関心と感心
車両がヒストリア邸に到着してすぐ、
「ミハエル。わたくし、天体塔にいるわ。よろしくね」
「はい、閣下。かしこまりました」
執事の返答を聞くや否や、メロディはコニーを温室の先へと誘った。帰路の最中、案内先はもう決めていた。信頼できる庭師たちが丹精込めた庭園の美しさに自信はあるが暗闇に映えるとは思えない。他方、ここ数年は新緑祭の時期でなければ使用していないが、どのような時期でも夜には星が煌めく。曇りや雨降りでないかぎり楽しめるはずだ。幸い、今日は朝から晴れている。車窓からは夕日が寒色に混ざっていく空が見えていた。春麗祭から5日も過ぎていないため月は凛と闇を照らすものの、満月よりは陰りを見せる。天頂にたどりつくのも遅れていく。煌々とする星々の魅力を知らない人間など、ダクティーリオスには不在だろう。
とはいえ、こればかりは始まりを早められない。むしろ初夏を控えてどんどん遅れていくばかりだ。コニーいわく終わりの時間は決められているらしいが、つまり、時間は短くなってしまうのが理である。
「そう焦らずとも」
まっすぐ速足で進むメロディを窘めようとした直後、大きな爆発音が響き渡った。とっさに周囲を警戒するコニーに対して、メロディは「あら、爆発」一瞬だけ歩調を緩めてのんびりとつぶやいたが再び先を急いだ。
「天体塔はもうすぐです。さあ、こちらですよ」
「……え」
「いかがなさいましたか?」
「あ、え……は?」
「爆発音ですか? よくあることです。それに、煙や爆炎が上がっていませんから、彼らがうまく対処したのでしょう。今行っても修復の邪魔になるだけです」
「お待ちください、よくあるというのは?」
「友人らの実験です、離れは好きにして構わないと伝えているので」
「しかし」
「春とはいえ陽が落ちるのはあっという間です、お急ぎくださいっ」
どうにか渋るコニーを天体塔へ引っ張って最上階まで昇らせた。石造りの建物そのものはしんとして、歩幅違いの足音がふたり分だけ響いた。
最上階、空を見上げるころには仄暗さを通りすぎており、いくつかの星が天球に煌めいていた。
「この時間の王都とは思えないほど星がはっきりと見えますね」
「初代ヒストリア伯爵が天体観測のために建てた塔を改修して今の形になりましたから、夜空を見上げるためだけに作られたんですもの! 階段が真っ暗だったのも、暗闇に目を慣らすためですよそのために隙間が排除された石造りが採用されています」
感心の言葉に対して、少女は胸を張って解説する。青年は、どこか幼さのある自信家のかわいらしさに目を細めた。
「まだ見えませんが、1時間もすれば東の空にフォルミンクス座の一等星が見えるはずです。方角は若干異なりますが、カリス家の、エスフィルタ座ランブロスと同じく青白い星です」
「ええ、存じてますよ」
「天体観測はお好きですか?」
「この国の人間なら嫌いな者のほうが珍しいでしょう」
「ええ、おっしゃるとおりですね」
自らの呈した疑問に恥じらいが混ざった苦笑を浮かべ、再び夜空を見上げる。春麗祭でシプリアナが教えてくれた、太陽よりも明るい星を探そうと思ったが、見つけかたを聞いていなかったため、諦めた。
東側には、わずかに細みを帯び始めた月がある。
「そうだ。王城で渡した手紙、今、お持ちですよね?」
「え、ええ。もちろんです」
忘れていたわけでは無い、意識を向けていなかっただけだ。メロディは制服のポケットに押しこんでいた淡青の封筒を引っ張り出す。
満月に近い月明かりがある。文字を読むのは難しくなかった。
メロディ・ヒストリア伯爵様
清明の春麗祭を経て、春分の時期を迎えました。
メロディ様に置かれましてはますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
先日は急な御同席でありましたが、お話しできて大変嬉しく思います。
お忙しいのは承知しておりますが、5の月3日の午後はお時間ありますでしょうか?
