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Episode 005-2: 認識の冬

区役所のロビー。そこは暖房の効いた避難所ではなく、無機質な事務処理が行われるベルトコンベアの上でした。 ふと見た窓ガラス。そこに映る自分の姿が、雪のノイズと混ざり合い、輪郭を失っていく現象。 「俺は、ここにいるのか?」

【登場キャラクター】

高瀬タケル: 鏡像の消失に気づき、動揺する。

権田テツオ: 異変を感じつつも、タケルを支えようとする。

佐藤 "シュガー" ケンジ: 独特の勘で、場の異常な空気を察知する。

Part 2: The Glitch in the Mirror


 自動ドアが開くと、そこは別世界だった。


 肌を切り刻むような外の吹雪が嘘のように、暖かく、そして静かな空気が俺たちを迎えた。

 豊平区役所のロビー。

 かつては雑然とした待合所だった場所が、今は一面白一色の無機質な空間に改装されている。

 床は磨き上げられた白い大理石。

 天井からは柔らかなLED照明が降り注ぎ、観葉植物の緑が人工的な彩りを添えている。


 清潔すぎる。

 まるで最新鋭の総合病院か、あるいは半導体工場のクリーンルームに迷い込んだようだ。


 だが、俺の鼻腔を刺激したのは、その清潔さに似つかわしくない「臭い」だった。


 ツンとする刺激臭。

 完璧な空調システムによって循環されているのは、濃密な消毒用エタノールの香りだ。

 そして、その奥深くに、微かだが確実に混じっている別の臭い。


 焦げた有機物の臭い。

 髪の毛や爪を焼いた時に漂う、あの独特なタンパク質の燃焼臭。


「……臭うな。」


 隣でシュガーが鼻をひくつかせた。


「髪の毛を焼いたような臭いがしやがる。……厨房の換気が悪いな、ここのコックは。」


 彼の冗談めかした言葉に、俺の胃がきゅっと縮んだ。

 ここはやっぱり、ただの避難所じゃない。

 この白い壁の向こう側で、何かが大量に焼かれている。


 俺たちが進む先には、異様な設備が鎮座していた。


 ゲートだ。

 空港の保安検査場にあるような、巨大な金属探知ゲートと、サーモグラフィーカメラ。

 その両脇には、白い防護服を着た職員たちが立ち並び、市民を一人ずつ誘導している。


 避難所に、こんなものが必要なのか?


「次の方、どうぞ。」


 職員の一人が、丁寧な口調で俺たちを促した。

 マスク越しに見える瞳は穏やかだが、どこか作り物めいている。


 テツオが歩み寄り、ゲートの支柱をコツコツと指で叩いた。


「……随分とまあ、物々しいこったな。避難民を選り好みするつもりか?」


 皮肉を込めた問いかけにも、職員は動じなかった。

 彼はマニュアルを読み上げるように、淀みなく答えた。


「ご不便をおかけしております。……現在、謎の黒い霧の影響により錯乱した市民の方が、危険物を持ち込む事例が多発しております。」


 職員は、ゲートを指し示した。


「皆様の安全を確保するため、お手数ですがこちらの検問ゲートをお通りいただき、身分証のご提示をお願いしております。」


 もっともらしい理由だ。

 錯乱した人間。暴徒化した市民。

 確かに、俺たちもさっき襲われたばかりだ。

 セキュリティを強化するのは理にかなっているように聞こえる。


 だが、テツオは騙されなかった。

 彼はサングラスの奥で目を細め、ゲートの金属的な光沢を見つめた。


「検問ゲート、ねえ。……随分とまあ、この状況に『都合良く』こんなもんが用意してあるもんだな。」


 そうだ。

 この災害が起きたのは、ほんの数時間前だ。

 なのに、このゲートは新品同様で、しかも床にしっかりとボルトで固定されている。

 まるで、今日という日が来ることを知っていて、あらかじめ準備されていたかのように。


「ご協力をお願いします。」


 職員が再度促した。その声には、拒否を許さない冷徹な響きが含まれていた。


 俺たちは顔を見合わせ、仕方なく列に従った。

 まずはテツオが通る。

 ブウッ。

 黄色いランプが点灯した。


「……登録外。保留ペンディング。通過してください。」


 職員が端末を操作し、テツオを通した。

 続いてシュガー。

 彼もまた、黄色いランプと共に通過を許可された。


 そして、俺の番だ。


 俺はゲートをくぐった。


 ビーッ! ビーッ! ビーッ!


 けたたましい警報音が鳴り響いた。

 ランプが赤く激しく点滅し、周囲の視線が一斉に俺に集まる。


 ゲートが閉じた。

 物理的なバーが降りてきて、俺の進路を塞ぐ。


「お客様。」


 職員の声色が、さっきまでの事務的なものから、少し困惑を含んだものへと変わった。


「身分証を提示してください。」


「あ、はい。持ってます。」


 俺は慌ててポケットから財布を取り出した。

 泥で少し汚れているが、中には運転免許証とマイナンバーカードが入っている。

 俺はそれをカウンターに置いた。


「これです。……高瀬タケルです。市民です。」


 職員はカードを手に取り、まじまじと見つめた。

 そして、不思議そうに首を傾げた。


「お客様、冗談はおやめください。」


 彼は困ったように眉を下げ、カードを俺の方へ突き返した。


「こちらはただの、真っ白なプラスチック板ですが?」


「……は?」


 俺は耳を疑った。

 何を言っているんだ?

