出張先にて
翌日。心なしか不満そうな当主を乗せてヒストリア家の車両は城下町の白昼の喧噪の中を走っていた。
王城の駐車場へ到着して間もなく降車しようとしたところ、それよりも先に扉窓が軽く叩かれたのだ。
「おはよーございまーぁす! こちら、どーぞー!」
補佐官から差しだされた書類を車内で受けとると
「移動中の暇つぶしにでもしてください」
「何のための? これからどこへ」
「バルトロマイへ向かいます、楽しい楽しい出張です」
「……待て、わたくしは聞いていない」
「そりゃあ、言ってませんからねぇ。ああ、ご心配なく。ヒストリア家の方には伝えてありますから用意は万全でしょう」
運転席の執事へ視線を向けてみると「問題ございません」それだけ返される。
事前に知っていたにもかかわらず、伝えてくれなかったらしいと察した。主人に対して粗雑な対応のようだが殊ヒストリア伯爵家の使用人については珍しいことではない。優先順位は主人の体調が最上位にある。たまにそれを超えて無理をする主人だからこそ、このような事態もあり得るのだ。そして、主人自身も自覚はある――不満は隠さなかったが、文句は心の中に留めて移動に身を任せることにした。
間もなく書類の内容に夢中になって不満など霧消するが、不満なものは不満だった。
なんとなく体を伸ばそうと視線を上げたシリルは、ちょうど天井を見上げてぼんやりとしているツァフィリオに「どうした?」問いを投げかけた。
「っ――あ、いえ……その、心配に思いまして」
「そんな重い担当事件あったか?」
「担当しているものではなく、ストラトスのことです。数日間、情報官殿と補佐官殿とともに行動することになるでしょうから」
問題点に心当たりが無いシリルは後輩に先を促すように軽く首を傾けた。
「先日の城下視察には情報官殿も御参加されたじゃあないですか」
「ああ、そうか。二手に分かれたな、そういえば。んで〝うらおもて〟の結果でひとりで閣下とあいつのほうへ同行したとき、何かあったのか?」
「何かもなにも……とんでもない道案内を、おふたり揃って旅行者相手にしていたんです。止めなかったら情報官殿は、城下の〝フェンガローペトゥラ〟ってカフェをご存じですか? あそこの近くから、アスピーダ伯爵領のセンティーフィまで、南西へ徒歩10分以内だと説明して見送ろうとされていたんです。方角は合っていましたが、距離が、もう、比較するまでもありませんよね?」
「それはひどい」シリルは失笑を通り越して表情がわずかに強張った。傍らで首をかしげないように脳内で地図を思い浮かべようとしているティルクーリに「実際は車両で急げば3日くらいだよ」と告げた。想像以上に目を丸くした後輩に苦笑する。
「訂正してくださるのかと思ったら補佐官殿は西を指さしながら、あっちへ進んでいれば到着する、などとおしえていたんですから」
「それは、さすがに、ほら、あいつは閣下を揶揄っていただけだろう?」
「旅行者を巻きこんでまでそのようなことをしますか? 止めなかったら本当にそのまま活かせてしまうところだったので自分が止めましたけれど……補佐官殿はともかく、旅行者が去ってからなんとなく情報官殿は不機嫌でいらっしゃいましたし」
「何か言ったのか?」
「いえ、自分も補佐官殿も、何も申し上げていません。強いて言えば、視線に不満はこもったかも知れませんが……」
「それなら、他に何か理由があったんだろう。あの人はそういう人だ。ストラトスについては帰投したら労ってやればいいさ。帰ってきた夜に飲みに行くんだろう?」
話しを切り上げると待機組の3人は仕事に戻って行った。これほど流れるような自然さが保証されるのは、茶々を入れる担当がいないためなのか、人数が少ないためなのか、定かではない。が、いずれにしろ、集中の合間にわずかな雑談をするのが3人に適した形なのは間違いなかった。
すっかり日が傾いたころ、ヒストリア家の車両はメテオロス領バルトロマイに到着した。その後にストラトスが運転する車両も続いていた。城を出るときはローガニスが運転手を務めていたはずだったが、いつの間にか交代したきり、ストラトスが運転していた。
駐車場でヒストリア家の車両はメロディを降ろして別の場所へ向かった。
すると、どこから現れたのか、瞬く間に子どもたちが集まってくる。好奇心に瞳を輝かせ、そのうちのひとりが声を上げた。
