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婚約者様、さようなら。わたくしは『装飾品』ではありません。  作者: 赤林檎


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4.なんて退屈なのかしら

 アマリアがサンドロから向けられるのは、必要な時だけの笑顔だった。


 その笑顔も、すぐに消え失せる。


 残されるのは、まるで不快な義務を渋々こなしているかのような、冷え切った無表情だった。


(サンドロ様にとって、わたくしは最初から愛する対象ではなかったのでは……?)


 そんな疑問が、いつしかアマリアの心に浮かぶようになった。


(サンドロ様の笑顔は、わたくしのためのものではない……)


 甘い声音も、やさしい眼差しも、アマリアに向けられることは一度としてなかった。


 サンドロが王立学院や舞踏会などで、他の令嬢たちに見せている笑顔は、決してアマリアには向けられない。





 けれど、アマリアはそのことを誰にも言えなかった。


 口をつぐみ、ただ従順に、顔にほほ笑みを貼りつけて、サンドロの婚約者としての務めを果たす。


 それが正しいのだと、自分に言い聞かせていた。





 この婚約は、困窮するレザル公爵家、そして、飢えに苦しむその領民たちを救うために結ばれたものだ。


 それは、アマリアには、自分一人の感情で揺るがせてはならない、重大な責務のように思えた。





 レザル公爵家の当主であるサンドロの祖父と、次期当主であるサンドロの父は、高貴なる者の義務をしっかりと果たしている人物である。


 アマリアの父であるターフライ侯爵は、そんな二人を心から尊敬していた。


 アマリアがサンドロと婚約すれば、ターフライ侯爵家は、レザル公爵家を堂々と支援できる。


 ターフライ侯爵は、レザル公爵家と共に高貴なる者の義務を果たせることを、「誉れだ」とまで言っていた。





 アマリア自身も同じように思っていた。


 いずれはレザル公爵家の一員となり、サンドロと共に、領民を思いやり、慎ましくも誇り高く生きていく。


 豊かさではなく、慈しみを。


 華やかさではなく、品位を。


 名門のレザル公爵家に嫁ぎ、夫と支え合い、領民たちを守りながら、誇り高く良き未来を築いていく――。





(本当に、そんな風になるのかしら……?)


 サンドロの冷たい横顔を見るたびに、アマリアの胸の奥は冷たくなった。


 サンドロの視線の先に、アマリアはいない。


 サンドロの心には、アマリアが存在している気配はまるでなかった。


 サンドロとの婚約は、アマリアが夢見た未来には、繋がっていきそうもないように思えた。


 このままサンドロと結婚したならば、アマリアの暮らしは、冷たいガラスの瓶に閉じ込められたような日々になるのではないか……。


 アマリアの不安は増すばかりだった。





 アマリアは思い出す――。


 あれは、婚約式を終えてから初めて招かれた、王家主催の華やかな舞踏会でのことだった。


 絢爛たる大広間には、天井から吊るされた幾千ものクリスタルが、蝋燭の火に照らされて燦然と輝いていた。


 光はきらきらと降り注ぎ、大理石の床に反射してまるで光の海のようだった。


 音楽が優雅に流れ、令嬢たちの笑い声が、花の香りとともに舞踏会の夜を華やがせていた。


 まばゆい光の中で、アマリアはサンドロの隣に立っていた。


 サンドロの婚約者として、ファーストダンスを踊るのだと思っていた。


 胸には緊張と誇らしさ、そして、喜びがあった。


(わたくしはついにサンドロ様の婚約者として、正式に皆の前に立つのだわ!)


 金の髪には小粒の真珠が丁寧に編み込まれ、光沢のあるエメラルドグリーンのドレスは、アマリアの白い肌を柔らかく引き立てていた。


 ドレスの裾が揺れるたびに、金糸の刺繍から光が零れ落ちていく。


 完璧な身なり。


 完璧な所作。


 アマリアはターフライ侯爵令嬢の名に恥じぬよう、一つの粗相もないよう注意を払った。


 だが、アマリアがどれほど完璧な令嬢を演じても、サンドロの視線はほとんどアマリアに向けられることはなかった。





 サンドロは王立学院で共に学ぶ貴族令息たちに囲まれ、笑みを浮かべながら話をしていた。


 宮廷の話。


 噂話。


 たまに混じる優雅な皮肉――。


 貴族令息たちは次々に話題を繋ぎ、サンドロはその中心で器用に話を捌いていた。


 話は絶え間なく続き、サンドロに腕をつかまれて立つアマリアには、誰も目を向けることすらない。





「サンドロ様、腕を放してくださらない?」


 アマリアは勇気を振り絞って口を開き、サンドロに頼んでみた。


「アマリア、静かにしていてくれないか。重要な話をしているのだ」


 サンドロの言葉は冷たかった。


 アマリアには、すべてが一瞬だけ止まったように感じられた。


 サンドロはアマリアの様子など気にすることなく、すぐに隣に立つ貴族令息へと目を向けて、議論を再開した。


 サンドロはアマリアの腕をつかんだままだった。


(これではどこにも行かれないわ……。しかも、『静かにしていてくれ』だなんて……)





 アマリアは傍から見たら、サンドロの隣に立ち、貴族令息の会話の輪に加わっているように見えただろう。


 だが、実際には、アマリアは会話から一人だけ取り残されていた。


「……サンドロ様、そんなにも、その議論が大事なのですね」


 か細い声が唇からこぼれ落ちる。


 虚空に消えたアマリアの言葉に気づく者はいなかった。


 優雅な舞曲が流れ続け、貴族たちの笑い声が響き渡る中、アマリアの声だけが光の海に溶けていった。





「ああ、なんて退屈なのかしら……」


 小さく震えるアマリアの呟きに、気づく者はいなかった。


 あの時、アマリアは煌めく大広間の片隅で、ただ一人、サンドロの作った残酷な檻の中に閉じ込められていた。


 その夜、アマリアは、サンドロからダンスに誘われることはなかった。

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