 俺の目には、はっきりと見えている。

 俺の顔写真も、名前も、住所も。


「い、いや、書いてあるじゃないですか。ここ、高瀬タケルって。」


 俺は指差した。

 だが、職員はため息をつくように首を横に振った。


「申し訳ございません。私共には、何も印字されていない板にしか見えません。……システム上の登録データとも照合できません。」


 彼の目は笑っていなかった。

 本当に、彼の視覚には、俺の情報が映っていないのだ。


 背筋が寒くなった。

 認識のズレ。

 俺が見ている世界と、この住人が見ている世界が、決定的に食い違っている。


 俺は言い知れない恐怖で必死になった。

 俺は人間だ!間違いなく高瀬タケルなんな!ここで!こんな手続きにすら弾かれたら、……俺はどこへ行けばいい?

 社会的に『存在しない人間』にされてしまう?


 そんな馬鹿なことあってたまるか!


「じゃあ、手書きで! 名前書きますから!」


 俺はカウンターにあったボールペンとメモ用紙を奪い取った。

 ペンを走らせる。

 『高瀬』と書こうとした。


 ガリッ。


 ペン先が紙を滑るだけで、インクが出ない。

 いや、インクは出ているはずだ。

 なのに、書いたそばから、その文字が「透明」になって消えていく。

 まるで、世界の修正力が働いているかのように。


「な、なんで……。」


 俺は何度もペンを走らせた。

 筆圧で紙が破れるほど強く書いた。

 だが、紙の上には何も残らない。

 ただの無意味な溝が刻まれるだけだ。


「お客様。」


 職員の声が、冷たくなった。


「悪戯はおやめください。後ろがつかえております。……不審な行動を続ける場合、排除対象となります。」


 排除。

 その言葉の響きに、俺は後ずさった。


「ち、違うんです! 俺はここにいる! 高瀬タケルだ!」


 俺は叫んだ。

 だが、その声すらも、この白すぎる空間に吸い込まれて消えていくような虚しさを感じた。

 周りの人々――列に並んでいる市民たちが、一斉に俺を見た。

 彼らの目は、汚物を見る目だった。

 あるいは、存在しないはずのバグを見つけてしまった時の、生理的な嫌悪感を含んだ目。


「タケル! おい、どうした!」


 ゲートの向こうから、テツオが駆け寄ろうとしたが、見えない壁に阻まれたように立ち止まる。


 そんなはずはない。

 俺がおかしいのか? それとも世界がおかしいのか?


 ふと、視界の端に自分の姿が映った。

 ロビーの壁面には、大きな姿見ミラーが設置されていた。

 身だしなみを整えるための鏡。


 そこには、列に並ぶ人々や、テツオ、シュガーの姿が鮮明に映し出されていた。


 だが。


 俺だけが、違った。


「……う、わ……っ。」


 俺は、鏡の中の自分を見て、絶句した。


 そこに立っていたのは、人間ではなかった。


 俺の着ている服――泥だらけのダウンジャケットとジーンズは映っている。

 だが、その中身。

 俺の顔があるはずの場所が、激しく明滅していた。


 ザザッ、ザザザッ……。


 テレビの砂嵐。

 あるいは、通信エラーを起こした動画のブロックノイズ。

 灰色と黒の四角いピクセルが、高速で点滅し、蠢いている。


 目がない。

 鼻がない。

 口がない。


 輪郭すら定まっていない。

 そこにあるのは、情報の欠落エラーだ。

 システムが描画処理を放棄した、不完全なデータの塊が、俺の服を着て立っている。


 ズキンッ!!


 右目の奥が、焼けるように痛んだ。

 視界に、真っ赤なログが滝のように流れる。


【Error: Face Recognition Failed】

【Subject: Unknown / Integrity: 0%】

【Warning: Self-Identity Not Found】


 認識失敗。

 整合性、ゼロ。

 自己同一性、喪失。


 俺の右目(HUD)すらも、鏡の中の俺を認識できていない。

 俺は、誰だ?

 俺は本当に高瀬タケルなのか?

 それとも、高瀬タケルの記憶データを持った、ただのバグなのか?


「あ……あぁ……。」


 俺は鏡に手を伸ばした。

 鏡の中のノイズが、俺の動きに合わせて蠢く。

 まるで、俺を嘲笑うかのように。


 その時。


 館内に流れていた柔らかなBGMが、プツンと途切れた。


 『ピンポンパンポン……。』


 女性の声だ。

 優しく、丁寧で、そして残酷なほど冷静な自動音声。


『警告。ロビーにて、識別不能のエラー個体を検知しました。』


 空気が凍りついた。

 ざわめきが消える。

 カウンターの中の職員たちが、一斉に手を止め、顔を上げた。

 その表情から、さっきまでの作り笑いがスッと消え失せる。


 彼らの目が、事務的な「処理モード」へと切り替わった瞬間だった。


『当該個体は、管理システム上の定義から逸脱しています。』

『保安部、直ちに排除デリートプロセスへ移行してください。』


 排除。

 デリート。


 その単語が聞こえた瞬間、ロビーの照明が赤く明滅し始めた。

 ウゥゥゥゥ……という低いサイレン音が、重低音の駆動音に混じって響き渡る。


 奥の扉が開いた。

 工場の搬入口のような、分厚い鉄の扉。

 そこから、硬質な足音が近づいてくる。


 俺は、いない。

 この世界にとって、俺は人間じゃない。

 ただのエラーだ。

 修正されるべき、汚点だ。


 足音が、すぐ背後まで迫っていた。


Would you like me to proceed to Episode 005_Part 3: The System Glitch?

お読みいただきありがとうございます。 自分の顔が見えなくなる恐怖。 次回、この区役所を管理する「プレイヤーもどき」との遭遇。簒奪の代償として支払うものは。

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