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Episode 000-3: 境界の崩壊

テレビ塔が折れ、空が割れる。 逃げ惑うタケルたちの頭上に現れたのは、物理法則を無視した「黒い機体」でした。 必死に繋いだ手を、引き裂く時が来ます。

【登場キャラクター】

高瀬タケル: サチとヤマトを目の前で奪われ、絶望の中で彼らを追う決意をする。

黒猫: 崩壊する世界でタケルを導く謎の存在。

Part 3: The System Down


 音が、死んだ。


 会話も、風の音も、街の喧騒も。  すべてが、鼓膜を直接針で刺すような、超高音の不協和音に上書きされた。  数万個のスピーカーを一度にハウリングさせたような、この世のものとは思えない振動。


「……あ、がッ……!?」


 俺は耳を押さえ、その場に膝をついた。  平衡感覚が狂う。  見上げた空の「色」が、まるで古い壁紙のようにボロボロと剥がれ落ちていた。  鉛色の雲の裏側から覗いたのは、発光する幾何学的な亀裂。  脈動するその傷跡は、一瞬だけ世界を侵食し、火花を散らして弾けた。


 直後、テレビ塔が鳴いた。


 見間違えるはずもない、大通公園の象徴。  その巨大な鉄骨の塊が、目に見えない巨人の手で雑巾のように絞り上げられる。  ギギギ、ギギギギィッ!!  金属の断末魔と共に、へし折れた展望台が、粉塵を撒き散らしながら歩道へと降り注ぐ。


「走れッ!! 地下だ!!」


 ヤマトの叫び声が、轟音の隙間を縫って届いた。  ヤマトは顔を青白くさせ、俺の肩を強く突き飛ばす。


 足元が、揺れた。  地震じゃない。地面そのものが液状化し、アスファルトが生き物のように波打っている。  隣で足を取られたサチが、派手に転びそうになった。


「サチッ!!」


 俺は夢中で彼女の腰を抱きかかえ、強引に引き寄せる。  サチの手を握りしめる。  白いニットの手袋越しの体温。  絶対に離さない。この温もりだけは、何があっても。


「タケル君、怖い……っ! なんなの、これ!?」


「いいから走れ! ヤマトについて行くんだ!」


 喉を焼くような熱い砂埃。  逃げ惑う群衆の、言葉にならない絶叫が空気を震わせる。  すぐ横を走っていたサラリーマンの頭上に、崩落したビルの外壁が直撃した。


 グチャッ、という嫌な音がして、俺の頬に熱い液体が飛び散る。  鉄の匂い。生々しい、男の生きた証。  熱い。  気持ち悪いほどに、血は熱かった。  これが現実だ。悪い夢なんかじゃない。


「行け!! 止まるな!!」


 先導するヤマトに追い立てられ、地下への入り口に向かって、狂ったように足を動かす。  あと一歩。  あの階段を降りれば、地下へ潜れば助かる。そう信じた、その時。


 頭上の空気が、爆発した。


 ドォォォォンッ!!


 凄まじい風圧に押し潰され、俺はコンクリートの床に叩きつけられた。  舞い上がった粉塵の向こうから、金属を擦り合わせたような不気味な鳴き声を上げて、それは降りてきた。


 黒い、巨大な影。  攻撃ヘリのようにも見えるが、ローターも翼もない。  物理法則を嘲笑うように、それは空中に静止し、俺たちを見下ろしていた。


 衝撃波で身体が浮く。  繋いでいたサチの手が、指先からずるりと抜けていく。


「……あ。」


 時間が、引き伸ばされる。


 サチの指の温もり。  白いニットの手袋の感触。  爪の形。  それらが、ゆっくりと、確実に俺の手のひらから滑り落ちていく。


 待ってくれ。  離れるな。


 俺は必死に手を伸ばし、掴み返そうとした。  だが、俺の指先が掴んだのは、冷たい虚空だけだった。


「サチ!! ヤマト!!」


 黒い機体から、触手のような杭が射出された。  それは無慈悲に二人の身体を貫き、空へと吊り上げる。  滴り落ちる鮮血が、雪の上に赤いドットを描いていく。


「嫌だ……!! タケル!! 助けて!! 怖いよ、タケル!!」


 サチの声が、空に響く。  泣き叫び、足をバタつかせ、遠ざかる俺に向かって手を伸ばす。  その顔は涙でぐしゃぐしゃで、俺の名前を呼ぶ声だけが、焼き付くように耳に残る。


