Episode 009-3: 確率の処刑
仲間のサポートで作られた、一瞬の隙。 タケルはその「0.01%」の勝機に全てを賭けて飛び込みます。 「運命なんて、計算でねじ伏せるものだ!」 鉄パイプがカズマのコインを弾き飛ばし、その顔面を捉える。
【登場キャラクター】
高瀬タケル: 運命論者を否定し、自らの手で未来を掴み取る。
権田テツオ: 若者たちの連携に舌を巻く。
霧隠スイ: 作戦成功を喜ぶ。
空閑マイ: 冷静に援護を完了する。
九条カズマ: 敗北の瞬間、初めて「運」ではなく「実力」の差を知る。
Part 3: Destruction of Calculation
北狼号が猛スピードで九条カズマの横をすり抜けた、その一瞬。
俺は助手席のドアを蹴り開け、時速一〇〇キロ近い速度で流れる景色の中へと身を投げ出した。
自殺行為だ。
まともな神経なら絶対に選ばない選択肢。
ましてや、ここはまだカズマの支配する「確率の処刑場」の中だ。俺が地面に触れた瞬間、何が起きるかは予測がついている。
ダンッ!
足裏が地面を捉える。
その瞬間、パキィッという硬質な音が響いた。
俺が踏み込んだ一点だけ、アスファルトの下に空洞があったかのように陥没し、張っていた氷が砕けたのだ。
足首を捻る激痛。バランスが崩れる。
同時に、着地の衝撃でパーカーの袖が何かに引っかかり、ビリリと裂ける音がした。
不運は続く。
転倒した先に、偶然にも鋭利な鉄片が落ちていて、それが俺の脇腹を浅く切り裂く。
体勢を崩し、傷を負う。
普通の人間なら、そこで終わりだ。
転倒し、無様に地面を転がり、カズマの嘲笑を浴びながら、飛来する鉄骨に潰されて死ぬ未来。
だが。
「……想定内だ。」
俺は、崩れた体勢を立て直そうとはしなかった。
逆に、重力に従って体を前方へ倒し、その転倒エネルギーを回転運動へと変換した。
グルンッ!
泥水の中を一回転。
全身が冷たい汚泥にまみれる。
顔にも泥が跳ね、口の中に鉄錆と土の味が広がる。
だが、その回転の勢いを利用して、俺は再び立ち上がり、さらに加速した。
つまずくなら、転がりながら進めばいい。
服が裂けようが、肉が切れようが、骨さえ無事なら走れる。
不運が確定しているなら、それを織り込み済みの「前提条件」として動く。
それが、地獄を歩く者の作法だ。
泥だらけの野良犬が、牙を剥いて飛びかかる。
対するカズマは、泥一つない高級スーツに身を包んだまま、驚愕に目を見開いていた。
「なっ……!?」
カズマの整った顔が歪む。
彼の計算式には、この泥臭い変数は含まれていなかったはずだ。
人間は転べば止まる。痛ければ怯む。
そんな常識的な「データ」など、今の俺には通用しない。
距離、残り五メートル。
俺は背中に手を回した。
リュックのサイドポケットに差し込んでいた、札幌から背負い続けている薄汚い相棒。
ジャキッ!
俺は、錆びついた鉄パイプを引き抜いた。
剣でも銃でもない。ただの工業廃棄物。
だが、今の俺にとっては、どんな聖剣よりも頼りになる「質量」だ。
「ありえない……!」
カズマが後ずさる。
その顔に浮かんでいるのは、理解不能なバグに直面したプログラマーのような焦燥だった。
「バッドエンドは確定していたはずだ! 僕の『カジノ』の中で、確率ゼロの壁を越えられるはずがない!」
「……ああ、俺一人ならな。」
俺は泥だらけの顔で、ニヤリと笑った。
俺一人なら、お前の計算通りに死んでいただろう。
だが、今の俺には聞こえている。
背後で遠ざかるエンジンの音。
風を切り裂く矢の音。
そして、インカム越しに響く、生意気な少女の声。
「お前の計算式には、変数が足りてないんだよ。」
俺はパイプを振りかぶった。
カズマとの距離、残り二メートル。
「俺以外の『誰か』の意志。……それがお前の敗因だ。」
「来るなァッ!!」
カズマが絶叫し、最後のコインを空中に放り投げた。
彼の切り札。絶対防御のコイン・トス。
あれが空中で回転している限り、俺の攻撃は「足が滑る」「パイプがすっぽ抜ける」「心臓発作が起きる」などの事象によって、一〇〇%回避される。
コインが頂点に達する。
カズマの口元に、安堵と勝利の笑みが戻りかけた、その時。
キィィィィィン!!
