第1話「腹が減ったら、食え(前編)」
腹が、減っていた。
目が覚めると、柔らかい土の感触が背中に広がっていた。 木漏れ日が差し込む森の中。どこか懐かしくもあり、けれど明確に"知らない場所"だと感じる。
(……ここ、どこだ?)
草は緑。木も普通に生えてる。空も青い。空気は少し乾いていて、森の匂いがする。
景色だけ見れば中世ヨーロッパ風、あるいは古いゲームのフィールドっぽい。 だが決定的にわからないのは、自分の名前やなぜここにいるのかということ。
(俺……名前も、思い出せないのか)
ただひとつ、はっきりしているのは——
「腹、減った……」
そのとき——
「ゴオオッ!!」
茂みが激しく揺れ、地面がビリビリと震えた。
「うわっ、なんだっ……!?」
現れたのは、背中に火をまとう巨大なイノシシ。 その巨体が地を蹴るたびに地面が燃え、周囲の草が黒く焦げていく。
目が合った。赤い瞳がギラリと光る。
(おいおいおい、こっち来るのか!?)
《魔獣:火猪》 ランク:D 状態:空腹、興奮
(なんだ、このステータス表示……?)
頭に直接文字が浮かんでくるような奇妙な感覚。 意味はわからないが、直感で“やばいやつ”だと理解した。
「やばいやばいやばいっ!!」
俺はその場を飛び出した。 木々の間をすり抜け、足場の悪い地面を蹴りながら走る。
背後から、地鳴りのような蹄の音と、獣の吐息が迫ってくる。
(無理無理無理無理! あんなの戦えるわけない!)
全力で逃げながらも、どこか冷静な部分が考えていた。
(あの体格に火属性。たぶん突進と体当たりが主な攻撃手段だ。足止めできれば……)
——そんなとき、頭上から声がした。
「そっち行くと落ちるよー」
「へ?」
見上げると、木の上に小柄な少女が座っていた。 銀髪のロングヘア。華奢な身体に、白いワンピースのような服。 その表情はどこか無邪気で、子供のようにも見える。
「暴食の女神でーす!」
「いや意味わかんねぇよ!!」
その瞬間、足元の地面が崩れた。
「うわっ——」
転倒。背中に冷たい土が当たる。背後から迫る轟音。
火猪の突進だ! 避けきれない!
「死ぬっ!?」
——ドガァン!!
土煙が舞った。
……数秒後、音が止み、恐る恐る目を開ける。
火猪は目の前で倒れていた。前足が地面の窪みにハマり、勢いのまま岩に頭をぶつけて昏倒している。
「え、なに、これ……偶然?」
俺の手は震えていた。 本当に……死ぬかと思った。
木の上の少女がぱちぱちと拍手をする。
「わーい、バルすごーい! そのまま倒しちゃったね!」
「バル? 誰それ」
「うん、君の名前! 今決めた! 覚えやすいでしょ?」
「勝手に!? いや、それよりなんなんだお前は!」
「暴食の女神って言ったじゃん♪ それより、ほら、倒したでしょ?」
少女が指さす。
「倒したって……まさか、こいつを……?」
「うん、食べるの! 残すと死ぬから、ちゃんとね!」
「えええええええっ!?」
——続く——