襲撃と探り合い
図書館の3階、狭い室内で挟み撃ちにされ、逃走経路は限定された。
迷っている余裕はない。
最優先は、少女の命を守ること……できれば怪我も防ぎたい……それから――短刀が投げつけられ、足音も近い。いよいよ余裕が無い。
「私を、信じますか?」
「っ――当たりまえだ」
予想していた範囲の答えに安堵し、鞄を少女に持たせた。
何も言わず鞄を抱きしめている彼女は、何らかの打開策だと信頼してくれているためだろうか、体は震えていない。憲兵局配属前からの付き合いとして、場違いながらも、成長が感慨深かった。
経歴上、鍛えているため相応の質量だが、少女は同年代の中でも小柄な部類だ。抱き上げたときに鞄などの重さと合わせたおおよその質量を推定し、落下時間について概算した結果ーー地面と衝突する前には間に合うと結論。賭けではあったが、背に守りながら複数人を相手にするよりは有利だろう。
幸い、通気窓は採光を目的としていない。
カーテンが揺れている隙間からガラス戸が開け放たれているのも、各階のそれぞれ地面からの高さも、暇つぶしの際に確認済みだった。
入館時に気にかけてくれた司書らしい老婦人の姿が見えないのは気がかりだったが、窮地から脱さねば確認すらままならない。
本棚の隙間を抜けて、通気窓の前に到着次第、
「愚かでいらっしゃるんじゃあないっすか?」
垂直方向を意識して、少女の身体を窓から放り出した。
すぐ窓に背を向けると本棚に刺さった短刀を引き抜き、迫っていたローブのひとりを迎撃する。
「〝天より光が導く先に何を見る?〟」
「っーー!」
早口で告げると、察してくれたらしい。途端に雰囲気が切り替わる――ローブは刃物を握る手を緩めて「〝終焉の――」
(嫌な予想が当たった)
符牒を交わし終える前に、相手の腹部を強く蹴りつけた。意識を奪うまではできなかったものの、呻きとともに僅かによろけて膝を着いた。異変に気づいた2人目のローブには本棚から抜き取った短刀を投げて距離を保持する。
臨戦態勢を整えられる前に通気窓に足を掛け、窓の桟を強く蹴った。
水平方向よりも垂直方向を考慮して少女を投げたおかげで時間的余裕は十分だった。落下する華奢な身体をかばいながら、建物の外壁や近くの木の幹を蹴って落下の勢いを殺しつつ地面に着地した。殺しきれなかった分は地面に転がり力を往なす。
いくつか会話しながら少女に立ちなおるよう促しつつ、別の思考に気を取られる……符牒は不一致。ただし、所属組織は同一だろう……今は出張2日目の午後。バルトロマイ到着から24時間近く経過している。
(情報を得てから動いたならば遅い。泳がせていたにしては早い。何らかの意図があるはずだよなーぁ)
幸い、襲撃について理由を考えられる程度には情報があったが、まともな結論が出せない。相変わらずな自らの思考に自嘲しながら周囲を警戒していると、不意に、前方から複数の人影が現れた。前を走っていた少女を抜かして咄嗟に背に庇うと
「待って、味方だから」端的に諌められた。
「彼らは?」
「配下の者たち」
「ヒストリア家の……護衛にしては多くないですか?」
「少し心配性なだけ」
「あー。だから俺、今みなさんに睨まれてんですね。貴女を3階から放り投げたから」
「貴様に関して、普段の御当主殿への口のききかたにも不満がございます」人影のひとつが冷静に告げた。周囲の彼らも同意を示しているのはなんとなく把握できた。
「それは失敬。以後、気をつけたく存じます」
「やめて。構わないから」
「それは失礼いたしましたーぁ」肩をすくめながら言ってみたが、特に反応はなかった。
代わりに、人影がひとつ、明確に姿を現して少女の前に膝をついて頭を垂れた。
「お怪我はございませんか?」
「ええ、問題ない。襲撃に気がついたのよね?わたくしが目視できたのは2人だったのだけれど」
