表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/47

Episode 008-1: 空の墓標

新千歳空港周辺。 そこには、空中で「処理落ち」して静止したジャンボジェット機が浮いていました。 異様な光景の下、滑走路で一人、弓を構える女性。 彼女は動かない飛行機を守り、近づくヴォイドを撃ち落とし続けていました。

【登場キャラクター】

高瀬タケル: バグった空の景色に、世界の終わりの質感を見る。

権田テツオ: 異常な光景に言葉を失う。

佐藤 "シュガー" ケンジ: 空港に残された物資に目を光らせる。

霧隠スイ: 先行偵察を行い、滑走路の人物を発見する。

空閑マイ: 元自衛官。足が金属化し、滑走路に縛り付けられている。

Episode 008: The Cenotaph of the Sky


Part 1: The Sky That Cannot Fly


 世界が、バグっていた。


 北狼号が、千歳基地の敷地境界線を越え、新千歳空港の広大な滑走路エリアへと侵入した瞬間のことだった。

 俺は、強烈な吐き気に襲われた。


「……う、っぷ。」


 胃袋が裏返るような感覚。

 乗り物酔いではない。

 もっと脳の深い部分、平衡感覚を司る三半規管が、視覚情報との致命的なズレを起こして悲鳴を上げているのだ。

 いわゆる、「3D酔い」に似た感覚。


「おい、タケル。大丈夫か?」


 ハンドルを握るテツオが、心配そうに声をかけてくる。

 俺は口元を押さえながら、脂汗の滲む額を窓ガラスに押し付けた。


「……気色が、悪いんです。」


「あ? 何がだ。」


「空です。……あれを、見てください。」


 俺は震える指で、フロントガラスの向こう、鉛色の空を指差した。


 テツオが視線を上げ、そして息を呑んだ。

 後部座席でふてくされていたスイも、窓の外を見て絶句した。


 そこには、あってはならない光景があった。


 空に、巨大な鉄塊が張り付いていた。


 ジャンボジェット機だ。

 かつて空の旅の主役だった、ボーイング747クラスの超大型旅客機。

 それが、滑走路の数百メートル上空に「いた」。


 飛んでいるのではない。

 浮いているのでもない。


 “止まっているのだ。”


 機首を大きく下げ、今にも墜落しそうな角度で。

 物理法則に従えば、次の瞬間には地面に激突し、爆炎を上げているはずの姿勢で。

 ピクリとも動かず、空中の一定座標に固定されている。


 エンジン音がない。

 風を切る音もない。

 主翼が受けるはずの揚力も、重力による落下も、そこには存在しない。


 まるで、再生中の動画の「一時停止ボタン」を突然押したかのように。

 時間と空間が、そこだけ凍結している。


「……なんだ、あれ。」


 テツオの声が震えていた。

 人間の脳は、「落ちるはずのものが落ちない」という矛盾を処理できない。

 見ているだけで、平衡感覚が狂い、地面が揺らいでいるような錯覚に陥る。


「バグってるのか? この世界ごと。」


 俺は呻いた。

 右目のHUDにノイズが走る。

 システムもまた、あの物体の運動エネルギーを計算できず、エラーを吐き続けている。


【Warning: Physics Error】

【Gravity: Null】

【Target Status: Frozen】


 気持ちが悪い。

 あまりにも静かで、あまりにも巨大な「エラー」が、俺たちの頭上を覆っている。


 北狼号は、静まり返った滑走路を進んだ。

 かつては数分おきに離着陸が行われ、多くの人々が行き交った北の玄関口。

 今は、風の音さえしない、真空パックされたような死の世界だ。


 俺は、視線を空から地上へと戻した。

 そして、二度目の吐き気を催した。


 道がない。

 広大なアスファルトの滑走路が、埋め尽くされていた。


 雪ではない。

 死骸だ。


「……ひでぇな。」


 シュガーが、窓に張り付いて呟いた。


 そこは、鳥たちの墓場だった。


 カラス、スズメ、トビ。

 ありとあらゆる「飛ぶもの」が、地面に叩きつけられ、無惨な肉塊となって散乱している。

 それだけではない。

 体長数メートルはある「翼竜のような怪物」たちもまた、墜落し、折り重なるように死んでいた。


 見たことのない生物だ。

 黒い皮膚、鋭い爪、そして歪な翼。

 この世界が壊れてから現れた、新種の捕食者なのだろうか。

 そんな異形の群れが、何千、何万という数で、滑走路を埋め尽くす黒と赤の絨毯となっている。


 だが、何より異様なのは、その死に方だった。


 俺は目を凝らした。

 近くに転がっている怪物の死骸。

 その脳天に、何かが突き刺さっている。


 矢だ。

 カーボン製の、無骨で太い矢。


 他の死骸も見た。

 心臓、翼の付け根、眼球。

 全ての死骸が、たった一本の矢で、急所を正確に貫かれていた。


 爆発や魔法ではない。

 純粋な運動エネルギーによる、物理的な狙撃。

 空を飛ぶ高速の標的を、地上から弓矢で撃ち落とす?

