Episode 007-2: 燃料の代償
スピーカー越しの挑発。 彼女はタケルたちを拒絶しているのか、それとも試しているのか。 「私を見つけたら、ドアを開けてあげる」 広大な地下施設で、命懸けの「かくれんぼ」が幕を開けます。
【登場キャラクター】
高瀬タケル: 少女の心理的な隙(承認欲求)を読み取ろうとする。
権田テツオ: 広い施設内での索敵に神経を尖らせる。
佐藤 "シュガー" ケンジ: 少女の孤独な声色に何かを感じ取る。
女の声: 基地のシステムを掌握する謎の少女。
Part 2: The Invisible Negotiation
静寂が、冷たい泥のように俺たちの足元に沈殿していた。
北狼号のエンジンはもう停止している。
わずかに残った燃料を一滴でも温存するため、テツオがキーを抜いたのだ。
途端に、車体を震わせていた重低音が消え、代わりに圧倒的な「無音」が地下空間を支配した。
いや、完全な無音ではない。
『――警告。不正侵入者を検知。エリアB-4を封鎖します。』
頭上のスピーカーから、無機質なシステム音声が繰り返されている。
感情のない女の声。
それが、広大なコンクリートの壁に反響し、幾重にも重なって、亡霊の囁きのように降り注いでくる。
寒い。
屋外の、風が刃物のように肌を切り裂く寒さとは違う。
ここは地下特有の、湿気を帯びた粘着質の冷気が満ちていた。
じっとりと服の繊維に染み込み、体温を芯から奪っていく陰湿な寒さ。
俺はトラックの外に出て、自分の肩を抱いた。
吐く息が白い。
その白さが、非常灯の赤い光に照らされて、血の霧のように揺らめいている。
「……どうなってる。」
テツオが、苛立ちを隠さずにバールで近くの柱を叩いた。
カーン、という硬質な音が虚しく響き渡る。
「出口は塞がれた。暖房もねえ。おまけに食料庫は空っぽだ。……ここは避難所なんかじゃねえ。巨大な冷蔵庫だ。」
シュガーも、トラックのステップに腰掛けたまま、青ざめた顔で首を振った。
「冷蔵庫ならまだマシだ。電源が入ってりゃ、少なくとも凍死はしねえ。……ここは、廃棄された棺桶だよ。」
彼の軽口には、もういつもの覇気がない。
俺たちの体力は限界に近づいている。
追っ手からは逃げ延びたかもしれないが、それは単に処刑台が変わっただけのことなのかもしれない。
俺は、天井を見上げた。
無数に張り巡らされた配管と、ダクト。
その奥にあるはずの監視カメラを探す。
誰かが見ているはずだ。
この警報を鳴らし、隔壁を落とした「誰か」が。
『――警告。不正侵入者を検知……』
アナウンスは壊れたレコードのように、同じ言葉を繰り返している。
ただの自動プログラムなのか?
管理者はもういないのか?
その時だった。
ザッ、ザザッ……。
スピーカーの音声に、激しいノイズが走った。
不快な電子音が鼓膜を刺す。
『……あー、あー。テステス。マイクテスト、ワンツー。』
空気が変わった。
さっきまでの無機質な合成音声ではない。
明らかに異質な、人間味のある声が割り込んできた。
若い。
いや、幼いと言ってもいいかもしれない。
鈴を転がすような、軽薄で、可愛らしい少女の声。
この、コンクリートと鉄錆に覆われた殺伐とした地下要塞には、あまりにも不釣り合いな声色。
そのギャップが、背筋を這い上がるような不気味さを煽る。
『聞こえてる〜? そこの、薄汚いお兄さんたち。』
俺たちは顔を見合わせた。
テツオがバールを構え直し、虚空を睨みつける。
「……誰だ!」
彼の怒号が反響する。
スピーカーの向こうの少女は、クスクスと楽しげに笑った。
『わぁ、元気だねえ。でも顔色は最悪だよ? 唇、真っ青じゃん。』
彼女は見ている。
どこかにあるカメラ越しに、俺たちの惨めな姿を観察し、嘲笑っているのだ。
『早くしないと凍っちゃうね〜。ここの夜は、外よりも冷えるんだから。』
緊迫感のかけらもない。
まるで、放課後の教室で友達と雑談しているようなトーン。
それが余計に、俺たちの神経を逆撫でする。
「ふざけるな! ここを開けろ!」
テツオが叫んだ。
「俺たちは避難民だ! 燃料と食料を分けろとは言わねえ、せめてここから出せ!」
『え〜? そんな命令口調で言われてもなぁ。』
少女の声が、わざとらしく拗ねたような響きを帯びる。
『あたし、偉そうなオジサンって嫌いなんだよね。……それにさ、せっかく来てくれたお客さんだし。』
ザザッ、とノイズが混じる。
その奥で、彼女がニヤリと唇を歪めた気配がした。
『開けてあげてもいいけど〜。タダじゃつまんないし。』
「……何が望みだ。」
俺は、できるだけ冷静な声を絞り出した。
テツオを制止し、一歩前に出る。
交渉だ。相手には知性がある。なら、言葉が通じるはずだ。
