Episode 002-1: 処刑座標
北へ向かう北狼号。 道路や除雪車が、丸くえぐり取られて消滅していく。 それはNo.01による「掃除」でした。 物理法則を無視した消失現象が、タケルたちの行く手を阻みます。
【登場キャラクター】
高瀬タケル: 右目の警告ログに従い、消滅の危機を感知する。
権田テツオ: 穴だらけになった道路を神業的なハンドル捌きで回避する。
Part 1: Spatial Corruption
バタバタ、バタバタバタバタバタッ!!
絶え間ない騒音が、思考を物理的に削り取っていく。
それは、風圧で剥がれかけたガムテープが、トラックの装甲を叩き続ける音だった。
北狼号の助手席。
俺の目の前にあるのは、透明なガラスではない。
泥と雪にまみれたベニヤ板と、ひしゃげたトタン板だ。
先ほどの戦闘で消滅したフロントガラスの代用品。
テツオが廃材置き場から拾ってきた「ゴミ」が、今、俺とマイナス二〇度の外気とを隔てる唯一の壁だった。
キリキリ、キリキリ……。
板を固定している針金が、風の力で締め上げられ、悲鳴のような金属音を上げている。
いつ弾け飛んでもおかしくない。
もしこのベニヤが外れれば、時速六〇キロの冷気が直接顔面を直撃し、俺の眼球は瞬時に凍結するだろう。
ここはシェルターなんかじゃない。
ただの、高速で移動する鉄の棺桶だ。
「……クソッ。」
俺は小さく悪態をつき、ユニクロのダウンジャケットの襟を強くかき合わせた。
寒い。
ヒーターが唸りを上げているはずなのに、足元の隙間から侵入してくる冷気が、容赦なく体温を奪っていく。
背中が冷たい。
さっきの戦闘でかいた脂汗が、冷やされて氷の膜のように肌に張り付いている。
人を殺した時の熱。
それが冷えていく感覚は、自分が少しずつ人間ではなく、冷徹な物質へと変わっていくような錯覚を俺に与えた。
隙間から、白い光が漏れてくる。
石狩の吹雪。
その病的なまでに白い光が、薄暗いキャビンの中をまだらに照らし出し、俺の顔の上をバーコードのように横切っていく。
「……おい、少年。」
運転席から、テツオの低い声がした。
彼はサングラスをかけたまま、前方のわずかに残された視界を凝視し、ハンドルを微動だにさせず握りしめている。
「吐くなら窓の外にしろよ。……窓、ねえけどな。」
「吐かない。……ただの振動だ。」
俺は短く返した。
酔っているわけじゃない。
ただ、脳が情報を処理しきれずにオーバーヒートしているだけだ。
俺は右目を手で覆った。
眼球の奥が、焼け火箸を突っ込まれたように熱い。
【Target Distance: 11.8km】
【Warning: Spatial Error Detected】
まぶたを閉じても消えない、赤い警告ログ。
これが俺の視神経を焼き、強制的に「目的地」へと引きずり込んでいく。
俺は元コールセンターのSVだ。
仕事柄、トラブルには慣れている。
システムのエラー、理不尽な顧客の怒号、オペレーターのミス。
それら全てには「原因」があり、マニュアルに基づいた「対処法」があった。
AがダメならB。BがダメならC。
論理さえ積み上げれば、どんな混沌も必ず沈静化できた。
だが、今はどうだ。
俺の目の前で起きている事象には、マニュアルなんて存在しない。
原因不明のエラー。
対処法なし。
管理者は不在。
ただ、「進め」という強制命令だけが、バグったコードのように脳内でループしている。
「……見えてきたぞ。」
テツオが言った。
俺は手を退け、ベニヤ板の隙間から外を覗き込んだ。
白い。
視界の全てが、乳白色の絵の具で塗り潰されている。
ホワイトアウト。
だが、俺の右目には、その「白」の向こう側にある異変が見えていた。
道路脇のガードレール。
雪に埋もれながらも、確かにそこにあるはずの鋼鉄の列。
それが、不意に途切れた。
雪に埋もれたのではない。
折れたのでもない。
パチリ。
乾いた静電気のような音と共に、ガードレールの一部が、唐突に「無」になった。
「……は?」
俺は思わず声を漏らした。
今、何が起きた?
