魔術師の客
ピクシェノスの夏は短い。
昼間は内臓から焼かれるように暑く、夜は水の中を揺蕩うかのように涼しい。
七十日の夏期休暇が終わる頃には、汗ばむ陽気も落ち着いてきている。
空の月は半月を超え、ふっくらとふくらみつつある。
新学期の始まりだ。
生徒たちの家の多くは畜産を営んでおり、皆、家業の手伝いで日焼けしていた。ちなみにセマとヴァルトルはあまり肌が焼けない体質なので、あまり変わっていなかった。
仕事ばかりで短い夏を満喫していない、なんてわけがなかった。海で泳いだ、親戚で集まり宴をした、地元の祭で告白した。思い出話で盛り上がる。
「ニコリナ、うちの村のお土産よ、どうぞ」
昼食時、食堂にて。
セマは蓋つきの藤籠から、牛の乳で作ったプリンを取り出した。
「えっ、つめたい!」
冷えている容器にニコリナが驚く。
セマに促され、ニコリナが籠の中に指を入れると、氷もないのにひんやりしていた。保冷の魔術が籠に仕込まれているのだ。
「せっかくだもの、冷えておいしい状態で食べてほしかったの」
プリンはつるんとした食感で、ほのかにあまかった。
「……下世話なこと云っていい?この籠、売ったら儲かるんじゃない?」
「儲かるだろうな」
牛乳プリンを食べながらヴァルトルが云った。
「保冷期間は一日、十四日が最長よ、編む労力だって相当かかるし、高額になっちゃうわ」
セマが続けた。
「そっかあ、便利そうだけど作る方からしたら大変だもんね」
個人的に、保存してほしいモノがあると訪れる客もいたにはいた。
ある老人は願った。
──きれいだろう、孫が作ったんだ、あの子の親は事故で死んじまってな、おれと婆さんで育てたんだ、色々と不自由だったろう、寂しかったろう、だがなあ、文句のひとつも云わんでなあ、じじ馬鹿だが良い娘に育ったよ、花屋の息子と結婚してな、結婚式でこれをくれたんだ、初めての花束はおれと婆さんに贈りますってな、なあ魔術師さん、この花を凍らせることはできるかい? そりゃそうだ、永遠に枯れないようになんて贅沢は云わん、ただちょっと、普通の花より長く飾っておきたいんだ、人だって花だっていつかは枯れるのが定めよ、そうでなきゃ婆さんにまた会えねえしな
ある貴族の娘は願った。
──婚約者を殺してしまいました、彼ったら、わたくしがいながら派手に浮名を流していましたの、おまけに全然反省の色無しで、つい感情的になってしまったいましたわ、 ええ、はじめは自首するつもりでしたのよ、でも……動かなくなった彼を見てふと思いましたの、これで彼はわたくしのものになりましたわ、って、 彼のためにベッドを用意しましたの、毎日髪をとかして、ちゃんとお洋服も着替えさせてあげますわ、夫のお世話は妻の役目ですもの、愛しているのですから、それくらいは当然ですわ、ええ、彼を愛していますわ、お見合いで会った時からずっとわたくしには彼だけでしたわ、わたくしだけを見てほしかったの、わたくしにだけ触れてほしかったの、だから彼を凍らせて!ねえお願い、お金ならいくらでも出すから!
極端な二人だった。
ニコリナには内緒だ。客の情報を漏らさない、というより、彼女はろくでもない人間なんて知らなくていい。
「今の宮廷魔術師は、きっとこういうものを魔術で開発しようとしているのかもな」
セマがぼんやりしている間にも、会話は続いていた。
日常をより便利に。
魔術を大衆化し、一般人にも身近な道具に。
「昔の宮廷魔術師は違かったのかな?」
ニコリナが疑問を投げかけた。
「大じいさまの時代は個人で術を磨いて、それぞれ王様に任務が与えられていたみたいよ」
「時勢もあったんだろうな、他国と領土争いだの他民族の侵入の防衛だの、戦力が重視されてただろうし……一段落ついたと思ったら内戦勃発だぞ」
「ああ……」
ニコリナの脳裏に、元気いっぱいのバザール道先案内人が浮かんだ。
「まあ、平和になった証拠なんだろうが、俺としては昔の方が好きだな」
おそらくマナの解明は、新たな燃料として利用する目的なのだろう。かつては戦争の為に、現在は人々の生活の為に。
実用化はまだまだかかりそうだが。
「この籠は、国が作りたい理想のひとつなのかもね、いつか宮廷魔術師が教えてくれ~、なんて云ってきたりして」
「渡さないわ」
セマの瞳が濁った。
「開発したいなら国の研究室に閉じこもって勝手にしたらいいわ、私を巻き込むつもりなら消し炭にしてやるわ」
「ど、どうしたのセマ、そんなに怒って……」
「研究成果を横取りされるようなモンだからな」
「ひっどい冗談云ってごめんなさい!」
「……いいえ、私こそごめんなさい、ニコリナ、いやだわ、恥ずかしい」
「……宮廷魔術師はキライ?」
ニコリナがおそるおそる訊ねると、セマもヴァルトルも首を横に振った。
「向こうはお仕事だもの、私にどうこう云う資格はないわ」
「俺もセマも単独の研鑽を好むから、反りが合わないだろうなってだけだ」
ニコリナはぐっと息を詰まらせた。
二人が滅多に、というより全く話してくれなかった魔術師の世界。自分とは縁のない不思議でアヤシイ世界が、ちょっとだけ近くなった気がした。
魔術師だって人なのだ。
魔術師にも様々な気質や性格があるし、人同士に相性があるのも当然だ。
セマとヴァルトルの、魔術師としての気質をしっかり理解している様は、本当に同い年なのかと疑ってしまう。
──……どうしよう
いやいや、駄目でもともとと頼むつもりだったのだ、おじけづいてどうする。それにセマとヴァルトルは、真剣に話をすれば真剣に返事をしてくれる。
「あのね、セマ、ヴァルトル君、お願いがあるの、無理なら断っていいから」
ええいままよ、とニコリナは魔術師に依頼した。