15.想像以上に良い商人
エデルにとってアマリア・ターフライの名は、エデルの亡き祖父が執事として仕えていた侯爵家の令嬢として、今なお記憶に刻まれていた。
祖父からは、アマリアは優雅で気高く、それでいて『不屈のディエゴ』の子孫なだけに我慢強いと聞いていた。
そんなアマリアが『ただの雑貨屋の店主になったらしい』という噂を耳にした時、エデルは信じられなかった。
(そんなはずがないだろう。侯爵家の令嬢が、平民の商人に身を落とすなど……)
けれど、エデルは実際にアマリア雑貨店を視察に行き、物陰からアマリアの働く姿を見ることで、アマリアのやろうとしていることを理解した。
何度か開け閉めされた扉の隙間から見えた、アマリアの姿。
袖をまくり、棚に商品を並べ、客の問いに応じてほほ笑む様子は、令嬢としての気品を残しながらも、どこか力強かった。
アマリアは過去の自分を脱ぎ捨てて、自らの足で立ち、前に進んでいっていた。
部下の女性に指示して買ってこせた香り袋、便箋と封筒のセット、それらを包む愛らしい紙とリボン。そのどれもが、丁寧に選び抜かれ、手間を惜しまずに仕上げられていた。
それらはただの商品ではなく、アマリアの思いが込められていた。
商品一つ一つが、まるでアマリアの再出発の決意を語っているかのようだった。
視察を終えたエデルは、すぐに商会の事務所にある商会長室に戻ると、迷いなくペンを取った。
書いたのは、アマリア・ターフライに宛てた取引申し込みの書簡だった。
数日後、アマリアから届いた返書には、簡潔ながらも礼節を尽くした言葉が並んでいた。
そこには対等な商談相手に向ける敬意だけがあり、元貴族であることを誇るような言葉は一つもなかった。
エデルはすぐに王都の片隅にある、静かなカフェの個室を予約した。選んだのは、外からの視線が届かず、落ち着いて話ができる場所だった。
約束の時間になると、カフェの扉のベルがガランッと重く鳴り、アマリアが姿を現した。
アマリアは元令嬢ではなく、自らの力で人生を切り開こうとする商人の顔をしていた。
アマリアの深い緑の瞳には揺るぎない意志が宿り、背筋は真っ直ぐに伸びていた。
アマリアの服装にも、髪型にも、華美なところはなかった。
清潔感と凛とした佇まいが、アマリアの内面を物語っていた。
(……表情だけは、商人として敬意を払うに値するな)
それが、アマリアと対面したエデルが抱いた、アマリアに対する率直な印象だった。
言葉を交わしてみれば、アマリアはエデルの予想とはまるで違った人物だった。
格式ばった貴族のお堅さもなければ、商人としての打算も感じさせない。
アマリアは思いのほか気さくで、理路整然とした思考を持ち、そしてなにより、不思議な魅力があった。
アマリアの表情も、声の調子も、全体的に落ち着いていて、相手を圧迫することがない。
だが、香り袋の話題になると、アマリアの口調には熱が宿った。
「香り袋は、香料と布がとても重要なんです。指先などに直接触れることもある物ですし、お客様のすぐそばに、いつも置いていただけたりしますから……。香りの余韻や、触れた時の布の感触一つで、まるで別物になってしまうんです」
丁寧に選び取られた言葉。
そして、その裏にある実感。
それは、ただ流行だけを追って人気の商材を売ろうとする者のそれではなかった。
かつて大流行した香り袋は、今では売っている場所を見かける機会が少なくなった。
だが、アマリアの店では、今なお人気商品として根強く愛され続けているという。
理由は明白だった。
(……この人は、購入者のことを想像できている)
商品を売るための工夫でもなければ、商談を有利に進めるための台詞でもない。
自分の手で送り出す商品が、誰の元に届き、どのように使われ、どんな時間を彩るのか――。
そこまで思い描いた者にしか語れない言葉だった。
(……ああいう人間のやっている店は強い)
エデルにとってアマリアは、『想像以上に良い商人』となった。