寄り道をしながら
派出所を出てすぐ、メロディは左へ曲がった。
「ブランザ邸、そっちではありませんよ?」
「祠はこちらでしょう?」
「……まあ、そちらのほうも捜索されてましたからね。そりゃご覧になりたいですよね、あなたは」
何か釈然としていないながらも、ローガニスも左へ曲がる。道なりに歩くと、次第に民家や商店などの建物が減っていく。30分ほど経ったころ背の高い木々が並ぶようになり、やがて緑の中に曇り空が紛れているのを確認した。可能なかぎり接近できる位置で足を止める。
「あれですね、神の怒りを鎮めるための祠」
「よく見えない」
「肩車します?」
揶揄うような口調に対して「しない」と断じながら、制服の紐飾りを1本外して補佐官に渡した。
「その枝に結んで」
「立ち入り禁止ですよ?」
「当時の捜索範囲を確認する。あの距離なら範囲無いでしょう。禁止区域には入らなければ良い」
「危ないと判断すれば引き返してくださいます?」
「わたくしの判断かしら」
「本官の判断です」
「任せる」
飾り紐を近くの木の枝に括りつけると、ふたりは鬱蒼とした森に立ち入った。獣道のように、整えられてはいないが存在する道らしきものを進んだ。多少の苦戦とともに祠を前にする。小鳥のさえずりを聞きながら観察する。蔓植物が絡みついているが、少なくとも荒れているという表現はそぐわない。
「誰が手入れしているんでしょうね」
「イフェスティオ子爵家の関係者だろう。資金を出したのは子爵家だから、おそらく管理もしているのではないか?」
「工事期間を含めておよそ8年、道も作らず定期的に通うのはさすがに骨が折れそうですけど」
「道を作るにはこの自然を多少なりとも切り拓く必要がある。この森に対する敬意があるなら避けたいことのひとつだ」
「美しく保ちたいなら多少の管理は必要だと思いますけど」
「あるいは領主の意向だという可能性もある」
「子爵ですか?」
「メテオロス公爵家の管轄だということ」
メロディは再びローガニスに制服から取り外した飾り紐を差し出しながら「もうひとつ、どの枝なら見えやすいと思う?」首を傾げた。ローガニスは渋々受け取りながら適当な枝に括りつけた。
立ち入り禁止区域を避けて森の奥へ進む。
ふたりの飾り紐を使い果たした辺りから、湿り気のある風が頬を撫でるようになった。風が吹いた瞬間に耳を澄ませ、ほんのわずかな音を頼りに、湖を遠目に見つけた。
さらに足を進めようとしたメロディだったが、ローガニスの制止を受けて諦めた。
正確にはわからないが。湖は相応に大きく見えた。その中央には、小さな島と白い石碑を確認した。
飾り紐をすべて回収しながら森を出たころには、太陽はすっかり天上へ上り切ろうとしていた。
街のほうへ引きかえし、ブランザ邸へ向かう……はずだったが
「また寄り道ですか?」
メロディの背を追いかけながら小声で尋ねた。
「誰か着いてきている」
「ああ、たしかに派出所を出たときくらいからいますね。確かめます?」
「人物像と理由だけでも知りたい」
「んで、どうされます?」
「次の曲がり角、塀に上るから手を貸して」
「本気ですか?」
横目に背の高い部下を見上げながら微笑む。角を曲がるなり補佐官は前に回り込んで向き合う。
「怪我しないでくださいよ?」
「もちろん」
答えながら、彼が組んだ両手に片足をかけて踏みこむ。地面を蹴るとともに体が重力を失った。塀に両手をかけて素早く立つ。体勢を整え、親指を立ててみせると小さな首肯が返ってきた。
塀の上を器用に移動して、尾行者たちの背後を取った。影を含めて死角だ。誰にも気づかれていない。補佐官は曲がり角から姿を現して告げる。
「君ら、かくれんぼ得意だろ?」
「っ?!」
「ただ、俺らのほうが玄人なんだよねー」
背後に降り立ち、
「話を聞く時間なら十二分ありますよ」
なるべく優しい声色で告げた。
姉弟だろうか、しがみついてきた少年を少女は抱き寄せる。警戒を解こうと、ローガニスは膝を曲げて視線を合わせながら「名前は?」と尋ねた。
「……オルガ」
弟も名乗ろうとしたが、姉が制した。健気に年少者を守ろうとする少女に敬意を表して、ローガニスは「パパとママは?」話題を変えた。
「お仕事」
「それで、御用は何かな?」
ふたりとも10歳前後……当時はまだ幼かった。あるいは、生まれていなかっただろう。しかし、失踪者の親族だと仮定しても絞りこむには情報が不足していた。
ローガニスの質問に口を噤まれてはなおさらだった。
「何か気になることがあるから近くに来てくれたのでしょう?」