 一羽や二羽じゃない。この数を?


「……誰か、いるぞ。」


 テツオがブレーキを踏んだ。

 北狼号が、キキーッと音を立てて停止する。


 前方。

 死骸の山が最も高く積み上げられた場所。

 一種の「塔」のようになったその頂上に、人影が立っていた。


 一人の女性だった。


 俺たちは車を降りた。

 冷たい空気が肌を刺す。だが、ここには風がない。

 上空の飛行機と同じように、空気の流れさえも止まっているような、不自然な静寂。


 俺は、その女性を見上げた。


 年齢は二〇代半ばだろうか。

 着崩した航空自衛隊(JASDF)の制服。

 泥と油で汚れ、袖は破れているが、階級章だけは鈍く光っている。

 長い黒髪を無造作に束ね、背中には身の丈ほどもある巨大な弓――コンパウンドボウを背負っていた。


 彼女は、俺たちに背を向けていた。

 侵入者が来たことになど気づいていないのか、あるいは興味がないのか。

 ただひたすらに、上空を見上げている。


 あの、静止したジャンボジェット機を。


「……今日も、落ちてこないね。」


 ポツリと。

 彼女の声が、静寂の中に響いた。

 それは独り言のようであり、誰かに語りかけるようでもあった。


 その声色には、狂気も殺気もなかった。

 ただ、恋人を見るような、あるいは遠くへ行ってしまった子供の帰りを待つ母親のような、慈愛と諦観が入り混じった響き。


 上空の「静止した美しい機体」と、彼女の足元に広がる「血と泥にまみれた鳥や怪物の死骸」。

 天上の美と、地上の醜。

 そのコントラストが、俺の網膜に焼き付く。


「……あの、すいません。」


 俺は声をかけた。

 彼女の肩が、ピクリと動いた。


 ゆっくりと、彼女が振り向く。

 その瞳は、ガラス玉のように透き通っていて、どこか焦点が合っていなかった。

 俺を見ているようで、俺の後ろにある虚空を見ている。


 ズキンッ。


 右目が疼いた。

 HUDが自動的に彼女をロックオンし、解析を始める。


【Target Identified】

【Name: Mai Kugama (空閑 マイ)】

【Affiliation: JSDF (Former) / 203rd Tactical Fighter Squadron】


 元自衛官。

 やはり、この空港の生き残りか。


 だが、次の行に表示されたステータスを見て、俺は息を呑んだ。


【Status: Anchored (Critical)】


 アンカード。

 固定されている?


 俺は、彼女の足元に視線を落とした。


「……っ!?」


 心臓が、早鐘を打った。


 彼女は、死骸の山の上に立っているのではなかった。

 埋まっているわけでもない。


 融合していた。


 彼女の両足。

 自衛隊仕様のコンバットブーツ。

 その底が、滑走路のアスファルトや、そこに埋め込まれた誘導灯のガラスと、ドロドロに溶け合って一体化していた。


 違う。

 ブーツだけじゃない。

 破れたズボンの裾から覗く、彼女の足首。

 白い皮膚が、徐々に金属的な光沢を帯び、錆びついた鉄骨のような質感へと変質しながら、地面へと「根」を張っている。


 鎖で繋がれているのではない。

 物理的に、生物的に、彼女という存在がこの滑走路の一部として組み込まれているのだ。


 そこから、一歩も動けない。

 トイレに行くことも、雨風をしのぐこともできない。

 ただこの場所で、弓を引き、空を見上げ続けることしか許されていない。


 これは、守っているのではない。

 縛り付けられているのだ。

 この「動かない空」の下に。


「……貴方たちも、飛びに来たの?」


 空閑マイが、ふわりと笑った。

 その笑顔は、足元の惨状とは裏腹に、聖母のように穏やかで、そして決定的に壊れていた。


「ダメだよ。今はまだ、管制塔からの許可が出ていないから。」


 彼女は、自分の足枷など気にする様子もなく、再び空を指差した。


「ほら。あの子もずっと、着陸許可クリアランスを待ってるんだから。」


 俺は、言葉を失った。

 彼女が見ている世界と、俺たちが見ている世界は違う。

 彼女の中では、あの飛行機は止まっているのではなく、「待機」しているだけなのだ。

 永遠に訪れない許可を待ちながら、近づく鳥や怪物を「空路の邪魔者」として撃ち落とし続けている。


 空の墓守。

 いや、彼女自身が、生きたまま墓標の一部と化していた。


 俺の背後で、スイが小さく悲鳴を上げて口元を押さえた。

 テツオも、苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んでいる。


 静寂。

 音のない世界で、上空の鉄塊だけが、無言の圧力を放ち続けていた。


Would you like me to proceed to Episode 008_Part 2: The Gravity of Memories?

お読みいただきありがとうございます。 重力に呪われた整備士。 次回、彼女の足にかけられた「飛べない呪い」の正体。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