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Episode 000-2: 散らばる星々

札幌各地で同時多発的に発生する「バグ」。 運び屋、保健室の先生、カレー屋、町工場の職人。 それぞれの場所で、彼らは世界の「書き割り」が剥がれる瞬間を目撃します。

【登場キャラクター】

権田テツオ: 運び屋。トラック「北狼号」のドライバー。

氷室リョウコ: 保健室の先生。元・修羅場くぐり。

佐藤 "シュガー" ケンジ: スープカレー店主。味覚の異変に気づく。

水島エイジ: 町工場の職人。物理法則の崩壊を目の当たりにする。

Part 2: The Scattered Stars


Cut A: Ishikari Kaido / The Observer


 ガガッ、ガガッ。


 凍りついたフロントガラスを、ワイパーが削る音がする。

 視界は白一色。

 石狩街道名物、視界ゼロのホワイトアウト。

 前の車のテールランプすら、白い絵の具に溶けて見えない。


 だが、俺が見ているのは「前」ではない。


 ダッシュボードに固定された、無骨な改造タブレット。

 その画面上で、無数の赤いドットが明滅し、そして一つ、また一つと「消失ロスト」していく様を、俺は冷めた目で見つめていた。


「……大通公園、ロスト。信号消失シグナル・ロスト。……予定より早いな。」


 俺――権田テツオは、ハンドルを指一本で支えながら、タブレットの数値を指で弾いた。

 表示されているのは地図ではない。

 この札幌圏における「大気密度」のヒートマップだ。


 中心部から、色が抜けていく。

 まるで、インクを垂らした水が、真ん中から透明に戻っていくように。


「ご、権田さん! 前! 前見てくださいよぉ!」


 助手席で、新人のバイトが悲鳴を上げている。

 雇って三日目の学生。

 名前は確か……どうでもいい。ただの「荷物確認要員チェッカー」だ。


「うるせえな。前なんて見る必要ねえよ。」


「はい!? 死にますよ!?」


「死なねえ。……この雪道はな、もう『死んでる』んだよ。」


 俺はサイドウィンドウを少しだけ開けた。

 ヒュオオオオッ!

 マイナス一五度の暴風が、車内に雪崩れ込んでくる。

 バイトが「ひいっ!」と縮こまるが、俺は構わず、その空気を肺の奥まで吸い込んだ。


 軽い。

 あまりにも、軽すぎる。


 氷点下の空気特有の、あの肺を刺すような鋭利な重みがない。

 まるで、真空パックの中で呼吸しているような、スカスカした感触。


(……大気の『解像度』が落ちてやがる。)


 俺は長年、運び屋としてあらゆる道を走ってきた。

 その経験が告げている。

 今のこの空気は、自然のものじゃない。

 誰かが作った、安っぽい「書き割り」の空気だ。


「おい、小僧。」


「は、はいッ!」


「荷台のロック、確認したか。」


「え? あ、はい、さっき……」


「もう一度見ろ。……この軽さだと、遠心力で荷物が浮くぞ。」


 俺はタブレットの数値を見る。

 エリア密度、低下率40%。

 世界の皮が、剥がれ始めている。

 その裏側にある「虚無」が、顔を出そうとしている。


 俺はニヤリと笑った。

 ようやく、俺の仕事(本番)だ。

 この薄っぺらい世界が壊れるその瞬間こそ、俺たち運び屋が一番稼げる「ボーナスタイム」なのだから。


---


Cut B: School Infirmary / The Lag


 シュンシュンと、ストーブの上でヤカンが鳴いている。

 消毒液のツンとする匂いと、微かな灯油の臭い。

 保健室特有の、静寂。


 氷室リョウコは、パイプ椅子に深く沈み込み、退屈そうに紫煙を吐き出した。


「……平和だねぇ。」


 怪我人はいない。

 サボりの生徒も来ない。

 あまりに静かすぎて、自分の耳鳴りがうるさいくらいだ。


 ふと、窓の外を見る。

 グラウンドは雪に埋もれ、体育の授業中の生徒たちが豆粒のように動いている。

 サッカーだろうか。

 白い雪の上を、黒い点が転がり、それを追って色とりどりのジャージが走る。


「……ん?」


 リョウコは目を細めた。

 違和感。


 一人の生徒が、ボールを蹴ろうとした瞬間。

 カクン、と。

 その動きが「飛んだ」。


 転んだのではない。

 右足を振り上げた姿勢のまま、一瞬で数メートル先へ移動したように見えた。

 まるで、傷ついたDVDの映像がコマ飛びしたような、不自然な挙動。


「……おいおい。」


 リョウコは眼鏡の位置を直した。

 もう一度見る。

 今度は、別の生徒が。

 走っている途中で、足の動きだけが止まり、そのまま滑るように移動している。


 気持ち悪い。

 生理的な嫌悪感が、背筋を這い上がる。


「……老眼には早えぞ、リョウコ。」


 独り言ちて、目をこする。

 ヤカンの湯気を見る。

 真っ直ぐに昇っている。

 何もおかしくない。


 だが、リョウコの本能――かつて「戦場」と呼べるような修羅場をくぐってきた野性の勘が、警鐘を鳴らしていた。

 

