Episode 010-2: 忘却の湿度
「帰れ。ここはお前らの遊び場じゃねえ」 エイジはタケルたちを拒絶し、一人で工場に立て籠もります。 その時、港の海面が割れ、巨大な海獣が出現。 エイジの工場を一撃で粉砕しようと迫ります。
【登場キャラクター】
高瀬タケル: エイジの背中に、何かを感じ取る。
権田テツオ: 友人を救うため、北狼号を走らせる。
佐藤 "シュガー" ケンジ: 巨大な敵に戦慄する。
霧隠スイ: 敵のサイズに圧倒される。
空閑マイ: 矢をつがえ、攻撃の機をうかがう。
水島エイジ: 意地だけで立ち続けるが、老いは隠せない。
Part 2: Old Soldier's Rejection
「……嘘だろ。」
権田テツオの掠れた声が、潮風にさらわれて消えた。
彼はゲートの前に立ち尽くしていた。
伸ばした手は、目の前の友人に届くことなく、空しく空を掴んでいる。
水島エイジ。
かつての相棒であり、共に油と泥にまみれた仲間。
だが、その男は今、鉄仮面のような無機質な瞳で、テツオを「異物」として見下ろしていた。
「俺だぞ! 忘れたのか! 一緒に工場を立ち上げた仲だろうが! その北狼号のエンジンだって、お前が組んだんじゃないか!」
テツオが叫ぶ。
必死に過去の記憶を掘り起こそうとする。
だが、エイジの表情筋はピクリとも動かない。
彼の脳内では、テツオという人間のデータはすでに破損し、削除済み領域に追いやられているのだ。
「……知らんな。」
エイジは短く吐き捨てた。
その言葉には、侮蔑すら含まれていない。
ただの事務的な事実確認。
「消えろ。ここは俺の城だ。余計な人間を入れる余裕はねえ。」
「エイジッ!!」
テツオが食い下がろうと一歩踏み出す。
その瞬間。
ジュウッ!!
エイジが一歩前に出て、威嚇するように右腕を振るった。
直接触れてはいない。
だが、その腕から放たれた強烈な熱波が、テツオの顔面を焼いた。
前髪がチリチリと焦げ、テツオは熱さに顔を背けて後ずさった。
「……次は焼くぞ。」
エイジは低く唸った。
その視線は、テツオを見ていなかった。
テツオ越しに、もっと遠く。
背後に広がる鉛色の海と、瓦礫の山を警戒している。
俺は、助手席でその光景を見ていた。
痛々しい。
彼は守っているつもりなのだ。
この瓦礫の山を。誰もいない廃工場を。
かつてここにいた仲間たちが、いつ帰ってきてもいいように。
だが、その仲間たちの顔すら忘れてしまっているのに、守るという「機能」だけが暴走し続けている。
壊れたセキュリティーシステム。
それが、今の彼の正体だった。
「……テツオさん。」
俺は車を降り、テツオの肩に手を置いた。
「下がりましょう。言葉が通じる状態じゃない。」
「だが……!」
「刺激すれば、本当に攻撃してきます。……今のあの人は、敵味方の識別ができていない。」
テツオは悔しげに拳を握りしめ、そして力なく腕を下ろした。
友人は生きていた。
だが、その魂はもう死んでいるのかもしれない。
その絶望感が、テツオの背中を小さく見せていた。
その時だった。
フッ……。
音が、消えた。
それまで吹き荒れていた、湿った潮風。
岸壁を叩く波の音。
錆びたトタンが軋む音。
それらが、唐突にピタリと止んだのだ。
静寂。
世界が真空パックされたような、不自然な無音。
「……ん?」
俺は耳をそばだてた。
気圧が下がっている。
鼓膜がツンと張り詰め、肌にまとわりつく湿度が、さらに粘度を増したような感覚。
何かが来る。
この静けさは、嵐の前のそれではない。
もっと巨大な、圧倒的な質量を持つ何かが、世界にエントリーしようとしている予兆だ。
ボコォォォ……。
海が、鳴った。
波打ち際ではない。もっと沖合。
黒く濁った海面が、内側から押し上げられるように大きく隆起した。
まるで、海底火山の噴火か、あるいは巨大な潜水艦が浮上してくるかのように。
海水が滝のように滑り落ち、その下から「中身」が姿を現す。
「……おい、なんだあれ。」
シュガーが震える声で言った。
俺たちは、言葉を失った。
理解できなかった。
俺たちの知っている生物のカテゴリーに、あんなものは存在しない。
山だ。
産業廃棄物の山が、海から浮上してきた。
廃棄されたタンカーの船首。
赤錆びたコンテナ。
無数の古タイヤ。
千切れた漁網。
それらが、正体不明の「黒いモヤ」のようなもので無理やり接着され、融合している。
クジラのようなシルエットだが、その表面は人工物とフジツボで覆われており、生き物の滑らかさなど微塵もない。
「うそ……動いてる……?」
スイが後ずさる。
ありえない。あんな鉄屑の集合体が、どうして動く?
