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Episode 10.5-1: 幽霊たちの作戦会議

猛吹雪の苫小牧。停車した北狼号の車内。 シュガーが振る舞うスープカレーの湯気が、凍えた窓ガラスを曇らせます。 世界が「砂」に変わっていく中で、このカレーの味だけが、彼らを人間に繋ぎ止める最後のアンカーでした。 「……まだ、生きてるな」

【登場キャラクター】

高瀬タケル: 味覚があることの喜びを噛み締める。

権田テツオ: 仲間たちと食卓を囲む。

佐藤 "シュガー" ケンジ: 絶望的な状況でも「美味い飯」を提供する聖職者。

霧隠スイ: カレーを頬張る。

空閑マイ: 静かに食事を楽しむ。

水島エイジ: 久々の温かい食事に目を細める。

Part 1: The Sanctuary of Taste & Broken Wings


 苫小牧の市街地外縁。

 北狼号は、雪に埋もれた巨大な廃倉庫の中へと滑り込んだ。


 かつては水産加工場だったのだろう。高い天井と、コンクリートの床。

 吹き荒れる吹雪を遮断する頑丈な壁は、今の俺たちにとって何よりのシェルターだった。


 プシュウ……。

 エアブレーキの音が倉庫内に反響する。

 エンジンを停止させると、世界は一瞬にして静寂に包まれた。


「よし、ここなら落ち着いて飯が食える。」


 運転席から降りたテツオが、大きく伸びをした。

 俺たちも次々と車外へ降り立つ。

 外気は氷点下だが、風がないだけで随分とマシに感じる。


「さて、開店準備といきますか。」


 シュガーが楽しげに言い、また北狼号の後部へと回った。

 すすきのを出発する際、テツオが「長期遠征には必須だ」と言って連結させた、牽引式のキッチントレーラー。

 軍用のカーゴトレーラーを改造した、移動式の厨房だ。


 ガチャリ。

 シュガーがトレーラーの側面パネルを跳ね上げると、そこには使い込まれたコンロと、スパイスの瓶がずらりと並ぶ棚が現れた。

 ステンレスの調理台が展開され、即席のオープンキッチンが完成する。


「へえ、すごい……! お店みたい!」


 スイが目を輝かせて覗き込む。

 車内の狭苦しさとは無縁の、プロの料理人の城だ。


「今日は特別メニューだ。……少し待ってな。」


 シュガーがコンロに火を入れる。

 ボッ。

 青い炎が灯り、倉庫の冷たい空気を温め始めた。


 彼が鍋に投入したのは、数種類のホールスパイス。

 ジュワァッ……!

 油で熱されたスパイスが弾け、芳醇な香りが爆発的に広がる。


 カルダモンの清涼感。

 クミンの野性味。

 クローブの甘く重い刺激。


 それは、廃倉庫に充満していたカビと鉄錆の臭いを、暴力的なまでの「生」の香りで上書きしていく。

 俺たちは、倉庫の中に転がっていた木箱やドラム缶を椅子代わりに車座になった。


「ほらよ。歓迎会の始まりだ。」


 シュガーが、人数分のシェラカップにカレーを注ぎ分け、手渡してくれた。

 俺の手元に、温かい器が来る。

 湯気と共に立ち昇るその香りは、疲弊しきった脳髄を直接揺さぶるようだった。


 俺はスプーンを手に取り、茶色いスープを掬った。

 口に運ぶ。


 ……。


 俺の味覚は、もう壊れている。

 能力レリックを行使するたびに人間性を削り落としてきた代償だ。

 普段の食事は、どんな高級品だろうと「熱した砂」と「古い油」の味しかしない。

 味気ない、単なるカロリー摂取の作業。


 だが。

 シュガーの料理だけは、違った。


 ドンッ!


 舌ではなく、脳の奥底で何かが弾けた。


 辛い。熱い。

 そして、鮮やかだ。


 味を感じているのではないのかもしれない。

 複雑に調合されたスパイスの刺激が、麻痺した神経回路を無理やりバイパスし、「色彩」としての情報を叩き込んでくる。

 

