王女さまは、いいました。「やっぱり『こんやくはき』は、しばらく『ほりゅう』にしてさしあげますわ」
「もう、いや! わたくし、レオとのけっこん、やめますわ! 『こんやくはき』 です!」
「ジルったら、またあ。こりないねえ」
大きなお城のお庭。
かわいい顔をしかめて、おこっているお姫様さまのそばでは、王子さまがのんびりと花をつんでいます。
ふたりとも、9さい。となりどうしの国のお姫さまと王子さまです。
2年前、ジル姫とレオ王子のお父さまたちが、おとなになったらふたりを結婚させる、と約束しました。
それからずっとふたりは、レオ王子の国のお城に、いっしょに住んでいるのです。
「レオはどうして、わたくしの夢のはなしを聞いてくれないのです!? お母さまもお兄さまも、聞いてくださいましたのに!」
「ぼく、夢をみたことないから。夢の話ばかりされても、わかんないんだよ。ごめんね、ジル」
「夢をみたことない、なんて! こんなの、ぜったいに 『せいかくのふいっち』 ですわ! ですから 『こんやくはき』 なのですわ! わたくし、もう国に帰りますから!」
「まあまあ。おちついて、ジル」
どんなにジル姫におこられても、レオ王子はにこにこ。
ふたりの結婚は、国どうしのだいじな取り決めです。かんたんには、やめられません。なので、ここでけんかしてもどうしようもないのです。
それに、ジル姫のことを、かわいそうだなあ、とレオ王子は思っていました。
なにしろ、王子と同じとしなのに、もう、家族からはなれて、ひとりでとなりの国にきているのですから。
「ねえ、ジル。この花たば、どうかなあ?」
「…… 緑の葉っぱを入れると、もっといいのではないかしら。ほら」
「あっ、ほんとうだ。さすが、ジルだねえ…… よし、できた。じゃあ、これはジルにあげるね」
「はっ花たばくらいでは、ごまかされませんからね! ……わたくしより、ミア王妃にあげましょうよ。目を、さまされるかも」
「うん…… ありがとう。ジル、やさしいね」
「ほ、ほめたって…… けっこんしませんからね!」
レオ王子のお母さま、ミア王妃は、もう10日間も、病気で寝たきり。
『眠り病』 という、原因のわからない病気です。この病気にかかってしまうと、眠ったまま、目が覚めなくなってしまうのです。
最近レオの国では、この病気にかかる人がときどき、あらわれるようになりました。子どもが多いそうですが、おとなにも、かかってしまうひとはいます。
ミア王妃もそのひとりです。それだけでなくミア王妃の侍女のひとりも、数日前に眠り病にかかってしまっていました。
「お母さま、おきて。レオとジルが、ごあいさつにきましたよ」
ミア王妃の部屋にやってきたレオ王子は、ジル姫といっしょに、眠るお母さまの顔をのぞきこみました。
「お母さま。この花たば、ジルに手伝ってもらって、つくったのです。きれいでしょう? 目をあけて、見てください」
「無理無理無理無理ってもんですよ。夢から、もどってこれなくなってるんですから」
レオとジルのうしろから、きゅうに、すこしかすれた女のひとの声がしました。
ふたりがふりかえると、そこにはレオのお父さまのフェド国王と、みなれない女のひと。赤い髪に紫の瞳、黒ぶち眼鏡をかけています。
「お父さま、ごきげんよう。後妻こうほのかたですか? おとといお帰りくださいませ」
「こらっ、レオ。 『暁闇の魔女』 どのになんということを言うんだ!」
「魔女さま?」
「そうだ、レオ。このかたは、世界を旅しておられる有名な魔女どのなんだよ…… 魔女どの、失礼をいたしまして、もうしわけない」
フェド国王といっしょに、レオも魔女に頭をさげます。
「失礼いたしました、魔女さま。ぼく、ジョークのつもりだったんですけど」
