Episode 002-3: 処刑座標
思考を捨てろ。本能で動け。 タケルの右目に見える「黄金の螺旋」。それは敵の攻撃予測線でした。 降り注ぐ消失の雨を、彼は獣のような動きで紙一重にかわし続けます。
【登場キャラクター】
高瀬タケル: 思考を放棄し、本能とHUDの予測線だけで死地を駆ける。
No.01 町村ツカサ: 予測不能なタケルの動きに、初めて演算のエラーを感じる。
Part 3: Mathematical Breach
思考を、捨てろ。
脳みそなんて、今の俺には邪魔な肉の塊でしかない。
考えるな。
解析するな。
ただ、右目の奥で焼き付くように輝く、あの「光」に従え。
視界の全てが、黄金色に染まっている。
雪原も、灰色の空も、目の前にある廃工場の錆びた鉄骨も。
その全ての上に、複雑怪奇な幾何学模様がオーバーレイされている。
螺旋。
中心から外側へ、無限に広がり続ける完璧な渦巻き。
フィボナッチ数列が描く、神の設計図。
美しい。
吐き気がするほどに、整然としていて、残酷なまでに美しい。
その光のラインが、俺に告げている。
――そこは死ぬ。
――あそこも死ぬ。
――生き残るルートは、この針の穴のような隙間、ただ一本のみ。
ズキンッ!!
右目が痙攣した。
脊髄に直接、電流のような命令が走る。
右へ、一五度。
俺の体は、俺の意思よりも早く反応した。
背中の筋肉が、ギュルリと奇妙な音を立てて収縮する。
まるで、皮膚の下に別の生き物――粘着質な黒い泥のようなものが詰まっていて、それが俺の骨を無理やり引っ張っているような感覚。
俺は雪面を蹴り、泥酔者のようにふらりと上体を傾けた。
パチュン。
直後。
俺の左耳があった空間で、乾いた音がした。
風船が割れる音よりも軽く。
炭酸の泡が弾ける音よりも儚い。
だが、その結果は「絶対」だった。
俺の左側の空間が、直径五十センチの球状に「消失」していた。
舞っていた雪片も、背景の工場の壁も、そこだけが完璧な円形にえぐり取られ、何もない「無」が口を開けている。
熱も衝撃もない。
ただ、ダウンジャケットのフードの左端が、断面を鏡のようにツルリと残して消滅していた。
あと一センチ。
もし、体が反応するのがコンマ一秒でも遅れていたら。
俺の頭蓋骨の左半分は、今ごろこの世からデリートされていた。
ヒュッ、ハッ、ヒュッ、ハッ。
呼吸が荒い。
肺が凍りつくほど冷たい空気を吸い込んでいるのに、体の中は溶岩のように熱い。
背中から噴き出す熱量が、俺の輪郭を陽炎のように歪ませているのが分かる。
怖い。
死にたくない。
でも、足は止まらない。
右目が次の「死」を予見する。
黄金の螺旋が、生き物のようにうねり、次の消失ポイントを確定していく。
前方に三つ。
頭上に一つ。
足元に二つ。
逃げ場なんてない。
これはダンスだ。
見えない死神と踊る、ステップを一つ間違えれば即座に終わる、狂った舞踏会だ。
俺は重心を低くし、雪の上を這うように疾走した。
四つ足の獣のように。
人間としての尊厳なんて、とっくに雪の中に捨てた。
今はただ、泥にまみれてでも、無様に転がってでも、次の「一秒」を繋ぐことだけが全てだ。
パチリ、パチリ、パチュン、パチリ。
死の雨が降る。
俺の体の輪郭をなぞるように、空間が次々と穴だらけにされていく。
髪の毛が数本、消えた。
ブーツの踵が、音もなく削ぎ落とされた。
頬を何かが掠め、熱い血が噴き出す。
痛い。
でも、心地いい。
この痛みだけが、俺がまだ「質量」を持ってここに存在しているという証明だ。
もっとだ。
もっと速く。
あいつの計算を、俺の獣の勘で追い越せ。
---
【Perspective Jack: 権田テツオ】
(……ッ、……ハッ。……へッ。)
笑いがこみ上げてきやがる。
肺が潰れてるかもしれねえってのに、愉快でたまらねえ。
俺は、雪壁に突き刺さった北狼号のキャビンから、雪を掻き分けて這いずり出しながらその光景を見ていた。