「大変申し訳ございません。ひとりは取り逃がしました」
「こちらを優先してくれたのでしょう?ありがとう、助かったわ。今夜、改めて報告を」
「はい、御当主殿。仰せのとおりに承ります。して、これからどちらへ向かわれますか?」
「派出所」
「でしたら」
「走れるわ、問題ないから。今は、警戒と調査を」
「……はい。承りましてございます」
人影は再び物陰に姿を消した。その人影について「しょんぼりしてますよ?」指摘してみると、
「古株だから。未だ子ども扱いが抜けないらしい」
再び派出所のほうへ駆けだした。
鞄を小脇に抱えて並走しながら「襲撃、お心当たりはあります?」尋ねた。
「ヒストリア伯爵の座は、ソフォクレス公爵令嬢をはじめとした縁戚の令嬢に継承資格がある。天秤を傾けるためなら、わたくしを退ければ良い。王国内の派閥争いが活性化するから、退屈する日々にはおもしろい刺激になるだろう」
「その退屈のおかげで我が国は発展を遂げたようなものです。進んで手放すとは思いませんが」
「そうだと良いな」
「でしたら、他にはありますか?」
「国外勢力のこと?数日前に決めた出張に合わせて他国が動いたのか?仕事熱心なことだな」
「それもそうですよね」
「あるいは……」
視線が鞄へと向けられた。言いたいことはわかる。何を考えているのかも、おおよそ変わらないのだろう。
「ひとまず安全圏へ向かいましょうか」
首肯が返されて間もなく、派出所が遠くへ見えた。
走っているところを巡回中だった憲兵たちに話しかけられ、軽く事情を話した。すると、ひとりが代わりに走って行ってしまい、やがて車がいくつか回されてきた。
「じゃ、こちらの方をお願いしますね」
「ローガニス、どこへ行く気だ?」
「気になることがありまして」
「ならば」
「自分はひとりで大丈夫なんで。閣下はストラトスが戻るまで待っていてください」
「けれど」
「貴女の場合、守られることだって仕事ですよね?」
そう言ってしまえば、反論できなくなると知っている。実際、彼女は不満そうだが閉口した。
「愉快な護衛たちがいるのはわかりましたから。捜査は地元憲兵に任せますよ、仲間はずれにはしません。確認事項を解消次第、すぐ戻ります。それと、あの爺さんからうけとったやつ、鞄の中にあるんで。頼みますよ」
黒塗り書籍のことを指していると伝われば、さきほど同様、鞄を抱きしめた。
ちょうど、車の後部座席に少女を乗せたとき。
「おふたりさーん、どうされたんですかー?」
土地特有の訛りの呼びかけとともに、ストラトスの補助に回った憲兵が軽く手を挙げていた。隣ではストラトスも心配そうな眼差しで周囲を気にしている。
「ちょいとありましてね。ストラトス、閣下と先に戻ってて」
事態を把握しきれていない青年は戸惑いながらも助手席に乗りこんでくれた。
後部座席から「確認完了次第、すぐ戻りなさい」命じられて「もちろんです」と返した。
残ってくれた憲兵に「まるで忠犬ですね」揶揄われ、犬の鳴きまねをしてみせた。憲兵は笑うと、別の車両の運転席に乗り込んで、助手席側の扉を開けた。
「改めまして、ローガニスといいます。土地勘や人間関係がわからないので、すみませんがよろしくお願いします」
「コニアテス中尉であります、本官でよろしければ。それで、確認事項というと?」
車を走らせながら話を続ける。
「ははは、察しがよろしいようで助かります!街のはずれにある図書館、司書いますよね?」
「ああ、あの婆さまですかい?」
「ひとりであの量を管理してるんですか」
「保養院の年長者たちや暇してる自警団員も手伝いをしていますよ。まあ、主に、あの婆さんと娘さんかな。娘さんに関しては今は遠出してるんで不在ですが」
「仕事ですか」
「蔵書の買い付けだったかな。そういうことにしていますよ」
「ああ……失踪の関係者のおひとりですか」
「御名答。パスカリスの母親だ」
