Episode 008-3: 空の墓標
空港を巣くう怪鳥の群れが襲来します。 マイの放つ矢は、風を読み、ありえない軌道を描いて敵を穿つ。 タケルは彼女を守るため、地上を走り回る。 「空は閉ざされた。……だが、地面ならまだある!」
【登場キャラクター】
高瀬タケル: 彼女の固定された足を、物理的に解放しようとする。
権田テツオ: 北狼号で地上からの援護射撃を行う。
佐藤 "シュガー" ケンジ: 弾薬の補給を行う。
霧隠スイ: 敵の位置情報を共有する。
空閑マイ: 弓の名手。風を読む力で、タケルの「目」となる。
Part 3: The Arrow that Pierces the Vacuum
鉛色の雲が、内側から食い破られた。
キィィィィン……!!
不快な金属音が、真空のような静寂を引き裂いて降り注ぐ。
雲の切れ間から溢れ出したのは、無数の黒い点だった。
急速に拡大するそれらのシルエットは、鳥というにはあまりに大きく、そして歪だった。
翼竜のような翼。黒曜石のように鋭利な嘴。
この壊れた世界が生み出した、空の捕食者たち。
その数、十体以上。
統率された編隊を組み、静止したジャンボジェット機の脇をすり抜けて、一直線に地上へと急降下してくる。
標的は、滑走路の中央に固定された、ただ一人の少女。
「……南南東、仰角四五度。」
空閑マイは、迫りくる死の群れを前にしても、眉一つ動かさなかった。
彼女は、巨大なコンパウンドボウ(複合弓)を垂直に構え、滑車が軋む音と共に弦を限界まで引き絞った。
彼女の視線は、敵を捉えていなかった。
もっと別のもの――空間を流れる不可視の「風」を見ている。
ギリリリッ……。
張り詰めた弦が、指先から放たれた。
ビュンッ!!
鋭い風切り音。
放たれた太いカーボン矢は、敵に向かって直進しなかった。
まるで意志を持った生き物のように、大きく右へとカーブを描く。
ありえない軌道。物理法則を無視した曲射。
先頭を飛んでいた怪鳥が、本能的な危機感からか、急旋回で回避行動を取った。
だが、矢はその回避先へ吸い込まれるように飛来した。
ドスッ!!
重く、湿った音が響く。
矢じりが怪鳥の眼球から脳天へと深々と突き刺さり、貫通した。
断末魔の悲鳴すら上げる間もなく、空の捕食者はただの肉塊となって墜落し、滑走路に激突して赤い染みを作った。
「……風速三、修正プラス〇・五。次。」
マイは墜落した敵に一瞥もくれず、次弾をつがえた。
その動作は、工場の機械のように洗練され、無駄がない。
感情も、恐怖も、焦りさえもない。
ただ、空路を塞ぐ障害物を排除するという、事務的な処理だけが存在した。
ビュンッ! ビュンッ! ビュンッ!
三連射。
放たれた矢は、それぞれ異なる放物線を描き、風に乗り、そして三体の怪鳥の心臓を正確に射抜いた。
凄まじい。
俺は息を呑んでその光景を見守っていた。
彼女は、この空港に縛り付けられた囚人でありながら、同時にこの領域の絶対的な支配者でもあった。
彼女の射程圏内に入った瞬間、あらゆる飛行物体は「撃墜されるべき標的」へと変換される。
だが。
「……多すぎる。」
テツオが低く唸った。
第一波が墜とされた直後、雲の中からさらなる増援が現れたのだ。
今度は二十体近い。
しかも、奴らは学習していた。一直線に突っ込むのではなく、散開し、マイを取り囲むように波状攻撃を仕掛けてくる。
マイの手が止まることはない。
だが、物理的な限界がある。
矢を矢筒から抜き、弦につがえ、引き絞る。
その一連の動作には、どうしてもコンマ数秒の隙が生じる。
そして何より、彼女には致命的な弱点があった。
足だ。
右足が地面と癒着し、固定されている。
彼女は旋回するために、軸足を中心にして体をねじらなければならない。
そのたびに、金属化した皮膚が引きつり、鮮血がアスファルトに滴り落ちる。
痛みが、反応を遅らせる。
旋回速度が、敵の機動力に追いつかない。
キィィィィン!!
敵の一体が、大きく迂回してマイの背後へと回り込んだ。
マイは気づいている。
だが、正面の敵に対処した直後だ。体が回りきらない。
「くっ……!」
彼女が歯を食いしばり、無理な体勢で振り返ろうとする。
だが、遅い。
怪鳥が翼を畳み、弾丸のように急降下してくる。
その鋭利な鉤爪が、彼女の無防備な背中へと迫る。
届かない。
彼女の弓では、この距離と角度は狙えない。
死ぬ。
そう確信した瞬間、俺の体は動いていた。
俺は北狼号の陰から飛び出した。
手には、工事現場で拾った鉄パイプ。
冷たい鉄の感触を握りしめ、地面を蹴る。
間に合え。
怪鳥の爪が、マイの軍服を引き裂こうとした、その刹那。
ガギィィィンッ!!!
