Episode 001-1: 鋼鉄の洗礼
瓦礫の山で目覚めたタケル。 そこは弱肉強食が「義務」として課された世界でした。 震える手で鉄パイプを握り、彼は初めて「人殺し」の感触を知ることになります。
【登場キャラクター】
高瀬タケル: 覚醒した「右目」の力で、見えない敵を撃破する。
No.09 犬飼マモル: 巨大な鉤爪を持つ男。タケルを「ゴミ」と見逃す。
No.03 岩滑ソウ: 透明化の能力者。タケルに返り討ちに遭い死亡。
権田テツオ: 通りすがりの重機屋。タケルの力を見抜く。
Part 1: The Baptism of Steel
指先の感覚が、まだ残っていた。
離してしまった、あの白いニットの手袋の感触。
最後に見たサチの、恐怖に歪んだ顔。
そして、ヤマトの剥き出しの悲鳴。
『タケルッ!!』
あいつがあんな声を出すなんて。
常に冷静沈着で、感情を表に出さなかった親友が、死への恐怖と生への執着で顔を歪ませていた。
その光景が、鼓膜の裏側に焼き付いて離れない。
数時間前、サチが淹れてくれたココアの湯気を思い出す。
マグカップから伝わる、あの優しい温もり。
日常の象徴だった温度。
それが、あまりにも遠い。
「……ぁ、……ぐ、ぅ……。」
俺は、瓦礫の山の上で目を覚ました。
喉が焼け付くように渇いている。
本能的に手元の雪を掴み、口に押し込んだ。
泥と鉄錆の味がする雪が、食道を通って胃袋に落ちると、ようやく自分が「生きている」という残酷な事実を突きつけられた。
視界が少しずつピントを結ぶ。
そこは、俺の知っている札幌ではなかった。
大通公園があった場所は、巨大なクレーターのように抉れ、周囲のビル群は飴細工のように捻じ曲がっている。
見上げれば、JRタワーが聳え立っていたはずの場所に、幾何学的な「空の亀裂」が走っていた。
あの時見た、世界を飲み込む「白」ではない。
紫色のオーロラのような光が、雪雲の向こうで不気味に脈動し、この世界が既に常識の外側へ弾き出されたことを告げていた。
俺は生き残ってしまった。
サチの手を離し、ヤマトを見殺しにして、ただ一人、この瓦礫の海に吐き出されたのだ。
自己嫌悪が、熱い酸となって胃の腑からこみ上げる。
俺は再び雪を貪り食った。
そうでもしないと、口から心臓が飛び出してしまいそうだったからだ。
---
その時、瓦礫を踏み砕く重い音が近づいてきた。
俺は息を潜め、コンクリート片の陰から覗き込んだ。
黒い影があった。
タクティカルギアに身を包んだ大男。
その両腕には、異様な形状のガントレット――三本の長大な刃を持つ『猛獣の鉤爪』が装着されていた。
No.09、犬飼マモル。
後に俺がその名を知ることになる男は、瓦礫の下で震える俺と目が合った。
「……あ?」
興味なさげな、冷たい瞳。
彼は俺を人間として見ていなかった。
路端の石ころか、あるいは踏み潰す価値すらない羽虫を見る目だ。
「なんだ、ただのゴミか。……ゴミを殺すと爪が汚れる。」
犬飼は吐き捨てると、俺の横を通り過ぎようとした。
その時だった。
崩れた地下街の入り口から、一人のサラリーマン風の男が這い出し、悲鳴を上げて駆け出した。
「た、助けてくれェッ! 化け物が、化け物がぁぁッ!」
男が犬飼の横を駆け抜けようとした、その瞬間。
ザシュッ。
犬飼が、煩わしそうに腕を振るっただけだった。
濡れた雑巾を絞るような、湿った音。
男の身体が、腰から上下にズレた。
上半身が雪の上に滑り落ち、ワンテンポ遅れて、断面から鮮血と内臓が噴水のようにぶち撒けられた。
バターのように。
あまりにも軽く、抵抗なく、人の命が断たれた。
ブシャッ。
強風に煽られた血飛沫が、俺の顔面に降りかかった。
熱い。
マイナス一五度の極寒の中で、その液体の熱さだけが異常に生々しく、鼻をつく鉄の臭いが脳髄を犯していく。
俺は動けなかった。
怒りで震えることさえできなかった。
ただ、圧倒的な暴力の前に魂ごと凍りつき、牙を剥くことさえ許されない「弱者」であることを刻印された。
犬飼は血糊を振るうことすらせず、雪原の向こうへと消えていった。
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震えが止まらない。
俺は顔についた血を拭うことも忘れ、足元に落ちていた折れた鉄パイプを握りしめた。
武器ではない。ただのすがりつく杖だ。
ザッ、ザッ。
雪を踏む音がした。
犬飼ではない。別の気配。
「……誰だ。」
俺は周囲を見渡した。
誰もいない。
ただ、白い雪が舞っているだけだ。
だが、確かに気配がある。
チリチリと、右目の視界の端が焦げ付くような違和感を覚えた。
頭痛がする。
空間が歪んでいる。
雪の降る軌道が、ある一点だけ不自然に避けている。
そこにあるのは透明人間ではない。
風景に溶け込もうとする、デジタルな「ノイズ」のような違和感だ。
不意に、右目の奥が焼けるように疼いた。
網膜に、赤い文字が焼き付けられる。
【敵性存在ヲ感知】
幻覚じゃない。