 ターメリックの黄色。

 チリペッパーの赤。

 コリアンダーの緑。


 灰色の雪と、黒い鉄屑に塗りつぶされていた俺の世界に、暴力的なまでの極彩色が戻ってくる感覚。


「……すごいな。」


 俺は思わず呟いた。


「色が、見える。」


「ははっ、詩人だねえ。」


 シュガーが嬉しそうに笑い、トレーラーのカウンターに肘をついて俺たちを見守っている。

 彼は知っているのだ。

 この極限の世界において、食事とは単なる栄養補給ではない。

 死体になりかけている俺たちの魂を、人間側へと繋ぎ止めておくための、重く強固な「アンカー(楔)」なのだと。


「んぐ、熱っ! でも美味しい!」


 ドラム缶に座ったスイが、ハフハフと息を吐きながら食べている。

 テツオも、エイジも、無言だがスプーンを動かす手は止まらない。

 咀嚼音。衣擦れの音。すする音。

 倉庫という無機質な空間に、人間が生きているノイズが満ちていく。


 その時。

 俺は、ふと気付いた。


 少し離れた木箱に座っているマイが、時折顔をしかめ、不自然な姿勢で座っていることに。

 彼女は左足をかばうように膝を抱え、体重をかけないようにしていた。


「……マイ。」


 俺は自分のカレーを置いて、彼女に近づいた。


「足、見せろ。」


 マイがビクリと肩を震わせた。

 彼女は隠そうとするように足を引いたが、俺は許さなかった。

 新千歳空港で、滑走路のアスファルトごと引き剥がした足だ。

 そしてさっきの港での戦闘。

 限界を超えているはずだ。


 俺は無言で彼女の前に跪き、ブーツの紐を解いた。

 嫌な予感がする。

 ブーツを脱がせ、汚れた靴下を慎重に下ろす。


 そこにあったのは、もはや「足」とは呼び難いものだった。


 足首から下が、どす黒く変色し、一部は金属のような光沢を帯びて硬質化している。

 だが、問題なのはそこではない。

 金属化した皮膚と、まだ生身である肉の境界線。

 そこが無理な負荷によって引き裂かれ、赤黒い肉が見えていた。


 膿と、血と、透明な体液が滲み出し、痛々しく腫れ上がっている。

 彼女の体内で、「人間」と「兵器レリック」が拒絶反応を起こし、せめぎ合っている傷跡。


「……っ。」


 俺は息を呑んだ。

 こんな状態で、彼女は走り、弓を引いていたのか。


「……テツオさん、救急箱を。」


 俺が言うより早く、テツオが北狼号の荷台から救急セットを放ってよこした。

 俺は消毒液のボトルを開け、ためらうことなく傷口にかけた。


 ジュワァァァ……。


 泡が立つ。

 強烈な痛みが走ったはずだ。

 マイの喉から「くぅっ……」という小さな悲鳴が漏れ、身体が跳ねた。

 彼女の目尻に涙が浮かぶ。


「我慢しろ。……膿んで壊死したら、切断することになる。」


 俺は冷徹に告げながら、ガーゼで汚れを拭い、抗生物質の軟膏をたっぷりと塗り込んだ。

 そして、包帯をきつく巻き上げる。


 綺麗な包帯ではない。薄汚れているし、巻き方も不恰好だ。

 だが、今はこれで凌ぐしかない。


「……ごめんなさい。」


 マイが、消え入りそうな声で言った。


「足手まといに、なりたくなくて……。」


「馬鹿言うな。」


 俺は包帯を留め、顔を上げた。


「お前の矢がなけりゃ、俺もエイジさんも潰されてた。……これは名誉の負傷だ。」


 マイは驚いたように目を見開き、それから少しだけはにかんで、スプーンを口に運んだ。


「……痛いけど、美味しい。」


 彼女は涙を拭いながら、カレーを飲み込んだ。


 俺は自分の席に戻り、残りのカレーを口にした。


 湯気を立てる温かいカレー。

 そして、膿んだ傷口。

 美と醜。

 快楽と苦痛。

 この相反する二つが、この廃倉庫の中で同居している。


 これこそが、俺たちの日常だ。

 綺麗なだけのファンタジーじゃない。

 傷つき、血を流し、泥水を啜りながら、それでもスパイスの香りに救いを見出して、這いつくばって生きていく。


 俺は思う。

 痛みを感じるということ。

 味を感じるということ。

 この感覚がある限り、俺たちの魂はまだ、あの外を徘徊している鉄屑ども(ヴォイド)にはなっていない。


 俺たちは、まだ人間だ。

 たとえ体がどれほど異形に変わろうとも、この痛みと温かさを知っている限り、俺たちは人間として抗い続けられる。


 その確信が、冷え切った腹の底に、小さな残り火のように灯った。


 シェラカップの中身が空になる。

 満たされた胃袋と、キッチントレーラーの火のおかげで、倉庫内の空気は少しだけ和らいでいた。


 だが、安らぎはここまでだ。

 俺は空になったカップを置き、HUDのマップを起動した。

 南へ伸びる赤いライン。

 その先には、今まで以上の絶望が待ち受けている。


 俺は顔を上げた。

 仲間たちの視線が、自然と俺に集まる。


「……食ったら、仕事だ。」


 俺は静かに言った。


「作戦会議を始める。……これから俺たちが向かう場所について、知っておくべきことがある。」


Would you like me to proceed to Episode 10.5_Part 2: The Three Types & The Settlement?

お読みいただきありがとうございます。 食事という聖なる儀式。 次回、テツオが語る「黒い霧の真実」と、彼の過去。

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