授業が終わる
5分前に差し掛かったとき、
窓を叩く音が聞こえた。
コツコツ、コツコツと鳴るその音は、
不規則なリズムを刻んでいた。
僕は黒板から目を離して、窓の外を確認した。
「おい、氷上! 横見てみろ!」
僕は叫んだ。
味気ない国語の授業の静寂を切り裂き、
皆の視線が僕に突き刺さった。
「んえ? 何だよ武藤。
もう授業終わったのか?」
「違うよ! 外だよ外! 見ろよ、左側!」
氷上は邪魔くさそうに顔をあげた。
しかし窓の外を見るやいなや飛び起きた。
その反動で、彼の椅子が
僕の机にぶつかってこけた。
突然の出来事に何が起こったのか
気になった廊下側の人たちが、
こちらの様子を見るために席を立っている。
窓の外を見つめる氷上の横顔には、
これまでに見たこともないような
焦りの色が見られた。
「えっ? どないしたん?
窓の外になんかおるん?」
天風さんが、こちらに歩いてきて、
僕の横にある窓から身を乗り出した。
「なぁんや、何もおらへんやんか」
彼女は窓の外を見回しながら言った。
他の子たちもそれに同調した。
「どないしたんよ? 2人とも」
「氷上、君は見えてるんだろ?」
僕は天風さんの質問に答えずに、
呆然としている氷上に言った。
「もちろん」
氷上は目線をピクリとも動かさなかった。
「えっ? 何なんあんたら?
急にどないしたん?」
天風さんも、他のクラスメイトも
皆が同じようなことを口走っていた。
そんな中、先生は
「ん、あと授業2、3分で終わるから、
みんな席について」と言い回っている。
もう、誰もが授業を
続けれるような状態ではなかった。
しばらくすると、
僕と氷上にしか見えていない、
窓を鳴らした張本人が
ゆっくりと口を開いた。
「お前にも、おいらが見えるんだな」