「パスカリス・アーディン?」
「本当、よく覚えてますな」
「上司がそういう方ですから。あ、そうだ。ストラトスはどうでした?補助をお任せして大丈夫でしたか?」
「さすが王城勤務さんってことですかね。不慣れながらも、引くべきところは引けていましたよ、ははは。それに、アンリも楽しそうだったもんだから」
「彼に遭遇しましたか。どちらで?」
「保養院さ」
「でしたら、ラウルト夫人に話を聞けたんですか」
「ああ、彼女もよく話してくれましたよ。当時はあれほどまで話してくれなかった。はやく夫を見つけろと言ってばかりでしてね」
「それは幸いでした。後で彼から聞いておきます。他には何かありました?」
「いや、そう事件が起きるほど都会じゃないんです。そちらこそ、何がありました?」
挑戦的な視線が、交わされる。双方、一方的に情報を抜き取られるのは性に合わないらしい。
数秒の沈黙の後、似た者同士、ふたりは車内で軽く声を上げて笑いあった。
「失礼。あなたとは気が合いそうです」
「奇遇ですね。こちらこそ失礼しました。さきほど図書館で襲撃を受けまして、過敏になっているだけです」
「襲撃?」
「情報官殿が面白いものを見つけたんです。御貴族さまでいらっしゃいますから襲撃理由は断定しかねるものの、関係している可能性は高いと思います」
「何を見つけられたんです?」
「書類です。あいにく手元にありませんが、派出所に戻り次第、お見せできます」
「それは楽しみですね」
朗笑するコニアテス憲兵にーー次はそちらの番だーーと言わんばかりの視線を向けていると、
「ペトゥリノ卿がこちらに配属されたのは5年ほど前でしてね。それ以前は......連続失踪やブランザ博士が行方不明になった騒動があったころは、この地域の最年少は小官でした。ですから当時は子ども相手の聴取を主に担当しました」
「パスカリス・アーディンの兄や当時未成年だった関係者は5名ほどいましたっけ。ああ、アンリ・ブランザも?」
「ええ。そうです。もちろん、慎重に進めましたよ。上からの圧もありましたが、失踪の原因を知りたいという目的は同じですから。とくに、期待されている天才科学者の行方は」
軽く肩をすくめるだけで何も言わず、先を促した。
「バルトロマイは狭いわけではありませんからね。今でこそ憲兵と自警団の連携が上手くいっているので警戒が行き届いてますが、当時は失踪者全員が顔見知りだったわけではありません。繋げる理由が無ければそれぞれを単独の案件として扱うしかなかったんです。同じ失踪という事案に対して、あまりにも対応に差があっては指導対象になりかねませんし」
「ははは、最後のは耳が痛いですね。とくに、そちらに非はなかったでしょうから」
「……。時間のおかげでしょうかね。話を聞けた関係者たちはみな当時よりも落ち着いて話してくれてました」
「そのあたりについて、詳細はストラトスから聞きます」和やかな雰囲気を切りつけて、運転席へ剣呑な視線を向ける。
「中尉殿。気が合うと思ったばかりなのですが?」
コニアテスはゆっくり瞬きすると、
「アンリの当時の証言で、丸々消えたものがあります」
苦々しい口調で告げた。
「父親の失踪時とは別ですか?」
「あれはあれで一応の記録はあったでしょう?」
苦笑しつつ、先を続ける。
「博士の失踪から半年も経たないころ、クラリス夫人がひどく取り乱した様子で派出所へ駆け込んできたことがありました。曰く、アンリの姿が見えなくなったのだと」
「はい?こちらには何も」
「これが、丸々消えた、ということですよ」
車を左折させると、
「同日に子爵死亡が重なり、そちらへ人員を取られましたが、数時間後にアンリは見つかりました」
「姿が見えなかったのは」
「朝から夕方ですから、およそ9時間でしょうか」
「どのように見つかったんですか?」