 この静けさは、普通じゃない。

 嵐の前の静けさですらない。

 世界そのものが、息を止めて死にかけているような、絶対的な停滞の予兆。


 彼女は無意識に、白衣のポケットに入れたメスに触れていた。


---


Cut C: Soup Curry Kitchen / The Grid


 戦場だった。


「チキンベジ、辛さ5、ライス小! あとラッシー追加!」


「あいよ!」


 佐藤 "シュガー" ケンジは、額の汗を拭うこともせず、四つの小鍋を同時に操っていた。

 スパイスの香りが充満する厨房。

 換気扇の轟音。

 油が爆ぜる音。


 この熱気こそが、俺の生きる場所だ。


「よし、あがり!」


 完璧なタイミングで火を止め、スープを丼に移す。

 鮮やかなターメリックイエローのスープに、素揚げした野菜が彩りを添える。

 美しい。

 俺の作るカレーは、いつだって芸術だ。


 丼をカウンターに置いた、その時だった。


 ゆらり。

 スープの表面が揺れた。


 油膜が光を反射している。

 だが、その模様がおかしい。


 同心円状の波紋ではない。

 格子状。

 まるで、スープの表面に細かい「方眼紙」のラインが浮かび上がったような、幾何学的なグリッド模様。


「……あ?」


 ケンジは目を瞬かせた。

 一瞬後、それは消えていた。

 ただの美味しそうなスープに戻っている。


「ケンジさん? どうしました?」


 ホールのバイトが不思議そうに顔を覗き込む。


「……いや。なんでもねえ。持ってけ。」


 疲れてるのか。

 いや、違う。

 今の「アレ」は、視覚的な見間違いじゃない。

 スパイスの調合を間違えた時のように、世界の「味付け」そのものが狂ったような、根源的な違和感。


 ケンジは震える手で、自分の作ったスープを一口味見した。

 味は変わらない。

 なのに、なぜか「砂を噛んでいる」ような、無機質な感触が舌に残った。


---


Cut D: Iron Works / The Resonance


 冷え切ったコンクリートの床。

 油と鉄の匂いが染み付いた町工場。


 水島エイジは、黙々と旋盤の修理を続けていた。

 彼の指先は、ミクロン単位のズレを許さない。

 機械は正直だ。

 手をかければ応えるし、雑に扱えば壊れる。人間よりもよほど信頼できる。


 キィーン……。


 不意に、耳鳴りがした。

 いや、耳鳴りではない。

 工場の外、あるいはもっと遠くから響いてくる、金属的な高周波音。


「……なんだ?」


 水島はレンチを置いた。

 作業台を見る。

 置いてあった電動ドリルが、電源も入れていないのに、カタカタと微かに震えている。


 地震か?

 違う。床は揺れていない。

 震えているのは「金属」だけだ。


 チリチリ、チリチリ……。


 工具棚に吊るされた無数のスパナやドライバーが、一斉に共鳴し始めた。

 まるで、見えない磁力が空間全体を歪めているかのように。


 水島は天井を見上げた。

 トタン屋根の向こう。

 空から、巨大な「重り」がのしかかってくるような圧迫感。


「おいおい、冗談だろ……。」


 物理法則が狂っている。

 重力が、磁力が、この場所の座標軸が、何者かによって書き換えられようとしている。


 バチンッ!

 工場の水銀灯が、耐えきれずに破裂した。

 暗闇の中で、工具たちの共鳴音だけが、悲鳴のように響き渡った。


---


Return to Cut A: Ishikari Kaido / The Fall


 ザザザザザッ――!!


 唐突に、テツオの無線機が絶叫した。

 人の声ではない。

 電子的な悲鳴。

 世界そのものがエラーを吐き出しているような、不快なノイズ音。


「ご、権田さん! これ、なんですか!?」


 バイトが耳を塞いで叫ぶ。

 テツオは顔色一つ変えず、タブレットの画面を指でなぞった。

 

 数値が全て「0」になった。

 大気密度、ゼロ。

 重力定数、エラー。


「……終わりだ。」


 テツオは短く呟いた。


「え?」


「掴まってろ。舌噛むぞ。」


 テツオがハンドルを強く握りしめた。

 その瞳には、恐怖ではなく、これから始まる「仕事」への冷徹な覚悟が宿っていた。


「世界の重力が、仕事をやめるぞ。」


 その言葉の意味を、バイトが理解する暇はなかった。


 フッ。


 フロントガラスの向こう。

 視界を埋め尽くしていた「白」が、一瞬で消えた。

 雪が消えたのではない。

 景色そのものが、テレビの電源を切るようにプツンと消失したのだ。


 現れたのは、底のない「黒」。

 道路が、空間ごと抜け落ちている。


「落ちるぞッ!!」


 テツオの叫びと共に、北狼号の巨大な車体が、文字化けした奈落の底へとダイブした。


Would you like me to proceed to Episode 000_Part_3 The System Down?

日常の裏側が一気にめくれました。 重力が仕事を辞め、道路が奈落へ落ちていく。 次回、ついに「管理者」たちが空から降りてきます。日常の完全なる崩壊です。

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