この日、私たち姉妹の学園の友人を招き、御茶会を開催します。
御都合がつくようでしたら、メロディ様にもお越しいただきたいと思いましてご連絡いたしました。
あるいは、終業式のあとに友人らと城下町のカフェに出かけようと計画しております。
珍しい紅茶とおいしいお菓子をたくさん取り扱っていると話題のカフェですから、きっとお気に入りいただけると考えています。
春のお天道様が麗らかなころ、新緑とともにお茶を愛でる機会と受けとっていただけますと幸いです。
以下、此度の御茶会について、ご案内まで申し上げます。
日時 5の月3日 15時から18時
会場 フラナリー伯爵城下邸
お会いできることを心待ちにしております。
ドルシア・フラナリーならびにスタシア・フラナリー
難しい言葉は何ひとつない。内容は明白だ。
姉妹は約束を覚えてくれていた。それがわかっただけで嬉しかった。
メロディは思わず傍らのコニーを見上げ、ふたたび紙面に視線を落とした。
「今日、フラナリー伯爵から届けられたんだ」
「ありがとうございます!」
「参加できるということ? きっと彼女たちも喜ぶだろうね」
初めて同年代のお茶会に誘われた事実に舞い上がってしまったが、本題は参加できるか否か……正直なところ、職務次第としか言えない。とくに、今回の〝φファイ〟に関連して姉妹の父親であるフラナリー伯爵からの依頼も引き受けた。あるていどの着地点が見えなければせっかくの誘いを楽しめる自信が無い。
途端に気分が落ち着いてしまった。
「もしかして、法務は、この時期は忙しいのかい?」
「いえ、時間は作れます。期限や仕事量の融通は利かせられますし、3日でしたら円卓議会の議題に関する対応も調整を進められます。問題はございません」
唯一の扉がノックされて「お飲み物と軽食をお持ちしました」聞こえてきたのはヴァシレイアの声だった。
話題を変えたい、良い時機だ。メロディの許可の声は明るかった。
一方。
暗い階段では心もとない蝋燭を持つヴァシレイアは、給仕用具をトレーに乗せたフィリーの隣でため息をつきそうになった。さすがにはしたないのでゆっくり瞬きをするにとどめたものの、本心ではすべてをフィリーに任せて自分は本邸でほかの仕事をしていたかった。
カリス公爵ならびにムジーク伯爵は軍務省の重鎮であり黄道貴族当主であり、学園の同期だ。職務外にも交流がある。
なお、カリス公爵は、険が濃く体格も軍人然としている。蓄えられた鬚も立派で、美しさよりも威圧と恐ろしさの勝る容姿である。怒っていなくとも、その鉄仮面は部下たちを恐れさせている。幼い少女であればなおさらである。
その息子たちに会ったことのない、デビュタントを数年後に控えたムジーク伯爵令嬢ヴァシレイアは、正直、コニーの突然の訪問が恐ろしかった。
初対面の日にはカリス公爵を前に癇癪を起こしたように泣き叫んで父を困らせたほどだ。ここ数年は弟とともに接見する手前もう幼子のように泣くのは耐えているものの、まだ何でもない問いに対する返答はままならないことが多い。
また、母が誘われたお茶会に同席した際にカリス夫人と顔を合わせたこともあるが、鉄壁の笑みはむしろ同性としての力量差を見せつけられている気がして幼いながらに距離を取りたい相手だった。
伝聞としてカリス家の兄弟について優美だと風に聴いているが、恐ろしさや気後れが解消されるほど信じられていない。兄のほうがヴァシレイアの姉の婚約者候補だったころですら顔を合わせるのを拒み続けて今日である。
幸いなのは、フィリーが同伴してくれたことくらいだ。フィリー個人に何らかの思惑があるとしても、ひとりきりではない安心は大きい。
幾分か明るい声色の許可を受けて、小さく深呼吸、観測塔の最上階へ足を踏み入れる。
真紅の制服姿で高い位置で銀髪をひとつにまとめたままのメロディの隣、暗闇に溶けてしまいそうな青を基調とした軍服姿の青年と目が合った。
青地に踊る金の細工は、祖父や父の制服姿でも見たことがある。軍務省でも高級武官に当たる階級だと推察できたーーこの方が、カリス卿だわーーあまり観察しすぎては失礼だと、ヴァシレイアは、はっとして視線を逸らす。が、あからさまだったと反省して、ゆっくりと青年を視界に入れた。
月明かりが、優しく目を細めた彼の黒髪に曲面を描いていた。
「お飲みものをお持ちしました、本日はディローアでございます」
「ありがとう」
礼に笑みを返したヴァシレイアはテーブルの中央に蝋燭を静置すると、フィリーの補佐に回った。手を動かしながら、ほんのわずかにコニーを一瞥だけした。