「こーしゃくさまのお嫁さん?」
それに続けられるのは「うっそー?! ほんとに?!」「レイチェルだと思ってたー!」「ニノンのほうが仲良しだったのよ」「でも、やっぱりお似合いなのは」子どもたちの、自分のほうが詳しい合戦である。
最中、メロディはひとりの少女へ歩み寄り尋ねた。
「ニノンというのは、ニノン・ロアのことかしら」
突然の介入に、少女は目を瞬かせつつ「……は、い」どうにか答えた。
「彼女と知り合いなの?」
「あ……あの、私……」
「我々は仕事で来たんだ」
メロディと少女の間に身をかがめたローガニスが割りこんで続ける。
「興味深い名前が聞こえたから話を聞きたくなってしまってね。君がおかしなことを口走ったわけじゃあない。それから」上目遣いの先にメロディを据えると「このお嬢さんの王子さまは残念ながら他にいるんだ」改めて子どもたちに告げる。
「おじさんのこと?」
「いいや、違うよ。さすがに恐れ多い。おじさんは仕事仲間」
「それじゃあ、王子さまってだあれー?」
「さあ、誰だろうねー」
「だったら、前にエーミールが予想してたとおり、こーしゃくさまはレイチェルが卒業するの待ってるんだよ」
「違うよ、マーサだよ!」
「レイチェルとマーサってのは?」
「〝マグネシアス〟って宿屋で働いてるんだ! ふたりとも、とっても美人さんだよ!」
「マーサはとっても優しくて、レイチェルはすっごく物知り!」
「へえ、会ってみたいなー。エーミールってのは?」
「僕のお兄ちゃんだよ! 小説家になる勉強してるんだー!」
ローガニスがほかの子どもたちの気を引いている間に、ストラトスは「ニノン・ロア」の名前を口走った少女を招き寄せる。膝を曲げて女の子と視線を合わせた。
「僕はレヴァン・ストラトス。君の名前は?」
「……ジュリー・サラ・リヴァロル」
「ありがとう、ジュリー。またあとで話を聞かせてほしいな。きっと君のご両親には同席してもらうことになるけれど、これは他の子たちには内緒だよ?」
「は、はい……!」
ストラトスが左手の小指を差しだすと、少女も自然と左手の小指を寄せる。小指に絡ませて「約束」ふたりは声を重ねた。笑顔とともに改めて礼を告げると、ジュリーを子どもたちの輪の中に戻した。
メロディは、少女に手を振り返している部下に「誓いの口上は不要だったのか?」端的に尋ねた。
「ぅえっ、はい?!」勢いよく立ち上がった彼を見上げながら「〝星への誓い〟までさせる必要は無いが〝万物への誓い〟は必要だったように思う」補足する。
「ま、まだ子どもでしたから……市井の子どもとの約束はこんなものかと。あまりにも仰々しいと怖がらせてしまいかねませんし。あの子、見たところ学園入学前のように思いましたので」
「年少者の扱いに慣れているのだな」
「はい、そうですね。自分や友人の弟妹と関わることが多いので」
「こーら、仕事の邪魔をするんじゃあないぞー!」
すぐ側の味気ない建物から、ひとりの男性が子どもたちに呼びかけながら現れた。真紅の軍服に身を包んだ彼は言葉を続ける。
「ほら、空を見ぃ、もうすぐ陽が落ちる。親御さんが〝神隠し〟だと騒ぎ出しかねん。心配かけんうちに早く帰りぃさいなー!」
やがて子どもたちが帰路についたことを確認して、改めて向き直ると
「すみません、建物と駐車場が離れていますもので。あの年頃の子どもは禁止すればするほど躍起になって邪魔してくるものですから放置するしか妙案がなく、御不快でしたら申し訳ない。ああ、名乗り遅れました。私がペトゥリノ男爵家のクレメンスといいます。今日は遠路はるばるどうもありがとうございます」
子どもたちに対するものとはうって変わって、クレメンス・ペトゥリノは言葉遣いを改めていた。他方、文字に起こせば城下と変わらないが、ところどころ音程や協調に差異がある鉛は残っていた。
その場の4人は互いに自己紹介をして素朴な建物――憲兵局バルトロマイ第3派出所へ足を踏み入れた。
「貴族の車両とメテオロス閣下が線で結びついているんでしょう。はははっ、あの様子じゃあ公爵閣下の人気がよくわかりますね」
「ははあ、そうなのでしょうなぁ。お忙しい方でいらっしゃいますが、定期的に視察にいらしてくださいますから」
どこか恐縮した様子のペトゥリノに、3人のうち最も年齢が近いローガニスが積極的に話しかけていく。
