友人と報告
ヴァシレイアにはコニーの帰宅とともに、もう仕事を終わらせるよう言いつけてある。離れへ向かうメロディに追従したのはフィリーだけだった。最奥の部屋の前で待っていると言われ、礼を返す。
離れは周囲を含め、爆発があったとは思えないほど、瓦礫や破片は見受けられない。やはり上手く処理をしたらしい。
そっと部屋の中を伺うと、ふたりともいた。床に散らばった大量の紙を仕分けている……珍しく片づけをしているらしい……いや、ひとりはもはや読書を楽しんでいる。
不意に、両手いっぱいに紙束を抱えた彼女の琥珀がこちらを向いた。
「やっほー、どうしたのー?」そう言いながら書類とともに駆け寄ってきてくれたイリスに「日暮れのころ、大きな音が響いたけれど?」メロディは軽く首をかしげながら告げた。
「あー……聞こえてた?」
「しっかりと。煙は見えなかったから大事になったわけでは無いでしょう?」
「うん、オルトがどうにかしてくれた」
「何をしようとして、ああなってしまったの?」
「ちょっと試してみたいことがあっただけーぇ」
詳細を教える気が無い天真爛漫な笑顔に、それを許すつもりは無いと言外に明示する微笑みを返す。
「見てのとおり怪我はしてないよ?」
「ひとりだったらどうしていたの」
「メルがそういうこと言うの?」
「少なくとも、ここ数か月は気をつけているわ」
「ほんとにー?」
「論点を逸らさないで。今はあなたのことを話しているのよ?」
「あたしだって勝手に実験してるわけじゃあ無いもん。監修有りだよ」
意見を求めるように見つめると、彼は首を傾げた。イリスは「ちゃんとオルトの視界の範囲内でしょ?」同意を求めるが、それを監修のもとに実験していると主張するには不十分だ。オルトとメロディは意見の一致を察して、イリスを見つめる。3人のうち2人が結託すれば残ったひとりには勝ち目が無い。勝負を降りて話題を逸らす。
「驚かせたのは認めるけどさ、さすがに爆発音に慣れてきたんじゃない? すぐに駆けつけなかったってことは片付けの邪魔になるかもしれないって思ったんでしょ?」
「……なんでもお見通しね」
「メルのことだもん!」
「もう……。本当に怪我はないのね?」
「うん、ばっちり☆」
「それなら構わないわ」
メロディが眉を下げて苦笑すると、イリスは嬉しそうに笑ってみせる。
「これから何かする? あ、でも、メルの資料ねー、ちょっとどっか行っちゃってて」
「5の月の終わりまでは、教えてもらった文献を読み進めるわ」
4の月半ばからほとんど無知の状態で始めたばかりの研究活動だ。考えていくための下地が希薄なのは自覚している。「きっと、それくらいかかってしまうから」と言葉を続けた。
「わかった! じゃあ、今日は何する? 何したい?」
「片付けで忙しいでしょう?」
「オルトの片付ける気が無いとこ、見てなかった?」
書籍に視線を下ろしていた青年は「……少し、読みたくなっただ、け…………片付けてた、途中だった……」抗議するが、イリスは「そうだったっけ?」若干の非難と揶揄いを込めた返答をした。答えに窮したらしいオルトは、これみよがしに周囲の紙をかき集めて抱えると書棚に整理するように押しこんでいく。メロディとイリスは顔を見合わせ、声を抑えて笑いあった。
「それなら、少し話したいわ」メロディが提案すると「珍しいじゃん。何かあったの?」イリスはその手を取って椅子へ誘う。
「ええ、そう。驚いたの! あなたたち、本当にすごいのね」
「なにそれー? 褒めてくれるのー?」
「最近はすっかり何をしているのか聞くことが少なくなってしまったから知らなかったけれど、あのフラナリー伯に、師匠のような存在、とまで言わせるほどだったのね!」
「誰?」
「学芸局長」
「あーっ、この前、学園で講演してたよー。おもしろい話だった! そっか、あの人、王城勤めなんだね。仲良いの?」
「業務上の関わりは少ないけれど円卓議会で顔を合わせるし、そう、5の月には令嬢たちとお茶会するの!」
「へー、お茶会? 何するの?」
「……会話?」
「お茶、関係なくない?」
「お茶を楽しみながら、会話するのよ。だから……ええ、険悪だとは思わないわ」
話を逸らしたことを謝罪すると「フラナリー嬢にお茶会誘ってもらったのも嬉しかったんでしょ? 楽しんでねー」イリスの返答は優しかった。メロディは心の温かさを自覚しながら話題を戻す。
「王妃付きのころはよく師事を仰いでいたから、フラナリー閣下の研究熱心さはよく知っているわ。だからこそ、あなたたちの活動が閣下から評価されていて嬉しかったの」
「ちなみに、どれのこと?」
「〝ユビキタス〟よ。数年前に聞いたころから、形になっていたのね! わたくしには難しくてまだほとんど読み切れていないけれど、本職の方に解説してもらえたの。だから、練られた妙案だというのはわかったわ。わたくしが知らないところでたくさんすごいことをしているあなたたちが誇らしくて、それだけではなくて、可能ならもっと応援させてほしい!」
離れの友人相手ならば言葉を選ばなくともおおかた伝わると知っている。メロディはとにかく嬉しい気持ちを隠さずに、言いたいことをそのまま言葉にしていく。
椅子の背に寄りかかって「だってさー、オルト! 聞こえてた? すっごく褒められてるよー!」片づけを続けていた青年へ呼びかけた。彼は、両手の親指だけを天井に向けた握りこぶしを上下に振って見せる。顔を覆い隠す仮面のため表情はわからないが、楽しそうにしてくれただけで構わなかった。
