第三章 明日死んでも 二
二
何かが近付いてくる音に囲まれ、全員、それぞれの得物を掴む。夕龍だけは何も持たずに視線を巡らせていたが、やがてふと、緋緒を見た。握った銃で肩を叩いていた彼女は、視線に気付いて怪訝な表情を浮かべる。
目が合った時、夕龍が走った。あろうことか緋緒の腰を引き寄せて片腕に抱え、高く跳躍する。その足下を、恐ろしい速さで何かが過ぎて行った。
鈍色に光るその姿は、金竜だ。緋緒がいた辺りで大きく開いていた口を閉じ、竜は視線を上向かせた。これは見えているのかもしれないが、やはり腹が赤くただれている。邪竜だろう。
見上げてくる竜を視線だけで見下ろして、緋緒が笑った。右手の銃が構えられ、邪竜が上昇しようと顔を上げたとたん、わずかに発光する弾丸が打ち出された。竜の頭が弾け飛んだ後も続けて何発か撃ち込んでから、彼女は着地した夕龍の胸を離せとばかりに叩く。
しかし彼の太い腕は、離れなかった。思い詰めたような表情で、視線を落としている。緋緒は嫌そうな顔をした。
「夕龍、はな……」
言いかけてやめ、緋緒は目を細くする。一瞬の間の後、四方を囲む森から、七体の竜が飛び出してきた。夕龍はそれでようやく我に返り、手を離す。
一体は、抜いた刀で牙を受け止めた芙蓉へ。一体は、飛び上がって避けた碧龍へ。二体は、両手で鼻先を掴んで止めた夕龍と、緋緒へ。残りの三体は、棍で食い止めた黒龍へ。それぞれ踊りかかり、バラバラに体勢を立て直す。
「雪火、笛を」
いいのかと思ったが、素直に従った。龍の動きが鈍る方が問題のような気もしたが、よくよく考えてみれば、龍に効き始める頃には邪竜の動きも止まっているだろう。すでにリードをつけておいた篳篥を取り出して、期をうかがう。
真っ先に動いたのは、緋緒だった。夕龍が鼻先を掴んだ一体に銃口を向け、まず一発。邪竜は身をよじって避け、緋緒に向かって大きく口を開いた。彼女は慌てることもなく、その口腔へ更に撃ち込む。
頭を下げてそれも避け、竜は地面すれすれで横に一回転した。尾が緋緒の足めがけて振られるが、彼女は銃を構えたまま難なく後ろへ跳んで避ける。
そのまま空中へ逃げた邪竜を、銃口が追う。降下を始めたタイミングを見計らい、緋緒はまた一発撃ち込む。流れ弾の心配をしているのか、今日は慎重だ。
今度は命中したが、背中を抉っただけだった。竜は鼻っ面にシワを寄せ、怒りもあらわに頭から突っ込む。
しかし横から投げつけられた大きな物体にまともに当たり、吹っ飛んだ。同じ姿をしたそれは、夕龍が投げた邪竜だ。鼻先が真っ赤にただれており、掴まれたことで熔けたのだと推測できる。
夕龍は眉間にシワを寄せ、厳しい表情を浮かべていた。動きを止めた緋緒をちらりと見てから、もつれあうようにして倒れた竜の下へ走る。
目を奪われていた雪火は、金属同士がぶつかり合う高い音に驚いて、そちらを向いた。構えもせず、刀に手をかけたまま碧龍が立っている。怪訝に彼と対峙していた邪竜を探してみれば、上空から滴り落ちる血が見えた。
見上げると、背に刀傷のある竜が碧龍を睨んでいる。避けられたがかろうじて背中をかすめた、といったところだろうか。碧龍の表情には、前回より余裕が見える。一対一になったせいなのか、また別のことが起因しているのか。
邪竜は低いうなり声を上げ、碧龍めがけて降下する。受け止めるつもりなのか、彼は姿勢を低くして刀の柄を握った。目と鼻の先まで引き付けてから抜刀したが、邪竜も易々とは斬らせてくれない。振り抜いた刀を飛び越えるようにして避け、長い尾を振る。
すぐさま横へ飛び退いて避けた碧龍は、次の瞬間舌打ちをもらした。納刀する間もなくのけぞりながら跳んだ彼の足すれすれを、鋼の矢が飛んで行く。邪竜がすれ違いざまに放ったようだ。
全て避けたかと思われたが、刀を握っていた腕がやや下がっていたため、わずかにかすめた。碧龍は顔をしかめつつそのまま宙返りして、着地すると同時にいったん納刀する。その間にも、方向転換した邪竜が彼の背めがけて突進していた。
