自転車競技
いつものように車庫にこもっていると、息子がおずおず入ってきた。
「どうした?」
と、しばらくためらった後、口を開く。
「使わせてほしいんだ、パパ。その自転車。運動会で!」
思いがけない言葉に、私は目をむいた。
その時目の前にあったのは、私の相棒だ。
高校時代一目惚れし、バイトを重ねてようやく購入した、ロード自転車。
以来20年改良を重ねてきた、私の分身。
いかに自他共に認める子煩悩とはいえ、即座に了承はできない。
「どうしてこれが必要なんだ」と尋ねると、息子はもじもじとうつむいた。
「その競技、責任者がクラスの娘なんだ。僕、いつもその娘から頼りないって言われてて。だから、優勝すれば、見直してもらえるかなって」
ああ、そうか。思えば息子も中学生。そんなことを思うようになったか。
私の胸に、遙かな記憶が蘇る。
放課後の教室、手さえも触れない淡い思い。
私がこの自転車の購入を決心したのも、当時好きだった子を後ろに乗せて、颯爽と走りたいと思ったからだった。
「分かった。使っていいぞ。精一杯かっこいいところ見せてこい」
そういうと、息子の顔はぱっと輝いたのだった。
運動会当日。
競技の準備が終わるなり、観客席の私は眉をひそめた。
なぜ息子は自転車にまたがらず、スタートラインの向こうに立っているんだ?
そこへ、号砲が鳴る。
息子は、一目散に駆け出すと、コース途中に山と積まれた自転車の中から、軽量化を重ねた私の相棒を選び出し、軽々と肩に担いで再び駆け出した。
そして、ゴール目前にある廃品回収箱に乱暴に投げ入れると、そのまま1位でゴールしたのである。
「やった、勝ったよパパ!」
喜びのあまりか、観客席までやってきた息子が叫ぶ。
が、私はそれどころではなかった。
廃品箱の底の相棒の上に、錆びたボロボロの廃棄自転車がどんどん投げ入れられ、変形し、ひしゃげて、ただのスクラップへと変貌していくのを、声すら出せず凝視していたのである。
「ママの言った通りだったよ!女の子にいいとこ見せるためって言ったら、すぐに貸してくれた!これで場所ふさぎもなくなるし、一石二鳥だね、ママ!」
なんだって?じゃあ、気になる娘というのは嘘?ただ相棒を始末したかっただけ!?
私は目を見開き、隣席の妻を見た。
と、彼女はあえてこちらを見ず、硬い笑顔で「よかったわね」などとほざく。
ああ……そうか。
私は地面に崩れ落ち、さめざめと泣き始めたのだった。




