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Episode 10.5-2: 幽霊たちの作戦会議

食後の紫煙を燻らせながら、テツオが重い口を開きます。 黒いヴォイドによって変質した人間たちの分類。 「プレイヤー」「ナムレス」「ルート」、そして心が摩耗した「ハング」。 そして、彼が網走で見たという「先行災害」の悲劇について。

【登場キャラクター】

高瀬タケル: 世界の残酷な仕組みを知る。

権田テツオ: 運び屋として見てきた世界の裏側を語る。

佐藤 "シュガー" ケンジ: 深刻な話に耳を傾ける。

霧隠スイ: 自分たちが「危険分子」として処理されている事実に震える。

空閑マイ: 冷静に情報を整理する。

水島エイジ: 友人の過去を知り、沈痛な面持ちになる。

Part 2: The Three Types & The Settlement


 シェラカップの中身が空になり、キッチントレーラーの火が落とされると、廃倉庫には再び重く、冷たい静寂が舞い戻ってきた。

 満たされた胃袋が発する熱だけが、この凍てついた空間における唯一の温もりだった。

 外では吹雪が唸りを上げているが、分厚いコンクリートの壁に阻まれ、その音は遠い海の底の響きのように鈍く聞こえる。


 権田テツオが、油で汚れた作業着の胸ポケットから、くしゃくしゃになったソフトパックのタバコを取り出した。

 銘柄は「わかば」。

 旧三級品と呼ばれる、安くて辛いタバコだ。

 彼はその一本を、太く節くれだった指でつまみ出し、荒れた唇に咥える。


 カキン。


 使い込まれた真鍮製のジッポライターが、硬質で心地よい音を立てて開く。

 その音は、この廃墟にあまりにも鮮明に響いた。

 親指がフリントホイールを弾く。


 ジョリッ。


 ヤスリと発火石が擦れ合う、ザラついた摩擦音。

 一瞬の火花と共に、オレンジ色の炎が揺らめき、倉庫の闇を小さく切り裂く。

 テツオが顔を寄せ、火を吸い込む。


 チリチリ……。


 タバコの先端が赤く燃え、葉が炭化していく微かな音。

 この世界は狂っている。

 俺の右目には常に不可解な光の文字が明滅し、耳には世界の軋む音が聞こえる。

 だが、この瞬間だけは違った。

 火が葉を焼き、煙が肺を満たす。

 その原始的でアナログな物理現象の音と匂いだけが、ここにある「確かな現実」として、俺たちの感覚を繋ぎ止めていた。


「……ふぅ。」


 テツオが長く、深く煙を吐き出す。

 紫煙は倉庫の高い天井に向かって昇り、錆びた鉄骨の隙間へと吸い込まれていく。

 その横顔は、吐き出した煙草の煙よりも深く、重い影を背負っているように見えた。


「……ねえ。」


 その静寂を破ったのは、スイだった。

 彼女は空になったカップを両手で包み込んだまま、不安げな瞳でテツオを見上げていた。


「あの黒い霧……結局、なんなの? 恵庭でも、ここでも、ずっと私たちを追いかけてくるあれは。」


 素朴な、しかし核心を突く問いだった。

 俺たちは戦ってきた。逃げてきた。

 だが、その正体について深く考える余裕などなかった。

 ただの災害か、あるいは悪意ある何かの意思か。


 テツオはタバコを指に挟んだまま、苦笑した。


「俺も実態は知らん。……だがありゃ『世界の自浄作用』とでもいうのか。『世界を削り、歪める因果』だ。」


「自浄……因果?」


「ああ。この腐った世界を、歪に破壊してことわりをねじ曲げる『解体業者』みたいなもんだ。」


 テツオは、灰皿代わりの空き缶に灰を落とした。

 カサリ、と乾いた音がする。


「この北海道という箱庭は今、歪みきっている。物理法則も、因果律も、あちこちで綻びが出てる。……人間が人間として生きるためのルールが、崩壊してんだよ。」


 彼は紫煙の向こうで、指を一本立てた。


「この狂った環境に適応しようとした人間が辿る末路は、三つしかない。……まぁ、例外もあるがな。」


「例外? なんだそりゃ。」


 片付けをしていたシュガーが、手を止めて身を乗り出した。


「お前のような奴だよ、シュガー。」


 テツオは煙を吐きながら、シュガーを指差した。


「霧を吸っても自我を保ったまま、正常な人間だが特殊能力が開花した種……『ルート』だ。」


「ルート?」


「ああ。最大の特長は、能力はあるがその全てが『非戦闘向け』ってことだ。シュガー、お前のように食べたものを効率よくエネルギーに変えたり、ちょっとした傷を治したり……。生きる役には立つが、戦う力にはならん『些細な能力』で済んでいる連中だ。」


