Episode 010-1: 忘却の湿度
苫小牧の黒い港。 そこで資材を集めていたテツオは、かつての仕事仲間・水島エイジを見つけます。 しかし、エイジはテツオを見ても反応しません。 長期間の孤独と防衛本能により、彼の記憶は摩耗し、テツオを「赤の他人」として認識していました。
【登場キャラクター】
高瀬タケル: 二人の距離感に戸惑う。
権田テツオ: 友人の変貌にショックを受ける。
佐藤 "シュガー" ケンジ: エイジの疲弊した様子を案じる。
霧隠スイ: 記憶を失った男を不思議そうに見る。
空閑マイ: 周囲の警戒を続ける。
水島エイジ: No.358。自分の工場を守ることだけに執着する、頑固な職人。
Part 1: The Red Stranger
北狼号のエンジン音が、それまでの乾いた重低音から、どこか湿り気を帯びた鈍い音へと変わった。
苫小牧港エリア。
カズマとの死闘を繰り広げた内陸の工場地帯を抜け、俺たちはついに海の際へと辿り着いた。
景色が一変する。
視界を埋め尽くしていた白い雪原は消え、代わりに広がるのは黒く濁った海と、赤錆びた巨大なクレーン群だった。
まるで巨人の墓標のように、折れ曲がったガントリークレーンが鉛色の空に突き刺さっている。
「……窓を開けるぞ。」
テツオが短く言い、運転席の窓を下げた。
途端に、強烈な空気が車内になだれ込んでくる。
「うっ……。」
後部座席のスイが鼻をつまんだ。
俺も顔をしかめる。
臭い。
それは、今まで嗅いできた死の臭いや、火薬の臭いとは質が違っていた。
潮風だ。だが、爽やかな青い海の香りではない。
腐った海藻と、重油、そして長い時間をかけて酸化した古い鉄の臭いが混ざり合った、ベタつくような悪臭。
内陸の乾いた寒さとは違う。
湿度を含んだ冷気が、肌にじっとりとまとわりつき、服の繊維の奥まで侵入してくる。
不快指数が一気に跳ね上がる。
「……ここに、俺の昔馴染みがいる。」
テツオが、ハンドルを握る手に力を込めながら言った。
その声は、いつもの豪快な彼にしては珍しく、弱気で、どこか迷いを孕んでいた。
「腕利きのメカニックだ。北狼号の整備も、昔はそいつに頼んでた。……生きていればだがな。」
シュガーもマイも、何も言わなかった。
この場の重苦しい空気、そして窓の外に広がる荒廃した景色が、軽口を封じていた。
ここには、人の営みの気配がない。
あるのは、波の音と、錆びた鉄が風に軋む音だけだ。
北狼号は、瓦礫の散乱する埠頭を慎重に進んだ。
やがて、コンテナターミナルの跡地が見えてきた。
無数のコンテナが積み木崩しのように倒壊しているその一角に、明らかに異質な構造物があった。
砦だ。
スクラップになった車や、剥がれた鉄板、コンテナの残骸を幾重にも溶接して作られた、歪で堅牢な要塞。
周囲の建物は黒い霧に侵食され、崩れかけているというのに、その砦の周りだけは物理的に遮断され、強固な拒絶の意志を持って維持されていた。
まるで、世界から切り離された、孤独な「個室」のように。
「……あそこだ。」
テツオが北狼号を停車させた。
砦のゲート――トラックの荷台を改造した鉄の扉の前。
「待ってろ。」
テツオはそう言い残し、一人で車を降りた。
俺も続こうとしたが、シュガーに肩を掴まれた。
「野暮はやめときな。……久しぶりの再会なんだ。」
俺は頷き、助手席から様子を見守ることにした。
テツオが、砦の前に立つ。
彼は大きく息を吸い込み、ゲートをバンバンと叩いた。
「おい! エイジ! 俺だ、テツオだ! 生きてるか!?」
彼の声が、潮風にかき消されていく。
反応はない。
ただ、砦の奥から、ジュウウウ……という、何かを焼くような低い音が聞こえてくるだけだ。
「おいっ! 開けろ! 迎えに来たんだぞ!」
テツオが再び叩こうとした時。
ギギギギギ……。
重苦しい金属音と共に、ゲートが内側から押し開けられた。