あれは避けられない。見ているだけの雪火でも思わず拳を握ったが、碧龍は肩越しに振り返るだけだった。そして、にやりと笑う。その手はもう、刀を抜き放っていた。
竜が口を開けたのと、碧龍が刀を抜きながら振り返ったのは、ほぼ同時。そこから攻撃に繋げたのは、空気抵抗の少ない碧龍の方がやや速かった。
「一抜け」
呟いた碧龍の刃は、かなりの速度だったにも関わらず、正確に竜の首をとらえていた。甲高い音が響いたかと思うと、邪竜の首に走った赤い切れ目から頭がずれ、地面に転がり落ちる。
一度振り向いた時に、位置を確認していたのかもしれない。それにしても、ぞっとするほどの腕だ。
「いいや、俺が先だ」
応えたのは、被害が及ばないようにと雪火から離れていた黒龍だった。棍の先では、邪竜が木に縫い止められて小さく痙攣している。いつの間にか、一体仕留めていたらしい。
「お前さんは終わっとらんだろ。俺が先だ」
「終わっていないのが分かるなら手伝え」
「やなこった」
黒龍を手伝う気はさらさらないらしく、碧龍は雪火の側へ歩み寄る。にいと笑いかけてタバコに火をつける彼に、雪火は怪訝に眉をひそめた。
碧龍は小さく笑い、芙蓉を指差す。彼女は先ほどから、時折打ち合っては距離を置き、を繰り返していた。お互い決定的な一撃がないのは、未だ出方をうかがっているせいか。
「ちょっと待ってな、多分まだ来るぜ。芙蓉が終わった辺りが頃合いだろう」
まだ吹くなと言いたいのだろう。雪火はうなずいて、いつでも動けるよう笛を握り直す。
仲間を殺されたことが憎いのか、邪竜は鼻の頭にシワを寄せ、芙蓉を睨んでいた。先ほどから唸り声こそ上げているものの、彼らは口を利く気配を見せない。目が見える代わりに、言葉は喋れないのかもしれなかった。
相手の動揺を感じ取ったか、芙蓉が動いた。手にした刀の刃を下にして、姿勢を低くしたまま走る。竜はその場で微動もしないまま、彼女を睨み続けていた。本腰を入れて戦う決心でもついたのだろうか。
自分の間合いの内へ入ると、芙蓉は刃の向きを変え、牽制するように刀を振った。竜は難なく避けたが、刃は振りきられる前に反対側を向く。上半身だけを引いてそれも避け、竜は刀が通りすぎると同時に口を開けて首を突き出した。
芙蓉は避けずにベルトから鞘を抜き、牙を受け止めた。果たして何で出来ているものなのか、噛み付かれても鞘自体にはヒビ一つ入らない。しかし、さすがに芙蓉の力は竜のそれには敵わなかった。
邪竜は頭を大きく振って鞘を奪い取り、放り投げる。その間に、芙蓉は刀の向きを変える。にらみ合う両者が再び攻撃に転じたのは、ほぼ同時。
上へ振った頭をその位置から下ろし、邪竜は牙をむく。一方芙蓉も、腕を大きく引いて喉めがけて突く。
高い金属音が立ち、一瞬両者の動きが止まった。切っ先は牙に止められており、芙蓉が苦い顔をする。即座に飛び退いて追撃を避けた彼女は、下げられた首に刀を振る。
それも引いて避けられ、芙蓉はそのままの勢いで一回転した。すかさず放ったもう一撃は、鋼の鱗に阻まれる。一旦退こうとすれば牙が襲いかかり、彼女は刀を立てて受け止めた。芙蓉も以前より少し、慎重になっているように思える。
やや、時間がかかっている。にわかに焦りを覚えて、雪火は空を見上げた。何が来ているわけでもないが、碧龍の言葉が気になっていた。彼が言うなら、ただの憶測ではないはずだ。
移した視線の先では、黒龍が未だ二体を相手取っていた。こちらは以前となんら代わりなく、挑発するように逃げては棍を繰り出している。どことなく愉しそうに見えるのは、気のせいだろうか。
回した棍が、邪竜の頭部を直撃する。よろけた隙に棍を引き、踏み込むと同時に肉薄していたもう一体を突く。軽くあしらわれたが、彼はまだ笑っている。
黒龍は引いた竜を追うように、突いた先から更に一歩踏み出し、今度は下から払った。頭部を強かに打たれ、邪竜の角が根本から折れる。大きくバランスを崩したところで、上から頭めがけてもう一撃。