爆発も、衝撃音もない。
まるで、フィルム映画の一コマをハサミで切り取ったように、そこにあった物質が、空間ごとごっそりと消滅したのだ。
残されたのは、綺麗な断面を見せる雪の壁だけ。
気持ち悪い。
生理的な嫌悪感が、胃の腑からこみ上げてくる。
物が壊れるには、過程が必要だ。
曲がる、折れる、砕ける。
その物理的なプロセスを無視して、結果だけが「消失」として提示される。
それは俺の知っている物理法則への冒涜であり、脳が理解を拒絶する「バグ」だった。
「……見ろ。前だ。」
テツオの声が鋭くなった。
前方の白い闇の中から、巨大な影が浮かび上がってきた。
放置された大型の除雪車だ。
黄色い回転灯が虚しく明滅している。
運転手は逃げ出したのか、それとも中で凍っているのか。
数トンの鉄塊が、道を塞ぐように鎮座している。
避けられない。
ぶつかる。
「……止まるか?」
俺が叫ぼうとした、その時だった。
スコープのような赤い光が、除雪車の上に音もなく落ちた。
一瞬の閃光。
パチュン。
軽い音だった。
テレビの電源を切る時のような、あまりにも軽い消失音。
次の瞬間、除雪車の上半分が消えていた。
「……ッ!?」
爆風はない。
金属片も飛び散らない。
キャビンからエンジンルームの上部にかけて、直径二メートルほどの綺麗な「球体」状の空間が、ただ「無」に置換されていた。
断面は鏡のように滑らかだ。
中のシートも、ハンドルも、エンジンブロックも。
そこにあったはずの全ての質量が、どこへ行ったのかも分からず、ただこの世からデリートされた。
北狼号は、その「えぐり取られた」除雪車の脇を、速度を緩めずにすり抜けた。
一瞬、断面が見えた。
金属の断面が、虹色に妖しく光っているのが見えた気がした。
「……なんだよ、あれ。」
俺の口から、乾いた笑いが漏れた。
恐怖を通り越して、滑稽ですらあった。
あんなの、どうしろって言うんだ。
防御? 回避?
無理だ。
あんなふうに、理屈も過程もなく「消される」なら、俺がどんなに足掻こうと、鉄パイプを振り回そうと、意味なんてないじゃないか。
俺たち人間は、パソコンの中のデータじゃない。
血が通ってて、骨があって、痛みがあるんだ。
それを、あんなマウスのクリック一つみたいな軽さで消すなんて。
「……ビビってんのか、少年。」
テツオが、サングラス越しに俺を一瞥した。
その口元には、未だに火のついていない煙草が揺れている。
「ビビるだろ。……あんなの、反則だ。」
「反則ねえ。……だが、ルールブックを持ってるのはあっちだ。」
テツオはハンドルを切り、道路上の新たな「穴」を避けた。
「見ろ。地面ごと逝ってやがる。」
彼が避けた場所。
そこにはアスファルトがなく、下の土ごと半円状にえぐり取られていた。
底が見えない。
ただの穴ではない。光さえも吸い込むような、絶対的な黒。
「あいつはな、狙ってるんじゃねえ。……掃除してんだよ。」
「掃除?」
「ああ。俺たちみたいな『異物』を、画面から消しゴムで消すみたいにな。」
消しゴム。
言い得て妙だ。
俺たちは、美しい白いキャンバスに落ちた、汚らわしいインクの染み。
だから、修正液で塗り潰される。
理不尽だ。
納得できない。
俺は、俺の人生は、誰かに修正されるようなミスプリントなんかじゃない。
右目の痛みが強くなる。
【Target Name: MACHIMURA TSUKASA】
【Rank: No.01】
名前が出た。
町村ツカサ。
No.01。
一番最初の数字。
こいつか。
こいつが、俺たちをゴミのように消そうとしている「掃除屋」か。
俺はベニヤ板を拳で叩いた。
痛みで、震えを止める。
「……上等だ。」
俺は吐き捨てるように言った。
SVとしての論理は、もう役に立たない。
なら、狂うしかない。
このふざけた「消去」に対抗するには、俺自身がシステムのエラー(バグ)になって、あいつの計算を食い荒らすしかない。
「近づけば、消される前になんとかなるか。」
「近づければな。……だが、相手は俺たちの位置が見えてるぞ。」
テツオが空を指差した。
トタン板の隙間から見える、鉛色の空。
そこに、赤いレーザーのような光線が、無数に走っているのが見えた。
照準。
俺たちは既に、まな板の上の鯉だ。
それでも、北狼号は止まらない。
エンジンが咆哮を上げ、雪煙を巻き上げて加速する。
俺たちの乗った箱舟は、死の荒野へと深く、深く沈んでいく。
俺は鉄パイプを強く握りしめた。
その冷たさだけが、今の俺を繋ぎ止める唯一の真実だった。
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ガードレールも、雪も、音もなく消えていく不気味さ。 「俺たちは書き損じのインクの染みだ」 テツオの言葉通り、世界は彼らを修正しようとしています。 次回、ついに「音」すらも奪われます。