「レオはときどき、ずれてますわ。だから、わたくしが 『こんやくはき 「夢から帰れなくなった場合には」
ふいに 『暁闇の魔女』 が、ジルのことばをさえぎりました。
どうやら魔女は、眠り病のことにしか興味がなさそうです。
「だれかが夢にとじこめられたひとを、夢のなかから連れもどさなければなりません。できれば、親しい者のほうが良いでしょう」
「ぼく、いきます!」
「レオが、いけるのですか? 夢をみたことないのに?」
ジルにつっこまれてレオは、あげかけた手をおろしました。
―― そうでした。
レオはこれまで、いちどだって夢をみたことがなかったのです。これでは、夢のなかに入れるのか、入ったとしてもどうすれば良いのかも、わかりそうにありません。
さすがのレオも、しょんぼり。
「しかたないですわね…… わたくしがいっしょに行ってあげますわ。そしたらレオも、夢のなかに入れるでしょう? ねえ、魔女さま?」
「ええ」
魔女がうなずくと、国王が 「いや、私が行こう」 と言い出しました。
「子どもたちを、きけんな目にあわせるわけには、いかない」
「お父さま。家族優先はとってもいいことですが、お父さまは国民みんなのものですから」
「…… くううううっ! 愛するひとさえ救いに行けぬとは…… くううっ! この身分がにく 「18」
あわててフォローするジル姫。
フェド国王は、とってもいい王さまなのですが、家族が大好きなあまり、たまに失言をするのです。
「…… ふっ。すまないな、ジルよ」
「いえ、いつものことですから…… 夢のなかではわたくしがちゃんと、レオについています。心配しないでくださいな、国王さま」
「そうか…… ありがと 「そのかわり、お願いがあります」
ジル姫はまじめな顔で両手を組みあわせ、おいのりのポーズをしました。
「もし無事にミア王妃を連れて帰れたら、わたくしたちのけっこんをやめることを、わたくしの父と話しあってほしいんです」
「うむう…… ま、まあ…… 話しあうくらいなら…… 」
「ぜったいですわよ?」
わざとではないけれど、レオがあれこれとジルをふりまわしていることを知っている、フェド国王。
うちのレオのどこが気にいらないんだ! ―― と、おこりたくても、おこれません。
とうのレオは、ふだんと変わらず 「じゃあ、よろしくね、ジル」 と、ニコニコしていますし。
国王があいまいにうなずくのを確認すると、レオとジルは手をつないで、ミア王妃のとなりに横たわりました。
『暁闇の魔女』 の指示どおりです。
魔女はレオとジルを夢にみちびく魔法をかけて、いいました。
「王子さまは夢をみたことがないのではなく、みても、わすれてしまうだけですよ」
「そうなの?」
「ええ。そういう人は、いるものです。だから、ジル姫さまもいっしょなら、だいじょうぶ。心配しないで行ってらっしゃい」
「「はい」」
レオとジルがこたえたときには、もう、夢の入り口でした。いろいろな色の、たくさんの扉がついた大きなホールです。
天井についた開きかけの扉から、魔女の声が響きました。
「その 『夢のたね』 は、つよく願えば、願いどおりに育ちます。帰りたいときに使ってごらん」
「ありがとう、魔女さま」
レオがにぎりしめていた手をひらくと、そこには小さなたねがたくさん、ありました。
レオはたいせつに、たねをポケットにしまいます。
それから、あらためて、まわりを見まわしました。
「えっと…… どの夢に行けば、いいのかなあ?」
壁いちめんについた、たくさんの扉はどうやら、それぞれの夢の世界につながっているようです。
ミア王妃は、どの扉のむこうにいるのでしょうか。
帰りたくなくなるほど、たのしい夢のなかなのかな?