 ルート……。

 俺はシュガーを見た。

 今まで彼がカレーを作る手際や、不思議なほど早く回復するタフさを見てきたが、それが「能力」によるものだとは知らなかった。

 俺たちのように戦うための異形ではなく、ただ環境に最適化しただけの穏やかな変異。

 そんな区分が存在することすら、俺は今まで気付いていなかったのだ。


「ま、お前らは平和でいいよな。……問題は、それ以外だ。」


 テツオの視線が鋭くなり、俺たち一人一人の顔を巡り、最後に俺で止まった。


「一つ目は『適応者プレイヤー』。……タケル、お前のような奴だ。」


 プレイヤー……。

 豊平区役所でみたNo.00、そしてスイやマイ、エイジさんのNo.は三桁。

 

 二桁の表示がプレイヤーだってことか?


「歪みに適応し、それを取り込むことで異能を得た者たち。……人間性を削り落とすことで、世界の綻びを武器として利用している異端分子。生き残るために、化け物に片足を突っ込んだ者たちだ。」


 テツオの言葉が刺さる。

 否定はできない。俺はもう、まともな人間じゃないのかもしれない。


「二つ目は『名無きナムレス』。」


 指が二本になる。

 テツオの視線が、今度はスイ、マイ、そしてエイジへと向けられる。


自我こころを著しく損なうか、記憶が欠落する者たちだ。」


 テツオの声が低くなる。


「九条カズマのように殺意に蝕まれて、人を殺そうとするか。あるいは……大事な記憶、大事な人の顔が著しく思い出せなくなる。」


 彼は三人に問いかけた。


「……お前らも、あるんじゃないか? 記憶の混濁や消失が。」


 場が凍りついた。

 スイが目を見開く。

 マイが唇を噛む。

 エイジが気まずそうに視線を逸らす。


「……あたし、小さい頃の記憶が、あんまりないの。」


 スイが震える声で言った。


「写真はあるのに、それが自分だって思えない時がある。」


「……私もです。」


 マイが膝の上の手を握りしめる。


「お父様の顔が……時々、黒い靄みたいに見えて……。」


 エイジは何も言わなかった。

 だが、さっきまでテツオのことを完全に忘れていた事実が、何よりも雄弁に物語っていた。


「そして、最後は『停止者ハング』。」


 指が三本になる。


「恐怖や絶望で心を摩耗し、現実を受け入れられずに、狂暴化して狂った連中か思考が止まった連中だ。……俺たちが豊平区役所で見た、あの動かない避難民たちを覚えてるか?」


 忘れるはずがない。

 窓の外には地獄が広がっているのに、ただパイプ椅子に座り、虚空を見つめて微動だにしなかった人々。

 思考停止。

 現実を拒絶し、自ら殻に閉じこもった抜け殻。


「タケル、仮説だがな。あの東区が消えたのは、あの黒い霧による強制的な世界に対しての『掘削』だ。……異常な事態に耐えられなかった連中が『停止者』になり、その結果……東区というエリア事態がいらないと判断されたんだろう。だから、エリアごと削り取られたんだ。」


「判断……? 誰がそんなことしたんだよ!」


「知ってる訳無いだろ、それに……これはあくまでも仮説だ。」


 霧が原因で、停止は結果だ。

 心の死が、物理的な死を招き、世界の崩落へと繋がっていく……ってことなのか?