鈍く、重い衝撃音が響いた。
俺は横合いから滑り込み、フルスイングで鉄パイプを怪鳥の横腹に叩き込んだ。
骨が砕ける感触。
怪鳥が軌道を逸らされ、無様に地面へ転がる。
「……上ばかり見てるからだ。」
俺は鉄パイプを構え直し、マイの背中を守るように立った。
マイが驚愕に見開かれた目でこちらを見る。
「あなた……!」
「お喋りは後だ! 来るぞ!」
上空。
獲物を横取りされた怪鳥の群れが、一斉にターゲットを俺たちに変更し、襲いかかってくる。
空を覆う黒い影。
弓矢のような繊細な武器じゃ、この数は捌ききれない。
なら、泥臭くやるだけだ。
「テツオさん! シュガー!」
俺が叫ぶと同時に、背後から爆音が轟いた。
ズドォォォン!!
テツオの持つポンプアクション式の散弾銃が火を噴いた。
散弾の面制圧。
密集して突っ込んできた数体の怪鳥が、蜂の巣になって空中で弾け飛ぶ。
「へっ! デカいハエ叩きだぜ!」
テツオがジャキッとフォアエンドをスライドさせ、次弾を装填する。
「お次はこっちだ! 丸焼きにしてやるよ!」
シュガーが走り込みながら、手に持った業務用のガスバーナー(あるいは自作の火炎放射器)のバルブを開いた。
ゴォォォォッ!!
紅蓮の炎が噴き上がる。
だが、直接敵を焼くのではない。
彼は地面と空気を焼いた。
急激な温度上昇によって発生した熱気流が、上空の気流を乱す。
繊細なバランスで飛行していた怪鳥たちが、煽られて体勢を崩す。
「今だ、タケル!」
失速し、高度を下げた敵の群れ。
そこへ、俺は突っ込んだ。
殴る。蹴る。叩き潰す。
マイのような美しい技術などない。
ただの暴力。生存本能丸出しの乱闘。
一匹の首をパイプでへし折り、別の一匹の翼を踏み砕く。
返り血を浴び、泥にまみれながら、俺たちは地を這う獣として空の捕食者を蹂躙した。
数分後。
最後の怪鳥が、テツオの銃弾を受けて墜落した。
ビクビクと痙攣し、やがて動かなくなる。
再び、静寂が戻ってきた。
だが、それはさっきまでの「死んだような静けさ」とは違う。
荒い息遣いと、火薬の臭い、そして生々しい血の熱気が漂う、生存の余韻だった。
「……はぁ、はぁ。」
俺は鉄パイプを下ろし、肩で息をした。
振り返ると、マイが呆然と立ち尽くしていた。
彼女の足元には、俺たちが殺した怪鳥の死骸が無惨に転がっている。
彼女の放つ「綺麗な死」とは対照的な、破壊された肉塊。
「……余計なことを。」
マイが、震える声で言った。
彼女は弓を下ろし、俺を睨みつけた。
「私は一人で守れる。あなたたちの助けなんて、必要ない。」
強がりだ。
俺たちが来なければ、彼女は今頃、背中を食い破られて死んでいただろう。
だが、彼女はその事実を認めようとしない。
認めてしまえば、自分がここで待ち続けてきた意味が、そしてこの足枷の痛みが、無駄だったことになってしまうから。
俺は、無言で彼女に近づいた。
そして、彼女の胸倉を掴んだ。
「きゃっ!?」
マイが小さな悲鳴を上げる。
俺は彼女を強引に引き寄せ、顔を近づけた。
彼女のガラス玉のような瞳に、泥と血で汚れた俺の顔が映る。
「……いい加減に認めろ。」
俺は、低くドスの効いた声で言った。
そして、空いている方の手で、上空を指差した。
「あれは、動かない。」
俺の指差す先。
そこには、相変わらずピクリとも動かない、巨大なジャンボジェット機があった。
ノーズを下げ、墜落寸前の姿勢で凍りついた鉄の塊。
エンジンは沈黙し、客席の窓には明かり一つない。
それは待機しているんじゃない。
死んでいるのだ。
世界そのものがバグって、落下というプロセスさえ放棄してしまった、巨大な墓標。
「あの子は……待ってるのよ。」
マイが、涙目で反論する。
「着陸許可を待ってるの。私が誘導してあげなきゃ、降りてこられないの!」
「違う。」
俺は否定した。
言葉のナイフで、彼女の妄想を切り裂く。
「お前がどれだけ待っても、どれだけ綺麗に掃除しても、空はもう死んだんだ。……あれは二度と降りてこない。」
マイの顔が蒼白になる。
彼女にとっての信仰、生きるよすがを否定された絶望。
俺は、彼女の胸倉から手を離し、その視線を地面へと向けさせた。
血と泥にまみれた滑走路。
そして、彼女自身の足。
アスファルトに溶け込み、鎖のように彼女を縛り付けている金属の呪い。
「だが、地面ならまだ走れる。」
俺は言った。
「空を見るな。地を見ろ。……お前を縛っているのは、あの飛行機じゃない。お前自身の『諦めきれない心』だ。」
マイが崩れ落ちそうになる。
俺はその肩を支えた。
残酷な現実。
だが、それを直視しない限り、彼女はこの動かない時間の牢獄から、永遠に出ることはできない。
「……行くぞ。」
俺は彼女の手を取り、北狼号の方へと歩き出した。
彼女の足が、ギチリと嫌な音を立てて抵抗する。
だが、俺は構わずに引いた。
この呪いを解く方法は、たった一つ。
物理的に、その鎖を断ち切ることだけだ。
Would you like me to proceed to Episode 008_Part 4: Target Lock?
お読みいただきありがとうございます。 重力を断ち切る痛み。 次回、Episode 008完結。ターゲット・ロック。彼女は新しい「翼」として北狼号を選びます。