「金か? 物資か? あいにく、俺たちはすっからかんだが。」
『いらなーい。そんなゴミ。』
即答だった。
彼女は、俺たちの持ち物になど興味がないようだ。
『あたしが欲しいのは、もっと面白いこと。……そうだなあ。』
スピーカー越しに、彼女が指をパチンと鳴らす音がした。
『ゲームしよっか。』
「……ゲーム?」
『そ。単純なゲーム。……「かくれんぼ」だよ。』
かくれんぼ。
その幼稚な単語が、この極限状況の中で異様に響く。
『あたしは、この広い基地のどこかにいます。お兄さんたちが、あたしを見つけられたら……ここのロックを解除してあげる。燃料も、ちょっとくらいなら恵んであげてもいいよ?』
悪くない条件だ。
だが、当然裏があるはずだ。
「……制限時間は?」
俺が聞くと、彼女は堪えきれないといった様子で吹き出した。
『あははっ! 冴えてるねえ、お兄さん!』
彼女の声が、甘く、残酷な響きを帯びて降ってくる。
『制限時間は……お兄さんたちが、カチンコチンに凍って死ぬまで!』
宣告。
彼女は、俺たちの窮状を完全に把握している。
燃料切れ。極寒の地下。逃げ場のない密室。
俺たちが時間をかければかけるほど、死に近づいていくことを知った上で、この残酷な遊戯を提案しているのだ。
嗜虐性。
安全圏から、蟻がもがき苦しむ様を虫眼鏡で観察する子供のような、純粋な悪意。
「……上等だ、クソガキ。」
テツオが低く唸った。
彼の目には、明確な殺意が宿っている。
「見つけ出して、そのふざけた口を二度と利けなくしてやる。」
『きゃはは! 怖い怖い! じゃあ、スタートね! がんばって〜!』
プツン。
通信が切れた。
再び、冷たい静寂と、機械的なシステム音声だけが戻ってきた。
俺は、すぐに右目のHUDを起動した。
索敵モード。全方位スキャン。
【Scanning Area: Sector B-4】
【Signal Analysis: Processing...】
この基地のどこかに、あいつはいる。
通信の発生源を逆探知できれば、居場所を特定できるはずだ。
だが。
【Target: None】
【Life Sign: Undetected】
反応がない。
生体反応はおろか、電子的な信号源さえも特定できない。
まるで、あのアナウンスの声だけが、亡霊のように空間から湧き出しているかのようだ。
透明化か?
あのファントム・グレイと同じように、あいつも姿を消しているのか?
あるいは、実体を持たない電子的な幽霊(AI)なのか?
「……クソッ。反応なしかよ。」
俺は舌打ちをした。
HUDのログが、虚しく明滅している。
だが、俺の中に小さな違和感が芽生えていた。
あいつは、なぜ声をかけてきた?
本当に俺たちを殺す気なら、黙って放置すればいい。
隔壁を閉じたまま、暖房を切って数時間も待てば、俺たちは勝手に凍死する。
リスクを冒してまで通信を繋ぎ、挑発する必要なんてないはずだ。
それに、あの口調。
『ねえ、聞いてる?』
『無視しないでよ』
言葉の端々に滲む、奇妙な切迫感。
あれは、ただのサディズムじゃない。
もっと別の、満たされない何かが透けて見える。
俺は、さっきの少女の声を脳内で再生した。
軽薄で、小馬鹿にしたような笑い声。
だが、その裏側に張り付いている、微細なノイズのような感情。
俺は知っている。
かつて、妹のサチが、俺の気を引くためにわざと悪戯をした時の、あの目。
あるいは、SNSで過激な発言を繰り返す顔の見えない誰かの、空虚な叫び。
「……これは、交渉じゃない。」
俺は呟いた。
自分の吐いた白い息が、目の前で揺れる。
「あいつは、構ってほしいだけだ。」
承認欲求。
誰かに見つけてほしい。
誰かに自分の存在を認識してほしい。
たとえそれが、殺し合いという歪な形であったとしても。
この広大な地下要塞で、たった一人。
誰にも知られることなく、誰とも関わることなく、ずっと俺たちのような「獲物」が来るのを待っていたとしたら?
「……テツオさん、シュガー。」
俺は二人を呼んだ。
「真正面から探しても、あいつは見つかりません。……罠にハマるだけです。」
「じゃあどうするんだ。」
「あいつの弱点を突きます。」
俺は、冷え切った指先を強く握りしめた。
「承認欲求。……それが、あいつの致命的なバグです。」
姿なき同居人との、神経戦が始まる。
俺たちは、あいつの用意したゲーム盤の上で踊らされるつもりはない。
盤面ごと、ひっくり返してやる。
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お読みいただきありがとうございます。 見つけてほしい、でも見つかりたくない。矛盾した心。 次回、タケルが選んだのは「説得」ではなく「捕獲」でした。