悲鳴はなかった。巨大な棍に頭を砕かれ、竜の顔が原型をとどめないほどに歪む。崩れた頭から地面に突っ込んだ竜はしばらく痙攣していたが、やがて動かなくなった。
末路を見守る間もなく、黒龍は体勢を立て直した一体が動く前に、その場から飛び退く。邪竜といえど仲間を殺されて憎いという感情はあるのか、大きく顔をゆがめていた。
彼らは自分より人間らしいのではないかと、雪火は思う。育ての親が死んだ時も、研修中面倒を見てくれていた先輩が死んだ時も、彼女は泣かなかった。悲しいとも嬉しいとも、思わなかった。そもそも、育ての親のことは憎んでいた。
だが今の同僚が死んだら、どう思うだろう。全員殺しても死ななさそうだが、こんな仕事をしている限り、その危険はある。竜士時代は考えもしなかった事が、彼女を揺さぶっていた。
雪火でも、誰かの役に立ちたいと思うことはある。思うだけで行動を起こしたことはなかったし、誰のためにと聞かれたら、悩んでしまうだろう。顔も知らない誰かのために仕事をしようとは、到底思えない。
だから、同僚たちが不思議だった。何のためにあんなに頑張るのか、雪火には分からない。分からないけれど。
「緋緒様!」
夕龍の絶叫に、我に返った。同時に、条件反射のように笛を口元へ持って行く。
緋緒の顔面すれすれを、頭のない竜の爪がかすめた。ものによっては、頭がなくても動けるようだ。さすがの彼女もどこを撃ったらいいか分からないようで、顔をしかめて逃げるばかりだった。
あれは人を、食いすぎたのかもしれない。ならば情けは無用か。元々かけるような情など持ち合わせていない。
首がなくても、笛は効く。音はどうでもいい。音に乗せた霊力は、どんな妖にも効く。
「耳をふさいで」
あの人は、死んではいけない。他の誰かに必要とされるものなら、きっと必要なのだ。
「ひっ」
一番近くにいた碧龍が聞いたこともないような声を上げ、邪竜が一斉に耳障りな悲鳴を上げた。笛の音がかき消されたとて、その効力が失せるわけでもない。
篳篥の音は邪竜の絶叫よりずっと高らかに、やかましく聞こえた。風流を愛する歌人達がこの音を嫌ったという理由は、他の三管と比較して聞けばおのずと判る。だが雪火は、けだものの悲鳴よりはいくらかマシだと思う。
首のない邪竜が、痛みに悶えるように地面の上でのたうつ。動きを止めなくても充分ではないかと、雪火は思う。
奏でる旋律は、いつもの雅楽調ではなかった。妖が特に嫌がるフレーズと音だけを並べた、退魔のためだけに吹かれる曲だ。曲として聞けばでたらめで、呪歌として聞けばこの上ない。
普通の妖なら、五秒ともたない。また奏者の霊力も、生半可な消費では済まない。雪火自身、これほど長く吹いたのは初めてだったろう。つまり、それほど強力な呪いだ。
邪竜は激しくのた打ち、龍達はしかめっ面で耳をふさいでいた。緋緒に迫っていた竜を止めようとしていた夕龍でさえ、両の耳に手のひらを当てて身を硬くしている。芙蓉だけは呆けたように立ち尽くして、ぼんやりと音色を聴いていた。
やがて緋緒が唇の端を上げ、笑う。そこで雪火は、彼女はまたわざとやったのではないかと、酸欠でかすむ頭で考えた。或いは、霊力が足りなくなってきているのかもしれない。
やはり、動きを止めるまでは出来そうにない。所詮自分はこの程度なのだと、雪火は心中自嘲する。
「さて、そろそろうるさいな」
緋緒は未だ暴れる邪竜に歩み寄り、その首をわしづかみにした。赤くただれた喉が、彼女の手のひらの形にえぐれる。黒煙が立ち上り、肉の焼ける臭いが漂う。
さらに激しく暴れる邪竜の首に銃口を突っ込み、緋緒はそこに数発撃ち込んだ。はぜる事こそなかったものの、竜の体が弛緩する。そこでやっと、雪火は笛を離した。
ひどい頭痛がする。邪竜たちは、未だによろめいてまともに動けないようだった。それは龍も同じことで、各々苦い表情のまま頭を振る。一人元気な芙蓉は、不思議そうに龍を見ていた。
「よくやった」