ジルとレオはまず、いちばん近くの金の扉のなかに、はいってみました。
―― そこは豊かで、ぜいたくな世界でした。見たこともないような、りっぱな建物がたくさん並んでいます。道は色とりどりのタイルでかざられて、ひとはみな、とてもきれいな服をきています。
レストランからはおいしそうなにおいがただよい、あっちの角でもこっちのとおりでも、にぎやかな音楽や物売りの声がしています。
みんな、とても幸せそう。
けれども、ミア王妃はいません。
次は、銀の扉のなか。
―― そこは、魔法の世界でした。つばさのはえた馬や象が空をとび、街は夜も、ふしぎなあかりで宝石箱のよう。この世界のひとはみな、魔法を使って、とても便利な生活をしているのです。
けれども、ミア王妃はいません。
虹色にひかるダイヤモンドの扉のむこうは、ゆうえんち。おとなも子どもも、みんなが楽しそうに遊んでいました。
すきとおったガラスの扉のむこうは、妖精の国。みるものものも聞くものも、なにもかもが、とても美しくすばらしい世界でした。
けれども、ミア王妃はいません。
どんなすてきな夢のなかでも、そこに王妃のすがたは、なかったのです。
ジルはだんだん、不安になってきました。
「ミア王妃さま、いったいどこに、いらっしゃるのかしら」
「まだ、さがしていない扉はたくさん、あるよ。順にさがそう」
レオがジルをはげまします。
それから、ふたりはいろいろな扉を開けて、ミア王妃をさがしました。
いくつもいくつもの夢をわたって、ふたりは鉛の扉の前につきました。
重い扉を、力をあわせて開きます。
とたんに、とても強い風がふいてきました。
「ジル!」
レオはとっさに、ジルの手をつかみました。のんびりさんな王子さまも、さすがにこわくなるほどの風だったのです。
ふたりは手をつないだまま、風にふきとばされてしまいました。
じめんにたたきつけられて、あたりを見回すと ――
そこは、うすぐらくて、なにもない世界でした。
ひからびた地面のうえを、風だけがときどき、くるったようにかけぬけていきます。
遠くでは、とても大きなひとたちが、暴れています。
そのひとたちが動くたび、目をつきさすような光がさして、風がふくのです。
ジルがつぶやきました。
「あれは…… なんでしょう?」
「火の神と水の神でございます、ジルさま、王子さま」
「サシャ! ここにいたんだね!」
頭のうえからふってきた声にレオが顔をむけると、よく知っている、おだやかな青い目がありました。
数日前から眠り病にかかっていた、ミア王妃の侍女のサシャです。
「レオさま、ジルさま、ご無事そうでなによりでございます」
「お母さま…… ミア王妃は? どちらにいらっしゃるか、しっているか?」
「はい…… ですが、まずはここから、にげましょう。ここはあぶのうございます」
サシャはレオとジルを助け起こすと、地面の少しだけ盛り上がったところを押さえました。
とたんに、地面にぱっかり、しかくい入口があきました。奥には階段が続いています。
「レオさま、ジルさま、こちらへ。地下のシェルターです。ミア王妃さまも、ほかのみなさんも、そこでくらしているのですよ」
サシャはレオとジルを先におろし、入口をとじました。
レオは、サシャのスカートをつかみ、ジルと手をつないで進みます。ぼんやりと明るい通路は3人で歩いても、足音がしません。
「サシャ。お母さまは、あの大きな神たちのせいで、帰れないの?」
「はい。火の神と水の神は、おたがいに、この世界を自分のものだと言って、けんかをしているのですよ。ふたりともとても、おこっていて、止まらないのです。火の神の子も水の神の子も、けんかにまきこまれて、おおぜいがなくなりました。そのせいで、神たちはますます、おこってしまって……」
ジルが、だまったまま、うなずきます。
レオはサシャの、少し悲しそうなかおを見上げました。