「意識が無い彼を自警団が保護しました。鎮守の森の奥のほうに、祠と湖があるのはご存知ですか?」
「ええ。拝見しました」
「そのあたりで、蹲るように倒れているのを捜索に協力してくれていた自警団員が見つけたんです。ひとりで外出したところ、誤って森に迷い込んでしまったという見解のもと、迷子として片付けられました」
「果たしてひとりで出歩けましたかね?」
「当時は老若男女問わずひとりで出歩かないよう周知していましたが、アンリは母親も友人も知らない間にいなくなっていたのですから、そういうことだと思うしかありませんよ。どのようにそうなったのか、本人もあまり覚えていないと話していましたし」
「博士の失踪時のような様子だったと?」
「いいえ、あのときよりも曖昧で困惑している様子だったと思います。母親ほどではないにしても、動揺は強かったですね。主観ですが。禁止事項を進んでやって大人を揶揄うような性格ではありませんし、友人らが交通事故に遭遇したときも……」
コニアテス中尉は口をつぐんだ。現イフェスティオ子爵アンゼルムの婚約者が死亡する原因とんった交通事故を指しているのだろう。言いにくい内容であることは十分理解できた。
「ブランザ令息は、当時、他にはどのようなことを話してくれたんですか?」
「……暑くて狭い場所にいる夢を見た気がする。動けなくて怖かった……少なくとも、ずっと鎮守の森で迷っていたわけではなかったというのは明確です。あそこは朱夏でも陽の光がほとんど地面に届かないほど緑が生い茂っていますから、ひんやりと涼しいようなところです」
話題を逸らすと、うまく乗ってくれた。安心して「それに……夢を見た気がする……ですか」言葉を返す。
「ただ、えーっと……名前は忘れましたが、眠ったまま起きているときのような行動をしてしまう症状、あの日前後だけでなく今までずっと、アンリにはその兆候はありませんでした。覚えていない理由はわかりませんが、ひとりで出歩いた理由は他にあったはずです」
「ちなみに、この話、ストラトスにはしました?」
「してませんね」
「なぜストラトスではなく自分に話してくださったんです?」
「時機を伺っていたら見逃していましたねぇ」
「あー、ありますよねーぇ」
誤魔化されたような気がしなくもなかったが、あからさまに口調を変えたところを考慮するに、もとより話す気は無いのだろう。
ただ伝えておきたかった……資料に残されていない情報を共有することを意図していただけということもあり得る。
「昨日、我々は憲兵だと名乗りませんでしたけど?」
「法務省情報調査室でしたか?」
「ええ。監査と仲良しなんです」
「懲罰を受ける覚悟ならありますよ。たとえ10年近く前のことだとしても」
「隠滅の証拠は?」
「あいにく手元にはありません。探せば見つかるかもしれませんが」
「わかりました、探します。とはいえ、話を伺うかぎり隠滅ではなく記録に残す事案として扱われなかったとも受け取れますよ?」
「否定はしませんが……」
「殺人だ、盗難だ、とーーわかりやすい事案ならいざ知らず……もちろん、コニアテス殿が憂慮される事態であれば懲罰対象ですが、時間が経過したおかげで俯瞰的に考察できるようになった故であれば致しかたない面もあります。我らが情報官殿を御傍で見ているからなおさら思うのですが、如何せん我が国の事件捜査の手法は未熟……発展の余地が多分にあるのです」
「つまり?」
探るような猜疑のまなざし……いつ気づいたのか中尉は明言しないが、最近ではないのかもしれない……これを少女に伝えてどのような反応をするか断言できないため、一応「私見なので保証しかねますが」断りを入れつつ、満面の笑みで答えた。
「こちらで勝手に気づく分には構いませんよね?」
コニアテスは数度瞬きすると、意図を察したらしく「本当、王城勤務の方々は面白いですね」苦笑とも朗笑とも言い切れない微笑みとともに車を走らせた。