優しい方、人を揶揄う――コンスタンティノス・カリスが一体どのような人物か尋ねたとき、メロディがそれだけしか言わなかった意図をようやく理解した。膨らんでしまった想像を解消するには、実在を確認するのが最適なのだ。もう恐ろしさは霧散した。
「これ、ピタよね?」
「はい、閣下。いくつか種類がありますからお楽しみください」
「そうする、ありがとう」
メロディとフィリーのやり取りを聞いていたコニーは「お好きなのですか?」と、尋ねた。
「ええ。レアンはわたくしの好きなものをよくわかっていますから」
「レアンというのはどなたです?」
「主任シェフです。祖母の代から務めている、人の好い職人気質です」
お茶が淹れられるのを待たず、メロディはフォークで軽食を頬張る。
続けてふたつ目を刺しながら、コニーにも「いかがですか?」と勧めた。
「よろしいのですか?」
「ええ、是非」
すると、コニーはメロディの手を包みこむと、そのままフォークを自らの口元へ運んだ。
「確かに、レモンの風味がアクセントとして生きていますね」
コニーが高評するかたわら、ふたりの少女はすっかり顔を赤くしてしまっていた。ただひとり、フィリーは冷たくコニーを見据えている。温度の低さに気がついたコニーは悪びれていないくせに「つい、あまりにも美味しそうに見えたもので」メロディから手を離し、言い訳するような口調だった。
「有り難きお言葉です。きっとシェフも喜ぶでしょう」
それに負けず、フィリーの口調は表情や言葉とは反対に冷淡だった。とはいえ、仕事は完璧にこなす侍女である。ふたり分のお茶をテーブルに静置する。
メロディはフォークを置いて、代わりにティーカップを傾けた。この調子ではしばらく口をきいてもらえないと察したコニーも同様にお茶を楽しむ。
「こちらも爽やかでおいしいですね」
「有り難きお言葉です。嬉しく思います」
「ディローアは爽やかに淹れるのが難しいと聞いたことがあります。秘訣をお持ちで?」
「秘訣ですから秘密です」
「待って、フィリー、わたくしも知りたいわ」
「おや。いつか貴女が淹れてくれるのでしょうか」
「機会があれば良いのだけれど……いいえ、そもそも、お茶の淹れかたを誰に聞けば良いのか」
メロディの視線に倣ってコニーの視線がフィリーに流れると、彼女は「閣下にお教えしてしまうと、ご自身で淹れられてしまわれますので」と答えた。理由を不満に思うメロディとは反対に、ヴァシレイアはこくりと小さく首肯してコニーは「なるほど」と会得した。
何故この場で自分が置いてけぼりにされるのか、首をかしげるメロディだった。
「ああ、いけない。本題を忘れるところでした。我々は5の月の初日に〝すずらんの会〟を控えているわけですが。お好みの装いなどおありですか?」
「特筆するものはありません。コニーはいままでどのような服装で御参加を?」
「1年目から、ずっとこれですね」そう言いながら、制服の裾を軽く引いて見せた。
「でしたら、わたくしもそれに倣いましょう」
「良いのかい? 私は武術院の連中としか関わる機会がありませんでしたからそれで問題ありませんでしたが、女性はドレスで着飾っているほうが多いと思うけれど」
「制服では問題がありますか?」
「いや、問題というほどでは無いよ。しかし……」
今度は、コニーの視線に倣ってメロディの視線がフィリーに流れた。
「閣下を飾りたがらない仕立て屋が存在するわけがございません」
「そう。けれど、なぜ制服ではいけないのかしら。一応、わたくしの正装のひとつでもあるのだけれど」
「用途が異なる、と申し上げましょうか……麗らか場に適う条件がございます」
「そうなの」
「はい。もちろん、お忙しいでしょうから、僭越ながらミハエルやヘレンと相談した上で当日の装いをこちらで考えさせていただきたく思います。カリス家との方とも連携が必要でしょうから、閣下には前日までに確認していただく形になりますが、よろしいでしょうか?」
「10日もないけれど、お願いできる?」
「もちろんです! どうぞ、お任せくださいませ」
「ありがとう、よろしくね」
何も気づいていないメロディの視界がはずれたところ、コニーとヴァシレイアは視線を交えて、再び主従関係のふたりを視界に収める……メロディの関心の希薄はともかく、フィリーの言葉選びと自然な誘導を合わせた手腕に感心していた。
その後、しばらく天体観測を楽しみ、コニーが暇を告げた。
車で送ると提案したが、帰宅前に寄る場所があるからと固辞されて、徒歩の背中を見送った。
青年が夜闇にまぎれたころ。
ふと離れの方向を眺める……もう爆発音から数時間が経過した。修繕や処理の目途がついたころだろうか……就寝の準備を進める前に、ふたりの様子だけ確認しようと決めた。