「だったら、ぼくとジルで、サシャとお母さまを連れて帰ってあげるよ。『暁闇の魔女』 から、夢のたねをもらったんだ。帰りたくなったら使いなさい、って…… だから、きっと帰れるよ」
「…… さようでございますね」
シェルターにたどりつくと、そこには、たくさんの子どもたちと、数人のおとながいました。
「子どもたちはみんな、あの強い風にふきとばされてしまうので、もとの世界に帰れないのです」 と、サシャが説明してくれます。
ジルがふしぎそうなかおをしました。
「おとなたちも、ふきとばされちゃったのですか?」
「いいえ。ここにいるおとなは、子どもたちをおいていけなくて、残ったひとです」
「ふうん…… お母さまとサシャも、そうなんだ?」
「そうですよ、レオさま。レオさまのお母さまはとても、おやさしいかたです」
「うん…… そうだね」
レオは、どうしてだか気持ちが、もやもやしました。
けれども頭をふって、おいはらいます。
ミア王妃は、ただしいことをしているはずです。レオがもしおとなでも、きっと、そうしたでしょう。
「それで、お母さまはどこ?」
「ほかの子どもをたすけに…… 「レオ! ジル! あなたたちもきたんだね」
「お母さま!」 「ミア王妃さま!」
レオとジルがふりかえると、そこには赤ちゃんをだっこしたミア王妃が立っていました。
おかえりなさい、と子どもたちがミア王妃にまとわりつきました。
子どもたちは、強くてやさしいミア王妃が大好きなのです。
ミア王妃は、そんな子どもたちの頭を、ひとりひとりなでてあげています。
レオはまた、なんだかモヤモヤしてしまいました。
レオは、お父さまにもお母さまにも頭をなでてもらったことがありません。だっこしてもらったことも、もちろん、ないのです。
国王さまと王妃さまなのですから、しかたがないことではあるのですけれど。
「ぼく、お母さまとサシャを、助けにきたんです」
レオはポケットから夢のたねをひとつ取り出して、ミア王妃に見せました。
「これに強く願うと、帰れるんです。魔女さまがくれました」
「そうか、ありがとう、レオ。なら、先にこの子を帰してあげてくれるかな? 赤ちゃんだから、眠ったままだとすぐに衰弱してしまう」
レオはうなずいて、夢のたねにお願いします。
「夢のたね、どうか、この子を守って、もとの世界に帰してあげてください」
すると、たねが、やわらかくかがやきだしました。
あたたかでやさしいあかりが、ふわりと浮かんで、ミア王妃のうでのなかの赤ちゃんを包みます。赤ちゃんはうれしそうに、きゃっきゃっ、と声をだして笑いました。
しばらくして、あかりが消えたとき、赤ちゃんのすがたはどこにもありませんでした。
もとの世界に帰っていったのです。
「すごい。さすが、魔女どののたねだね」
「けれど、お母さま。この子たちみんな帰してあげるには、たねがたりないですよ」
レオは、こまりました。
魔女はたくさんのたねをくれていましたが、帰れない子どもたちは、もっとたくさん、いたのです。
「でしたら」 と、ジルが言いました。
「このたねをぜんぶいちどに、つかってみては? 強く願えば、なんでもかなうのですから…… ぜんぶのたねをつかえば、火の神と水の神のけんかも止められるかも。それで風がふかなくなれば、みなさん、帰れますわよね?」
「それ、いいね! さすがジル!」
「それしかなさそうだね」 「さようでございますね」
ミア王妃とサシャも、うなずきました。
ほんとうのところ、ぜんぶのたねをつかっても、神たちを止められるかは、わかりません。
それでも、ミア王妃はいいました。
「レオ、ジル。やってみよう…… サシャはここに残って、子どもたちを守って」
「かしこまりました」
ところが、ミア王妃のまわりの子どもたちは、いっせいに 『えーっ』 とさわぎました。
「また行っちゃうの?」 「いやだよ」 「ここにいてよ、王妃さま。こわいよ」
みんな、くちぐちにミア王妃を引き止めます。
またしても、モヤモヤしてしまうレオ。
