表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/47

Episode 005-4: 認識の冬

サーバーからの完全なデータ削除。 タケルはついに、戸籍、住所、そして社会的なIDを全て失いました。 群衆の中で誰にも認識されなくなる孤独。北狼号の狭いキャビンだけが、彼が人間でいられる唯一の場所となります。

【登場キャラクター】

高瀬タケル: 住所不定の「幽霊」となり、システムから弾かれる。

権田テツオ: 落ち込むタケルに、無言で缶コーヒーを渡す。

佐藤 "シュガー" ケンジ: 温かい食事で、タケルの「存在」を繋ぎ止めようとする。

Part 4: The Nameless Road


 静寂が戻ったロビーに、俺たちの荒い息遣いだけが響いていた。


 足元には、破壊された保安ロボットの残骸が散らばり、黒いオイルと、細断された紙屑の山が、まるで現代アートのように不気味な模様を描いている。

 モニターは完全にブラックアウトし、もう何も映さない。

 『エラー個体』も、『排除対象』も、そして『高瀬タケル』という名前も、全てが電子の海へと消え去った。


「……行くぞ。」


 テツオが短く言った。

 俺たちは、泥で汚れた足跡を残しながら、出口へと向かった。


 自動ドアを無理やりこじ開け、外へ出る。

 途端に、猛烈な寒気が襲ってきた。

 鉛色の空から、また雪が降り始めている。


 ふと、正面玄関の方を見た。

 そこには、まだ数百人の市民が並んでいた。


 彼らは動かない。

 中で爆発音がして、煙が上がったはずなのに。

 誰も騒がず、逃げようともしない。

 厚着をして、マフラーで顔を覆い、ただじっと「自分の番」を待っている。


 システムからの「解散命令」がない限り、彼らはここで凍死するまで待ち続けるのだろうか。

 あのロボットたちが破壊され、受付が機能停止したことさえ知らずに。


「……おい!」


 俺は叫ぼうとした。

 逃げろ、ここはもう終わりだ、と。


 だが、シュガーの手が俺の肩を掴んだ。


「無駄だ。」


 彼は首を振った。その目は、どこまでも冷徹で、そして悲しげだった。


「見ろよ、あの目を。……あいつらはもう、思考を止めている。」


 言われて、俺は並んでいる老人の顔を見た。

 焦点が合っていない。

 生気がない。

 まるで、バッテリーの切れた人形のようだ。

 彼らはもう、「生きる」ことを諦め、システムに身を委ねて楽になることだけを望んでいる。


 俺の声なんて、届かない。

 俺はもう、彼らにとって認識できない「幽霊」なのだから。


 俺は拳を握りしめ、彼らに背を向けた。

 救えない。

 自分のIDさえ守れなかった俺に、他人を救う資格なんてない。


 路肩に止めた北狼号の元へ戻る。

 シュガーのトレーラーから伸びるケーブルが、雪に埋もれている。


「……ん?」


 俺は、テツオとシュガーが何かを抱えているのに気づいた。

 大きな麻袋だ。いや、段ボール箱もいくつかある。

 ずっしりと重そうだ。


「それは?」


 俺が聞くと、シュガーがニヤリと悪党のような笑みを浮かべた。


「暴れるだけ暴れてタダ働きじゃ、割に合わねえだろ?」


 彼は麻袋の口を開けて見せた。

 中には、缶詰がぎっしりと詰まっていた。

 サバ缶、桃缶、乾パンの缶。


「厨房と倉庫から、『配給品』を少々いただいてきた。……どうせあそこのシステムはダウンしたんだ。腐らせるよりマシだろ?」


 テツオも、肩に担いだ段ボールをトラックの荷台に放り込んだ。


「水も確保した。……これで当分は食いっぱぐれねえ。」


 俺は呆気にとられた。

 俺が自分の存在証明を賭けて戦い、そして全てを失って絶望している間に。

 こいつらは、ちゃっかりと当初の目的――食料の調達を達成していたのだ。


 なんて奴らだ。

 でも、その図太さが、今は頼もしかった。

 感傷に浸っていても腹は膨れない。

 生きていくためには、泥棒だろうが強盗だろうが、なりふり構っていられないのだ。


「……さっさと乗れ。凍っちまうぞ。」


 テツオに促され、俺は北狼号の助手席に乗り込んだ。


 車内は、まだ暖かかった。

 継ぎ接ぎだらけの窓から漏れることなく、ヒーターの熱と、男たちの体温が循環している。

 シュガーの発熱能力のおかげだ。

 この空間だけが、今の俺たちに残された唯一の「世界」だった。


