色をくれるもの
春の朝、真央は自分の手を見つめていた。
指をひらひらと動かしながら思う。――この手は、私の一部だ。けれど、手そのものが“私”ではない。
その感覚は、不意に胸の奥で揺れる感情にも似ていた。
喜びも、怒りも、寂しさも。
それらは確かに自分の中から生まれるけれど、自分の中心そのものではない。
まるで「手」のように、動かすこともできるが、完全に支配できるものではないのだ。
その日、彼女は通勤途中にふと足を止めた。
道端に咲いた名も知らぬ小さな花。
ただそれを見た瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「きれいだな」――そう思ったとき、真央の世界は一瞬だけ鮮やかな色で満たされた。
感情は厄介だ。
時に重く、時に制御できず、真央を困らせる。
けれど、それは手と同じ。
どう扱うか次第で、誰かを傷つけることも、優しく包み込むこともできる。
そして何より、ふいに日常を塗り替え、色を与えてくれる。
「やっぱり、感情は私の手みたいなものなんだ」
自分の一部でありながら、自分そのものではない。
けれど確かに、使い方次第で、世界を変える力になる。
真央はもう一度、自分の手を握りしめて歩き出した。
花の色も、胸の温かさも、確かにそこにあった。