レオがお母さまに 『いかないで』 なんていえたのは、おぼえていないくらい小さなころのことです。
お母さまは王妃さまでレオは王子さまなのですから、しかたのないことではあるのですけれど。
いやな気分をうち消そうと、レオは、いさましくいいました。
「お母さまも、この子たちのために、サシャとここにいてあげてください。ぼくは、だいじょうぶです。ジルと、いっしょだから」
ジルはおどろき、目をまるくしてレオを見ました。
レオがこんなにしっかりしているなんて、これまで知らなかったのです。
「ね、ジル。ふたりでいっぱい、お願いしてみよう。きっと、だいじょうぶだよ」
「…… ええ」
ジルが、レオの手をぎゅっとにぎって、うなずきます。
「お母さま、サシャ。ぼくたちがぜったいに、けんかを止めてきますね」
「わかった…… けど、あぶなくなったら、全力でにげるんだよ。かならず、助けにいくからね」
「「はい」」
レオは夢のたねをひとつ取りだし、お願いします。
「夢のたね、どうか、ぼくとジルを火の神と水の神のところまで、ふきとばされないように連れていってください」
たねがかがやきはじめました。
まぶしい光をはなちながら、たねはくるくると形をかえていきます。最後には、力強いあしをもった大きなへびのような姿になり、宙にうかびました。
ジルのお父さまの国に伝わる龍に似ています。
これなら、風にふきとばされたりしないでしょう。
ジルとレオがのると、龍はゆっくりと動きはじめました。
「「行ってきます」」
「行っおいで」 「ジルさま、レオさま、どうかご無事で」
ミア王妃とサシャに見送られて、ジルとレオをのせた龍はシェルターの入口をとおり、通路をぬけます。進むほど、どんどん速くなっていきます。
ジルとレオは、思わず大きな声でさけんでいました。
地上にでると、龍は、すごいスピードで飛びはじめました。
風が、あっちからこっちから、なぐりつけるようにふいています。けれどもレオたちには、ちっともあたりません。
龍が、あがったりさがったりして、うまく風をよけてくれているのです。
そうしてレオとジルは、ぐんぐんと神たちのあしもとに近づいてきました。
火の神と水の神が動くたび、地面がぐらぐら揺れて、どぉん、と、大きな音がひびきます。これまで聞いたことがないほど、大きな音です。
くずれた建物が、次々にあがる、おそろしいような灰色のけむりにつつまれていきます。
なにもかもが壊れてなくなっても、神たちはまだ、けんかをやめないのです。
もうこれ以上近づいたら、ふまれてしまう。
そんなぎりぎりの場所で、レオとジルをのせた龍は止まりました。
レオは、ポケットから夢のたねをいっぱいとりだして、半分ずつ、レオとジルの手のひらにうつしました。
ふたりで、こころをこめてお願いします。
「「どうか、火の神と水の神が、けんかをしないようにしてください! なかなおりして、みんなを帰してあげてください」」
すると、夢のたねから白いわたげが、ぴょこんと大きなあたまを出しました。
ふわり。
わたげが手からはなれて、とびたちます。
ふうわり、ふうわり。
たくさんのわたげは、しずかに、宙をただよいます。
わたげがふれると、もくもくと立っていた灰色のけむりが、ほんのすこし、消えました。
けれど、神たちはまだ、けんかをやめません。
どぉん、ばりばりばりばり。
また、強い火の力と水の力がぶつかりあって、はじけました。
あらしのような風がびゅうびゅう、うなり声をあげてかけめぐります。
ジルは心配になりました。
「たね、とばされてしまわないかしら」
「だいじょうぶだよ…… あっ、みて、ジル」
レオが、空に人差し指を向けます。
その先では……
強い風にふかれたわたげが、ぱん、と割れて、そこからまた、たくさんの小さなわたげが生まれました。
小さなわたげは、みるみるうちにふくらんで、大きなわたげになります。
強い風がふくたび、わたげはどんどんと割れては、ふくらんで、ふえていき……