緋緒の声にうつむかせていた顔を上げると、彼女は笑っていた。雪火は何も言えないまま、会釈だけする。痛む頭の片隅で、思う。
あの人は、死にたいのではないだろうか。
「死んでもいいと思っているだろう」
何か熱いものが、背から首筋を這い上がった。雪火は答えられず、緋緒を見ることも出来ないまま、黙り込む。
「五星である自覚を持て。従えている龍に対して失礼に当たるようなことは、思ってはならん」
どうしてそれが失礼に当たるのか、自覚を持ってどうなるのか、雪火には分からなかった。分からなかったが聞くことも出来ず、ただただ、うなずく。
「いって……容赦ねえな」
ぼやきながらも最初に立ち直ったのは、さすがと言うべきか碧龍だった。地面に突っ伏したまま荒い呼吸を繰り返す邪竜に近付き、刀を抜く。竜は視線を上げて身を起こそうとしたが、力が入らないようだった。
「無抵抗の相手どうにかすんのは、好きじゃないんだがな」
言葉とは裏腹に、碧龍の刀は真っ直ぐ邪竜の首に降り下ろされた。鋼の鱗が砕け、首が分断される。あふれ出た血が地面を濡らし、黒く染めた。
その時、にわかに緋緒が顔を上げた。空を見上げるその目は鋭く、睨んでいるようにも見えた。
「あーあ、来ちまったか。こっちも回復しきってねえのに」
ぼやいた碧龍は、視線で雪火をうながす。緋緒に歩み寄る彼に着いて行く間に、芙蓉も駆け寄ってきた。黒龍と夕龍は、未だ渋い表情を浮かべたまま動かない。
「おい、どうする。多分あいつらちょっと厳しいぞ」
「軟弱な」
呟いて、緋緒は手ずから殺した邪竜の死骸を足でよけた。碧龍は呆れたように眉を歪め、ちらりと黒龍を見る。
「黒龍は来るまでにはなんとかなりそうだが……セキは若い。厳しいだろ」
「ならばなんとかするまでだ」
若いというのがどういうことなのか、雪火にはわからなかった。元々の素質の差はあれど龍は歳を重ねるにつれて強くなるというから、抵抗力も関係あるのかもしれない。
「どうにかってお前、また……」
「どうせ金しか来ない。焼き払」
「緋緒」
いつになく強い芙蓉の声に呼ばれ、緋緒は口をつぐんだ。虚を突かれたように目を円くする彼女に、芙蓉は微笑みかける。普段と何ら変わらない笑顔が、雪火をようやく落ち着かせた。
「一人で無茶しないで。君が思ってるより、君のことが好きなひとはいっぱいいるよ」
緋緒が息を呑み、動揺を隠すように顔をしかめた。芙蓉が何故そんなことを言ったのか、雪火にも分かる。竜は、主人の霊力を食って術を使うためだ。
だから、竜士はめったに竜に術を使わせない。人間が使う時の比ではないものの、莫大な力を必要とするせいで、自分がばててしまう。更に龍ともなれば、竜の比ではないだろう。
芙蓉は気付いているのではないかと、雪火は思う。毅然とした緋緒の、奥底にある何かに。雪火のそれとよく似た、暗闇に。
「雪火、大丈夫?」
はっとして顔を上げると、芙蓉が覗きこんでいた。思わず目をそらし、うなずく。彼女はため息にも似た笑い声をもらした。
「無理しちゃダメだよ。君は一人しかいないんだから」
雪火は言葉を失った。こんなこと、初めて言われた。今まで、ここまで個人として気にかけてくれた人間が、恩師以外にいただろうか。
血の繋がった人間ですらあんなにも厭うのに、どうしてこんなふうに接することが出来るのだろう。どうして、気味が悪いと思わないのだろう。
どうして。
「おいお前ら、さっさとしろ!」
碧龍の怒鳴り声に弾かれたように、二体は同時に動いた。
黒龍は何のためらいもなく、足下に伏した邪竜の脳天に棍を突き立てた。あれだけで動かなくなるのは、龍の力が起因しているのだろうか。
夕龍はしばし逡巡した後、ため息をついて苦しげにのたうつ竜へ歩み寄る。彼もやはり抵抗があるのか、顔をしかめていた。いや、苦い表情は笛のせいかもしれない。
やがてもう一つ憂鬱なため息をもらし、夕龍は邪竜の角を掴んで起こす。全身で息をする竜にはもう、抵抗する力も残っていないようだった。
