第1話 雨の路地と“夢装堂”
夜の街は、冷たい雨に濡れていた。
篠宮照は傘を差さず、ただ無表情で歩いていた。
仕事では評価されず、恋人にも別れを告げられ、
現実の重さに押し潰されそうになっていた。
駅前のネオンが滲む。人々はスマホの画面を見つめ、
“誰かの作った物語”に笑い、涙している。
> 「……みんな、作りものに生かされてんのか。」
その独り言が、雨の音に溶けた瞬間だった。
路地裏に、ひとつだけ灯る古いランプが見えた。
木製の看板に刻まれた文字――「夢装堂」。
その店は、現実のどこにも存在しないような空気を纏っていた。
軋む音とともに扉を押す。
外の音が一瞬で消え、時間が止まる。
中は薄暗く、古い懐中時計、歯車、壊れた万年筆が並ぶ棚。
空気には油と埃の匂い。
カウンターの奥に、黒いスーツを着た初老の男が立っていた。
> 「ようこそ。夢装堂へ。」
低い声が、店の奥で反響する。
照は戸惑いながら答える。
> 「……何の店なんですか?」
男はゆっくり笑い、机の引き出しから銀色の懐中時計を取り出した。
> 「“現実では手に入らないもの”を売る店ですよ。」
照は思わず笑ってしまう。
> 「……怪しいセリフだな。」
> 「ですが、あなたには必要なものです。」
懐中時計の文字盤には、青白い光とともに刻まれた文字があった。
CROSS-WORLD GATE/境界装置。
> 「あなたが探している“出口”です。」
照の胸が微かに震えた。
> 「出口……?」
> 「はい。物語の中、夢の中、
――どこへでも行ける道具。」
照は半笑いで聞き返す。
> 「本気で言ってるんですか?」
男は穏やかに頷いた。
> 「ただし、行けても“帰れる”とは限りません。」
静寂が落ちた。
照は無意識に財布を取り出す。
> 「……いくらです?」
> 「値段はありません。願いの強さで、決まります。」
その言葉の意味を理解する前に、
照の手には懐中時計が握られていた。
扉を出ると、雨が止んでいた。
だが街のざわめきの中で、誰の声でもない囁きが聞こえた。
> 『ようこそ――境界の向こう側へ。』
振り返ると、そこに店はもうなかった。
ただ濡れた路地と、街灯の光だけが残っていた。