そうしてとうとう、空も地面もいちめん、わたげでいっぱいになりました。
すると、どうでしょう。
世界から、いっさいの音が、消えたのです。
火の神と水の神がどんなに動いて、力をぶつけあっても、目をつらぬくような光もささなければ、おそろしいけむりもあがりませんし、風もふきません。
すべて、わたげが消してしまうのです。
あたりは、しん、としずまりかえったまま。
そうして、火の神と水の神は、やっと気づきました。
ふたりは不思議そうに、あたりを見まわします。
「なんだ、ここは。わたげばかりで、なにもないではないか」 と、火の神がいいました。
「いつのまに、どうして、こんなところに来てしまったんだ?」 と、水の神が首をひねりました。
ほかの音は聞こえなくなっても、どうやら声だけはよく聞こえるようです。
「それは、たぶん、あなたたちのせい 「レオ!」
ジルがあわててレオの口をふさいだときにはもう、ふたりの神の大きな目が、光の龍にのったジルとレオに向けられていました。
「なんだと」 と、火の神。
「オレたちのせい? どういうことだ?」 と、水の神。
大きくて強い神たちににらまれて、ジルはこわくなりました。
あしがふるえそうになるのを、いっしょうけんめい、がまんします。
(神のきげんをわるくしないように、気をつけて…… どういえば、わかってもらえるのかしら)
ところが、レオはいつもどおり、のんびり。
ジルの手を口からはずすと、神たちに教えてあげました。
「あなたたちが、強い力をぶつけあうと、地面がゆれて、ぜんぶこわれちゃうんだ。それから、あついけむりでやけちゃうんだ。そしてね、すごい風で、ぜんぶ、ふきとぶんだよ」
火の神と水の神は、びっくりしました。
そんなことになるなんて、考えてもいなかったのです。
ふたりはにらみあって、さけびました。
「「おまえのせいだ!」」
火の神は水の神を、炎でやきつくそうとしました。
水の神は火の神を、はげしい流れでくだいてしまおうとしました。
しかし、なにもおこりません。
神たちがどんなに力を出しても、ぜんぶ、たくさんのわたげに吸いとられてしまうのです。
わたげは力を吸いとると割れて、数えきれないほどの新しいわたげになり、ますますふえていきます。
最後には、火の神も水の神も、わたげのなかにすっかりうもれて動けなくなり、わんわん泣いてしまいました。
「もう、だいじょうぶそうだねえ」
レオはにっこりして、いいました。
「帰ろうよ、ジル」
「ええ…… でも、ちょっと、まってくださいね、レオ」
ジルは、泣いている火の神に話しかけました。
さっきまでこわかったのに、いまは神のことが、すこしかわいそうになっていました。
「火の神。水の神とたすけあって、世界をつくりなおしたほうがいいですわ。なにもないのに自分のものにしたって、しかたないでしょう?」
「そんなこと、できるものか」
火の神は泣きながら、いいました。
「オレの子どもたちはみんな、あいつに殺されたのだ。この怒りは、あいつをほろぼすまで、しずまらない」
ジルはこんどは、水の神に話しかけました。
「水の神。火の神とたすけあって、世界をつくりなおしたほうがいいですわ。なにもないのに自分のものにしたって、しかたないでしょう?」
「そんなこと、できるものか」 と、水の神も、涙をぽろぽろこぼしながら、いいました。
「わが子たちはみな、やつに殺されたのだ。このうらみは、やつがこの世界から消え去るまで、晴れることはない」
ジルは、こまってしまいました。
どちらの神の気持ちも、わからないではありません。
それは、ジルがお父さまの言いつけでレオの国でくらすようになって感じるイライラと、そっくりなようにも思えるのです。
でも、このまま神たちがまた、けんかをはじめてしまっては、こまります。
「どうしましょう。これからも火の神と水の神がけんかをするなら、また、夢から帰れなくなる子がでるかもしれませんのに」
