Episode 001-2: 鋼鉄の洗礼
吹雪の中を走る北狼号。 タケルの脳内には、殺した少年の記憶と「13の戒律」が強制ダウンロードされていました。 運転席のテツオに対し、疑心暗鬼になったタケルは凶器を突きつけます。
【登場キャラクター】
高瀬タケル: 殺人の感触と脳内ログに苦しむ。
権田テツオ: 軍用無線を傍受し、世界の状況を冷静に分析する。
Part 2: Residue of the Soul
キィィィィン……。
耳障りな金属音が、鼓膜の底を削り続けている。
それは北狼号のフロントに装着された巨大なV字プラウが、凍てついたアスファルトと氷塊を粉砕しながら進む音だった。
車外はマイナス一五度の地獄だ。
ヘッドライトの光さえ飲み込む猛烈な地吹雪。
世界は上下左右の感覚を失うほどの「白」に塗り潰されている。
対照的に、キャビンの中は窒息しそうなほどの熱気と、油の匂いに満ちていた。
唸りを上げるディーゼルエンジンの振動。
染みついた安タバコの煙。
そして、俺自身から立ち昇る、鉄錆と血の混じった生臭さ。
ここはシェルターではない。
逃げ場のない鉄の棺桶だ。
「……。」
俺は、助手席で自分の掌を見つめていた。
薄汚れた軍手は、もう元の色が分からないほど赤黒く変色している。
拭っても落ちない。
皮膚の溝に染み込んだのは、ただの血液ではない気がした。
あの時。
鉄パイプが、見えない少年の頭蓋を捉えた瞬間。
ガゴッ、という硬質な抵抗。
その後に訪れた、グシャリと濡れたものが崩れる感触。
生々しい振動が、指先の神経に焼き付いて離れない。
俺はモノを壊したのではない。
命を、未来を、一人の人間を、この手で終わらせたのだ。
視界の隅がチリチリと焼ける。
岩滑ソウ。俺が殺した少年。
彼が纏っていたボロボロの布切れ――『遺物』の残滓だろうか。
俺の足元の影には、常に砂嵐のような黒いノイズがこびりついている。
瞬きをしても消えない。
それは死者の呪いのように、あるいは壊れたテレビ画面のように、俺の視界に寄生していた。
ヒーターの風が生温かい。
その温もりが、かえって俺の肌を粟立たせる。
俺は人殺しだ。
その事実を、この閉鎖空間の熱が逃がしてくれない。
俺は口の中に溜まった鉄の味のする唾を、音もなく飲み込んだ。
---
不意に、そのノイズが形を変えた。
眼球の裏側から、焼印を押されるような鋭い痛み。
【Download: 13 Protocols】
幾何学的なラインが走り、視界の中央にウィンドウが強制展開される。
拒否権はない。
脳髄に直接流し込まれる情報の奔流。
【第1戒律:生存は義務である。】
【第2戒律:捕食は権利である。】
【第3戒律:力なき者の死は、必然の再分配に過ぎない。】
……
無機質なフォントで羅列される、一三の条文。
残酷な理屈だ。
弱肉強食を肯定するだけの、冷徹なルール。
人を殺して奪い、生き延びることを「義務」と呼ぶのか。
ふざけるな。
俺は奥歯を噛み締め、その文字列を睨みつける。
こんな狂ったルールを、俺の頭の中に流し込んでくる奴がいる。
ヤマトとサチを連れ去った連中だ。
あいつらは、俺から日常を奪っただけじゃ飽き足らず、俺の精神まで汚染しようとしているのか。
俺を、あのヘリから降りてきた男のように、人を殺しても何とも思わない怪物に変えようとしているのか。
「……させるかよ。」
俺は呻くように呟いた。
誰が従うものか。
脳裏に蘇る光景がある。
黒いヘリの風圧に晒されながら、ヤマトは恐怖に顔を引きつらせていた。
それでも、あいつは最後までサチを庇うように抱きしめていた。
『タケルッ!!』
あの悲痛な叫び声。
あいつは今、地獄の底にいる。
こんなふざけたルールを作る連中に囲まれて、助けを待っているはずだ。
待ってろ、ヤマト。
俺は、お前がくれた日常を壊した奴らを許さない。
こんな地獄、俺がぶち壊してやる。
たとえこの手がどれだけ汚れようと、必ずお前たちを助けに行く。
---
「……チッ。空の回線が混んでやがる。」
運転席の男――権田テツオが、忌々しげに舌打ちをした。
彼は片手でハンドルを握りながら、もう片方の手でダッシュボードに増設された無線機を弄っている。
ただのカーラジオではない。軍用の広帯域受信機だ。
つまみを回す指先は、まるで金庫破りのように繊細で、慣れた手つきだった。
「……おい、アンタ。」
俺は掠れた声で呼びかけた。
テツオは無視して、ダイヤルを回し続ける。
ノイズの合間から、緊迫した通信音声が漏れ聞こえてくる。
『……マルサン、マルサン……千歳基地は応答なし……繰り返す……』
『……現在、札幌エリアは正体不明の……通信不能……』
自衛隊、あるいは警察の無線だ。
それも、一般人が傍受できるはずのない秘匿回線。
テツオはそれを、まるで天気予報でもチェックするかのように、淡々と聞き流している。
「回線が死んでるんじゃねえな。発信源そのものが、消えてやがる。」
独り言のように呟く言葉。
消えている?