メロディは彼らの背後から移動した。逃げ場がない状態では警戒どころか、緊張すら解けないだろう。仮に彼らが逃げてしまっても、顔は覚えたのだから、地元の派出所員に協力を求めれば探せないことも無いと考えた。
ローガニスの隣へ行く。
「8年前の失踪について、調べるのが遅くなってしまったことは自覚している。けれど、すべてを明らかにするために力を尽くすと約束する。伝えたいことがあるなら、教えて欲しい」
「……オルガ・メリッタ。こっちはキリル」
「クリセイデ・メリッタの親族?」
「おばあちゃんを知ってるのっ?」
「知らないことが多い。あなたは?」
「あまり覚えてない。お家によく来てくれてたってパパが言ってた」
「今日、ご両親に話を」
「無理だよ。ふたりとも生地の買い付けに行っちゃったから。あと10日くらいは、おじいちゃんだけ」
「オルガ、キリル」
曲がり角から現れた初老の男性が、ふたりの姿を確認すると安堵とともに名前を呼んだ。メロディとローガニスも視界に入ったのか、小さく辞儀をする。
「憲兵さんですか」
「先日より王都から調査のために参りました。メリッタ氏ですよね? 本日、ほかの者が話を」
「ペトゥリノさんからのやつか?」
男性がローガニスの言葉を遮る。
「悪いが断ったよ。あいにく話したい内容ではないと思ったんでね」
メロディとローガニスは顔を見合わせた。その隙に彼は「ふたりとも、少し向こうで遊んでいてくれないか?」子どもたちに告げた。「いいの?」キリルが無邪気に瞳を輝かせる。
「ああ。じぃじが見てるから」
キリルはオルガの手を引いて、一直線に〝遊動〟へ駆けて行った。子どもたちの背を眺めていると
「二人目が生まれて間もなくだった」
男性がつぶやいた。
「この地域は植物が豊富だ。ユーグルートの植生に多分な影響を受けている。紙や製糸の研究に適している。製本や服飾に関心があるものがよく集まる。妻と出会ったのも、その縁だった」
「たしかに、奥のほうに生えている木々の葉はあまり見ない形でした」
「あの森に立ち入ったのか?!」
メロディの平然とした答えに目を見開き一瞥すると、すぐに子どもたちへ視線を戻した。
「8年前の捜索範囲を確かめるために。湖のところで引き返しました」
「……ああ。あのお偉い先生のためか。なるほど、われわれはついでですか」
「違います、まだ関係あるか判断しかねている段階です。失踪が多発した異常さにはそれぞれ何か見えない関連があると予想して」
今度焦ったのはメロディだった。視線の合わない男性に体を向けて言葉を紡ぐ。男性は申し訳なさそうに「違うんです」と言った。
「聞いたんです。身内が失踪した皆も同じように話を聞きたいから時間が取れないかと連絡がきたことを。怖かったんです、あの日を掘り返されるのが」
「いまさらということは、ご迷惑でしたか?」
「そう……ですね。もう8年前にうちは壊れたんものですから。直せないなら、望んだって無駄に終わります」
「…………」
「その日は急ぎの仕事があって、クリスひとりで行かせた……それがいけなかった。一緒に行けばよかった。それだけだったんです……すみません、わかっているんです。お嬢さん方に言っても仕方ないことだと。8年前といったらまだ就職前か就学前でしょう? わかってる、怒りを向ける先が違うことくらい……」
「合ってます。我々に向けてください」
ふたりは、男性が目を見開いたのを見逃さなかった。補佐官は、遊んでるふたりのそばへ移動した。
「放置を続けたのは捜査陣であることは事実です。わたくしたちも、気づけていれば、少なくともあと数年は早く行動することができました。その苦しみには、我々が待たせてしまった原因でもあります」
「……老躯の独り言だと、笑われないのですね」
メロディは何も言わず男性を見上げ続ける。やがて、視線を向けてくれた彼と目が合った。
「お嬢様、名前は何とおっしゃいますか」
「メロディ・ヒストリアといいます」
「そのような気がしておりました」
「はい?」
男性は、ローガニスにじゃれる子どもたちを一瞥すると
「お時間いただけますか。お話しするにはまだ心が決まりませんが、これも命運、お渡ししたいものがございます」
メロディに告げた。
子どもたちを呼び戻すと、メロディとローガニスを自宅へ招いた。木製の、しっかりとした造りの家だった。
家主が奥の部屋へ姿を消すと、ローガニスは遠慮なく暖炉の上に置かれた写真たてを手に取る。若い男女が、舞台俳優のような装飾の多い服装に身を包んだ絵だった。
「若いころ旅行先で描いてもらったんです」
戻って来た男性が言った。
「すみません、気になったもので」