口の中はジャリジャリとした雪と鉄の味がする。
割れたガラスで切った額から血が流れて目に入りやがるが、拭うのも惜しい。
見ろよ、あのザマを。
俺の視線の先。
真っ白な石狩の雪原で、一匹の「黒い獣」が暴れてやがる。
高瀬タケル。
ついさっきまで、助手席でガタガタ震えていた、ただのひ弱な元SV。
平和ボケしたツラで、正義だの友情だのを語っていた青二才。
それがどうだ。
今はまるで、地獄の底から這い出してきた悪鬼そのものじゃねえか。
(デタラメな動きしやがって。)
あいつの動きには、理屈がねえ。
重心移動も、筋肉の使い方も、格闘技のセオリーも、全部無視だ。
急加速したかと思えば、泥に足を取られたように急停止し、そのまま真横に転がる。
無様だ。
不格好だ。
スマートさの欠片もねえ。
(だが、それでいい。……教科書通りの動きじゃ、あいつの計算からは逃げられねえ。)
相手はNo.01、町村ツカサだ。
このイカれた世界で、最も冷徹に、最も正確に「理」を行使する男。
あいつの攻撃は、物理法則に基づいた完璧な予測演算だ。
だからこそ、「正しい動き」をする奴ほど、あいつのカモになる。
だが、今のタケルはどうだ?
あいつは今、恐怖と本能だけで動いてやがる。
計算機には予測不能な「ノイズ」。
システムに食らいつく「バグ」。
パチュン、パチュンと、あいつの周りで空間が消し飛んでいく。
あと数ミリ。
紙一重の差で、死神の鎌が空を切っている。
(……起動しやがったか、00(ダブルオー)。)
俺は懐から、ひん曲がったタバコを取り出した。
血で濡れた手で、何度もライターを擦る。
ようやく火がついた。
紫煙を深く吸い込む。
肺が焼けるように痛い。だが、その痛みが俺に教えてくれる。
これは、俺たちが待ち望んでいた「反撃」の狼煙だと。
(行けよ、元SV。そのイカれた「バグ」で、死神の計算式を食い破ってやれ。)
俺は雪の上に唾を吐き捨て、ニヤリと笑った。
面白くなってきやがった。
このクソッタレなデスゲームの盤面を、あのガキがひっくり返そうとしている。
---
【Perspective Jack: No.01 町村ツカサ】
……対象A、座標X234-Y567。移動ベクトル、北北東へ修正。
……速度、時速四五キロ。
……予測到達点、Z890。
執行。
……着弾確認。
……対象不在。
……消失失敗。
……エラー。
……演算と結果に〇・〇三秒のラグ発生。
……対象の挙動、物理演算モデルから逸脱。
……筋肉の収縮率、骨格の可動域、共にデータベースの「人間」の数値を超過。
再計算。
……対象B(車両)、機能停止を確認。脅威度ゼロ。放置。
……対象A(特異点)、脅威度レベル1から2へ引き上げ。
……攻撃パターン、面制圧へ移行。
黄金比、展開。
座標群、一斉固定。
……執行。
……執行。
……執行。
……全弾、回避。
……解、不成立。
……なぜ?
感情回路、オフ。
疑問符を消去。
事実のみを処理せよ。
対象は、こちらの「照準」を視認している可能性あり。
こちらの攻撃予測線を、逆に「安全地帯」として利用している。
……小賢しい。
……バグめ。
……再々計算。
……予測不能なランダム機動に対し、確率論的弾幕を展開。
……空間充填率、六〇%へ上昇。
……逃げ場なし。
……これで終わりだ。
座標固定。
最大出力。
……執行。
---
壁だ。
目の前に、黄金の光の壁が立ち塞がった。
俺の行く手を阻むように、無数の螺旋が重なり合い、空間を埋め尽くしている。
隙間がない。
どこを通っても、必ず体が消し飛ぶ。
右も、左も、上も。
完璧な「詰み(チェックメイト)」。
――止まれ。
右目の奥が、悲鳴に近い警告を発した。
だが、止まれば終わりだ。
背後からは、次の螺旋が迫ってきている。
進めば壁にぶつかる。止まれば背後から食われる。
どうする?