錆びたヒンジが悲鳴を上げ、隙間から熱気が漏れ出す。
そして、その男は現れた。
デカい。
テツオも巨漢だが、その男はさらに一回りは大きかった。身長二メートルは優に超えているだろう。
水島エイジ。
だが、その姿は「人間」というよりは、歩く「鉄塊」に近かった。
全身に、廃材の鉄板をパッチワークのように溶接した、ハンドメイドの重装甲アーマーを纏っている。
溶接跡は荒々しく、所々にリベットが打ち込まれている。
そして何より異様なのは、彼の右腕だった。
右肩から指先までを覆う分厚い装甲板が、内側からの熱で赤く発光していた。
赤熱。
まるで溶鉱炉から取り出したばかりの鉄のように、強烈な輻射熱を放っている。
降り注ぐ雪が、彼の右腕に触れる前にジュッと音を立てて蒸発し、白い蒸気となって立ち上る。
痛々しくも、どこか神々しい。
彼は、自らの肉体を炉心に変え、その熱量でこの極寒の世界を拒絶しているようだった。
「よう、エイジ!」
テツオが、強張った顔を無理やり笑顔に変えて、大きく手を振った。
「生きてたか! 心配かけさせやがって! ほら、北狼号だ。懐かしいだろ? こいつに乗って、ここを出ようぜ!」
テツオが一歩近づく。
感動の再会。
地獄のような世界で、かつての友と巡り会えた奇跡。
だが。
エイジの反応は、あまりにも残酷だった。
彼は、ゆっくりとテツオの方を向いた。
ヘルメットのバイザー越しに見えるその双眸は、濁ったガラス玉のように虚ろだった。
焦点が定まらない。
彼はテツオを見ているようで、見ていない。
目の前にいる人間を、ただの「障害物」あるいは「背景の一部」としてスキャンしているだけの目。
「……誰だ、お前?」
低い、錆びついたような声。
そこには、敵意もなければ、喜びもない。
ただの、純粋な疑問。
テツオの笑顔が凍りついた。
差し出した手が、空中で止まる。
「は……? おい、冗談だろ。俺だ、権田 テツオだ。……一緒にバイクいじっただろ? 何度も飲んだだろ?」
テツオの声が震える。
必死に過去の記憶を提示し、友人の認識を呼び覚まそうとする。
だが、エイジは首を傾げるだけだった。
「……ゴンダ……? 知らん。……帰れ。」
拒絶。
それも、感情的な拒絶ではない。
記憶にないデータだから、削除する。
そんな機械的な処理のような冷たさ。
俺は、助手席で息を呑んだ。
右目のHUDを起動し、エイジを解析する。
【Target Identified: Eiji Mizushima】
【Status: Armed / High Heat Source】
【Memory: Corrupted...】
【Relation: Unkno...wn... Er...r...or...】
ノイズが走る。
文字化けだ。
彼のステータス画面には、無数の欠損とエラーコードが表示されている。
壊れている。
長期間の孤独。極限の寒さ。
そして何より、あの赤熱する能力を維持するための精神的負荷。
それらが、彼の脳の記憶野を焼き尽くしてしまったのだ。
彼はもう、テツオのことを覚えていない。
あるいは、覚えていることすら忘れてしまったのかもしれない。
ここにあるのは、かつての友人ではない。
記憶という中身を失い、ただ「砦を守る」という初期設定だけを繰り返す、悲しいゴーレムだ。
「エイジ……嘘だろ……。」
テツオが膝から崩れ落ちそうになる。
その背中に漂う絶望感は、どんな怪物の攻撃よりも重く、俺たちの胸を締め付けた。
海から、湿った風が吹き付ける。
赤熱する男と、忘れられた男。
二人の間には、物理的な距離以上の、どうしようもない断絶が横たわっていた。
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お読みいただきありがとうございます。 忘れ去られた絆。 次回、老兵の拒絶。そして、海から現れる巨大な脅威。