 テツオはタバコを深く吸い込んだ。

 肺の奥までニコチンを行き渡らせるように、長く息を止める。

 まるで、体内に溜まった毒を中和しようとするかのように。


「……数年前だ。」


 テツオが、ふと虚空を見つめた。

 倉庫の闇の奥、ここではないどこか遠くを見ているような目だった。

 地図など広げる必要はない。彼の網膜には、消えない景色が焼き付いているのだから。


「札幌で異変が起きるもっと前。……網走、根室……あの道東エリアで、大規模な『崩落』があった。」


「崩落……?」


「ああ。この惨劇は、札幌から始まったんじゃない。あっち(東)が先だったんだ。」


 テツオの指先が、小刻みに震えている。

 怒りか、あるいは恐怖か。


「俺の家族も、そこにいた。」


 衝撃的な告白だった。

 テツオに家族がいたなんて、今まで聞いたことがなかった。

 彼はいつも一人で、北狼号だけを恋人のように扱っていたから。


「……家族は、死んだのか?」


 俺は慎重に尋ねた。

 テツオは首を横に振った。


「いや。……最初から『いなかったこと』にされた。」


 彼は自分のこめかみを、人差し指でトントンと叩いた。

 まるで、壊れたラジオを直そうとするかのように。


「思い出せねえんだ。……名前も。顔も。どんな声だったかも。」


 テツオの顔が苦痛に歪む。

 思い出そうとする行為そのものが、脳に強烈な負荷をかけているようだった。


「写真は全部、真っ白になってた。スマホに残ってたはずの動画も、家にあったアルバムも、全部だ。……そして今じゃ、俺の脳ミソにある記憶レコードからも、奴らは削り取られかかってる。」


 俺は息を呑んだ。

 右目の奥が疼く。

 愛した人の顔が思い出せない。

 笑い声がノイズに変わる。

 名前を呼ぼうとすると、口が動かない。

 人間としての根底をなす「情動」が、冷徹な世界のことわりによって「記号」へと書き換えられていく恐怖。


 それは、死別よりも残酷な拷問だ。

 喪失感だけが鮮明に残っているのに、何を失ったのかが分からない。

 心に巨大な風穴が空いたまま、寒風だけが吹き抜けていく。


 ジュッ。


 テツオは、短くなったタバコを空き缶の底に押し付けた。

 赤い火種が黒く潰れ、最期の煙を上げる。

 その煙が消えても、焦げた臭いだけが残り続けるように、彼の痛みも消えることはない。


「だが、ここに残った『穴』だけは消えねえ。」


 彼は拳で、自分の心臓を強く叩いた。

 ドン、と鈍い音が響く。


「心臓が覚えてる。……俺には帰る場所があった。守るべき奴らがいた。その『痛み』だけは、どんなに記憶が消されても、ここに焼き付いて離れねえんだよ。」


 テツオが顔を上げた。

 その瞳には、今まで見たことのない、冷たく静かな青い炎が宿っていた。

 ただの陽気なメカニックでも、強欲な運び屋でもない。

 一人の男としての、執念の炎。


「俺がハンドルを握るのは、金のためじゃねえ。」


 彼の声が、倉庫の闇に低く響き渡る。


「俺は、無かったことにされた奴らの分を、精算しに来た。……このふざけた理不尽の『元凶』にな。」


 精算。

 彼は、荷物を運んでいるのではない。

 世界に対する莫大な「負債」と「復讐」を運んでいるのだ。

 理不尽に消去された者たちの無念を、北狼号という鉄の箱舟に乗せて、この地獄の底へと叩きつけるために。


 俺は、テツオを見つめ返した。

 すすきので出会った時、彼はただ生き延びることに長けた男だと思っていた。

 だが違った。

 彼もまた、この現象の被害者だ。

 奪われたものを取り戻すために、この理不尽な旅路に身を投じた男。


「……上等だ。」


 俺は言った。

 腹の底から、熱い塊がせり上がってくるのを感じた。


「俺も、精算しなきゃならない相手がいる。……利害は一致してるな。」


 テツオがニヤリと笑った。

 いつもの、不敵で泥臭い笑みが戻っていた。

 だが、その目の奥にある光は、以前よりも鋭く、強固なものに変わっていた。


 二人の視線が交錯する。

 言葉はいらなかった。

 俺たちは共犯者だ。

 このふざけた世界を終わらせるための、共犯者。


 具体的なルートや作戦は、まだ語られない。

 ただ、男たちが腹を括った静かな熱量だけが、紫煙の消えた空間にいつまでも漂っていた。


Would you like me to proceed to Episode 10.5_Part 3: The Archives of Isolation & The Paradox?

お読みいただきありがとうございます。 世界から消された者たちの記録。 次回、スイの過去と、隔離された「個」の孤独。

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