「思い出に縋っているだけですよ」
「縋りたいほどの思い出があるのは素敵なことです」
寂しそうに、しかし嬉しさを帯びたはにかみを見せた。
続いて、メロディに1冊の書籍を差し出した。
「こちらは」
「1673年の秋ごろ。レノス・ヒストリアご夫妻よりこちらの書籍の修復と調査のご依頼を受けました」
「父母が?」
「はい。10年後に取りに来るからその際、わかったことを教えてくれとの仰せでいらっしゃいました」
「すべてが黒塗りされているようだけれど」内容を検めようにも、そっと開いた紙面は黒で埋め尽くされていた。
「ええ。こちらに関してはブランザにも協力してもらい、組成から確認いたしました。博士によると未知の物質だと返答されました」
「既存のものではないということ?」
「これ以上の詳細は王城の設備がなければわからないだろうとのことでしたが、それはご夫妻もご理解の上だったと思われます。立場上、王城勤務の研究員に託すことも可能だったはずですが、そうなさらなかったのですから。私はこの町のはずれで製紙工房を営んでいます。ただ、科学はあいにく門外漢ですから。この書籍に使用された紙の再現に努めていますが、一向に適いません」
「特別な紙が用いられているということですか?」
「組成としては14世紀ごろに開発されたものと非常に類似した紙質です。しかし、異常なほど品質が良い状態です。300年前の製本されたと思われますが、修復無しでこれほどの状態です」
「非常に大切に扱われていたのでは?」ローガニスが尋ねると
「もちろん、それもあるでしょう。ただし経年劣化には抗えますまい。適切に保管していても、この世のものはやがて朽ちるものですし、季節による気温や湿度の変化の影響は受けざるを得ません」
男性は丁寧に答えてくれた。
「ブランザ博士と関わっていたのでしょう?彼には何と呼ばれていましたか?
「私はバティスタ・メリッタと申します。博士からはメリッタと呼ばれていました」
「手紙の宛名も?」
「ええ、宛名には……ただ、よく数字の羅列がメモされていました。お持ちしましょう」
再びバティスタが奥の部屋へ姿を隠す。
「数字、ねぇ」
「心当たりがあるのか?」
「武術院卒にその話題はやめてもらえます? 感覚で数字をとらえるほうが得意なんですよ、そういう練習しかしてません。この数字、なーんだ? なんてお遊びに夢中になれるほど学生時代の数学に良い思い出ありませんし」
ローガニスが愚痴をこぼし終えると、バティスタが戻って来た。その手には数通の手紙が握られている。それらを見せてもらうと――5854152――4、1は逆さ文字……いずれにも同じ数列が綴られていた。
「この数字に心当たりありますか?」
「いえ……始めて挨拶した際、自己紹介したとき博士に名前の綴りを聞かれました。答えると、5、6と書いて間違いに気づいて、この数列に書きなおしていました。それだけですね」
バティスタは申し訳なさそうに答えた。捜査陣のふたりも困惑とともに顔を見合わせた。
まもなく礼とともに暇を告げてメリッタ邸を後にした。
受けとった書籍を腕に抱えるメロディは、なんとなく補佐官からの視線が気になった。
「何かしら……?」
「いえ。冷静だと思っただけです」
派出所の資料にて文字で見たとき、心が揺れたのを思い出す。同時に、祖父が祖母を何と呼んでいたかーーセディーー幼い日の記憶をもとに思考が答えを見つけてくれた。同じ名前でも、親しい者からの呼ばれかたは異なる。
(愛称が異なる……それだけで、まったく異なる生き方をしたふたりの人間を重ねずにいられるのね)
「子どもじゃあないもの」
つんと澄ました声色で答えてみせた。
「その割にはお嬢さん呼ばわりされてましたけどね」
「受け入れられる範囲だ。問題ない」
「ほんとですかー?」
「差別は悪い人だけがするものではないもの。良心を恣意的に解釈するのは? 一方的に思い込みを抱くのは?」
「……」
「まったく気にしていないというのは都合が良いわ。何気ない一言を深読みすれば、傷つくこともあるし嬉しくなることもある。視察のとき、あなたたちがお巡りさんや憲兵さんと呼ばれているのにわたくしひとりだけお嬢さん呼びされるのだって相手に悪意も意図も無いのかもしれない。わかってはいるのよ、子どもじゃあないもの」
「……失礼しました」
「意志は事件よりも謎めいている。事件を解決できても人の意志を変えられるとは限らない。少しだけだ、気にしているのは。いまさら態度を変えてほしいわけでは無い」
ローガニスが軽く肩をすくめる。
改めて、ふたりはブランザ邸宅を目指して歩みを進めた。