「じゃあ、もういちど、お願いしてみる?」
レオがさしだした手のひらには、ひとつ、夢のたねがのっていました。
「もしものときのために、ひとつ、のこしておいたんだ」
「レオ、すごいですわ!」
ジルはびっくりしました。
これまで、レオのことを、自分かってで気持ちをわかってくれない、のんびりさんだとしか思っていなかったのです。
レオはどんなときもこわがらないし、なにがあっても 『だいじょうぶ』 と、にこにこしていますから。
けれど、その 『だいじょうぶ』 は口先だけの気休めでは、なかったのです。
そして、そんなレオのおかげで、これまでどれだけ、はげまされていたか…… どれだけ、心強かったか。
ジルはやっと、気づきました。
(ちょっとだけレオのこと、みなおしてあげても、いいかもしれませんわ…… )
いままでの自分を、ジルは反省しました。
―― かってに、お父さまたちに結婚を決められて。
ひとりきりで、よそのお城にやられて。
役にたたなければ、みとめてもらえない、と思い込んで。ひとの顔色ばかり、うかがって。
そんな自分も、まわりも、いやでたまらなくて。
なにをいってもおこらないレオに、イライラする気持ちをぶつけていたのです。
レオがどんな子なのか、きちんと知ろうともしないで。
「レオ、ほんとうにすごいですわ!」
ジルがもういちどほめると、レオはいつものように、にこにこしました。いつもより、うれしそうです。
「じゃあ、ジル。お願いする? 火の神も水の神も、もうずっと、動けなくなりますように、って」
「うーん…… それは、ちょっと、ちがうと思いますわ」
「そう?」
「ええ…… 」
「じゃあ、ジルがお願いしていいよ」
レオがジルに、夢のたねをわたします。
夢のたねを受けとるとジルは、いっしょうけんめい、お願いしました。
さっきよりももっと、心をこめて、いのりました。
「だれもが、どんなにおこっているときでも、どんなにうらんでいるときでも、そのせいでひとをこまらせたり、しませんように。ひとをきずつけずに、いきていけますように」
「「ゆめのたね、どうか、お願いします」」
ジルの声に、レオの声がかさなります。
ふたりの願いにこたえるように、夢のたねは、やわらかく光りはじめました。
星のあかりのようなかがやきは、どんどん大きくなって、泣いている神たちをつつみこみます。
すると、どうでしょう。
火の神のすがたも、水の神のすがたも、少しずつぼやけて、かわっていくではありませんか。
火の神は、まばゆく白く燃えながら、天にのぼっていきました。
うすぐらかった空が、すみずみまで照らされて、どこまでもぬけるような青にそまります。
水の神は、ひとすじの川になりました。
なにもなかった地面がうるおされて、緑の野原が広がっていきます。
どこからか、鳥がうたうのが聞こえました。
レオとジルは手をつないだまま、そのうたに耳をかたむけます。
「もう、だいじょうぶだねえ、ジル」
「ええ…… そうですわね」
「お母さまとサシャと、みんなで帰ろうね」
「ええ、レオ」
「ぼく、帰ったら、お父さまに 『こんやくはき』 してもらうようにお願いするね、ジル」
「え、ええ…… あの、やっぱり…… 『こんやくはき』 は、しばらく 『ほりゅう』 にしてさしあげますわ」
「ほりゅう?」
レオが、ふしぎそうな顔をします。
ジルは、もじもじと下をむきました。
「かってなこといって、ごめんなさい…… でももし、レオが、いやでなければ…… 」
「いやなんかじゃ、ないよ。でも、ジルは? けっこんしたくないんだよね?」
「だから 『ほりゅう』 なんですわ!」
ジルのほおが、ほんのり赤くなります。
これまでジルにとって、レオとのけっこんは、いやでもしなければならないものでした。
だからこそ、いやだったのです。
けれど、あらためて考えてみると……
(わたくし、おとなになったら、レオとけっこんしたいのかしら?)