「そういえばさきほど思いましたが、子どもの相手、慣れているんですね」
「こう見えて子持ちなんでね」
「ほー、左様ですかぁ。私も生意気盛りがふたりいるもんですから」
「えっ」ローガニスの返答に、ペトゥリノではなく傍らのストラトスが大きく反応した。温かな眼差しにストラトスは居心地悪そうに視線を逸らして髪を指に巻きつけた。
ペトゥリノが「お若く見えますね。御年齢は?」ローガニスに尋ねる。
「永遠の18歳です」
「そうなの?」「そうなんですか?」
冗談が冗談として通じないふたりの年少者は声を重ねる。遠い目をして「シリルが恋しくなりましたー」無感情に力なくつぶやいた。ついに笑い声を抑えきれなかったペトゥリノは誤魔化すつもりがあるのか無いのか、話題を本筋に戻す。
「いやぁ、驚きましたよ。ああ、ご気分害されたらすみません、お若い方々がいらしたものだと。ここでは私が最年少でしてね。まあ、要するに一番の下っ端ですわ。ですからご依頼いただいた資料集めも私が行った次第です。足りないものがありましたら、先に謝っておきます、申し訳ない」
「いえ、急に頼みましたから。それで資料は?」
「こちらですよ、旦那」
廊下の突き当りの部屋の扉を開けて来訪者に入室を促す。白を基調とした質素な内装だった。中央に木製の机がひとつ、椅子が7脚、幸い埃っぽさは無かった。その分、無機質な印象が強まる。
机の上には、30冊ほどのファイルと8つの箱が置かれている。
「宿泊先お決まりでしたら運びますが、イフェスティオ子爵邸ですかね?」
「いえ、なんて言いましたっけ? 宿屋です、えーっと」
「このあたりの宿といえば〝マグネシアス〟ですが」
「ああ。そこです、そこ。我々はそこです。情報官殿は」
「おかげさまで何も聞かされていない」
「まあ、執事殿の御采配ですね」
「お泊まり先は別ですか。それなら、この部屋は使っていませんから臨時でご自由にしてくださって構いませんよ。どうされます?」
「でしたら、お言葉に甘えても?」
「もちろん」
「ありがとうございます」
ペトゥリノは笑みとともに暇を告げて扉を閉めた。
さっそく3人は集めてもらった資料に目を通していく。器用に内容を読みこんでいきながら「ここからいかがなさいますか?」ローガニスがつぶやくように疑問を呈した。
「関係者への聴取が最優先だが、失踪当時に捜索を担当した憲兵と自警団の面々にも慎重に確認したい。最後の失踪の関係者である現子爵の相手はわたくしが受け持つから、明日の夜、報告してほしい」
「でしたらー、そうですねー……捜索者は自分が担当しましょう、レヴァンは関係者のほうを頼む」
「はい!」
そのとき、扉が軽く叩かれる。開かれた扉の影から姿を現したのはクレメンス・ペトゥリノだった。
「失礼します、皆さん。ただいまお時間よろしいでしょうか」
メロディが代表して問題ないと答えると、もうひとりが姿を見せた。ペトゥリノよりも10歳ほど若く見える男性だ。彼は「イフェスティオ子爵アンゼルムでございます」と名乗った。
「数日前にお話が来たばかりですから用意がままならず。問題なければ閣下の歓待ををわが邸宅で行いたく思いますが、いかがでしょうか」
「仕事なので不要ですけれど」
端的にメロディが告げると、子爵は何とも言えない表情で口をつぐんだ。ローガニスが「あー、もしかして、子どもたちの話が大人にまで広がりましたか?」苦笑交じりに尋ねた。
「実は、ええ、申し訳ありません。すっかり騒ぎになってしまいましたから、おふたりも邸宅のほうへお泊りいただく形になりますが、問題ありませんか?」
その提案に乗る形となり、改めて移動することになった。今度は資料たちとともにである。ローガニスとストラトスがイフェスティオ子爵家の使用人たちと荷物を運んでいる間、メロディは手持ち無沙汰に待機していた。
「どこまでお見えなのですか?」
不意に、イフェスティオ子爵が尋ねる。
「……何を、でしょうか?」
「こんなところまでいらしてくださったということは、あれらの失踪は事件として扱われているのでしょう?」
「何か見つかれば名前は変わるかもしれませんね。今はまだ何も見えていません」
「そういうものでしょうか?」
「まだ時分ではありません。白昼の晴天には星座を見つけられないでしょう?」
子爵の探るような瞳をまっすぐ見つめ返しながらメロディは答えた。