「タケルッ!! 助けてくれ!! 死にたくねえ、嫌だァァッ!!」


 あの冷静なヤマトが、見たこともないような形相で絶叫していた。  死への恐怖。生への執着。  親友の、剥き出しの悲鳴。  あいつが、あんな声を出すなんて。


 二人の叫びが、俺の鼓膜を抉り、生涯消えない傷を刻みつける。  黒い機体は、獲物をぶら下げたまま、猛烈な速度で空の彼方へと上昇していく。


「待て……待てよッ!!」


 俺は瓦礫の上を転がりながら、鉄パイプの破片を拾い上げ、空へ向かって投げつけた。  カラン、と乾いた音がして、パイプは地面に落ちた。  届かない。  遥か上空へ、二人が連れ去られていく。


(待って、行かないでくれ。)


 サチ。ヤマト。  置いていかないでくれ。  一人は嫌だ。嫌なんだ。  俺にはお前たちしかいないんだ。


(俺が助けるから。……今、助けに行くから。) (だから、待ってて。お願いだから、待っててくれ。)


 機体が、鉛色の雲の向こう側へ消えていく。  あっちだ。あっちに連れて行かれた。  方角なんて分からない。  ただ、二人が消えた「あっち」だけが、俺にとっての道しるべになった。


 音が遠ざかっていく。  残されたのは、俺の情けない呼吸音だけ。


 ふと、背筋が凍りついた。  音がしない。  ヘリが去ったから静かになったのではない。  空気そのものが、死んでいる。    俺の背後。札幌駅があった方向。  振り返った俺の目に、信じられない光景が飛び込んできた。


 JRタワーが、消えていた。


 崩れたのではない。  札幌の街で一番高いあのビルが、音もなく、ただ「白」に変わっていた。    雪じゃない。  景色が、建物が、そこにあったはずの空気が、奥から順番に消失していくのだ。    白が、迫ってくる。  あれに飲まれれば、俺という存在も、この痛みも、すべてが「無」になる。   (あそこにいたら、消える。) (……死ぬ。)


 理屈ではない。  根源的な「死」が、壁となって迫ってきている。  逃げなければならない。  白い虚無とは逆の方向へ。  あいつらが連れ去られた、あの闇の方へ。


 その白い絶望の中から、一匹の影が歩いてくる。


 黒猫だ。  先ほどの路地裏にいた、あの猫。  猫は消滅していくJRタワーを背に、平然とした足取りでこちらへ近づいてくる。  世界が終わろうとしているのに、その毛並みだけは艶やかで、不自然なほどに美しかった。


 金色の瞳が、涙と泥で汚れた俺を冷たく射抜いた。  助けてくれるわけでも、嘲笑うわけでもない。  ただ、猫は俺の前で立ち止まり、くるりと向きを変えた。


 あの黒い機体が消えた方向。  猫は尻尾を揺らし、その闇へ向かって歩き出した。


 そっちに行けば、道がある。  そっちに行けば、二人に会える。  猫の背中が、そう語っている気がした。


「……が、あ……っ。」


 声にならない声を上げ、俺はアスファルトに爪を立てた。  立ち上がろうとしたが、身体が動かない。  肋骨が折れているのか、呼吸をするたびに肺が焼けるような激痛が走る。  足が動かないなら、腕で進むしかない。


 ガリッ。  爪が剥がれる。  指先が潰れ、血が滲む。  その痛みが、俺を生の世界に繋ぎ止める唯一の楔だった。


 ズリ、ズリ、と。  俺は血の跡を引きずりながら、体を前へ運ぶ。


 背後から迫る「白」の圧力。  すべてを凍らせる冷気が、踵を掠める。


(今、行く。) (……今行くから。)


 サチ、そこにいろ。  ヤマト、手を離すな。   (絶対に、見つける。) (……絶対に。俺が、二人を、連れて帰るんだ。)


 視界が霞む。  意識が途切れそうになる。  それでも、俺は手を伸ばした。  猫の尻尾と、二人の残像だけを目印に。


 俺は泥にまみれた血だらけの手を、その果てしない闇へと伸ばした。


 指先が、何もない空に触れる。  視界が、真っ暗な闇に呑まれた。


[ System Message: Story Start. ]

プロローグ完結です。 サチとヤマトは連れ去られ、タケル一人が地獄と化した札幌に取り残されました。 次回より本編『Episode 001: 鋼鉄の洗礼』が始まります。 生き残るための、最初の殺意。

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