動力は? 関節は?
物理法則を無視した存在が、ギシギシと耳障りな金属音を撒き散らしながら、海面を滑るように進んでくる。
デカい。
全長は優に三〇メートルを超えているだろう。
札幌や空港で見た黒い怪物たちとは、桁が違う。
これはもう、生物というより災害だ。
【Warning: Unknown Entity Detected】
【Target Scale: Colossal】
【Data: Analysis Failed】
俺のHUDが、真っ赤な警告と共にエラーを吐き出した。
解析不能。
俺のシステムでさえ、目の前の光景を「現実」として処理しきれていない。
「……来るぞ。」
エイジが呟いた。
彼の反応だけが、冷静だった。
いや、冷静というよりは、日常のルーティンワークのように淡々としていた。
俺たちが腰を抜かしそうなその怪物を前にしても、彼は眉一つ動かさない。
何年もこの海を見張り続けてきた彼にとって、この悪夢は「いつもの仕事」なのだ。
グォォォォォォォォ……ッ!!!
咆哮。
それは生物の声ではなく、金属がねじ切れる断末魔の集合体だった。
音圧だけで空気がビリビリと震え、俺たちの内臓を揺さぶる。
怪物は、岸壁にその巨体を乗り上げた。
バキバキバキッ!!
コンクリートが豆腐のように砕け、係留されていたクレーン車がマッチ棒のように薙ぎ倒される。
圧倒的な質量。
あんなものが突っ込んできたら、砦どころか、このエリア一帯が更地になる。
「逃げるぞ! こんなの戦えるわけがねえ!」
シュガーが叫んだ。
正しい判断だ。
ライフルや鉄パイプでどうにかなる相手じゃない。
だが。
たった一人、逃げない男がいた。
水島エイジ。
彼は、ゆっくりと怪物の方へ歩き出した。
彼は恐怖していない。
俺たちのような困惑もない。
ただ、邪魔なゴミが流れてきたから処理する。それだけの事務的な足取りで、死地へと向かっていく。
ゴォォォォォォ……!!
彼の右腕から、陽炎が立ち上る。
赤熱していた装甲板が、さらに温度を上げ、眩い白色へと変色していく。
周囲の雪が一瞬で蒸発し、アスファルトがドロドロに溶け始める。
超高熱。
彼は自らの体内に炉心を持ち、それを暴走寸前まで臨界させているのだ。
「エイジ! やめろ! 死ぬ気か!?」
テツオが叫ぶ。
相手は三〇メートルの鉄の塊だ。人間が一人で止められる相手じゃない。
だが、エイジは止まらない。
彼は大きく息を吸い込み、腹の底から吼えた。
「俺の工場には……指一本触れさせねえッ!!」
それは、誰に向けた言葉だったのか。
テツオたちを守るためではない。
自分の命を守るためでもない。
ただ、「誰かが帰ってくるはずの場所」を守るために。
その「誰か」の名前も、顔も、もう思い出せないというのに。
彼はその空っぽな約束だけを燃料にして、たった一人で、質量爆撃のような突進へと立ち向かった。
ドンッ!
エイジが地面を蹴った。
溶けたアスファルトを爆散させ、真っ白に輝く右腕を構え、巨大な鉄屑の山へと突っ込んでいく。
その背中は、あまりにも大きく、力強く。
そして、直視できないほど痛々しい孤独に包まれていた。
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お読みいただきありがとうございます。 崩れる工場。瓦礫の下のエイジ。 次回、鉄の盾。タケルが身を挺して彼を守った時、止まっていた時間が動き出します。