夕龍が首を両手で掴むと、竜はかすかに呻いた。だが、それだけだ。肉が焼けるような嫌な音が立ち、熔けた鱗が滴り落ちているというのに。それで雪火は、あと一歩だったのだと気付いた。
夕龍は邪竜の首を握りしめ、一思いに捻る。太い枝を踏み折ったような嫌な音とともに、竜の頭がおかしな方向を向いた。それきり、動かなくなる。
みたびのため息と共に、夕龍は邪竜の死骸を地面に落とした。雪火はうちひしがれたような彼の様子に、申し訳なくなってくる。困り果てている内に雪火のそばまで来ていた黒龍が、彼女を見下ろして苦笑いした。彼も、苦しそうだった。
のろのろと緋緒の下へ戻った夕龍は、主の顔を見て首をすくめた。見れば、彼女は眉間にシワを寄せている。それよりも雪火には、彼に言わなければならないことがあった。
「……夕龍」
驚いて雪火を見下ろした彼は、はっとして彼女の方へ身を乗り出した。しかし何を言ったらいいか分からなかったようで、困ったように眉を寄せて黙り込む。一方雪火も、どう謝ったらいいか分からず黙っていた。
二人で沈黙しているうち、背中を叩かれた。冷えた手のひらの感触に振り向くと、ネクタイが見える。
改めて見上げると、黒龍がいた。どこか愉快そうな笑みを浮かべている。雪火はうんざりして、夕龍に向き直った。
「あの、すみませんでした」
「いえ……! そんな」
「おい、和んでる場合じゃねえぜ」
言いながら、碧龍は空を見上げる。つられて見ようとした時、視界が陰った。
「ウソだろう……」
呟いた黒龍は、顔をひきつらせていた。見上げた空には、赤い腹がうごめいている。
数十はいるだろうか。腹しか見えないからなんとも言えないが、あれが全て金竜だとしたら、金はかなりまずい状態なのだろう。いや、悠長に考えている場合でもない。
また、笛を使うか。しかしこれ以上は、龍達の体への負担が怖い。さっきまでのように、各個撃破しか方法はないのだろうか。紅がいればまだ楽だったろうに。
呆然としていると、横から聞き慣れた銃声が連続して聞こえた。同時に、上空を旋回していた邪竜が三体、地面に落ちる。
「いい的だな」
涼しい顔で言ってのけた緋緒は、再び上空に向かって連射する。また何体かが弾丸に貫かれ、落ちてきた。
近い距離ではない。相手も止まっているわけではない。それでも正確に頭を撃ち抜く彼女の技量に、雪火はぞっとした。
「俺らはさすがに当たらんぜ」
呆れたようにぼやいて、碧龍は腰の刀を軽く叩いた。緋緒は鼻で笑う。
「減らしてやるからなんとかしろ」
「主、そんなまた無茶を……」
「役立たずは黙っていろ」
肩を落とす夕龍に、芙蓉が苦笑いしていた。雪火は首が痛くなって、頭を戻す。
あの数を、倒せるだろうか。いっそ龍達に離れてもらって、笛を使った方が早いのでは。考えながら、雪火は視線を流して道を確認する。
――ダメだよ。
頭の中に聞こえた声に、どきりとした。慌てて見回すも、誰も気付いた様子がない。
――戻って。そんなことしないで。
この声を、雪火は知っている。注意深く平地を囲む木々の間を見ていると、発砲音が止まった。
見れば、緋緒が怪訝な表情を浮かべて森の中を注視している。他の面々は、空を見上げて首をひねっていた。降りてこない上に攻撃する様子もなければ、彼らでなくともおかしいと思うだろう。
――帰ろう。
緋緒の視線の先に、少年がいた。年齢の割にあどけない顔立ちと、病的に青白い頬。
また。見間違えようはずもない幼なじみの姿に、雪火は動揺する。どうして、また。こんなところに。
「おい……なんで退くんだよ」
碧龍の声に慌てて見上げると、邪竜達はぱらぱらと山頂の方へ向かって行く。結局、降りてくるものはなかった。
改めて見ると、辰輝の姿ももうない。嫌な予感しかしなかった。
彼は、何をしていたのだろう。彼の呼びかけに、どうして邪竜が従ったのだろう。疑問は山ほどあったが、考えたくなかった。
「帰るぞ」
ゆるく頭を振って、緋緒が呟く。疲れきったその声にはいと答えたのは、夕龍だけだった。