閑話~侯爵家従僕と赤い軌跡の遭遇~
侯爵家の従僕タナカは廊下を黒い彗星ばりの速度で徘徊する何かを目撃しました。
タナカは侯爵家ご子息にお仕えする従僕でございます。お坊っちゃまは本日、仮初めの婚約者ローラ=バッカス様とのご婚約を正式なものにするためにバッカス邸に訪れました。
ローラ様にお会いしたことはございませんが、世間ではみそっかすと評判の残念なご容姿と聞いています。蓼食う虫は好き好きと申しますが、正直どこがいいのか謎でございますね。
通算25回目にして、未だ婚約者のローラ様と直接面会することが叶わない哀れなお坊っちゃま。いい加減諦めろよ、とかイケメンざまぁとか思ったりしないでもありませんが、タナカは立派な従僕ゆえ決して顔には出しません。ええ、でも、心の中で叫ぶのは自由だと思うのですよ。世の中、顔と金と権力だけで手に入らないものは沢山あるのです。あれだけもててる坊ちゃまがふられ続けるのは胸のすく思いがします、はい。
坊ちゃまは今、湯殿を借りてますので忠実な従僕としては湯上がりの飲み物をご用意しに食堂に伺います。茶器をお借りして銀色のお盆に載せて、坊ちゃまにあてがわれた部屋まで伺います。
しかし、子爵家は侯爵家と違って何というか、慎ましやかで趣がございますね。
廊下は薄暗く、灯りは今にも消えそうです。風の吹き付ける音に立て付けが悪い窓がガタガタ鳴ります。やだ、ちょっと怖い。何かでそう。時折、子爵の書斎の前ですすり泣く声が聞こえたり、無人のはずの階上から足音が聞こえたり…この邸に滞在してからおかしなことの連続で心が挫けそうになります。
その時でした。廊下を駆け抜ける影が視界の端を疾風のように通りすぎました。ベージュの布の隙間から赤い何かがはみ出していました。あまりの速度の速さに目で追うことができず、驚きすぎて顎が外れました。手に持ったお盆はなんとか死守しました。
おっと、いけない。侯爵家の従僕たるもの些事で取り乱すのはよろしくありません。タナカは眼鏡の縁を指で押し上げ、顎を自力で整復しました。
それにしても今のはなんだったのでしょう。いえ、怖いので深くは追求しないことにします。
「食堂か」
気になりましたが、なかった事にして坊ちゃまのお戻りをお部屋で待つことにします。早く戻ってきてください、お坊っちゃま。
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