どうすればいい?
SVのマニュアルには、こんな時の対処法なんて載っていない。
論理的に考えれば、ここで「投了」するのが正解だ。
ふざけるな。
誰が諦めるか。
俺は、ヤマトに会うんだ。
サチを迎えに行くんだ。
こんな、顔も見えない奴の計算式なんかで、俺の人生を終わらせてたまるか。
視界の端。
黄金のラインが、わずかに揺らいだ。
継ぎ目。
完璧に見える数式にも、計算のラグがある。
螺旋が回転し、次のパターンへ移行するコンマ数秒のズレ。
あそこだ。
俺は減速しなかった。
逆に、さらに深く前傾姿勢をとり、地面すれすれまで体を沈めた。
背中の「泥」が、ギチリと収縮する音を聞く。
限界まで溜め込んだエネルギーを、一気に解放する。
「……う、ガァァァァァァッ!!!」
咆哮と共に、俺は跳んだ。
上でも横でもない。
螺旋の中心。
最も死が濃密な一点へ向かって、錐揉み回転しながら突っ込む。
パチリ、パチリ、パチリパチリパチリ!!
周囲の空気が連続して爆ぜる。
俺の左肩の肉が削ぎ落とされた。
ダウンジャケットの背中が消えた。
右足のブーツの踵が、音もなく消失した。
熱い。
痛い。
血が噴き出す。
肉が焼ける。
だが、通った。
心臓も、脳も、内臓も無事だ。
俺は死の雨を、肉を削らせることで「通行料」として支払い、強引に壁を突破したのだ。
目の前に、廃工場の錆びついた搬入口が迫る。
シャッターは降りているが、ボロボロに腐食している。
いける。
俺は体を砲弾のように丸め、その鉄の扉へと突っ込んだ。
ドォォォォンッ!!
衝撃。
錆びた鉄板が、紙細工のように破れ、悲鳴を上げて吹き飛ぶ。
俺の体はそのまま工場の暗闇の中へと転がり込んだ。
ガシャーン、ガラガラガラッ!
瓦礫と共に床を転がる。
受け身なんて取れない。
壁に激突し、ようやく止まった。
少し遅れて、別の影が飛び込んできた。
テツオだ。
彼もまた、俺が開けた「風穴」を利用して、死角を滑り込んできたのだ。
俺たちは、コンクリートの柱の陰に身を隠した。
カビと鉄錆の匂い。
そして、ひんやりとした静寂。
外ではまだ、乾いた破裂音が続いている。
パチリ、パチュン、パチリ。
俺たちがさっきまでいた場所が、無慈悲に、徹底的に穴だらけにされている音だ。
「……はぁ、……はぁ、……ッ。」
俺は床に這いつくばったまま、酸素を求めて喘いだ。
心臓が、破裂しそうなほど脈打っている。
全身が痛い。
左肩の傷から、温かい血が流れて腕を濡らしている。
俺は、震える手で自分の背中に触れた。
あの「熱」が、引いていく。
体の中で暴れていた黒い泥のような感覚が、急速に静まり、ただの疲弊した筋肉へと戻っていく。
その代償として、猛烈な寒気と震えが戻ってきた。
カチカチと歯が鳴る。
指先が痙攣して止まらない。
やったのか?
俺は、あいつから逃げ切ったのか?
あんな、わけのわからない化け物から。
暗闇の中で、俺とテツオの荒い呼吸音だけが、生々しく響いていた。
Would you like me to proceed to Episode 002_Part 4: The Zero Point?
計算外の動きをするタケルに、No.01の演算が追いつかない。 弾幕を肉で受け、血を流しながら、タケルはついに廃工場の内部へと侵入を果たしました。 次回、No.01との直接対決。