「妙だと思わねえか、少年。吹雪にしては、空気が死んでる。」
テツオはフロントガラス越しに、真っ白な虚空を睨んでいた。
「まるで、予算不足の映画のセットみたいに、背景が書き割りになっちまったみたいだ。……千歳が落ちたか。予想より早いな。」
予想より早い。
書き割り。
ただの重機屋が口にする言葉じゃない。
こいつは、今の状況を「異常」だと思っていない。
この異常事態の「中身」を知っていて、次に何が起きるかを待っているかのように振る舞っている。
こいつは、何者だ。
あのヘリの連中と同じか。
俺を利用しようとしている側の人間か。
疑念が、限界を超えた。
俺はシートの隙間に突き立てていた鉄パイプを引き抜いた。
岩滑ソウの血で赤黒く錆びついた先端を、運転中のテツオの喉元へ突きつける。
「……止めろ。」
俺は低く言った。
声が震えているのが自分でも分かった。
恐怖ではない。得体の知れないものへの拒絶反応だ。
「車を止めろ。……アンタ、何者だ。なんでそんな無線が聞ける。ヤマトを攫った連中の仲間か。」
喉仏の数ミリ手前で、鉄パイプが揺れている。
一突きすれば死ぬ距離だ。
だが、テツオは視線すら寄越さなかった。
ハンドルを握る手はリラックスし、アクセルを踏む足の力も変わらない。
「止めりゃ死ぬぞ。外はマイナス二〇度だ。」
「質問に答えろッ! 答えないなら……!」
「答えないなら、刺すか? 運転手を。」
テツオは、ふっと息を吐き、サングラス越しに俺を一瞥した。
そこには、殺意を向けられた人間が抱くはずの恐怖が微塵もない。
まるで、駄々をこねる子供をあしらうような、乾いた呆れがあった。
「あのな、少年。お前は今、自分が何を突きつけてるか分かってんのか。」
「……は?」
「それは凶器だ。運転中のドライバーに凶器を向けるのは、道路交通法以前に自殺行為だと言ってるんだよ。俺が驚いてハンドルを切れば、俺もお前も仲良く雪の塊とお友達だ。」
「ふざけるな! 俺は本気だぞ。」
「本気なら尚更だ。……いいか、俺が誰かなんてどうでもいい。重要なのは、俺はこの車を動かせるが、お前には無理だってことだ。」
テツオはパイプの先端を、素手でゆっくりと押し除けた。
その指先は、鉄パイプよりも冷たく、硬質に感じられた。
この男にとって、俺の殺意など、フロントガラスについた泥汚れ程度のものでしかないのだ。
圧倒的な経験の差。
こいつは、暴力を、修羅場を、日常として潜り抜けてきた側の人間だ。
「座ってろ。……少なくとも、次の街までは生かして運んでやる。」
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トラックは、札幌の市街地を抜けようとしていた。
崩壊したビルの残骸が、墓標のように吹雪の中に立っている。
北へ。
石狩平野の広大な闇へ。
そこはもう、文明の灯りが届かない「無法地帯」だ。
俺は鉄パイプを下ろした。
血と泥が乾いてこびりついている。
今朝、サチが淹れてくれたココアの湯気を思い出す。
あの白くて、甘い香り。
ふと、自分の手を見る。
そこからも湯気が立ち上っていた。
だがそれは、他人の血が冷える時に出る、生臭い蒸気だった。
その時。
ホワイトアウトの彼方。
数キロ先の闇の奥から、視線を感じた。
物理的な視線ではない。
肌が粟立つような、鋭利で、絶対的な殺意。
背筋に氷柱を突き刺されたような悪寒が走る。
誰かが見ている。
この吹雪の向こうで、誰かが俺たちを待っている。
本能的な恐怖が、俺の全身を駆け巡った。
休む暇はない。
この国道は、既に誰かの狩り場なのだ。
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「俺が誰かなんてどうでもいい。車を動かせるのは俺だけだ。」 テツオの冷徹な正論が、タケルを落ち着かせました。 しかし、彼らの行く手には、遠距離からすべてを支配する「最強の狙撃手」が待っています。