「そっかそっか、王城のほうでも話題になってくれてるんだねぇ。よかったーぁ」
「何かあったの?」
「いやぁ……検証してもらうための機械、一緒に送付するの忘れててさ。今朝思い出して急いで送ったんだよね。たぶん、あれが無いと有機物がどーのこーのってところ扱いにくいだろうからさー」
「そうなの。昼下がりの時点ではそのような雰囲気は無かったと思うけれど……」
「そりゃあ、バレちゃダメだもん。いつもめんどくさい手順で送ってるの。ん-、間に合うかなー。でも、リツジツの人たち、無かったら作っちゃうかなぁ。前にもやられたんだよね。あと数日あれば届いたのに新聞経由で身元捜索煽られて焦ったやつ、またやられるかなぁ……」
「少し情報操作する? 〝θ〟に、手が空いている者が居るはずよ」
「いやぁ、でもさ、メルの護衛みたいな人たちでしょ?」
「有事でないかぎり親衛隊は暇なのよ、精鋭を堕落させるのは避けたい。それに、友人のためならわたくしは権力を使うことに躊躇しないわ」
「……いいの?」
「もちろん。あなたは大切な友人ですもの」
イリスはほんのり頬を赤らめると、逸らした視線を改めてメロディに向けて「ありがと」気恥ずかしそうにつぶやいた。メロディは、うけとってばかりいると自認している分、与える側になれたと満足して笑みを返した。
関連して、ひとつ聞いておきたいことを思い出した。
「ねぇ。話は変わるのだけれど、〝リース〟と聞いたら何を思い浮かべる?」
「んー、茶葉か単位かな。オルトは?」
「……単位…………お茶は、リズ…………」
近くの机の上に紙束を重ねながら答えた。「あれ、ほんと? そうだっけ?」イリスは首をかしげるが、オルトは特に動じていない。そもそもメロディは彼が揶揄いの意図を持っている様子を見たことが無い。茶葉がリズ、単位がリースなのだろう。
また、ディオン・ブランザ博士がクラリス夫人の名前から命名した国際基準単位は、どうやら十分に浸透しているらしい。
「長さのメートル、質量のキログラム、時間の秒、電流のアンペア、熱力学的温度のケルビン、光度のカンデラ、物質量のモル、波動のリース」
いずれも特段、ダクティーリオスの言語とも準大陸統一言語とも似ているわけでは無い印象だった。それにも関わらず、あまりにもすらすらと8つを列挙するイリスの様子から「よく使うのね」思わず感想をつぶやいた。
「うん、すっごく便利! 言語が違くても共通して使える単位だから、論文とか、よくわかんない文字で書かれてても式をみればなんとなく言いたいことわかるんだよー!」
「昔からあるのかしら」
「7つは世界学術機関創設からあるんじゃない? えーっと……いつだったっけ? 8つ目の国際基準単位が認められたのって」
「……1670年、13年前…………」
「結構前だねー、メル生まれて無いんじゃあない?」
「わたくしは1668年6の月生まれよ、3歳だったわ。あなたこそ生まれていないか生後間もなくでしょう?」
色々な表情をさせるのが好きだと知っていながら掌に乗ってしまうのはもうそろそろ改善したいと思うが、方法はわからない……メロディは軽く膨らませかけた頬をそっと萎ませた。
「国際基準単位というのは、どのように成立したの?」
「まあ、みんなよく使うから揃えようよー、って。それだけだよ。単位ごとに世界共通の定義と定義定数が存在していて、8つの定義された値である基本単位と、これらの積で表される組立単位があるの」
「どのような分野で用いるのかしら」
「えー、いろんな? あ、でも、文学とか歴史学とか、そっちのほうは学園で倣う範囲しか知らないけど、まだ使ったこと無いや」
「……計算が、必要なとき…………分野ごと、では……分けら、れ……ない…………」
「数字に付随させる情報だから?」
「…………その認識で、も……間違、てる……わけじゃ、無い……」
「合っているわけでもないのね?」
「単位は性質に関する情報を持っているからだよ。数字と一緒に扱ったら計算に使うことはできるけれど、それは付随――くっついている副次的な情報として扱っているんじゃあ無いよってこと」
「ならば、そうね……共通認識を形成するための情報だから、ということかしら」
「それが近いのかな、たぶん」
そう言った途端、イリスはあくびをした。
爆発の後片付けで疲れが溜まっているだけではない、もう夜が深くなって来ている時分である。ふたりの様子を確認するだけのつもりだったが、想定よりも長居していた。
メロディは暇を告げて部屋を後にした。
部屋の前で待たせていたフィリーに微笑みかけて「よろしくね」とだけ告げた。返されたのは「御意にございます」彼女の、侍女としてではない了承だった。
まもなく就寝の準備を済ませ、メロディは寝室にひとりきりになった。
そっとフラナリー姉妹からの封筒を手に取る。コニーに手を握られたことを思い出し、体温の上昇を自覚した。用語一覧にこの現象について書かれていなかったか思い出すが、該当する言葉はわからなかった。
幼いころ、両親が互いに軽食を食べさせ合っている姿は何度も見たことはあり、メロディも両親相手にそれを真似したことがある。しかし、記憶にあるのは楽しかったり嬉しかったりしたことだけ。なぜ鼓動が早くなったり身体が熱くなったりしたのか、答えは見つけられない。
(フラナリー姉妹なら何かご存じかしら)
紙面に綴られているのは、柔らかでありながら流麗な筆致だった。心を和ませる清らかな匂い――家族と過ごした最後の新緑祭の夜、隣で眠る母からは同じ香りがした。