 エンジンがかかる。

 重低音が響き、車体が震える。

 連結されたトレーラーを引きずり、鉄の怪物が動き出す。


 俺たちは、静まり返った区役所を後にした。

 バックミラーの中で、行列を作る人々が小さくなっていく。

 さようなら、豊平シェルター。

 さようなら、俺の知っている社会。


 トラックは、雪に埋もれた国道を南へと進む。

 ワイパーが雪を弾く音が、規則的に響く。


 俺はポケットから財布を取り出した。

 中に入っている運転免許証を抜き出す。

 泥と手垢で汚れたプラスチックカード。

 そこにはまだ、『高瀬タケル』という名前と、俺の顔写真が印刷されている。


 俺には見える。

 でも、もう誰にも見えない。

 これはただの、白い板きれだ。


「……ふぅ。」


 俺は窓を少しだけ開けた。

 冷たい風が吹き込んでくる。


 俺はカードを指で弾いた。

 プラスチック片は風に乗って舞い上がり、白い吹雪の中へと吸い込まれていった。


 さよなら。

 過去の俺。

 真面目に働き、税金を払い、妹と平和に暮らしていた高瀬タケル。

 お前はここで死んだ。


 窓を閉める。

 冷気が遮断され、再び温かい空気に包まれる。


「……捨てたか。」


 ハンドルを握りながら、テツオがボソッと言った。


「ああ。」


 俺はシートに深く体を預けた。


「……俺の知ってる世界は、もうなくなっちまったのかな。」


 ポツリと漏らした言葉は、思った以上に弱々しかった。


「知るかよ。」


 テツオは前を向いたまま、ぶっきらぼうに答えた。


「……だが、南に行けば何かがある。今はそれだけで十分だ。」


 彼はアクセルを踏み込んだ。

 タイヤが雪を噛み、車体が加速する。

 行き先なんて分からない。

 でも、止まることだけは許されない。


 後部座席から、カシュッという音がした。

 シュガーだ。

 彼がナイフで缶詰を開けた音だ。


「……世界がどうなろうが、腹は減るし、飯は美味い。」


 彼はニヤリと笑って、開けたばかりの缶詰を俺に差し出した。

 桃の缶詰だ。

 甘いシロップの香りが、車内の淀んだ空気にふわりと漂う。


「……ほらよ、幽霊さん。デザートだ。」


 俺はそれを受け取った。

 缶の中には、黄金色の桃がシロップに浸かっている。

 指ですくって、一切れ口に入れた。


 甘い。

 頭が痺れるほどに甘い。

 人工的な砂糖の味だが、今の俺にはそれが、どんな高級な果物よりも美味しく感じられた。


 冷え切った心に、糖分が染み渡っていく。

 生きてる。

 俺はまだ、味を感じるし、腹も減る。

 IDなんてなくても、ここに俺という肉体はある。


「……うめぇ。」


 俺は呟いた。

 シュガーが満足そうに頷き、テツオも口元を緩めた。


 その時。


 ズキンッ。


 右目の奥が疼いた。

 視界の端に、システムログが流れる。


【System Alert: Social ID Deletion Confirmed】

【Milestone 01: Social Deletion Completed】


 社会的ID、削除確認。

 マイルストーン01、達成。


 そして、最後に表示された数値。


 **[Current Erosion Rate: 5.0%]**


 侵食率、五・〇パーセント。


 俺は苦笑した。

 家を失い、名前を失い、社会的に抹殺されて。

 それでもまだ、たったの五パーセントかよ。

 この先、あとどれだけ失えば、俺はゴールに辿り着けるんだ?


 だが、不思議と恐怖はなかった。

 失うものがなくなったことで、逆に心が軽くなったような気さえする。


 戻る場所はない。

 俺たちはもう、進むしかないのだ。


 北狼号は、ホワイトアウトした国道を突き進む。

 窓の外は地獄のような吹雪だが、手元には甘い缶詰があり、隣には頼もしい仲間がいる。


 名もなき道を行く、幽霊たちの旅。

 それはまだ、始まったばかりだ。


Would you like me to proceed to Episode 006: 透明な侵入者?

お読みいただきありがとうございます。 何者でもなくなった男たちの旅は続きます。 次回、Episode 006。恵庭の雪原にて、姿なき「透明な敵」が北狼号を襲撃します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