鋭い金属音が響いた。
カズマの手元へ落ちてくるはずだったコインが、横から飛来した「何か」に弾き飛ばされたのだ。
マイの矢だ。
風を読み、物理法則だけを信じた彼女の一撃が、神気取りのギャンブラーから「最後の運」を奪い去った。
カズマの目が点になる。
コインがない。防御がない。
そこにあるのは、無防備な顔面と、確定した「暴力」だけ。
「バカな、変数が……計算、できな……ッ!」
「終わりだ。」
俺は踏み込んだ。
もはや不運は起きない。
足元の氷も、吹き荒れる風も、俺を止めることはできない。
俺は渾身の力を込めて、鉄パイプを振り抜いた。
ゴシャァッ!!!
重く、鈍く、湿った破壊音が響き渡った。
魔法のエフェクトなどない。光も飛び散らない。
硬い鉄が、柔らかい人体と衝突し、顔面の骨を砕き、肉を潰す、純粋で残酷な物理現象の音。
手に伝わる感触は、最悪だった。
硬いものがグニュリと潰れる抵抗感。
鉄パイプを通して、骨の砕ける振動が直接掌に響く。
カズマの綺麗な顔面が、スローモーションのようにひしゃげていく。
鼻梁が折れ、歯が飛び、眼球が圧迫される。
整えられた髪が乱れ、紫色のスーツが泥と油と、そして噴き出した鮮血で汚される。
彼は悲鳴を上げることもできず、ただの肉塊となって吹き飛ばされた。
ドサッ……ズザザ……。
カズマの体は、数メートル後方の泥濘に叩きつけられ、滑って止まった。
勝った。
俺は残心を解かず、ゆっくりと近づいた。
肩で息をするたびに、白い呼気が揺れる。
そこには、コインも、計算も、運も失った。
人間が転がっていた。
カズマは、仰向けに倒れていた。
顔面の半分が陥没し、誰だか分からないほどに腫れ上がっている。
口と鼻から、どす黒い赤色の血がゴボゴボと溢れ出し、白い雪を汚していく。
手足が、ビクッ、ビクッと痙攣している。
「あ……が……、く……。」
彼はまだ生きていた。
だが、その瞳はもう焦点が合っていない。
虚空を見つめ、泡を吹きながら、うわ言のように何かを呟いている。
「……かくりつ……ぜろてん……さん……ばぐ……。」
最期まで、数式。
彼は自分の死すらも計算しようとして、そして答えが出せないまま、エラーを吐いて壊れていく。
やがて、痙攣が止まった。
大きく見開かれた瞳から、光が消える。
胸の上下動が止まる。
死んだ。
俺が、殺した。
その事実を直視した瞬間、胃の奥から冷たいものがせり上がってきた。
ズキン。
右目の奥が疼いた。
HUDが無機質なログを表示する。
【System Alert】
【Target "No.503" Vital Signs: Lost】
【Condition Met: Usurpation Initiate】
簒奪、開始。
俺の体の中で、何かが蠢いた。
カズマの死体から立ち昇る、見えない「何か」――彼の未練か、怨念か、あるいは能力の残滓か。
それが黒い粘液のように俺の肌にまとわりつき、毛穴から侵入してくる感覚。
【Ability Acquired: Probability Bias (Local)】
能力獲得。
だが、それはゲームのレベルアップのような、晴れやかな快感ではなかった。
気持ち悪い。
他人の人生を、他人の死に顔を、無理やり自分の魂に縫い付けられるような、生理的な嫌悪感。
鉄パイプに残った、カズマの血と脂の感触が、洗っても落ちない汚れのように俺の手を侵食している。
「……ッ、ぅ。」
俺は口元を押さえ、こみ上げる吐き気を飲み込んだ。
これが、生存の代償だ。
俺たちはモンスターを倒して経験値を得ているんじゃない。
同じ人間を殺し、その死体を踏み台にして、継ぎ接ぎの怪物になっていく。
風が吹いた。
カズマの死体の髪を揺らし、俺の熱くなった頬を冷やす。
周囲の景色は、何事もなかったかのように静まり返っていた。
看板が落ちることも、地面が割れることももうない。
ただ、一人の男の死体が、工場の片隅で冷たくなっていくだけだ。
俺は鉄パイプを振って血を払い、リュックのサイドポケットに雑に突き刺した。
その重みが、以前よりも少しだけ増したような気がした。
Would you like me to proceed to Episode 009_Part 4: The First Victory?
お読みいただきありがとうございます。 勝利の味。 次回、Episode 009完結。初めてのチーム戦勝利と、ささやかな祝杯。