俺の脳が、敵の存在を強制的に認識させられている。
眼球が熱い。情報が焼き付けられる痛み。
No.03、岩滑ソウ。
『隠者の外套』を纏った、見えざる刺客。
「そこにいるのか。」
返事はない。
だが、明確な殺意が肌を刺す。
死ぬ。
殺される。
サチとヤマトを助けるどころか、俺はここで、誰にも知られずに死ぬんだ。
「嫌だ……ッ!」
俺は叫んだ。
恐怖よりも、喪失への拒絶が勝った。
俺は考えなかった。感じるがままに、視界のノイズの中心へ向かって、鉄パイプを全力で振りかぶった。
「う、おおおおおおッ!!」
理不尽への怒りを、全てその一撃に乗せる。
空を切る感触ではない。
ガゴッ。
掌に、硬い抵抗が走った。
何かに当たり、そして――それが砕ける感触。
スイカを叩き割ったような、あるいは濡れた粘土を握りつぶしたような、不快で生々しい手応えが、鉄パイプを通して骨の髄まで響いた。
「あ、が……?」
空中に、唐突に「赤」が爆ぜた。
ノイズが晴れ、一人の少年が姿を現す。
年齢は俺と同じくらいか。
迷彩柄のパーカーを着て、手にはナイフを持っていた。
だが、その頭蓋は俺のパイプによって陥没していた。
少年が膝から崩れ落ちる。
その瞳が、俺を見た。
冷酷な殺し屋の目ではない。
教室の隅で息を潜めていた、いじめられっ子のような、怯えと懇願に満ちた瞳。
彼はただ、この理不尽な世界で「空気」になりたかっただけなのかもしれない。
「痛、い……たすけ……て……。」
ドサリ。
少年は雪の上に倒れ、動かなくなった。
彼を覆っていた透明な膜が解け、ただの死体へと変わる。
崩れた頭部から溢れ出した脳漿と血が、白い雪をどす黒く溶かしていく。
鼻をつく、甘ったるい生臭さ。極寒の風の中でも消えない、死の匂い。
俺の手を見る。
鉄パイプには、べっとりと血と髪の毛が付着していた。
それは、ひどく温かかった。
数時間前、サチが淹れてくれたココアの温もりとは対極にある、冒涜的な熱量。
「おえっ……。」
胃液がこみ上げる。
俺は殺した。
人を。生身の人間を。
俺はもう、被害者じゃない。手を汚した加害者だ。
---
グォォォォン……。
その時、重苦しいディーゼルエンジンの音が、吹雪の向こうから近づいてきた。
強烈なヘッドライトの光が、血塗れの俺と少年の死体を照らし出す。
現れたのは、巨大なトラックだった。
工事現場で見るような大型車両だが、キャビンには鉄板が溶接され、フロントバンパーには雪を掻き分けるV字型のプラウが装着されている。
まるで、戦場を走る装甲車だ。
ドアが開き、一人の男が降りてきた。
オイルの染み付いた作業着。無精髭。
五〇代半ばだろうか。目にはサングラスをかけ、片手にはスパナをぶら下げている。
権田テツオ。
彼は足元の少年の死体を見ても、眉一つ動かさなかった。
「……透明化のガキか。まさか覚醒したての素人が、鉄パイプ一本でブチ殺すとはな。」
男は感心したように、しかしどこか冷めた調子で言った。
俺は嘔吐感に耐えながら、パイプを構え直した。こいつも敵か。
「……誰だ。あんた、何を知ってる。」
男はサングラスをずらし、俺の顔を覗き込んだ。
その目は、全てを見透かすように鋭く、そして冷徹だった。
「俺はただの通りすがりの重機屋だ。……だが、お前よりはこのクソッタレな世界の変調に詳しい。」
男が死体の脇に落ちていた何かを拾い上げた。
ボロボロの布切れに見えるが、それが微かに青い光を放っている。
「遺物だ。世界が書き換わっちまった証拠だよ、少年。」
書き換わった?
遺物?
何を言っているんだ。
だが、この男の言葉には、確信めいた重みがあった。
まるで、こうなることを最初から知っていたような。
「妙だと思わねえか。吹雪にしては、空気が軽すぎる。」
テツオは空を見上げ、煙草の煙を吐き出した。
「まるで、予算不足の映画のセットみたいに、背景が書き割りになっちまったみたいだ。……この空気の軽さは、世界が死にかけている証拠だ。」
「……なんで、アンタはそんなに詳しいんだ。」
俺の不信感に、テツオはニヤリと笑った。
彼は汚れた軍手をはめた手を、俺に差し出した。
救いの手ではない。地獄への片道切符を渡すような、冷たく、計算高い大人の手。
「お前、右目の奥に『何か』が見えるな?」
核心を突く問い。
俺の視界には、依然として赤いログが焼き付いている。
【討伐完了:No.03】
【レベルアップ】
俺はパイプを下ろせなかった。
雪の上に落ちていたヤマトのスマホが、一瞬だけ画面を明滅させた。
ひび割れた液晶に『着信:サチ』の文字が浮かび、そして電池が切れてプツンと消えた。
日常は死んだ。
俺の手の中には、血のついた鉄と、取り返しのつかない罪だけが残されていた。
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生き残るために、奪う側へ回る。 その罪悪感に嘔吐するタケルの前に現れたのは、除雪トラックを駆る男、権田テツオでした。 次回、二人は鉄の棺桶「北狼号」に乗り込みます。




