忍び寄る真実
二人は数日留まり、ルクレティアの様子が問題ないと分かると、王都へ帰っていく。滞在中も、リーヴァイはルクレティアと顔を合わせないようにしてくれているようだった。
(わたしの我が儘で、兄様を傷つけているんだわ)
毎日花瓶に飾られる白い薔薇を見ながらそう思うが、本能的な恐怖には抗えない。事実、リーヴァイが屋敷を去ったと知ってから、ルクレティアの体調はますます良くなった。
オーウェンが訪れたのは、そんな時だった。
「君のことがとても心配だったんだ」
身の回りのことをさせる最低限の使用人だけ引き連れて、護衛も付けずにやってきたため、ルクレティアは大層驚いた。普段王都にいる彼が、フォルセティ家の領地までやってくることはまずなかったからだ。だが、嬉しかった。
「また倒れたと聞いてね。ソフィーはどういうわけだか、私にそれを隠していたんだ。ひどいだろう? 今、理由を尋ねているところだよ」
そう言って微笑みかける彼は、どこからどう見ても完璧な王子だ。この国の少女の誰もが彼に憧れている。濃い黄金の髪は、日の光を受けて輝いて、やはり黄金の瞳は、夜空に浮かぶ月のようだった。
それから二人の、数日の穏やかな暮らしがあった。
オーウェンはルクレティアに寄り添い、敬い、ルクレティアも彼を大切に思った。未来の記憶の中だと、そろそろオーウェンはアリシアに出会っている頃だろうが、領地にいるせいか、その片鱗はない。だがいつかアリシアや、彼女でなくとも他の女性に出会って、彼は本当の恋を知るかもしれない。その時の覚悟を決めておこうと、ルクレティアは思った。
手紙が届いたのは、そんな折りだった。
差出人は、ソフィー・カミラだ。
“ルクレティアへ
急いで手紙を書かないといけなくなりました。恐ろしいことが起きてしまったの。だけど誤解だと、すぐに分かるはず、心配しないで。
それよりもとんでもないことが分かった。アリシア嬢の家を調べたところ、彼女達の家族全員、謀反を働いたとして既に投獄されていた。だからオーウェン殿下とアリシア嬢が恋仲になることはあり得ない。
貴女の記憶はどこまで確か? くれぐれも真実を見誤ってはいけないわ。
取り急ぎ、それだけ伝えておきます。もう手紙は出せないかも。オーウェン様に注意して。
ソフィーより”
ルクレティアは眉を顰めた。
(アリシア様が投獄されているって、どうして? 記憶の中に、そんなことはなかった。彼女はオーウェン様と恋仲になるのに)
あるいは、記憶自体がやはり偽物で、危惧した未来にはならないということか。
(それに、オーウェン様に注意してって、どういうこと? 彼の身の上に、何かが起きるっていうの?)
手紙を持ったまま呆然と立ち尽くしていると、いつの間にか背後にオーウェンが立っていた。ルクレティアを見つめるその表情は固く、手紙をそっと奪われてしまった。
文面を確認したオーウェンの表情は、ますます険しいものになる。
「ソフィー・カミラからか? じゃあ、行き違いになってしまったのか」
そう言うと、彼は手から炎を出し、手紙を跡形もなく焼き切ってしまった。
灰と化した親友からの手紙を見ながら、ルクレティアは叫ぶ。
「何をなさるのですか!」
だがオーウェンは、抗議を上げるルクレティアの手を握ると、優しく言っただけだ。
「彼女は投獄されているんだ。君に対して黒魔術を行使した罪だ」
愕然とした。
「そんなわけ、そんな……! だってソフィーは、わたしのこと、とても心配してくれていて……」
その先の言葉が紡げなかった。オーウェンは微笑む。
「心当たりはあるだろう? 君が倒れた時、いつだっていの一番に駆けつけたのは彼女だ。彼女は君を憎み、疎み、害そうとしていたようだ」
震えるルクレティアの体を抱きしめたオーウェンは、更に恐ろしいことを言った。
「君には言うまいと思っていたが、リーヴァイも共謀している。捕縛しようとしたが逃げられてしまい、行方は今も知れない。だから私は君の側に来たのだ。もし彼が君に危害を加えようとするのならば、危険だと考え、守るために」
ルクレティアの心に、虚無が広がる。
(兄様は、やっぱり、わたしを憎んでいたんだ――)
オーウェンは、震えるルクレティアを更にきつく抱きしめ、口に軽く口付けをすると言う。
「何も心配しなくていい。私が側にいるから。今晩も、君の部屋に行っていいかい」
「は、い……」
従順でいることを躾けられた心は、彼に対して抵抗するなどと、考えもしなかった。
◇◆◇
どうしたら良いのか、分からなかった。ソフィーがルクレティアを憎んでいたと、考えるだけで悲しかった。
だけど――ルクレティアは思った。
(おかしいわ。だってもし、ソフィーがわたしに黒魔術をかけたのなら、どうして額を切ってまで、わたしの記憶を取り戻そうと協力してくれたの?)
彼女は本気で心配してくれていた。彼女がルクレティアを憎むはずがない。
それに記憶――やはりおかしい。ルクレティアは一目見たときからオーウェンに恋をしたと思っていた。だが日記の中で、ルクレティアは領地にいる間は少なくともリーヴァイに恋をしていたように思う。それどころか、あの刹那に蘇った幻想は、もっとずっと、遥かに成長した今の自分が、リーヴァイを愛していると告白していた。
(もう一度、日記帳を読んでみたい)
倒れて以来、日記は開かなかった。あの小屋に置いてきてしまったことが悔やまれる。
月明かりが眩しい夜だった。オーウェンはすでに自室へ戻っている。ルクレティアはそっと、ベッドを抜け出した。
雲一つない空に大きな月が浮かぶ晩とはいえ、森の中は暗かった。弱いルクレティアの魔力では、周囲を照らす明かりさえ作れない。ランプの灯りを頼りに、進んでいった。
やがて小屋に到着する。日記帳は、机の上に置かれたままだった。
断続的にではあるが、領地で暮らした十二歳までの日々が、綴られている。
(わたしったら、リーヴァイ兄様のことばかり書いているわ)
“オーウェン様じゃなくてリーヴァイ兄様と結婚したいと言ったら、とても悲しい顔をされた”
記憶が蘇る。
兄様と結婚したいと、ルクレティアは泣いたことがあった。だがリーヴァイはいつものようにルクレティアの頭を撫で、オーウェン様なら必ずお前を幸せにしてくれると、そう言っただけだ。
またページをめくった。
“リーヴァイ兄様の魔力はとても強くて、時々暴走してしまうんだって。だからお家を追い出されて、フォルセティ家に来たみたい。でもわたしの側にいると魔力が安定するんだって。そういう相性があるみたい。わたしとオーウェン様の魔力の相性もいいって兄様は言う。だから婚約したって。じゃあ兄様と婚約したっていいじゃないって言ったら、また困った顔をされてしまった”
(魔力の相性? そんな話、全然知らなかった。忘れているだけ?)
ルクレティアはまた紙をめくる。
“お父様とお母様が兄様のお家の話をしているのを聞いちゃった。すごーくびっくり。だって兄様は”
「う、そ――」
その文章を読んで、叫びそうになり口を押さえた。
前は知っていた? 今は忘れている? どうして?
誰かが、わたしの記憶を壊した? そうして過去に戻したの?
日記には、こう書いてあった。
“だって兄様は、オーウェン様のお兄様なんだって。魔力が制御できなくて危険視されて王家から追い出されて、フォルセティ家に引き取られたみたい”