答えは自分でもよくわからないのに、ジルはなんだかドキドキしてきました。
「…… いままで、ひどいことをいって、ほんとうにごめんなさい、レオ。これからは、レオのこと、もっとよく知るようにしますわ…… それで、もし、わたくしがレオのこと、すきになったら…… そのときには、レオも、わたくしをすきになるって約束してくれますか?」
ものすごく恥ずかしかったけれど、ジルはゆうきをふりしぼって、聞きました。
なのに、レオはきょとん、としています。
「え? いいけど…… でも、ぼくは、ジルのこともう、すきだよ?」
「だから、そういう 『おともだち』 みたいな意味じゃないんですわっ…… って! わ、わたくしったら、なにをいっているのかしらあああ!?」
たまらなくなって、ジルは走りだしました。
すぐに、ぼすん、とやわらかいものにぶつかります。
「ジルさま、どうされたんですか?」
「サシャ!」
「ジルさま、よく、がんばられましたね。レオさまも」
「レオ、ジル。ふたりとも、ほんとうによくやってくれた。おかげで、みんな、もとの世界に帰れたよ」
侍女のサシャと、ミア王妃が、むかえにきてくれたのです。
サシャは、やさしくジルをだきしめてくれました。
ミア王妃も、レオをぎゅっとだっこして、あたまをなでます。
「お母さま、ぼく、もう子どもじゃ、ありません」
レオ王子は、お母さまのうでのなかで、じたばたともがきました。うれしいけれど、それ以上にてれくさかったのです。
するとミア王妃はますます、王子をぎゅうぎゅうするうでに力をこめました。
「いいじゃないか、夢のなかなんだから」
「あ、そっか…… これ、夢のなかなんだ…… 」
ちょっと、しょんぼりするレオ王子。
目がさめたら、この夢もわすれてしまうのでしょうか?
「ぼく、この夢は、わすれたくないなあ」
「大切な夢なら、夢のなかでまた、思い出せるよ」 と、ミア王妃。
「でもぼく、おきているときもおぼえていて、ジルといろいろ、話してみたいんです」
「だったら、おきているときにもういちど、ジルからきけばいい。つまらないなんていわずに、いっしょうけんめい、きいてごらん」
「うん、そうだね…… そうします」
レオがうなずくと、ミア王妃はまた、王子をだきしめてほおずりしました。
そうして、レオとジル、ミア王妃とサシャは、やっと、もとの世界に帰ったのです。
もとの世界では、眠り病の夢から帰ってきたひとびとが、次々に目をさましていました。
みんな、夢のなかで助けてくれた王子さまとお姫さま、王妃さまと侍女にお礼をいおうと、お城につめかけたので、たいへんなさわぎです。
フェド国王はよろこんで、何日もパーティーをひらいて、そのひとたちをもてなしました。
じつは、パーティーをひらいた一番の目的は、レオとジルを夢のなかにみちびいてくれた恩人の魔女にお礼をするためだったのですが ――
とうの魔女は 「報酬はいただきましたから。それでじゅうぶんです」 と、クールに旅立っていってしまったそうです。
『暁闇の魔女』 のゆくえは、それからようとして知れません。ですが、きっといまも、世界を旅していることでしょう。
さて。
こうして、にぎやかなお祝いの日々が続き、みんなが幸せな気分で引きあげていった、そのあと ――
「「夢のたね、どうか、ここをゆうえんちにしてください」」
お城のお庭では、ジルとレオが今日も、しんけんにお願いをしています。
ほんとうは、夢のたねは、もうなくなってしまっています。
けれども、こうやってお願いするだけで、お庭はあっというまに、ふたりにとってのゆうえんちになるのです。
ゆうえんちだけでは、ありません。
おいしいものがたくさんあるレストランになることもあれば、すきなだけ魔法がつかえる世界になることもあります。
妖精の国になって、みえない妖精たちと、かくれんぼをすることだって、あるのです。
ジルがレオに夢の話をすることは前よりもずっと、すくなくなりました。
レオがあいかわらず、みた夢をおぼえていられないからです。
それに、おきているときに、ふたりでつくる夢の世界のほうが、ずっと楽しいのですから。
それでもときどき、ジルが夢の話をすると、レオは前とちがって、おもしろそうに聞いてくれます。
そうして、ふと思い出したようにジルに、たずねます。
「ところで、あの眠り病の夢のなかで、ぼく、ジルと、だいじな約束をした気がするんだけど…… なんだったっけ?」
「そっ、そんなの。自分で思い出してください、ですわっ…… あの、わたくし、ちょっとようじが!」
そのたびにジルはあわてて、にげていってしまうのですが……
あの夢のなかの約束を、ジルがレオに教えてあげるころには。
ふたりともきっと、つらいときもまわりのひとをたいせつにできる、すてきな王さまと王妃さまになっていることでしょう。
(おわり)