10.アマリア雑貨店
アマリアの商人見習いとしての生活は、年老いた夫婦が営む雑貨屋から始まった。
住む場所を探しに来た時に、帳簿係を募集する張り紙を見て、店に飛び込んで雇ってもらう約束を取り付けておいたのだ。
店は裏通りに面していて、古くて小さく、商品の数も限られていたが、老夫婦の人柄が表れた温かい雰囲気があった。
「アマリアちゃんは、遠方に嫁いだ孫と変わらん年頃だ。あの子が嫁いでいって寂しくなったと思っていたら、アマリアちゃんが来てくれた。まるでもう一人、かわいい孫ができたみたいだよ」
「アマリアちゃんは良い子だねえ。手先も器用で、本当によく働いてくれるじゃないの。気を張って無理しすぎちゃダメよ。慣れないことをしているんだもの、疲れちゃうわよ」
老夫婦はアマリアを本当の孫のように可愛がってくれた。
アマリアはこの老夫婦の元で商売の基本を一から学び、客に声をかけるタイミングや、仕入れでの駆け引き、本物の帳簿への記入など、王都では知り得なかった実地での知恵を吸収していった。
こうして、老夫婦の店での数年の下積みを経て――。
アマリアは令嬢時代の宝石やドレスを売り払って得た金を元手に、ついに自分の雑貨屋を構えた。
(元令嬢のお店だって、いつかきっと誰かが来てくれるわよ)
アマリアはそう自分に言い聞かせながら、まずは自分で作った女性向けの小物を店に並べていった。
香り袋は、自分でドライフラワーや香料を混ぜてポプリを作り、手縫いの袋に入れた。
便箋と封筒のセットには、品の良い模様を型押しした。
ラッピング用の紙やリボンの質や色にもこだわった。
アマリアはすべての品物を、心を込めて用意していった。
『誰かへの贈り物にも、自分へのご褒美にもなるものを』と考えながら――。
そして、ついに開店の日。
アマリアの店の看板には、白木に丁寧な文字が彫られていた。
『アマリア雑貨店――日々を美しく彩る――』
こうして歩き始めた、アマリアの『一人前の商人』としての道。
アマリアはその道を、多くの人々に助けられ、支えてもらいながら、ゆっくりと着実に一歩一歩、進んでいくことになる――。
開店から一週間が経っても、アマリア雑貨店には客の姿がなかった。
商品は丁寧に並べてある。
包装も工夫した。
香りも、見た目も、品質も、妥協などしていない。
アマリア自身も、髪は一つに結び、平民用のレトロな茶色のワンピースに、クリーム色のエプロン姿。
けれど、それでも、店の前を歩く人々は、ただ店を見ながら通り過ぎるだけ。
誰も中に入って来ようとはしなかった。
不安だけが、アマリアの胸に降り積もっていった。
そんな日々を経て――。
ある朝、ついに店の扉についている鈴が、チリン、と澄んだ小さな音を立てた。
会計カウンターにいたアマリアが帳簿から顔を上げると、年配の婦人が一人、店に足を踏み入れたところだった。
「いらっしゃいませ。おはようございます」
「おはよう。ここのお店は、なんだか良い香りがするわね」
婦人は店内をぐるりと見まわし、棚の一角に並べられた香り袋に目を止めた。
「あら、これは最近流行りの香り袋じゃないの。あなたが作ったの?」
「はい。香りの調合も、袋の縫製も、すべてわたくしの手によるものです」
「まあ、なんて丁寧な仕上がり。しかも、香りが上品でいいわね」
この婦人は、開店したばかりな上に、まだ客のいない店に一人で入ってくるような人物である。
品定めには、かなりの自信がある様子だった。
婦人は手に取った香り袋を愛おしげに眺めながら、一つ、二つと選んでいった。
「贈り物にしても喜ばれそうね。素敵なお店じゃないの。気に入ったわ」
婦人は会計を済ませながら、アマリアにやさしくほほ笑みかけた。
アマリアにとって、それは人生で初めての、自分の力で得た売上だった。
婦人が去った後、アマリアはそっと胸元を押さえた。
「ありがとう。来てくださって、本当にありがとう……」
アマリアは一人、感謝の言葉をくり返した。
その日から少しずつ、アマリアの店は街の人々に知られていくようになった。
「あの店の封筒と便箋は、なんだか良い香りがするのよね」
「包装が丁寧で可愛いの。ちょっとした贈り物にぴったりよ」
「若い店主さん、すごく品があるのよ。元貴族って噂だけど、全然偉そうじゃなかったわ」
通りを行く人の口から口へと噂が広がっていき、少しずつ客が増え始めた。