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3.運が悪かったせいだ

 サンドロは社交の場では、常にアマリアの隣に立っていた。


 誰の目にも、二人は絵に描いたような美男美女の婚約者同士だった。


 優雅な笑みでアマリアの手を取るサンドロの姿は、完璧な貴公子そのものだった。


 けれど、それはあくまで外に向けた仮面でしかなかった。


 舞踏会の会場に入るや否や、サンドロはなんの躊躇もなくアマリアから離れた。


 まるで用が済んだとでも言いたげな背中を向けて――。





 サンドロが向かう先は決まっていた。


 胸元を大胆に開けたドレスに身を包んだ令嬢たちの輪の中だ。


 サンドロは令嬢たちの中でも、特に胸元の豊かな者が好きだった。


 胸の谷間を見せつけながら、サンドロの腕にしなだれかかってくるような、サンドロにとってわかりやすい好意を向けてくる令嬢こそが、サンドロの好みだった。


(まあ、私にとっては、アマリア嬢は『無し』だな)


 サンドロの目に、華奢で清楚なアマリアは物足りなく映っていた。


 細身で小柄な身体。


 薄い胸元。


 控えめな装い。


 サンドロにとってアマリアは、興味の対象にはならなかった。


(アマリア嬢との婚約は、単なる政略だからな)


 そう割り切ろうとすることで、サンドロはなんとか現実を受け入れていた。





 サンドロがアマリアとの婚約を強いられたのは、運が悪かったせいだった。


(すべては、あの忌々しい虫のせいだ!)


 よくわからない虫が、レザル公爵家の領地の作物に大量発生したのだ。


 祖父と父は、サンドロのことなどまるで考えず、領民から税をとるのをやめた。


 さらには、領民たちに食糧を配り始め、冬には薪まで買い集めてばら撒いてやっていた。


(祖父上も、父上も、頭がおかしいのか……?)


 サンドロの目には、祖父と父の行動が狂気に映っていた。


 祖母と母は、そんな祖父と父に代わって舞踏会やお茶会にせっせと出かけて行き、貴族として最上位の公爵家であるのに、下位の者たちに頭を下げて支援を頼んでいた。


(どいつもこいつも、正気じゃない……!)


 最上位貴族である公爵家の人間が、下位の者たちに媚びるなど屈辱でしかない。


 サンドロには、自分の家族たちがまったく理解できなかった。


 誇り高き公爵家のはずが、なぜこんな惨めな真似をしているのか。


 サンドロは、下位の者たちに頭を下げてまわる祖母や母に激しい苛立ちを覚えた。


 そんなことをするくらいなら、祖父や父の『愚かな慈善活動』を止める方が先だろうと思いつつ、余計なことを言って祖父母や両親を怒らせないよう、歯を食いしばって耐える日々だった。





 サンドロは祖父と父に連れられて、領地の視察に行ったことがあった。


 痩せ細った小汚い老若男女が集まって来て、涙を流しながら祖父と父、そしてサンドロを崇めていた。


 サンドロはそんな領民たちに対して、嫌悪感しか湧かなかった。


(自分たちの食い物くらい、自分たちでなんとかしろよ。こいつら、なにか配ってもらえるとでも思って、次々と寄ってきやがって)


 領民たちは、農作業の途中でやって来たのだろう。


 サンドロたちに向かって、泥まみれの手を差し出してきた。


 祖父と父は、そんな領民たちの手を次々と握りながら、励ましの言葉をかけていた。


「領主様たちにご迷惑をおかけして申し訳ない……」


 領民たちは、サンドロたちの前で汚い頭を下げた。


(お前ら、本気でそう思っているなら、いっそ死ねよ)


 とまで、サンドロは思った。


 だが、祖父と父は、領民たちと一緒になって涙を流しながら、領民たちに頭を上げさせた。


「私たちの方こそ不甲斐ない……」


 などと言いながら、ついには平民どもの集まりに向かって、無言で頭まで下げていた。


 そんな、サンドロから見て『どいつもこいつも、どうかしている』レザル公爵家に対し、ターフライ侯爵家が下品にも、裕福さに任せて金をチラつかせてきた。


 サンドロは自分の婚約の経緯を、このように理解していた。





 アマリアとの婚約式の席で、ターフライ侯爵はサンドロに向かってにこやかに言った。


「お父上や祖父上のように、立派な領主になられることを心より願っております。私は、レザル公爵家を深く尊敬しております」


 ターフライ侯爵の口調は丁寧で、笑顔は誠実だった。


 だが、サンドロの耳には、皮肉や侮辱にしか聞こえなかった。


(没落寸前の家を尊敬だと? この私を嘲笑っているのか!?)


 ターフライ侯爵家の子供たちは皆、華々しい活躍をしていた。


 長男は次期領主として領地経営に精通し、次男は騎士団長、三男は王太子の側近、そして、長女は第三王子の王子妃である。


 そんな優秀な子らを育てた男が、自分の祖父と父を尊敬するなど、サンドロには到底信じられなかった。


(領地経営に失敗したレザル公爵家をバカにしやがって……! 格下の侯爵家ごときが、この私を買ったつもりになっているとはな!)


 サンドロは容姿が良く、才気に満ちていた。


 王立学院では常に成績上位者に名を連ね、女子生徒たちの羨望の的だった。


 祖父母も両親も、サンドロに深い愛情を注ぎ、時に厳しく、時にやさしく、サンドロを導いてきた。


 だが、それでもなお、サンドロには、他者を理解する力が決定的に欠けていた。


(こちらは公爵家だぞ。少しばかり金を持っているからと、侯爵家ごときが見下してくるとは生意気な……!)





 サンドロは、派手な化粧で顔を作った令嬢たちの、強調された胸の谷間をチラチラと見る。令嬢たちの喜ぶ甘い言葉をささやき、彼女たちを連れて休憩室や庭園の木陰に行き、密やかな時間を楽しむ。


 サンドロが令嬢たちに向けるのは、アマリアが見たことのないほほ笑み。


 アマリアには一度も向けられることのない、甘ったるい眼差し。


 アマリアはそんなサンドロを見て、悲しそうな顔をする。


 そんな時、アマリアはいつも静かに目を伏せた。


 サンドロの浮ついた視線に気づきながら、泣きたいのをこらえるような表情で、ただ黙って耐えていた。


 アマリアが声を上げてサンドロを責めたことは一度もなかった。


(なんと哀れな顔をしているのだ。唯一の取柄が台無しだぞ?)


 サンドロは涙をこらえて立ち尽くしているアマリアを見ると、自分がアマリアを支配しているような気持ちになれた。


 サンドロはそんなアマリアを見るたびに、心の奥底でぞわりとした昏い喜びを感じるのだった。

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